10123104 短編ならいざしらず、ちょっとした長編だといくらなんでも読み終るまで時間がかかるものです。とくに註がふんだんについているようなものは時間がかかります。しかしこの本はあっという間に終ってしまいました。SFといえる作品なのですが、ここに重要な主役のひとりとして、犬が出てくるからかもしれません。私は犬が好きなのです。いや、正確にいうといままで仲よくなれた犬に比較的多く接してきて、それらの思い出がたくさんあるからかもしれません。

書名  ウォッチャーズ
著者  ディーン・R・クーンツ
訳者  松本剛史
発行所 文春文庫

 孤独な36歳の中年男トラヴィスが森で偶然トレリーヴァー犬と出会います。彼が進もうとすることをこの犬は何故か邪魔します。その路の先には何か判らない得体のしれない怖ろしい化け物がいるようです。犬は危険だからやめろと教えているのです。彼はやがてその怖ろしい存在を感じはじめ、犬と一緒に逃げ出します。
 彼は両親を亡くし、妻にも先だたれています。どうも自分のそばにいる人には、必ず死が訪れるようだと思いこんでいます。だがこの犬にはなぜか引き込まれていきます。

  犬がなめるのをやめ、振っていたしっぽを止めた。そしつはトラヴィ
 スを真顔で見つめ、ふいに彼は、そのレトリーヴァーのやさしく暖か
 な茶色の目に釘づけにされた。そこには何か、ふつうとはちがう、思
 わずひきこまれるようなところがあった。トラヴィスはなかば催眠状
 態におちいり、犬もやはり魅入られたように動かなかった。
                  (「第一部過去を打ち砕く」)

 この犬にはなにか他の普通の犬とは違うものがあるのです。
 この犬と一緒にいてみると、この犬が人間と同じような知能をもっていることに段々きずいてきます。

  この犬はまちがいなくこちらのいうことを理解できる。いや、そう
 だ、たぶん言葉自体をちゃんと理解できるわけではない。こちらの話
 す一語一語の内容までつかんでいるわけではないだろうが、どうして
 かこちらの言っていることの意味合いというかそんなものを、少なく
 とも自分の興味や好奇心をかきたてる程度には感じとったのだ。
                  (「第一部過去を打ち砕く」)

  彼は犬にアインシュタインと名前をつけます。
 この犬のおかげで彼はしだいに人生が愉しくなってきます。そしてこの犬のおかげでノーラという恋人までできます。彼女もアインシュタインによって危険なところを救われるのです。
 しかしこの犬を狙って、最初の得体のしれない化け物と、マフィアの殺し屋と、国家警察が迫ってきます。彼彼女、犬は逃げ出しますが、やがて対決する決意をします。この犬のために協力して闘う人も出てきます。ギャリソンという老弁護士が彼彼女への連絡のために海を泳ぐところは感動的です。

  ギャリソンはこれまでの人生を、デモクラシーという原則によって
 可能とされる正義の追及に、そしてこの正義によってたつ自由を維持
 することのみに捧げてきた。理想に生きる男が、自分はもう信ずると
 ころのためにすべてを危険にさらすには年をとりすぎたと感じるとき、
 その男はもう理想に生きる男ではありえない。男ですらなくなるだろ
 う。この厳然なる真実にうながされ、彼は自分の老齢もかえりみずに、
 この海を泳ぎきったのだ。おかしなことだ───ひたすら理想を追い
 もとめ、七十年という年月を過ごしてきたあと、それが犬一匹をめぐっ
 て究極の試練にさらされようとは。     (「第二部守護者」)

 この犬と接した人はなにかかなりな勇気と愛を与えられるようです。
 こうした何か人間の喋る内容が判っているのではないかと思うような犬などに出会うという経験は誰もあるかもしれません。それが確かめられないだけなのです。
 私はかなり子どものときから犬と接してきました。そのほとんどが自宅で飼った秋田犬ですが、それ以外でもいろいろなところで街の野良犬と知合いになりました。その中で我孫子で付き合った「シロ」と呼んでいた犬との思い出が鮮明です。彼は私の家が我孫子に引っ越ししてきて1年目くらいに我が家に突然やってきました。まったくの野良犬でしたが、犬好きの我が家の人間とはすぐに仲よくなりました。とても不思議な犬でしたが、とにかく頭のいい犬でした。私は当時大学2年生で学生運動に夢中でほんのたまにしか家に帰りません。北浦和に下宿して、すぐに逮捕されることになり、保釈で出てきてもまた逮捕され、また出てきても、いろいろ忙しく活動していてあまり我孫子には落ち着いていなかったのですが、帰ってくるといつもこのシロと遊んでいました。シロにいろいろなこと話しました。学生運動のことも、自分の恋愛のこともみんな話しました。シロはいつも首かしげたりしながら聞いていました。シロも自分の彼女(白と茶色の可愛い野良の雌犬でした)を連れてきて紹介してくれたこともあります。私も当時の彼女を連れてきて紹介しました。よく話したり、二人で追いかけっこしたりしました。「今度はシロが逃げる番だ」なんて言って走りまわりましたね。
 このシロのことはもっとたくさんの思い出があるのですが、それはまた別のときに述べるとしましょう。とにかくこの小説を読んで、いろいろうなずきながら読んでいました。「そうだよな、あのときもシロは私の言葉が理解できていたんだろうな」などとシロのこと思い出していました。
 実に愉しく読めたSF長編です。また私もどこかの野良犬と友だちになろう かなと思ったものです。(1998.11.01)