将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:松戸自主夜間中学校

「周の掲示板」でも告知しましたが、本日より、「将門Web(英語版)」を開設しました。実に無謀なお話です。TOPページの「English」から入れます。

  Shomon Web

です。英語版掲示板も@niftyで開設しました。

  A bulletin board of Shomon Web

 この掲示板は英文でしか書き込みできません。
11122011 無謀というのは、私周は、英語なんか、からっきし駄目なのです。というよりも、全然できません。書くのも読むのも話すのも無理です。思えば、高校生のときにオーウェルの「動物農場」を読んだのが最後くらいだなあ。
 でもいつものとおりのことです。「なんでもいいからやってしまえ」とばかり開設しました。まあ、必要に迫られました。これから、私のクライアントもホームページを開設するのは当りまえとしても、英語版も作るのが当然になってくるでしょう。だから私自身がやっておかないとなりません。
 それで皆さん、できたら、見ていただいて、

  ここ違っているよ。
  英語じゃ、こういう表現はしないんじゃない。
  欧米ではこういうレイアウトはまずいよ

というようなことを教えてください。日本のレイアウトだと、

  腹切りはいけない
  泣き別れもいけない

とかあるじゃないですか(周は古いね。そしてそれは新聞のレイアウトだ。周は新聞記者だったこともあるから)。
 それから掲示板への英文での書き込みもぜひお願いします。なにしろ管理人が私ですから、気楽に書き込んでくださいよ。それと本物の外人さんが書き込んできたら、ぜひともホローをお願いします。
 でも私周は、いつも無謀だなあ。こんなことばかりでやってきましてね。

 それから、このところとにかく忙しいのですが、その忙しさの質が今年からおおいに違ってきました。相談される内容が、以前ならかなり経営についてのつらい相談が多かったのですが、今年になってからは、

  会社のホームページを作りたい
  社内LANを組みたいが、業者にはこんなことを言われた
  新しい業態を考えているが、その中心はやはりインターネット
  だと思うが

等々の相談と、そしてそれを実際に私が指導してやっていくことです。本当はこうしたことも詳しく書いていくべきですね。
 それから先日5月3日に松戸自主夜間中学校の「憲法記念日の集い」がありました。実に沖縄の方と在日韓国人の方から、いいお話をお聞きしました。それでも、時間が足りなくて、私が発言したことでも、どうしても消火不良のところがありまして、このホームページで書いていかなければいけないなと感じているところです。一部は以下でUPしてあります。
 「あげあしとり」に

  「悪法もまた法」とやらに

という題でUPしておきました。もっと書きたいこと、書くべきことがあります。
 それと、この「集い」とは別に、このあとの飲み会の2軒目で、私に対して、

  ファシスト!

という罵声を浴びせた男がおりまして、もう私には驚くやら怒るやら、大変なことでした。私は、過去さまざまな世界でいろいろなことをやってきましたが、こんなことを言われたのははじめてです。どこから一体私が「ファシスト」と言えるのだろうか。もう私は許す気はありませんので、このオトシマエをどうつけるかだけの話です。しかし、この歳になってまた、突如いろいろな目に会うものですね。(05月11日 8時56分)

11121502  ジオシティにホームページを2つ作りました。和尚さんが「夜中っこ」という部屋、私が「松戸」というホームページです。この授業で、いろいろと内容を付け加えていきます。そしてそして、どうしようかな。最後には、消してしまうか、どうするかはまだ考えていません。でも簡単にホームページってもてるものなのです。みんなやって欲しいな。(03月18日 18時10分)

11112324 昨日松戸自主夜間中学校のパソコンの授業がありまして、本日のフリーマケットを知りました。松戸自主夜間中学校は春と秋の年2回、夜中の活動費獲得のために、フリーマーケットに参加しているのです。私はいつもたこ焼きを焼いていました。だけどきょうは私は参加できませんでした。とても残念です。参加できなかったのははじめてです。
 このところ、土曜日は仕事になり、日曜日も必ず何かがありましてでかけており、本日は朝早くから自宅のことをいろいろとやっておりましたところ、珍しく家族4人がいるという事態でありました。それで、おそくなってしまったのですが長女の誕生日祝いをしようということになりまして、昼食に出かけることになりました。私は夜中と長女の誕生日祝いとをてんびんにかけ、普段なら躊躇なく夜中を選ぶところを、きょうは誕生祝いになってしまいました。何しろ、一家4人が同時にいて会食できるなんて、このあとの休みでも実現できそうもないのです。
 しかし、夜中も気になります。やっぱりいくべきだったかな。(1999/11/03 23:37:56)

0d402a28.jpg   こうしてこのIS01で書いていますと、いくらでも思い出してくることがあるものです。
  ほぼ不愉快な思い出ですね。でもそれを書いていくべきだなあ、なんてことを思いました。

  私は長年「松戸自主夜間中学校」で1カ月に一度パソコンの授業やっていました。友人の和尚さんと一緒にやっていたのです。これは実に7年やり続けました。
  いやこのときの不愉快な思い出はまたあとで書きましょう。
  今はバスの中です。


  今は帰りのバス亭です。もうバスに乗りました。

11110806 そういえば、一昨日20日は、柏市民ネットの暑気払いでした。元気に飲みました。そこで、今年も「音楽フェスティバル」はやろうということになりました。これは楽しく企画実施していかなくちゃいけないですね。
 それと、みんなでキャンプに行きたいのですが、これはどういう結論になったのか覚えていないな。そういえば、先日の神奈川県の丹沢でのキャンプの事故についての話題がかなり長く続きました。会社経営とからんだお話です。
 それからキャンプといえば、先日松戸自主夜間中学校のキャンプに参加したのですが、これは実に愉しく、かつ有意義な体験でした。また行きました、茨城県涸沼という場も、実に印象深いところでした。これまた書き残しておくべきですね。
 そして、その柏市民ネットの飲み会の席で、またまた当然に激しい論争になります。まずは消費税のことです。私は当然「消費税はいい税制だよ」という側です。(ただし、これは現在の消費税の中身はいいと思っているわけではありません。さまざまな改悪があると思っています)私がいいたいのは、「税を取ることを否定するのなら別だが、国が税を取ることを必要悪として認めるのならば、消費税がいいのだ」ということです。私は極端にいえば、直接税を廃止して、消費税だけでもいいと思っています。
 私は、戦時立法である「源泉所得税」には何の疑問ももたないで、ただ消費税を否定したがる人に対して、「あんたはおかしいのじゃないの?」といいたいだけなのです。
 それから私は少々悪いクセで、左翼的な人がいると、だんだん言いたくなるのです。なるべく刺激的なことをいうようにします(当然私も左翼のつもりなのですがね)。
 突如、「戦後の歴史の中では、自民党はいいことをやってきたことが多い。歴代の首相の中では、佐藤栄作、中曽根は偉大ともいえる首相だった」といえば、そりゃ左翼的な人を刺激するのはあたりまえでしょうね。それで、「よくないのは、宮沢喜一に、大平だ」と付け加えます。酔っていない今ですと、さらにいいます。前の二人に、さらに吉田茂と田中角栄を付け加えます。よくないのは、もうたくさんいるのですが、鈴木善好なんか「よくない」ほうに入ります。大平に関しては、「よくない」ほうから抜きたいと思います。大平は、「いいところ」と「よくない」ことが半々というところかな。
 こんなことをいえば、当然刺激的ですから、またまた論争になります。でも、その前に話したことで、今の小淵内閣では、パソコン減税がたったの100万円なのですが、中曽根は消費税導入にあたって、「200万円までの計算機の一括償却」を認めたのですよ。まずは、それはそれは「偉いじゃないの」。それから私は、とんでもないことをいいます。明治天皇が亡くなったときに、昭和天皇に対して、乃木希典が最後に言い伝えたいこそとしたことがあって、そしてそのエピソードを司馬遼太郎が書いているのですが、そのことを中曽根が天皇に直接聞いたことがあるそうです。天皇は覚えていないというようなことだったようですが(覚えていないわけはないのだと私は思うのですが)、こうしたことを率直に聞いてしまう中曽根について、私は評価してしまうのです。でもこんなことを言ったって、そりゃ、判らないよね。(1999/08/22 6:26:08)

11103006 なんだか、柏祭が終わって、何日も会社に泊まっている気がします。もう徹夜続きだから、昼も夜も同じな感じです。ただ昼は外を歩くと、もうただただ暑くておかしくなりそうです。
 それにしても、きょう安田弁護士が保釈になったら、少し仕事も一段落してめどもたったことだから、もうそれこそ喜んで飲んでしまおうと思っていましたが、結果が「東京高裁の3度目の保釈却下」で、もうそれこそ面白くありません。もう頭にきて、これまた仕事をずっと続けています。
 8月1日に「松戸自主夜間中学校」を支える「松戸市に夜間中学をつくる市民の会」の第17回総会があります。ぜひ興味をある方は参加願います。ほとんどすべてのスタッフや生徒にも会えると思います。また総会後、「交流会」も開催されます。ここでいろいろなことを話しませんか。
 総会では、私が議長を務めます。交流会では、普段思っていることを述べたいと思っています。私はどうも、こうした市民運動に流れている考え方に同調できないところがたくさんありましてね、それを言わないと気がすまないのです。私はどうも、戦後民主主義を単純に肯定してしまうような思考法が許せないのですね。(99/07/30 23:20:19)

11102805 本日は柏祭りです。今使っているマシンを柏駅東口サンサン広場下へ持って行きまして、デモします。これをPHSでつなぐことと、無停電装置が必須でした。ノートパソコンなら、バッテリーが内臓されていますから問題ないのですが、あの祭りの電源の状態(すべての店を直列に長々とつなぐやりかた)だと、電源がしょっちゅう落ちてしまうので、パソコンがすぐに切れてしまうのです。それを防ぐのが無停電装置です。今から3年前の96年には、NTTの回線を引いて、パソコン通信をやったものでしたが、97年はPHSでパソコン通信、98年はPHSでインターネットをやりました。だが97、98年ともに、ノートパソコンのみでした。あの環境では、97年にはデスクトップを置きましたが、それで通信はできませんでした。だが、今年は完璧にできるはずです。
 ついでにプリンターエプソンのPM−770Cも持っていきますから、現場でチラシを印刷しましょう。
 それといくらなんでもパソコンのデモだけだと、出費だけだから、それでたこ焼きを作り売ります。8個入りパックが300円です。これは美味しいよ。だって、私しゃ、松戸自主夜間中学校のフリーマーケットでもたこ焼き作りのベテランだから。そのベテランの私が、作り方が下手だと怒られてしまうような名人が、私たと柏市民ネットにはいるのです。
 それから、本日午後2時(開場は1時30分)より千代田区永田町の星陵会館にて、「安田弁護士の即時釈放要求」の集会が開催されます。集会のあとはデモをやります。昨夜九州からぜひデモのために上京する友人から、携帯に電話がありました。私が参加できませんで、誠に申し訳ありません。これは非常に残念です。柏祭りは前々から決っているものですから、これをはずすことができません。集会とデモの成功を祈念しております。
 さて、もうすぐ動き出しますよ。タコを切っている仲間、キャベツを刻んでいる仲間がもういます。私は、パソコン他の用意です。(1999/07/24 5:31:42)

11102503「東芝のアフターサービスについて」へのアクセスは、もうすぐ500万を越えますね。これは驚くべきことです。各マスコミもこの事態をどう判断するのでしょうか。こうなったときに、では既存のメディアとしては、インターネットとは違う情報の提供分析ができなくてはいけないはずなのです。もうなんだか、たよりにならないマスコミばかりですね。
 それと、いくつかのこの問題に関する掲示板を見ていて、思うのですが、こんな当りまえの要求で、粛々と闘っているAKKYさんを誹謗する輩がいることにまず驚きます。それから、なにかAKKYさんの側にも問題があるかのような書き方をしてしまう人もいます。私はこういう類の連中が一番嫌いです。どんな事件があっても、こうした傾向の連中はいるものです。例えば私は以下のようなことを書いたことがあります。

 「帝京大学のラクビー部員の事件で」(1998.01.25)
    (これはUPしましたらリンクします)

 上のときで書いたことと、また同じことを感じるのです。AKKYさんのやっていることを揶揄したり、彼の側にもなにか問題があるかのように言うことは、結果としては東芝側に身を入れていることと同じなのです。残念ながら、私の「周の掲示板」でも同じ類の書き込みがありました。私はとにかく、少なくとも私の掲示板で、あのような嫌な書き込みをされることを絶対に許すことができません。
 この間、いろいろなところでこの問題を話してきました。みな知っています。ただし、インターネットを見ていない人も何人もいました。だが共通していえるのは、東芝という会社をほとんどが信用していないことです。これは私も認識を新たにしました。それから、私のクライアントの社長さんの何人もが、やはりインターネットをやることの重大さを改めて認識したようです。これは大きなことですね。もうインターネット抜きでは、今後のビジネスも個人の生活も考えてはいけないのです。
 それから、私のこのホームページを実に多くの方が見てくれていまして、ありがたいことです。けっこうリンクの申し入れが続いておりまして、嬉しい限りです。また私のところの掲示板にも注目いただきありがとうございます。また私のクライアントの方々も、よく読んでいただきまして、ありがとうございます。私はいつもどこでも言い続けていることを、貫徹したいと考えているだけです。私の掲示板での姿勢が少々まだるっこしく感じたとしても、それはあくまで私の原則的なやり方です。ご容赦ください。
 本日は、松戸自主夜間中学校で先日作った自作パソコンを、最後の設定に行きます。やっぱりインターネットに接続しないといけないじゃないですか。それが終わって、私の属する浦和会です。どうみても明日の朝まで飲むとしても、とにかく帰宅して、風呂に入って、また出かけます。明日は、私の大学のときの友人の結婚式なのです。彼も浦和会のメンバーですが、まさかまさか前日は飲みにはきません。でもその結婚式で、私も出番があるために(もちろん詩吟をやるわけですが、それが重要なセレモニーであるようだ)、けっこう緊張していかなければなりません。(1999/07/17 6:41:58)

 あ、それから、この東芝問題にからめて、もう一ついいます。実は今回私の友人から、この問題と似たような件に関する相談がありました。医療機器のメーカーの機器の問題らしいのです。そしてそのメーカーの対応は聞くところによると、この東芝よりも質が悪いようです。それで、それに対してどうやって闘いを組んでいくのかという相談なのですが、私はこのインターネットによる告発を当りまえに言いました。だが、その相手の方(私はまだ直接はお話していません)は、まったくこうしたパソコンはできないし、そうした発信をしている時間もないそうです。つまりは、私にその問題を発信してほしいというのですね。私はすかさず断わりました。

  あ、それなら、仕方ないのじゃないですか。当人がやらなけれ
 ば、駄目ですよ。まあ、下請業者を使ってやるという考えもある
 でしょうが、私はそれでは駄目だと思いますよ。

 たいへんに冷たい言い方ですが、これが私の原則です。被害を受けた当人が闘いを構築できないのなら、まわりが何やってもできませんよ。
 もしも、もしもですよ、私が義憤にかられて、やってあげたとしたらですね、私は、ただの総会屋、あるいは右翼、あるいは左翼ゴロと同じになってしまうのです。今までのやり方となんら変わりがないじゃないですか。私はそんな気はまったくありません。
 もちろん、私は過去いろいろと相談を受けて、私自身が一緒に前面に立って闘ったことはいくつもあります。直接お会いすると、なんだか情が移ってしまいますからね。ただし、必ず当人が自ら自分自身で闘うことを自覚した相手だけにです。最初から、私周が何かをやってくれるというような思いだけの人には、私は一切手を差し伸べません。判ってくれたかな。(1999/07/17 7:24:49)

11102111. いやはや、毎日いろいろとありまして、なんだかそりゃ疲れました。そういえば、今週の6日火曜日には、松戸自主夜間中学校の自作講座の「自作パソコンの実際の組立て」の「BIOSの設定とWindows 98のインストール」だったのですが、いくつかのトラブルの、その原因はみな私が作っていました。
「音がならねえな、どうしてだろう」と懸命に和尚さんがプロパティを調べたりしていましたが、実は私がスピーカーの音源コードを「MIC」に入れていました。ごめんなさいね。
 そのほか、みんなトラブルは私が作っています。
 でも、この授業の前に、私はクライアントのイベント屋さんに行っていました。ひさしぶりにお会いした社長が実は長く怪我をしていまして、できたら励ましの酒飲みにしたかったのですが、とにかく授業ですから残念でした。
 彼とは過去、なんどもなんども元気に飲んできたものなのです。私よりも年上の方で、出会いが谷中の飲み屋で、最初の最初から私と喧嘩をしていました。でもでも、彼が私に仕事を依頼してきて、それで、けっこういい仲にはなったのですが、また飲むと激しく言い合いをしています。
 どんな言い合いをするかといいますとね、南方熊楠と柳田国男の問題とか、黄檗宗のこととか、三角寛のサンカ社会の研究のこととか、さまざまです。そして長くしつこく喋っていて、そしてそのうちに私が軍歌を歌い出して、だんだん険悪になっていきます。本当に困った酔っぱらいですね。でも彼と会って飲めるのは愉しい。また機会を作ります。(99/07/09 18:45:58)

11102102 昨日、松戸自主夜間中学校で「パソコン自作講座の実際の組立て」の授業をやりました。26日に秋葉原で購入したパーツ類で構成するパソコンです。実は、相性の問題やいろいろあるから、どこかの「組立てキット」を買おうと思っていました。自分のマシンを作るのならいいのですが、これは授業ですから、時間内に立ち上がらないとまずいのです。でも秋葉原を歩いているうちに、やっぱり「もっといいもので、できるだけ安く」という気持がわきあがってきて、結局はあちこちで探しあてて、バラバラにパーツを買ってしまいました。
 だから、実際に立ち上がるかどうか不安でした。でも組立て時間が1時間30分にて、見事簡単に立ち上がりました。そして来週7月6日、またここの授業で、BIOSの設定とWindows98の導入の授業をやります。
 でもやっぱり自作は愉しいです。(1999/06/30 7:21:31)

11101809 先週は、仕事では毎日違う職種のお客さんのところへ行っていました。あんまりにいろいろと違う職種なので、実に愉しいのですが、こんがらからないようにしなければいけません。ただ、一般的な財務会計とか試算表の意味などは、どこも同じなわけです。それをその会社で説明しなければなりません。そのほかインターネットによる発信ということなどは、どこにも重要な課題ですね。ただ、仕上げなければならない仕事が溜まってきて、少し不安です。
 そして、夜になるとけっこう飲んでおりまして、1昨日はひさしぶりにゴールデン街へ行きました。そしてその飲み会のあと、毎日ホームページの更新をしています。けっこう昼にも、時間が半端に空いたときにはホームページ用の原稿を書いていたりしました。
 昨日、このホームページをかなり大工事しました。各ページの分量が増えてくると、あまりに重くなるので、分割しないとなりません。それと各ページの上に置く、「ショートカットキー」を替えますと、すべてのページを変更しなければなりません。これはかなりな作業です。ときどき眠くなりながらやっています。
 いままで「将門ChatRoom」はジオシティーのものでした。高性能なのですが、ログが残りません。それとなかなか人と会えません。私が「○○日は○○時に入ります」と予定しておいても、その時間になると、別な用で入れないことが多々あります。だからいままで、チャットできましたのは、数回です。それで11日夜に、また「周のChatRoom」を新規開設しました。これはNIFTYの新サービスです。ここは、ログが1日残るように設定してあります。ここは、「松戸自主夜間中学校」のChatRoomとしても使えるように、松戸自主夜間中学校のホームページからもリンクしてあります。できたら、ここでもお話しましょう。
 私は松戸自主夜間中学校のホームページも管理しているわけです。ただ、私としては「私は管理しているだけであり、作るのは松戸自主夜間中学校のみんなで」という原則的な考えでした。ただ、そうすると、少しも更新していかないのですね。幸い「松戸自主夜間中学校別館」を新井さんが運営してくれていますので、少しは格好ついてきたのですが、それでも本館たる私のところが、少しも更新せず、「これはよくないあな」と思うことしきりでした。それで、私としましては、まず、もうこの松戸自主夜間中学校のホームページも、私の「将門Web」と一体のものと思い込み、今後同様に更新してまいります。そして更新したときは、「What’s new」に、「松戸自主夜間中学校を更新」というように報告してまいります。更新の内容に関しましては、松戸自主夜間中学校の「更新記録」に載せていきます。とにかく松戸自主夜間中学校のホームページも、リンクの申し入れがあったりしますから、もっと必死にやっていかなければなりません。
 メールをたくさんいただいております。ご返事がどうしても遅れがちになってしまいます。他に原稿を依頼されたり、書かなくちゃいけないメールが普通の手紙もありまして、自宅でも必死のところです。「周の掲示板」へのRESも遅れがちですが、これまた申し訳ございません。
 とにかくやりきります。(1999-06-13 10:00:46)

11100706 昨日は、私の役員をやっている会社の税務調査でした。なんだか精神的に非常に疲れました。なぜ疲れたかというと、そのあとぱらむさんのところ別な用でいきましてお話しました。もうここに書く内容ではないのです。私と直接会える方は、興味あったら、私に聞いてみてください。
 その途中でも、まったく別な方からの相談があり、携帯でお話していました。なんだかこれまた消耗するお話でした。

 なんというかな、双方とも難しい問題ではなく、どんな世界の方も「もっとみなプロになってほしいな」と思いますね。
 神田会を来月12日(水)に開催します。本当は今月やるべきだったのですが、どうしても気がまわりませんでした。日程を決めるのはいいのですが、連絡するのがけっこう大変です、かなり体力を使う気がします。メールはいいのですが、FAX連絡が大変です。パソコンがやるのですが、パソコンは3時間くらいかけてやっています。FAXがふさがっているところには、また再び、そして3たびかけ直しています。それがなんだか「おう、お前も大変だね」という気になります。それから4人ばかりFAXでもなく手紙を送らなくてはならない方がいて、これまたいろいろな感慨がありまして、いろいろな思いを入れた手紙になります。

 本日は松戸自主夜間中学校のパソコンの授業です。ひさしぶりに、みんなと会えるのは嬉しいな。パソコン自作講座の開始です。
 それと、今度は4台目の自作パソコン作成に入ります。機械は喋らないから、私のようなお喋りにはいい瞬間です。(99/04/23 6:20:50)

11092501 本日は松戸自主夜間中学校の「出発(たびだち)の会」です。夜中の卒業式にあたります。
  それで、たった今からは父のお墓参りに行きます。(99/03/21 9:00:45)

11091702 このところ身体がもともとの状態に戻ってきました。これはとても嬉しいことです。ほぼ毎日睡眠時間を平均4時間で貫徹できています。ある日は3時間、翌日は5時間というようにできています。眠いときには早めに寝て、また早朝起きるということが昔のように自在にできるようになりました。まあ、夜はいいのですが、昼が、もうそれこそあちこち歩き回っていまして、なんだか目が回るような思いです。
 そういえば昨日は1日さまざまなことがありまして、そのことを書いておきたいのですが、きょうもまた別な相談を受けて、調べているうちに、別な予定になってしまいます。きょうはまたそのあとにも予定があるから、ホームページへの書き込み更新は明日ですね。昨日は午前中一つの用が終わって、勇さんの喫茶店に行って、ひさしぶりにお話しました。いや、やっぱり勇さんとお話していると愉しいな。勇さんは優しいだけでなく、さまざまなこといつもチャレンジしていて面白いのです。ずっとインターネットとパソコンのお話をしていました。それに彼は日本舞踊の先生ですから、そんなお話もします。それから午後は、事務所へこのホームページで私を知ってくれた方が来てくれました。これまた大事なお話です。内容は書けませんが、私はぜひともやりきりたいと思うことでした。そしてそのあと夕方は、松戸自主夜間中学校へいきました。もうそれこそまなじりを決していきました。一斉授業で「これは俺が言わないとまずいだろう」という内容だったのです。そして激しく頑張りました。この内容については詳しく展開したいな。とにかく、もうきょうです。

11090414 どうやらやっと昨日ときょうは少しゆっくりできました。そして「周の発言」へは1週間ぶりの書き込みです。毎日いろいろなページの更新だけはしているのですが、なかなかここへ書いている時間がありません。日々いろいろと思うことがたくさんあり、ここへ書きたいなあとだけは思っているのですが、そのままになってしまいます。
 1月後半は出かけることが多かったのです。そこでけっこう電車の中で本を読むことができました。1月31日に「発言」で書いているところでも、私はお通夜に行くときも、降りる駅であわてて降りたくらいに本に熱中していました。そのあとの松戸自主夜間中学校へ行くときにも、急いでいたのに、読んでいる小説があと僅かで終わるので、松戸駅でベンチに座って読み終わりました。読み終わらないではいられなかったのです。ただ、私はそのあとまた本来の目的のところへついたら、当然そちらの方に熱中してしまいます。いつでも頭をサッと切り替えているつもりです。
 2月に入った先週もいろいろ歩きましたが、けっこう本を読み耽けっていると、降りるべき駅でいつもあせっていました。ちょうど池上線で、3つの駅に降りなくてはいけないことがあったのですが、どの駅でも私はあわてていました。そして思い出すのです。「なんだ、俺は毎年毎年いつも同じことをやっているなあ、昨年もこの駅であわてて降りていた、あのときは何を読んでいたっけ」。
 この間読んだ本はどれも印象深いものがありました。はやく「本の備忘録」にUPして、できたらそのいくつかは「周の書評」として残しておきたなあと考えています。「書評」に書いたら、古書店に売ります。(99/02/07 11:33:50)

11082802 本日は松戸自主夜間中学校のパソコンの授業です。そこで「安田弁護士の不当逮捕に抗議する!」のページもおおいに見せることになるかなと思っています。
 それと釈放要求のFAX(もちろん郵送でもいい)をぜひお願いします。これがそれこそたくさんになることが、かなり大事なことになってきます(この意味に関しましては、上のページに書いておきました)。(98/12/18 17:56:19)

11080611 とにかく、いろいろと動き回りました。埼大のむつめ祭も愉しかったし、本日の松戸自主夜間中学校でもわずかの時間でしたが、愉しい時間と空間に身を置けました。それから、本日午後1時からの「パソコン自作講座」は、これまた秋葉原をたくさん歩きました。いいですね。どこもかしこも、みな元気でした。

僕の教育論  その1 新井(1995.11.03)

 ここで新井先生が述べられたことに、私はほぼ異論ありません。

 さてさて、なんでこんな歴史講義をしたかというと、義務教育は「何を目指して誕生したのか?」と、いうことを考えたかったからだ。

 まったくこのとおりです。義務教育そのものを考えるのなら、「教育基本法」と「学校教育法」を見ればよいのだろうと私は思います。ただ私たちの目の前にあるのは、義務教育や学校だけではない「教育」なのだと思っています。

 というのは、学校教育を語るときに、「教育」と「躾け」が混同するからだ。少なくても義務教育誕生の時代には、学校教育では「躾け」は、担っていなかった。

11060906 私は「躾け」は大事なことだと思いますが、「学校教育」とは関係のないことだと思っています。ただ例えば礼儀は大切なことですから、学校に限らず、それを「教育」していくのは必要だろうなと思います。躾でも同じです。必要があれば、職場でも先輩後輩の関係でも、互いに学んでいくことでしょう。
 問題は「学校は躾をやってくれ」などという親がいる(こんな大胆なことを言い切る親がいるなんて本当かな)ということを話の前提にして、なんだか今の親の考えがこうだと言われると、もう何を言っているのという気になってしまいます。100人の人間、千人の親、1万人の個人がいて、その中にはいろいろなことを言い切る人もいるでしょうが、その中の特殊な意見をなにか全体の雰囲気だと決めつけて論を展開されるのには嫌になってしまいます。

 そもそも「<躾け>は他人のためにするもの、<教育>は自分のためのもの」だからだ。躾けのなっていない人にあって不愉快な思いをするのは、その本人ではなく他人です。しかし、無学で困るのは他人ではなく本人だ。だから、本来「教育」と「躾け」は対照的なものだ。その対照的なものを一緒にして論議できないからだ。

 だから、このくらいのことでかたずけておけばいいのだと私は思うんですね。学校で毎朝歯を磨こうとか、休み時間は喋らず次の授業の準備をしろなどというのは余計なことです。ただし、こういうとまた誤解してしまう人がいるから、言っておくけど、先生なり誰でも個人が、

  俺は毎食事ごとに歯を磨くよ

とか、

  歯を丈夫にするのには、魚を喰うことだ、俺は歯なんか磨いた
  ことはないよ(これは村本という私の後輩の先生が、親に対して
  言い切った言葉)

と言うのは勝手であり、自由です。
 だから、毎日朝はトイレに行ってこいとか主張するのはいいのです。それを校則のように決めることは余計なことなのです。

 僕ははっきりいって義務教育(権利教育?)は、「新聞に載っている文字・漢字が読める程度の知識と一桁の足し算・引き算・掛け算が出来れば良いだろう」しか、考えていない。

 まったく同感です。これだけのことです。でもこれだけのことも大事なことがあるんだとは思っています。私が教員になっていたら教えていただろう社会科では、「三権分立」とか「基本的人権の尊重」などということは、人間として市民として生きるのには大事なことであり、義務教育で教えられているはずのことです。中学で義務教育は終って、そのまま社会へ出ていくわけなのだから、それまでに教わることはけっこう大事なことなんですよ。

 私は新井先生の松戸自主夜間中学校での授業には深く敬意を払うのと同時に、受けたときにはいつも感動しています。でも、ここで言っちゃうと、新井先生の授業に批判したいような雰囲気の方もいるんですね。学校の先生らしいですけれど。なんだか学校の現場はもっと厳しいんだといいたいんだろうけれど(そういいたんだろうなと私は感じました)、私はその方にも反論していきました(そんなに激しく今のところ言ってはいませんが)。もっと言い切っちゃうと、

  あんた、新井先生くらいの授業をここでやってみろよ

ということなんですね。
 私だって、もし「学校の現場は厳しいんだから、お前等にはわからないんだよ」というなら、「じゃ、俺にもやらしてみろ」といいたいですね。私たちの仕事や職場にきていただいて、私たちの仕事をやってみたりするのを、私は決して止めませんから、そのかわり、私にもやらせてくれたまえと、私はいいたいな。やがてそんな形が学校教育の中でもできたらいいなと、私は思っています。新井先生の授業が普通の中学や高校でもあるべきなんですよ。
 また、新井先生の授業を受けたいし、ここで論を拝見したいなと考えています。

11021401 9日にDDIのPHSを買いました。私はいつもノートパソコンを持っていますが、どうしても無線でつながないとならないときがけっこうあるのです。私のクライアントだと、ほとんどそこのLANに入れるようにしてありますから、つなぐだけでいいのですが、まだできていないところがあります。そういうところでは、電話回線でダイヤルアップでつなぎますが、どうしても、その手段もとれないところがあります。まったくの野外だとできませんし、飲み屋でも、何故かピンク電話しか置いていないところもあります。そうしたところではPHSでつなぐしかありません。携帯でもつなげますが、実質的に速度が遅すぎます。
 それで、ずっとドコモのPHSを使ってきました。最初に使ったのは93年のことだと思いますから、もう丸8年くらい使ってきました。松戸自主夜間中学校でのパソコンの授業で、最初は携帯電話でやっていましたが、PHSになってから、実に快適になりました。そしてPHSの速度がだんだんと早くなってきました。
 それで、長く使ってきたわけですが、どうしてもドコモだと不安定なのです。場所によっては、ときどき回線が切れてしまうことがあります。それからビルの中の事務所等々ですと、電話が届かないところが多々あります。このためにQ-link Stationという機器をいつも持って歩いています。これで完璧なはずなのですが、この機器を私はよく置き忘れてきます。無くなることはなく、また戻ってはくるわけですが、その間は困ってしまいます。
 このドコモよりもDDIのとくにAirH(エッジ)だと安定した通信環境が得られるといいます。でも私はドコモのPHSにも恩義みたいなものを感じていますので、なかなか踏んぎりがつきません。ただ、もういろいろなところで、パソコンを操作するのに、最初の最初(例えば、まだインターネット接続ができていないで、とにかく何かのドライバをダウンロードしないとならない)は、なんとか私のノートでインターネット接続しないと、先に進まないということが多々あります。また夜、どこかの飲み屋でもインターネットに接続して、クライアントのホームページを操作しないといけないことも多々でてきます。そうしたときに、もはやドコモでは不安定でたまりません。
 それでとうとう決意しました。そしてとにかくまずは、インターネット接続です。もし比較して、ドコモのほうがよかったら、もう解約してしまうつもりでした。でももう判りました。AirH(エッジ)のほうが、ずっと快適です。回線が切れてしまうことがありません。
 これで、より快適なモバイル環境になりました。さて、今週ドコモのPHSは解約します。長い間、ありがとう。(2002.05.13)

 今年(98年夏)の松戸自主夜間中学校のキャンプへ行ってきましたが、そこでも夜にいろいろなお話をしました。その中で、

 「民主主義」というのは、思想ではなく、あなたのいうとおり、シス
 テムなんだね

と私に言われた方がいます。ちょうど半年くらい前に、皆で激しく論争したときの私より5歳くらい上の方でした。また、NIFTY のあるフォーラムの会議室で「民主主義とは何か?」などという問いがあって、その後それへの解答がないままなのを見てきました。それに関して、「これが最適の本ではないのか」と思える本の紹介です。

11011110 私は昔から「民主主義」というと、どうにも好きになれませんでした。昔学生運動の流れの中で、構造改革派の中で「民主主義学生同盟」という組織がありました。私はこんな連中がいるのが信じられなかった。だって民主主義とは思想ではなく、政治制度なのだから、マルクス主義とか社会主義と名乗りあげることとはかなり違うのですよ。もっとも、この党派はその後、右派(日本のこえ)と別れ、「プロレタリア学生同盟」なんて形容矛盾な名前の党派を名乗り、さらには、緑のヘルメットを赤くぬり、「赤色戦線」などという組織になってしまいました。簡単に潰れましたが。
 よく三派・全共闘といいますが、本来は三派全学連と全共闘は全く別のものです。全学連はあくまで各大学の自治会の総連合ですから、民主主義の手続きを着実に遵守します。全学連の集会では自治会をもっていない党派は発言権はありません。左翼というと、かなりでたらめことをやる感じがしますが、三派全学連はその意味では戦後民主主義の申し子でした。三派というと実は五派プラスその他もろもろいましたが、社学同ML派と、第4インター(社青同国際主義派)は、自治会を掌握していなかったため、発言権がありませんでした。彼等はどうしても発言するために、会場でゲバルトのやりあいをして、その事態を説明するという理由のもとに、発言を始め、彼等の情勢分析、闘争方針を展開したものです。

 全共闘は全学連を「戦後ポツダム自治会は終焉した」ということで生まれてきました。したがってまったく民主主義的な手続きなど関係なく行動します。私などは、ちょうどその両方にいますから、よくその違いがわかります。しかし私などは、この全学連での学んだことはかなり良かったことであります。すなわち、クラス討論をしたり、投票をしたり、多数派になるという訓練をかなり経験したからです。私は労働組合を作って元気に暴れたこともありますが、私はその中で一番の過激派でしたが、私が会議の司会をやると、会社側にも褒められたものです。よくあれだけきちんと双方に平等にやれるものだと。
 私は民主主義はあくまでルールなのだという認識がありました。したがって、守るべきとかこわすべきとかいう思想としての対象ではないと思っていました。
 しかしいまこの民主主義というものを、まともに把握できない層がかなりいるのをみて愕然とします。いったい義務教育でまともに学ばなかったのでしょうか。そんな思いのとき、ある人の紹介でこの本に出会いました。

書 名 民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である
著 者 橋爪大三郎
発行所 現代書館

 なんだか題名が恥ずかしい気がして、最初は電車で広げるのが嫌でした。でも第1ページから読み進むうちに、これは全く私が持ってきた思いをそのまま展開している本であることに感動していきました。ぜひ多くの方々に読んで頂きたいなと思っています。

 「民主主義」の旗を掲げよう。
 それが社会の「理想」だからではない。「平和と民主主義を守ろう」
 というのでもない。とりあえずそれが、もっとも現実的な社会の運営
 方法だからである。

 これが最初の「はしがき」に書かれている最初の文です。これだけのことですら私は他では読んだことがないように思います。そして次の文、

 「民主主義」の前提は、人間一人ひとりが自分の生き方を考え、つき
 つめ、決してそれを他人に預けないことである。その上で、いまの社
 会制度に責任を持ち、必要ならそれを作り変えていくことである。そ
 ういう、思考の輪郭のくっきりした、人びとの格闘が、民主主義を支
 える。

 この文章こそ、まさしく私たちが義務教育で、中学3年生までに学ぶべき民主主義の意味だと思います。私は中学で社会科の先生に教えて頂きました。
  さてこの本の中で民主主義のことを中心的に書いてあるのは、「陳腐で凡庸で抑圧的な民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である」という章です。

  政治とは《おおぜいの人びとを拘束してしまうようなことがらを、
 決定すること》、これにつきる。

  民主主義とは、《関係者の全員が、対等な資格で、意思決定に加わ
 ることを原則にする政治制度》をいう。

  民主主義は、人為的な制度である。人為的だから、人間の自然な感
 情に逆らっても不思議はない。。なんて憎たらしいことを言う奴、殴
 りつけてやろう、と思っても、そうはいかない。相手が言論でやって
 いる限りは、民主主義である以上、めいめいに自制が要求される。そ
 ういう努力を惜しまず、民主主義を守り育てていかないと、民主主義
 はすぐ民主主義でないものになってしまう。
  民主主義は、われわれがそれを自覚的に選択し、そのあとも日々選
 択しつづけ、意識的に手をかけてやらないと、存在できない。

 民主主義は手続きを重視する。民衆の意思決定を形成するための手続きが大事なのです。この手続きの正しさを踏みにじる傾向をなくすことが民主主義なのです。

  日本の(戦後)民主主義は、いくつかの理由によって、大変虚弱で
 体質の弱いものであること。そして率直に言って、「民主主義を守ろ
 う」とか「民主主義はは大切だ」と言ってまわっている思想家や団体
 に、ちっとも魅力がないこと。そういうイメージが民主主義にこびり
 ついている。だから、民主主義の肩を持つなんて、ちっともカッコウ
 いいことではない。
  けれども、われわれの民主主義を、せめてもう少しタフで成熟した
 ものに変えていくことが、いまの日本にとって重要だ。ちょっと考え
 てみると、そのことはよくわかると思う。もっと日本人は、おとなに
 なろう。政治の責任を分かちあおう。そのために骨身を惜しまない人
 間が、何千万人も出てこないと、日本は少しも生きやすい社会になっ
 ていかない。そして尊敬できる社会になっていかない。

 まさしく民主主義は守るものではなく、私たちが日々つくるものであると思います。陳腐なもので、そして政治であるから抑圧的なものであるとしても、私たちがつくりあげていかなければならないのです。
 なんだかこの本を読むと、誰でも頭の中が整理されスッキリした感じがするのではないでしょうか。そうです。こういう言葉であたりまえのことをもっと早く説明して欲しかったのです。

 私は今もいろいろなところで、驚くような誤解とつき合ってしまいます。国会や地方議会で行われているものだけが政治だと思い込んでいる人が大勢います。民主主義を素晴らしい思想だと堂々と言ってしまう人がいます。それが私よりも年上でしかも社会的にも「人を教える立場にある」人なのを見ると、心の底から嫌になってきます。「あなた方は一体何を学んできたのだ、そして下の世代に何を教えようとしているのだ」

  言わしていただければ、テレビ等々で感じるのは、民主主義の本質を理解できているのは、むしろ保守的な言動を言っている方のほうであり、左翼進歩派と思われるほうこそが「こいつ判ってねえな」と感じることがしばしばです。私はこの連中はむしろ左翼保守派とか左翼守旧派というべきかななんて思っています。でも中学3年生の段階で知るべきことなのになあ、と情けないと思うばかりです。
 だからこそ私は自分が関係するところでは、この民主主義のやり方を厳守するようにしています。今年夏に松戸自主夜間中学校に関する「松戸市に夜間中学を作る市民の会」の総会があったのですが、私が議長を担当しまして、このことは厳格に追及しました。また私は住んでいるところのマンションの管理組合の理事をやっているのですが、これまた総会(いろいろとみんなで決めなくてはいけないことがたくさんあります)にて、確実にやるようにしています。
 それから私自身の仕事である経営コンサルティングでは、株主総会等々ということで、これまた民主主義のやり方が大事なことになります。私は会社の取締役間の闘いの相談もよくあるのですが、基本は「株主の多数派が勝利できます」ということであるわけです。だが、当然多数派からの相談ではなく、少数派からの相談もあるわけで、そうした場合にこそ、この民主主義の手続き上の問題が、こちらの大きな戦術になります。
 また、私自身の家族でも同じだと思っています。3人以上の人間が集まる場所では、なんらかのことで意見が異なりかつ決定する必要があるる場合には(これは夫婦で決めていいこと、すなわち子どもには関係ない場合は別です)、やはり民主的な話し合いと手続きを遵守するようにしております。

 この本を書いた橋爪大三郎氏は現在、かなりな評論を書かれ、かつテレビにもよく出て来られます。私はかなり注目し、かつ評価しております。この方は実は私と同じ三派全共闘の活動家でした。左翼の活動家出身には、今もどうしようもなく訳の判っていない連中も多いのですが、こうして原則的な勉強をかなり着実にされているんだなと感じる人も何人かはいるものです。私は全面的に彼を評価するわけではありませんが(ときどき、これは私と意見が違うなと思うときがあります)、今かなり評価できる学者だと思っています。

 そのほかこの本の中で述べられている文章はすべてなかなか読ませる文章です。そしてこの文の表現方法も著者はかなり考えていると思えます。
 また読んで感心したところに次のようなことがあります。「正義の根拠はどこにあるのか?」という章です。

 「同じものは同じように扱う。異なったものは異なるように扱う」と
 いうものです。同じ人間なのに異なった扱いをして差別するのは不正
 義である。それとは逆に、たとえばハンディキャップを負っている人
 を健常者と同じように扱うのも不正義である。

 これはかなりあたりまえのことを言っていますが、これだけの認識に到達している人がどのくらいいるのかと思うと悲しくなります。性別人種民族宗教出身地学歴等々の違いで人を差別するのは間違いです。だが同時に車椅子に乗っている方たちを私たちが普通にその椅子を押さないことはこれまた間違いなのです。
 ここらへんのことは、家庭でも普通に教えていくべきことだと思うのです。
 何度も読み返していきたい本です。(1998.11.01)

11010501 自宅へ帰ってきまして、私が心の底から敬愛します大口昭彦弁護士からの年賀状がきていました。大口先生はどうしてか、私の会社の監査役もやってくれていて、そして、いつも私がなにか手に負えなくなったときに、いつも頼ってしまう先生です。
 大口さんは第1次早大闘争のときの全学中央闘争会議の議長であり、その頃より社青同解放派の活動家であり、かつ何故か剣道4段で、会えば、誰もがしびれるくらいの男の中の男です。
 いつも筆でいろいろなことを書いているのですが(いまはワープロも使っているみたいだけれど)、その筆で年賀状に七言絶句かなという詩が書いてありました。
 以下はそれへの私の返事です。私はただただ、しつこく嫌な人間なのです。

 前略
 大口先生からの年賀状受取りまして、たくさんのことを思いました。そして、どうしても私の思いを伝えなくてはと、こうして今書いています。
 私は、松戸自主夜間中学校というところで、パソコンの授業を担当して、もう6年になります。授業自体は淡々とやっているつもりですが、この松戸自主夜間中学校自体は「松戸市に夜間中学を作れ」という運動であるわけで、それを私も強烈に思っております。それで、どういうわけか、こうした運動には、どうしても「市民運動」の傾向とか、「護憲」とか、左翼的な雰囲気の方が多いものです。もちろん私ももともとは新左翼だとは思っている訳ですが、どうしても、私の心の奥底からの心情として、「これは違うのじゃないか」という点が多々出てくるわけです。私はそうしたときに、「俺は違うよ」と、表明していくわけですが、それにしても、「違うな」と思うことが多々あるわけです。
 この松戸自主夜間中学校には在日韓国の方もおいでになります。また韓国の方も来てくれて、いろいろな瞬間にそれは愉しい雰囲気です。でも、私は飲んだときにいうわけです。

  釜山に李舜臣の像があるのは判るが、どうして首都の京城に安重根
  の像を立てているのだ。どうして、テロをやった人の像を立てるのだ。

 こんなことを言うと、当然、そうした仲間たちの中では問題になるわけです。「なんで伊藤がいいのだ?」「伊藤なんて、悪い奴ではないのか」と。………。
 私はしつこく、反論していきます。「伊藤のどこかいけないのだ」「そして、どうして伊藤を殺した安重根がいいのだ?」と。
 私はずっと、李舜臣が好きでした。亀甲船に乗って秀吉軍を打ち破る彼の活躍に胸躍らせました。文官に罷免されてしまう彼に涙しました。「バカヤロウ、秀吉の侵略と戦っているのはお前らじゃなくて、李舜臣じゃないか」。私は李舜臣を思うと、いつも私が彼とともに、日本秀吉軍と戦っているような気になったものです(これは私の高校生のころで、読んでいたのは旧日本軍陸軍参謀本部編纂の「日本戦史」です)。
 だがだが、どうしても安重根のやったテロは私は認めることができません。そしてもうすこし言いますと、私は伊藤博文が好きです。
 私は自分は水戸天狗党だと思っているところがあります。したがって、薩摩および長州は大嫌いです(したがってとうぜん15代将軍の慶喜は大嫌いです。念の為)。私たちが「破約の盟」に従って、当然に闘ったのに、薩摩長州はその約を守りません。私は長州藩みんな嫌いです。ひとりひとりをあげていっても、さまざまな理窟と理窟を並べるられるくらいに、みんな嫌いです。でもでも、伊藤博文だけは、どうしてか好きになれるのです。
 伊藤博文がもし安重根に殺されないで、ずっと昭和の時まで生きてくれていたらなと思います(だって、これはそんな無茶な話ではない、西園寺公望がずっと生きていたのだから)。そうしたら、もっと今の日本はまともだったのじゃないかな。
 伊藤博文が作った旧憲法はいったいそれほどひどいものだったのでしょうか。この憲法の問題点を、まともに把握していた人間は次の3人であると私は思っています。
 当然、作った本人である、伊藤博文、そして昭和天皇、そして北一輝。この憲法のそもそもの問題を十分伊藤は判っていました。それは「統帥権」の問題です。これをなんだかその存在の意味が判らないような「元老」で、統制しえていたのが明治日本でした。だが伊藤が殺され、あのあの阿呆な山県が政権を操るようになったときに我が北一輝は、山県への復讐を誓ったと思います(それは山県に大杉栄ほかの同志を殺されたからだ)。…………、もし伊藤が生きていたら、あんな形はなかっただろうと私は勝手に思うのです。
 そうしたときに安重根は、伊藤博文を殺しました。
 明治43年2月9日の安重根の公判における発言です。

  私がハルビンで伊藤を殺害したのは、伊藤が韓国の独立を妨害したた
  めであるから、ハルビンの暗殺は、「韓国独立戦争」の一部である。ま
  た、こうして我々が日本の裁判を受けるのは、戦争で敗北して捕虜になっ
  たということだ。したがって、内地の義兵が日本軍と衝突することも、
  独立戦争とみなすことができる。私は今回のことを、個人の資格で行っ
  たのではない、韓国義軍の参謀中将として、国家のため、東洋平和のた
  めにおこなったのである。伊藤は露日戦争における日本の開戦の宣言に
  背き、七箇条を強制的に締結させて、日本をして東洋の平和を霍乱させ
  た。また伊藤は、閔妃暗殺の首謀者であり、韓国の外となって、我が皇
  帝陛下を欺いて皇位を廃したので、韓国の逆臣であるばかりか、日本で
  も大逆臣である。すなわち伊藤は、日本先帝の孝明天皇を……
 (このあと裁判官より発言禁止になります。安重根が言いたかったのは、
 当時の明治天皇の親父の孝明天皇を、伊藤こそが殺したと言いたいわけ
  ですね)

 私はこれを読んで、「安重根は何を言っているのだ」としか思わないわけなのです。「なんで、だから伊藤を殺すのだ」と悔しくなるのです。
 大口さんの年賀状には、以下のようにありました。

   讀韓碩青安重根傳有感
  義兵中將絶指盟
  海驛怒髮風蕭々
  安義士檄三千里
  天雷靈發太極革
   (実は最後の字がどうしても判らずに、「革」としてしまいました)

 この詩から、私は安重根のことを思いだし、かつ伊藤博文の無念を思いました。なおかつ、私は安重根のことは、たしかに「伊藤博文暗殺」という、ひどいことをしてしまったわけではあるが、実に爽やかさと「男」を感じさせる人間であるとは感じています。こんないい男が、あんないい伊藤博文を暗殺するということが、実に実に嫌になります。
 それから、たいへんに余計なことですが、上にあげた大口先生の詩は「七言絶句」なのだと思いますが、私は長年、詩吟をやってきた手前、いろいろと漢詩に関しては面倒なことをいうわけです。
 起句の最後の「盟」は平音の「庚」グループで承句の「蕭」は平音の「蕭」グループで、これだと韻が合いません。また、起句の2字目の「兵」は平音で、4字目の「将」も平音、6字目の「指」は仄音であり、これだと「二四不同。二六同」(私はこれを酔っていると、いつもぶつぶつ言っています。「にいよんおなじからず、にいろくおなじ」)という大原則にあっていません。私たち日本人は音(おん)で平仄や韻を判ることはできませんが、菅原道真から頼山陽、乃木希典、夏目漱石まできちんとやってきた漢詩作法の基本であると思います。
 実に生意気なことを申し上げました。また先生にお願いしたいことがあります。お電話いたしますので、よろしくお願いいたします。早 々 (1998.01.07)

10111801 一九九六年四月一四日の松戸自主夜間中学校のお花見遠足にて話題になりました「人間到る処青山有り」という詩を解説していきたいと思います。
どういう話題というと、「人間到るところ青山あり」というところの「青山」とは何かということです。これは「いいところ」というのではなく「墓場」であるという意味なのですね。もっというと、「人間の住む世の中には、どこへ行ってもいいところ、いつ死んでもいい場所がある」というような意味でしょう。

將東遊題壁        釋  月性(しゃくげっしょう)
男兒立志出郷關  男児志を立てて郷関(註1)を出ず
學若無成不復還  学若し成ずんば復(また)還らず
埋骨何期墳墓地  骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地
人間到處有青山  人間(註2)到る処青山(註3)有り

(註1)郷関(きょうかん) ふるさと。
(註2)人間 「荘子」の「人間世篇」による。日本語では人という意味になるが、漢語では「世の中」という意味である。それで読み方も「にんげん」ではなく「じんかん」と読まなければという人もいる。ただ私周としては意味を間違えなければ、べつに「にんげん」と読んで構わないと考えている。
(註3)青山 青々とした美しい山。どこへ墓地を作ってもいいという意味になる。

男子が一旦志を立てて故郷を出たからには、
学問がもし成就しないのならば再び還らない。
骨を埋めるのは何も祖先墳墓の地を望まない。
この世間にはどこへいっても青い山があるのだから、どこへ埋めてもらってもいいのである。

釈月性という人は文化一四年(一八一七)山口県周防に生まれました。真宗の住職でしたが、尊皇攘夷の志士と交わり、彼も国事時事を大いに語りました。清狂と号して、故郷周防に「清狂草堂」という塾を開設しました。吉田松陰とも交際があり、萩の松陰神社には「清狂吟稿」という詩集が残されております。そのほかたくさんの志士たちとの交友があり、彼もまた京阪の地で活躍しましたが、幕府の警戒を受けるようになりました。たまたま故郷へ戻っていたときに安政五年(一九五六)五月一一日四二歳にて俄病にて没しました。
この詩は天保一四年(一八四三)二七歳のときに、東遊して大阪の篠崎小竹の門に学ぼうとしたときの作です。
承句での「不復還」は「死不還(死すとも還らず)」とも作りました。また転句の「何期」は「豈期」や「豈惟」「豈唯」にも作りました。それで詩吟の教本などでは、そちらの語句で書いてあり、また題名は単に「題壁」とだけが多いようです。
したがって詩吟でやるときには次のように吟うことが多いのです。

壁(へき)に題す     釈  月性
男児志を立てて郷関を出ず
学若し成ずんば死すとも還らず
骨を埋ずむ豈惟(あにただ)墳墓の地のみならんや
人間(にんげん)到る処に青山在り

ところで、この詩がともすれば作者が村松文三(香雲)としている詩吟の教本や漢詩の解説書もあります。この村松文三も同じく尊皇攘夷の志士であり、月性より一〇歳の年下で親交もあり、詩は月性の添削を請うたといいます。国事に奔走し、幕府の弾圧にあうや、姓名を変じて青江韓三郎といい、友人はこれを称して青狂と呼びました。この「青狂」が月性の「清狂」と間違えられる所以でもあったかと思いますが、文三自身が月性の詩を真似て作り、自作の詩として吹聴していたこともあるようで、こうした誤解が生まれてしまったようです。ただ私としては、文三は月性を尊敬するあまり、青狂と号して月性の詩を自らの詩としてしまったところもあるのではと想像しています。
この詩は詩吟の世界では「処世吟」といわれるものであり、若い人が詠ったり、若い人の出発のときに吟ってあげるものなのでしょうか。ただ、どうも私はこの詩を吟う気にはなれません。なんだか詠うのが気恥ずかしいのですね。何をいまさら、そんな青くさいこと言えるかよ、というもう一人の私の声が聞こえてきてしまうのです。(これは1996年の4月に書いていました)。

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 私は 周の漢詩入門「陶淵明『雑詩 其一 人生無根帯』」に次のように書きました。

「人生根帯無し」で始まり、「盛年は重ねて来たらず 一日再び晨なり難し 時に及んで当に勉励すべし 歳月人を待たず」で終わる詩は、その句こそ知っていまして、「この詩は、要するに、もっと酒を飲んでいればいいのだ」という詩だとばかり思ってきたものです。実際に陶淵明のいうことはその通りだとしても、

 この「もっと酒を飲んでいればいいのだ」という陶淵明の思いを、逆に「もっと勉強すべきだ」と言ってしまう人がいるものなのですが、そのときに思い出したことがあります。
 そのことについて、以下に少し書いていましたので、あげてみます。

   http://shomon.net/kansi/kansi3.htm#kasyaku 釋月性「題壁」

 次のように書いています。

 九六年四月一四日の松戸自主夜間中学校のお花見遠足にて話題になりました「人間到る処青山有り」という詩を解説していきたいと思います。
 どういう話題というと、「人間到るところ青山あり」というところの「青山」とは何かということです。これは「いいところ」というのではなく「墓場」であるという意味なのですね。もっというと、「人間の住む世の中には、どこへ行ってもいいところ、いつ死んでもいい場所がある」というような意味でしょう。

 これは当日、ある方(65歳くらいの方)が、どこかで「人間到る処青山有り」という言葉を使って、「こうしてどこを歩いても、青い山があって、いいところがある」というようなことを言ったのです。すぐに、松戸自主夜間中学校の代表の藤田恭平先生が、「何を言っているんだ。あの青山とは墓場のことだ」と言い出したのです。それで私がそこで少し解説して、そのことをその65歳の方に、「その解説を手で書いてくれ」と言われましたので、書きましたのが、ここの『釋月性「題壁」』の文章です。私はすぐにプリントして手紙にして送ったものでした。
 もうあれは10年以上前のことなのですね。時間ばかりが過ぎ去って行きます。私だけは、ただただこのまま生きているだけです。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 前回の記事で「受容(無条件の肯定)」という話を書きましたが、実際は私達大人は子どもに対して「〜しちゃダメ」と怒ることが多いです。
 もちろんちゃんと怒るべき時は怒らないといけないのですが、怒る必要の無い場面も結構あるように、私は思います。
 どうやったら怒る回数を減らせるのか? ちょっと考えてみましょう。

 私も娘たちのことを決して怒らないようにしてきました、と言いたいところですが、でも間違いなく私では無理だったと思いますね。それに比べて、私の妻は子どもたちのことを決して怒りませんでした。考えてみれば、「怒るべき時」というのは、子どもたちのときには、見出せない感じだったのですね。だから今私は孫のときは、そうした妻の姿勢を習うようにしているつもりです。

たくさんの子ども達を引率する先生を見ていると、「早く集まれ!」「騒ぐな!」などと怒ったり怒鳴ったりしていることが多いです。こちらから見ていて、「そんなに怒る必要無いのにな」と思うことがあります。

 これはよく判ります。でも怒ったり、怒鳴ったりすることも必要に思えてしまうことが多いのでしょうね。私は進学教室で、実にたくさんの子どもたちと接しました。私がトップでしたから、私が出ていったときには、子どもたちをちゃんとさせないとまずいのでした。

 つまり、怒らなきゃいけなくなるのは、大人側の準備が足りないのです。子どものせいではなく、事前にそうした資料を準備していない大人のせいなのです。
 逆に、大人がちゃんと事前準備をしていれば、子どもを怒る回数はかなり減らせます。

 そうですね。「かなり減らせる」はずですね。でもね、思い出すと、男性でも女性でも子どもに何故かなめられちゃう先生もいるのです。たぶん、教員には向いていないのだと思いますよ。私の二人の娘は小学校の教員ですが、その授業を見学に行くと、実によくやっています。次女ブルータスなんか、優しい先生だけど、何かのときには恐い強い先生にもなる、ということを生徒たちはよく判っていると思いますよ。

 でも次の自閉症児のことは、私も初めて知ったことでした。

「自閉症」と言うと、漢字の字面から「自分の殻に閉じこもっている精神状態」と考えられがちなのですが、それは全く間違いで、先天的な脳機能障害で起こる病気です。

 自閉症の子どもとはいくつも触れ合う機会がありました。でも私はよく判っていなかったのでしたね。

 例えば教室で先生の話を聞く時、私たちの目には、話す先生以外にも、教室の黒板、天井の蛍光灯、前に座っている人の頭、窓の外の景色など、様々な物が見えています。しかし私たちの脳は無意識の内に高度な処理をして、「今一番注意を向けるべきなのは、話している先生だ」と選別して、他の不要な情報を捨てています。
 ところが自閉症の人は、脳の中でそれらの情報の受信や選別がうまくできないようで、何に注目していいかわからずに混乱してパニックになったりします。
 最近の研究で、自閉症はこのような先天的な脳機能障害で起こる病気だとようやくわかってきました。親の子育てや、テレビやゲームのせいで自閉症になるわけではありません。たまにそのように書いてある本がありますが、全くの間違いです。

自閉症はこのような先天的な脳機能障害で起こる病気だ」ということは、私はまったく知らなかったことでした。

 話が長くなりましたが、そんな自閉症の子どもとうまくコミュニケーションを取るには、「話し言葉」より「書き言葉」が有効です。
 「光とともに…」でも、幸子さんは壁の時計の下に「8時」を指した時計の絵と、保育園へかぶっていく帽子の絵を貼り、その絵を指さして「8時です。保育園へ行きます」と光くんに伝えます。口で言うだけでは伝わらないのですが、絵と時計を目で見比べることで、光くんにも「保育園へ行く時間になったのだ」とわかります。
 最近は自閉症の人などに向けた、絵と音声を組み合わせてコミュニケーションを補助する「VOCA」(音声出力型コミュニケーションエイド)と呼ばれる機器が出てきています。例えばこちら。
 そして、携帯電話をVOCAとして使うサービスもあります。携帯のカメラで写真を撮って、それに関連した文字を入力して、画面に写真を表示しつつ音声で読み上げるものです。
 病気や障害を持つ人にとっては、携帯も有用なツールになります。

 これは実に私には大切で、いいことをお聞きできました。「書き言葉」が有効と言われても、私のようにまともに字がかけない人間には、でもケータイを使えるのならいいですね。このことは私は初めて知ったことですが、実に嬉しいことです。

 まとめると、子どもに何か指示を伝えるには、口で言う「話し言葉」よりも、絵・文字・図・表などの「書き言葉」をできるだけ使いましょう。紙でもホワイトボードでも構いません。
 準備するのは大変かもしれませんが、その分子どもへ怒る回数を減らせます。スケジュール表や図をせっせと作る方が、子どもへガミガミ怒るよりも、親もストレスにならないでしょう。

 私が松戸自主夜間中学校というところで、約7年間パソコンの授業をしていました。不登校児が何人も来ていましたが、自閉症の子どもたちも何人かいました。もう学校へは、他の子どもたちにいじめで行けなくなってしまっているのです。
 その子たちにもパソコンの授業というのは良かったのだなあ、と思いました。パソコンは文字だけではなく、絵や写真をすぐに見ることができます。もちろん、文字も表も見ることができます。
「じっとそこへ座って黒板を見る」というようなことが苦手な生徒たちです。でも、みなパソコンの画面は、誰も興味深く見つめていてくれたものです。思えば、あのときに、斎藤さんのこのような報告を私が読んでいられたら、もっといろいろなことがやれていたはずだったのですね。

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『続いている「絵本の会」』に、ナミちゃんが次のコメントをくれました。

1. Posted by なみんと    2007年12月13日 00:15
周さん!今晩は。いつも私のブログを読んでくださり有り難うございます。ブログを始めて・・丸七ヶ月が過ぎ相変わらず楽しくやっていますよ。書く事が楽しくて・・書きたいことが沢山!です。
周さんにはいつもトラックバックをしていただき嬉しく思っています。また皆さんからのコメントでとっても勉強になる事が多くてブログを勧めてくれた周さんに感謝です・・本気ですよ<笑>
絵本の魅力を知っていただきすご〜く嬉しいです。
あの時の記者さんは周さんのお友達だったんですね。

 コメントをありがとうございます。たしかにナミちゃんのブログはコメントが多いですね。私はコメントというと、どうしてもわずかな量しかかけないので、ナミちゃんのところへも、少ししかしていません。でもトラックバックなら、自分のところで好きかってに書けるので、どうしてもトラックバックのほうがやりやすいのです。
 ただ、私のところは見てくれる方は確実にいるわけですが、コメントはどうしても少ないのですね。これは私が魅力あることを書けていないのだと思って、日々反省しているところです。
 そういえば、きのうもあるところで、ブログで何をUPしたらいいのか、という話をしていました。別に自分が面倒だという方法でやることはないのですよ。私はいっそ、「ここのある商品をすべて毎日デジカメ写真で紹介していったらいいのではないかなあ」とお話しました。その画像と名前をあげるのは、そんなに面倒なことではないはずです。

 私も絵本を読むことを知って、大変に嬉しいです。私がほとんど知らなかった世界でしたね。もっと読んでいかなければなりません。そして私の孫のポコちゃんが、もう少し大きくなると、実際に絵本を見て読めるようになるでしょうから、私も一緒に仲良く愉しく読んでいけます。

「あの時の記者さん」というと、まずナミちゃんを最初に記事にしたのは、朝日新聞ですね。あの記者もお会いしてことはありますが、彼は、どうしてもパソコンが嫌いで得意でなく、やがて新聞もすべてパソコンで書いていくようになるというのを嫌がっていました。だから、そんなパソコンを使う世界ではなく、「絵本を読む」ということを紹介したいという思いが強かったようです。私が実に仲良かったのは毎日新聞の記者です。彼もナミちゃんを取材に行ったことがあるかと思います。
 この毎日新聞の記者さんとは、実に仲良くなりました(いえ、実は私と殴りあったこともあるのですが)。この方はそののち長野県に転勤になり、そして今は千葉県に戻ってきています。自宅は今は、千葉市です。
 この毎日新聞の記者が、私に松戸自主夜間中学を教えてくれて、それで私はそもそもそんな存在をまったく知らなかったわけで、すぐにその松戸自主夜間中学校へ、友人の和尚さん(これはハンドル名です)と一緒に行きました。そしてその行った日の翌週から、彼と二人でここで、パソコンの授業を1カ月に一度担当するようになりました。それが何年続いたでしょうか。けっこう長く続けたものでした。
 何人もの生徒たちの前での、パソコンの授業ですから、みんなが興味を持つようにと、Netmeetingをやりまして、海外の人たちとの会話(無料の電話と考えればいい)もけっこうやりました。その授業でパソコンを自作することもやりました。
 けっこう新聞の取材、テレビの取材を受けまして、私の顔をテレビで見たというので、連絡をくれた昔の友人も何人もいます。私とパソコンというのが、どうにも理解しがたいようでしたが、まあ、思えば仕方ないですね。

 思い出せば、たくさんのことがあったものでした。

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