将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:栖山流吟道会

13110405 昨日5日に電話で私の義姉の家の住所(莞爾の住所)を聞かれて、すぐに答えられない私です。あとでパソコンで分かりました。

2013/11/05 07:53もうこんな時間です。
2013/11/05 18:36おはぎの家に来て、もう一時間を越えます。もう寒いし外は暗いです。少し前にミツ君パパに連れられてお鼻の医院へ行きました。
2013/11/05 18:51今はばあばとポコ汰と私がテレビを見ています。

2013/11/06 05:48昨日夕方おはぎの家に行ったときに、ちょうど5時ころだと思いましたが、ポコ汰が「じいじ」と声をかけてくれました。でもそれが分かりながら振り返らなかった私です。もう家の玄関の前だったのです。でもこれからはちゃんと振り返りましょう。少し申し訳ないことをしたなと反省しているのです。
 私はこのポコ汰・ポニョ・ポポ、それにじゅにが大好きです。
 でも孫のことはもういっぱいありまして、もう全部を書いてはいられないですね。いや、私にはポコ汰がとってもいい子なこと、それに比してポポがちょっとわがままにも思えてしまうこと。それにポニョがいい子に思えることがいっぱいあること。じゅにはまだパパ・ママ、あちらの義父・義母以外には慣れてはいないことなど、いっぱい思うことがあります。
 そうですね。私が毎日書いている「波止場浪漫」ですが(昨日と今日の分はこれからです)、日経新聞の夕刊の「火坂雅志『天下家康伝』」ですが、いっぱい書きたいことがあるのですが、これまでやると、「これはやりすぎだなあ」と私は思うでしょうから、自分からはやらないのです。
2013/11/06 07:48いつもこのポメラは自宅ではテレビを見ながらやっています。思えば、このポメラはおはぎの自宅でも書いています。あとは電車の中でも飲み屋でも書いていました。公園のベンチで書いていたこともあります。
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 今日も「栖山流吟道会」の「栖山(せいざん)」「栖」を聞いてきた人がいました。私はケータイメールで答えました。宗家(私の兄)萩原荘雲(そううん)もケータイメールで書きました。
 そうだなあ。あとで大き書こう。

11082909 今、栖山流吟道会の来年15日の「初吟会」のプログラムを打っていました。詩吟をやる方の氏名(雅号ですね)と吟題とその作者を書くのですが、けっこう漢字を打つのが面倒です。でももう面倒な漢字や詩人たちの名前はすべて登録してしまうから、次回からは非常に楽になります。
 妻と先ほど話していたのですが、

  俺達日本人は、「もうこの漢字なんかないよ、仕方ないからひ
  らがなで書いておこう」ですむけれど、中国の人なんかどうして
  いるのかな。ローマ字ですますわけにもいかないだろうしな。

ということなのですが、どうやっているんだろう。
 だけど、この漢字のことでは苦労しますね。「周の中国の話」という部屋を開設して、まずは中国古代の神話の話からで、その「三皇五帝」に関することを書こうと思うのですが、「五帝」のうち(いろいろこの5人が誰であるかというのも説があるのですが)、2代「センギョク」と3代「帝コク」は漢字がありません。また三皇(これまたこの三人が誰であるか諸説ありますが)の「女カ」(読みは「じょか」です)の「カ」の字は、女へんに咼なのだけれど、
こんな字はJISにないのです。
 そういえば、ちょうど1年前に、どうしても「変体かな」を打たなくてはいけなくて苦労しました。幸い神田会と柏市民ネットの友人の和尚さんが(株)イーストというところで、その分野のプロであり、ソフトを紹介してくれました、見事印字できました。で、それはよかったわけですが、今後いろいろな役所がコンピュータ化されていくと、この問題はとても面倒なことになります。たとえ紙の上には印字できたとしても、コンピュータ上では出てこないじゃないですか(もちろん自分のマシンの画面上には出すことはできるが)。
 この漢字の問題だけは、統一して早急にやってほしいものです。このまま行くと、「法務省」(例えば登記所ね)と自治省(警察なんか)と各自治体と、文部省で、すべて違う規格が出てくるんじゃないのかな。もうこの混乱は実際の話になっていますけれど。さらには、各登記所でも規格が違ってしまったら、これこそもう大変です(もうすでにこの傾向がありますが)。さらには今後確定申告もインターネット経由で出来るというけれど、これまた苗字や名前の漢字の処理をどうするのだろう。たとえば、渡辺さんと、渡邉さんと、渡邊さんの3つの「辺」字しか私は知りませんでしたが、上の和尚さんところのソフトだとたしかこれが20数種類ありました。渡辺さんはみな違う漢字で、そんな
にたくさんいるのです。(98/12/20 16:51:13)

 米英のイラク攻撃について、どこでも誰も怒っていました。どこでも、この2国の身勝手さに腹を立てています。そしていつもの「遺憾の意」さえいえない我が日本政府というのにもみな怒っています(これはどこで話しても、どこで飲んでても同じです)。
 アメリカという国は建国以来それこそかなりな数の戦争をやってきましたが、そのほとんどが宣戦布告もなしに、相手を挑発してかつ襲いかかっています。とにかくひでえ国であり、そしてクリントンは最低の政治家です。
 ついでにイギリスこそは、あの中東地域の不安定材料を作り上げた張本人じゃないの。イラクからクウェートを取り上げて国家をデッチアゲ、パレスチナでは「バルフォア宣言」というダブル手形を発行しました。このことの総括として、今の今、イラクをまた爆撃しているわけだ。
 フランスは今回は参加していません。だから今回はけなすことはないのだけれど、なんだか気がすみません。前回の湾岸戦争のときには、当初は戦争を避けるような役割をしているようなポーズをとりながら、それこそ開戦になるやすぐさまイラク爆撃に積極的に加わりました。なぜなら、当時社会党出身の大統領ミッテランは、武器会社のオーナーであり、「おいおい、このままじゃ、米英の武器に遅れをとって、武器売れなくなっちゃうじゃないか」というところでした。今回もあせっていることでしょう。
 ロシアや中国は、何か言える資格があるのでしょうか。あの中東に大量の中古の武器を売っているのが、この2カ国ではないですか。そして北朝鮮も。
 ついでに言うと、これでまたイラクのフセイン政権は磐石の体制になっていきます。あのような独裁者は、国民が血に染まろうと、政権を維持できることころが大事なのです。 米英は武器を存分に使えて、フセインは独裁政権を永久化できて、どちらも、「またやってもいいなあ」と思っているのじゃないかな。
 唯一そうしたことに手を染めていない我が日本こそが、役割をはたせるはずのです。戦争をすることこそを許さないのだということを誰がなんといおうと繰り返し、言い続けるべきなのです。(98/12/20 17:26:53)

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 Re.乃木希典「詠富嶽」 について で次のように書いていました。

 なんとか調べて、またここで返事いたします。

 それで本当に時間がかかり申し訳ありませんでした。「上野貞紀『漢詩と吟詠』」(教育社)でも調べました。やはり「漢詩愛好者」さんの言われるとおり、この乃木希典の『富嶽』の承句の「赫灼」は、「かくしゃく」です。漢和辞典で調べても、上の本で見ましても、「漢詩愛好者」さんの言われるとおりです。
 私も詩吟で詠うときにも、そう詠っていたのだなあ、と思い出しました。私の宗家荒國政先生にそのとおりに習っていたことを思い出しました。かつ私の「栖山流吟道会」にも、この詩の好きな方がいます(彼はアマチュアの手品のと得意な方でときどきテレビにも出られます)。
 大変に時間がかかり申し訳ありませんでした。今後もちゃんと詩吟をやっていこうと強く思ったものです。

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07103103 私の周の掲示板に次のような書込みがありました。ありがとうございます。

乃木希典 富嶽  投稿者:中井一雄  投稿日:2007年10月29日(月)17時01分44秒
  乃木希典 富嶽 の 朝揮 は 朝暉 朶と思いますが   

 ありがとうございます。私の 周の漢詩入門乃木希典「詠富嶽」 を読まれてご指摘いただいたものだと思います。まったくご指摘の通りです。訂正いたします。
 こんなに返事が遅くなり申し訳ありません。
 正しくは以下の通りです。

    詠富嶽       乃木希典
  崚曾富嶽聳千秋 崚曾たる富岳 千秋に聳え
  赫灼朝暉照八洲 赫灼たる朝暉 八洲を照す
  休説區區風物美 説くを休めよ 区区風物の美を
  地靈人傑是神州 地霊人傑 是れ神州

 この頃はこの掲示板も見るのが遅くなり申し訳ありませんでした。

 この詩は制作年代が不祥ということになっています。ただ、以下のような事情だったようです。

 明治45年1月、オーストリアの陸軍中佐ティー・フォン・レルヒのもとめに応じ書き与えたもので、のちにこの詩はドイツ語にも翻訳されています。このレルヒ中佐が、新潟県高田で、日本にはじめてスキーを伝えた人です。

 この詩は、私の属する栖山流吟道会で、これを好きで詩わられる方がいます。その方がこの詩を吟わられる時が、私はいつも大好きです。実はその方は、アマチョアでは手品で、テレビにもよく出られるかたですよ。いつも、朴訥ですが、いい詩吟を聞くことができます。彼は乃木さんが大好きなのですね。私もいつも、その気持にジンとなってしまっています。
 私も乃木希典が大好きです。

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  ここに掲げた写真が、私の母の入院している病院の看板です。 

 私が16日に母の入院先に行きました。でも母は目を開けてくれません。それで仕方ないので、部屋を出て、病院の前で、ケータイメールをしようとしていましたら、見かけた顔のおばあさんが自転車でやってきます。それで顔を会わせると、私のところへやって来て、私と二人でお喋りを始めます。思えば、このおばあちゃんとは親しいつもりでいましたが、こうして声で会話できるのは、何年ぶりのことでしょうか。いやもう10年たっているかもしれません。
 彼女は、私の二人の娘と同じ根戸保育園に行っていたナミちゃんのおばあちゃんでした。ナミちゃんは、私のブルータスと同じ歳で、最初の1歳児のときは、二人だけのパンダ組でした。それで、私の長女のおはぎは、ブルータスとナミちゃんよりは、1歳上のクラスです。
 このおばあちゃんが、「くにちゃんは、いつも『くにちゃん、おねえちゃんだから我慢する』と言って、偉い子だけど、可哀想ね。おねえちゃんと言っても、一歳年上なだけなのに」と言ってくれていたものでした。
 うちのブルータスはひっこみ思案の子でしたが、全然きかない子で、おねえちゃんを悩ましていました。ナミちゃんも実は大変にきかない子で、うちのブルータスが、手でペチンすると、手でペチンと殴り返す子でした。もう二人とも、男の子に少しも負けていませんでした。それにナミちゃんは、とても綺麗な子で、みんなに人気がありました。
 でもそのナミちゃんのおばあちゃんと、私の母、おはぎとブルータスのおばあちゃんとは実に仲良しになりました。二人で、保育園で、孫を送り届けたあと、座ってお喋りしていると、おはぎが来て、「おばあちゃん、もう帰らないと駄目だよ」なんて、言ってくれていたようです。
 そんなことが私には一遍に甦えってきます。私はおはぎに孫が生まれたことをいい、その孫の写真を見せ、ブルータスが3月25日に結婚したことをいい、またブルータスのウェディング姿の写真を見せました。
 あ、そういえば、このおばあちゃんは、私の兄の詩吟を習いに来るお弟子さんでした。だから、私と同じ詩吟の栖山流吟道会の仲間でもあるのです。

 実は、私の母だけでなく、このナミちゃんの前の家の方も、入院されているということでした。もうみんな歳を取ったのですね。
 そして私はそこから、エスパに向かいます。妻にダンボールを取ってきてくれと言われていたのでした。

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