将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:森鴎外

11100503  今私は時代劇専門チャンネルで『阿倍一族』を見ています(ただし、落ち着いては見ていません。外へ他の用で出かけたりいろいろです)。
 この小説は中学2年の5月に読んでいました。さすが、森鴎外だなあ、と思えるばかりです。武士というのは、なんでこんなにひどいのでしょう。
 3年くらい前に、ある私よりも20歳くらい下の方が、初対面でしたが、武士というのを誇っていました。彼は武士というのを日本人の誇りだと思っていたようです。私は、彼の姓名から、彼の一族をよく知っていましたが(彼の生まれ故郷で判断した。しかも彼の姓名で有名なのは、別な県でも有力武士だったが、なんにしろ、武士なんて、ひどいだけです。あれは日本人としても恥ずかしいです)、彼は東大大学院を出ていましたが、あんなお馬鹿もいるのね。東大らしいのかな。彼の一族はもう一つ北海道にも、いるのだけど、そしてそれは私は言いましたが、分からないだろうな。
 武士というのは、戦国時代に、自分の領内の百姓をポルトガル人の宣教師に売ってしまっているのもいるんだよ。
 自分の領地をポルトガル人の宣教師に引き渡しているのもいます。それを知った秀吉が、キリスト教の本質に気がつき、キリシタンを弾圧するようになるのです。当初は、信長と同じく秀吉も、キリシタンを保護しているのに、突如そうなるのです。きっと「信長さまは気がつかれなかったのだろうな」と思ったことでしょう。
  この領地を宣教師に引き渡したことは、よく知られていますが、自分の領民を売り払った話は、誰もがひどいと気がつくのか、歴史上でもあらわにされていません。

 私はやっぱり、夏目漱石が好きで、森鴎外はそれほど好きになれないのですが、でもやはりいいですね。


 

11051505  このエリスと愛しあったのは、太田豊太郎でした。でもそれは『舞姫』という鴎外の小説の中の話です。ただし、これは鴎外がドイツに留学していたときにあった実際の出来事でした。そのときの体験を鴎外は小説に描いたのです。
 私はあえて鴎外の名前にして、女性は小説の中のエリスにしました。でも実際には、この女性はシベリア鉄道に乗って日本まで来るのですね。そして鴎外だろうという人物と会います。それを書いたのが『普請中』という短編の小説です。そこでの会話です。

「キスをして上げても好くつて。」
 渡辺はわざとらしく顔を蹙めた。「ここは日本だ。」
 叩かずに戸を開けて、給仕が出て来た。
 ……
 渡辺は据わつた儘に、シヤンパニエの杯を盛花より高く上げて、はつきりした声で云つた。
  "Kosinski soll leben! "
 凝り固まつたやうな微笑を顔に見せて、黙つてシヤンパニエの杯を上げた女の手は、人には知れぬ程顫つていた。

 日本は「普請中」で、もうエリスの相手はしていられないのです。彼女はドイツに去ります。だが実際には、このシーンは小説の中だけです。実際にエリスと会ったのは、鴎外のお母さんでした。しかもエリスは東京ではなく、鴎外の住んでいる島根県まで出かけているのです。そこでも鴎外は彼女に会わないのですね。
 でもでも、私はこのごろ、このときの鴎外の気持が分かるような気がしてきました。もうこのときの鴎外には、このエリスは、妻としても愛人としても必要ないのです。普請中の日本にも鴎外にもいらないのなのです。だが友人としてなら、大事な存在ではなかったのでしょうか。その後いつまでも二人は手紙の交換はしているのです。(2011.05.16)

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 周の雑読備忘録「『週刊アスキー通巻759号』」目森一喜 さんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by 目森一喜   2009年11月04日 18:37
キンドルは、日本でも買えるのですが、アメリカのものがそのままですね。ソフトが洋書しかないから、それでいいという事なんでしょうね。
アメリカのアマゾンで見たら、キンドルのソフトは少し安いし、持ち歩くのもかさばらないので、欲しいですね。
日本で対応ソフトが出て、売れれば日本語対応もして来るんでしょうし、大日本印刷が電子ブックに取り組んでますね。
これから面白くなってくれるといいところですね。

 キンドルの日本語版が早く見たいものです。でも「大日本印刷が電子ブックに取り組んでますね」ということなら、それでもいいなあ。要するに早くやってほしいです。漱石でも太宰治でも私はそれで読み直します。いや、森鴎外もこれで読み直しますよ。
 例えばサ、島崎藤村は、また読みたいという思いはないですが、漱石と太宰治はまた読み直したいです。『虞美人草』なんて、ちゃんともう一度読みたいものです。『明暗』もそうです。それで、また私は修善寺を歩くつもりです。

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安寿姫と厨子王丸 (新・講談社の絵本)
安寿姫と厨子王丸 (新・講談社の絵本)
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書 名 安寿姫と厨子王丸
画   須藤重
発行所 講談社
定 価 1,500円+税
発行日 2002年3月20日第1刷発行
読了日 2009年4月24日

 子ども心に、この「安寿と厨子王」は悲しい話だと思っていました。厨子王を逃がすために、安寿は身を投げて亡くなっている(実際には安寿は殺されたことになっています)のですね。
 でもこの絵本では、そうはなっていなくて、私は嬉しかったものです。でも思えば、中学生のときに「森鴎外『山椒大夫』」を読んだときにも、悲しい話だという印象しか残っていません。
 今も、佐渡島に連れ去られた母親を探しに行く逗子王(この絵本では安寿も一緒に行く)の前に歳老いた盲目の母親が唄っています。

  安寿こいしや ほうやれほ
  逗子王こいしや ほうやれほ

 どうしても私は、ここを読んで涙ばかりが溢れてしまいます。今どうしても涙をぬぐいました。
 この絵本の最後はこうなっています。

 正道(厨子王)はすぐにお地蔵さまをとりだし、母の目をなでました。すると、母の目はもとどおりになったのです。
 三人は丹後国にもどり、しあわせな日を送ったということです。

2017031721 昨日私は、長女家族4人と私の次女ブルータスの住む君津市へ行ってきまして、ブルータスとナオキ君の案内で、マザー牧場に行ってきました。
午後1時頃牧場に入りまして、ようやく雨がやみ、みるみるうちに、実にいいお天気になって行きました。かなり大時間を過ごして、そのあとブルータスとナオキ君の家へ行き、そしてある素敵なお店に食事に行きまして、そして帰りました。
その帰りの車の中、私は電5d1aa4fc.jpg子辞書で、「森鴎外『舞姫』」を聞いていました。もうあと3分の1くらいをまだ聞いていなかったのでした。
太田豊太郎は、エリスとの間に赤ちゃんができるのですね。

戸の外に出迎へしエリスが母に、馭丁を労(ねぎら)ひ玉へと銀貨をわたして、余は手を取りて引くエリスに伴はれ、急ぎて室に入りぬ。一瞥(いちべつ)して余は驚きぬ、机の上には白き木綿、白き「レエス」などを堆(うづたか)く積み上げたれば。
エリスは打笑(うちゑ)みつゝこれを指(ゆびさ)して、「何とか見玉ふ、この心がまへを。」といひつゝ一つの木綿ぎれを取上ぐるを見れば襁褓(むつき)なりき。「わが心の楽しさを思ひ玉へ。産れん子は君に似て黒き瞳子(ひとみ)をや持ちたらん。この瞳子。嗚呼、夢にのみ見しは君が黒き瞳子なり。産れたらん日には君が正しき心にて、よもあだし名をばなのらせ玉はじ。」彼は頭を垂れたり。「穉(をさな)しと笑ひ玉はんが、寺に入らん日はいかに嬉しからまし。」見上げたる目には涙満ちたり。

でもでも、エリスとの愛で、職場を失った豊太郎も、友人の相沢謙吉のおかげで、復職でき、やがて、日本に帰ります。
でもこの小説の最後には、次のようにあります。

嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡(なうり)に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。

でも私から言わせてもらえば、この豊太郎は勝手な男だよなあ。エリスはパラノイアになったということが書いてあります。
実際には、再び鴎外に会うために、東京までくるわけですから、そういうことはなかったのでしょうが、実は、この真相はよく判っていないのです。
でも思えば、この森鴎外の舞姫のことを、私に教えてくれましたのは、吉本(吉本隆明)さんの講演の中でのことでした。

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09031703 一つ前のUPの 2009年3月19日のポメラ に私は次のように書いていました。

 今は、森鴎外「舞姫」を聴いています。やっとエリスの名がでてきました。でもこの小説では最後エリスと別かれてしまうのですが、実際にはエリスはこの日本まで追いかけてくるのですね。そのときのことを書いたのが「普請中」という短い作品です。この日本は明治時代で、「今は普請中の時代だ」というのが、鴎外がエリスにいう言い訳なのですね。実はあの時代にドイツからわざわざ来たエリスに対して鴎外は自分の母親を会わせるのですね。これは「お前は黙ってドイツへ帰れ」ということなのです。

 これで、私は実際にこの「普請中」を読んでみたくなりました。それで以下に一部分を載せてみます。

「ありがたいわ」さっきから幾つかのボタンをはずしていた手袋をぬいで、卓越しに右の平手を出すのである。渡辺は真面目(まじめ)にその手をしっかり握った。手は冷たい。そしてその冷たい手が離れずにいて、暈(くま)のできたために一倍大きくなったような目が、じっと渡辺の顔に注がれた。
「キスをして上げてもよくって」
 渡辺はわざとらしく顔をしかめた。「ここは日本だ」
 たたかずに戸をあけて、給仕が出て来た。
「お食事がよろしゅうございます」
「ここは日本だ」と繰り返しながら渡辺はたって、女を食卓のある室へ案内した。ちょうど電燈がぱっとついた。

………………………………
………………………………
………………………………

 女が突然「あなた少しも妬(ねた)んではくださらないのね」といった。チェントラアルテアアテルがはねて、ブリュウル石階の上の料理屋の卓に、ちょうどこんなふうに向き合ってすわっていて、おこったり、なかなおりをしたりした昔のことを、意味のない話をしていながらも、女は想い浮かべずにはいられなかったのである。女は笑談のようにいおうと心に思ったのが、はからずも真面目に声に出たので、くやしいような心持がした。
 渡辺はすわったままに、シャンパニエの杯を盛花より高くあげて、はっきりした声でいった。
“Kosinski(コジンスキイ) soll(ゾル) leben(レエベン) !”
 凝り固まったような微笑を顔に見せて、黙ってシャンパニエの杯をあげた女の手は、人には知れぬほど顫(ふる)っていた。

     ×    ×    ×

 まだ八時半ごろであった。燈火の海のような銀座通りを横切って、ウェエルに深く面(おもて)を包んだ女をのせた、一輛の寂しい車が芝の方へ駈けて行った。(明治四十三年六月)

 こうして、鴎外は彼女を帰してしまうのです。でも実際には、こういうシーンもないのですね。鴎外は、彼女を母親に会わせて、帰させるのですね。

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 京都に行ったときは、いつもこの高瀬川を見ています。「こんな細い川が鴎外の小説の舞台なんだ」といつも思っています。
 ただし、私が読んだのは中学2年のたしか5月のことでした。

 高瀬舟(たかせぶね)は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた、默許であつた。

 いつも京都では、見慣れてしまっていた細い川で、でも急流です。私はこの川を見ても、なんどもとにかく、そこのあたりで飲んでしまいます。
 でも今度はもっとちゃんと歩いてみようかなあ、という気持になりました。

 いつの頃であつたか。多分江戸で白河樂翁侯が政柄(せいへい)を執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院(ちおんゐん)の櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。
 それは名を喜助と云つて、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。固より牢屋敷に呼び出されるやうな親類はないので、舟にも只一人で乘つた。
 護送を命ぜられて、一しよに舟に乘り込んだ同心羽田庄兵衞は、只喜助が弟殺しの罪人だと云ふことだけを聞いてゐた。さて牢屋敷から棧橋まで連れて來る間、この痩肉(やせじし)の、色の蒼白い喜助の樣子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬つて、何事につけても逆はぬやうにしてゐる。しかもそれが、罪人の間に往々見受けるやうな、温順を裝つて權勢に媚びる態度ではない。
 庄兵衞は不思議に思つた。そして舟に乘つてからも、單に役目の表で見張つてゐるばかりでなく、絶えず喜助の擧動に、細かい注意をしてゐた。

 思えば、この京都にしても、私が今もときどき歩きます鎌倉にしても、もう少し前もって下調べしてからいこうと考えたものです。
 そしてでも、また最後はどこかで飲んでいるのですね。
 この小説の喜助が、はたして罪悪に値するものなのか否かは、私には、この同心と同じように判断できません。ただ、この喜助が島送りになるのに、明るい顔をしていて、「二百文の鳥目(てうもく)」で、島で何かをやっていこうと考えていることは、私にはとても嬉しい思いになれることです。

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 さきほど、昼にテレビの前で、このポメラを開いていて、耳は鴎外の「高瀬舟」を聞いていました。「高瀬舟」を読んだのは中2のときでしたが、聞いていまして、実にいい作品ですね。

2009/03/10 12:27今はテレビを見ながら森鴎外の「高瀬舟」を聞いています。やっぱりこうしてパソコンに向かっていないときは、こうして音声で文学作品を聞いているのはいいですね。こうして、ポメラで打っているわけですが、時々電子辞書の画面も見ています。
 それで、こうして音声で文学作品が聴けるものがたくさん欲しいという思いです。さきほどインターネットで検索してみて、いくつもあることが判りました。なんとか、それを手に入れまして、この電子辞書に入れてまた聴いてみます。
 やはり、昔読んだ記憶のある作品ばかりですが、でも実に聴いていまして、私のその昔の中学生の頃が蘇るものです。
 こののちには、詩も読んで行こうと思っています。新体詩もいいでしょうね。漢詩も聴いて行きたいものです。
2009/03/10 12:50思えば、この「高瀬舟」もすごい迫力のある作品ですね。そのことを今初めて知ったものでした。
この迫力にただただ私は驚いているだけです。
 文学って、ものすごいものですね。ただただ驚いているばかりです。
 今、このポメラの単四電池を替えました。
 テレビでは、山下清のことをやっています。私の家には、彼の作品が二つありました。父が好きで手に入れていたのでした。今はどこにあるのかなあ?

 このあとテレビのNHKで、「だんだん」の茉奈ちゃんと佳奈ちゃんが出ていたので、それも見ていました。

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 私が毎日必ず読んでおります 長春有情 にこのUPがありました。以下の通りです。

夏目漱石の奉天旅行  2008/ 5/27 19:31 [ No.2738 / 2740 ]
1909年 すると彼は奉天ヤマトホテルに泊まったのでは
漱石が100年前の中国に何を見たのだろうか
明治42年 その2年後に乃木大将の殉死 妻乃木静子さんと
乃木静子さんはわが薩摩の女性
武の橋の近くに乃木静子さん誕生地の石碑があった
夏目漱石が乃木大将の殉死について書いたのがあったな
 

 漱石が乃木希典の殉死で書いた小説は、『こころ』です。この小説は誰も読んで心の中に大きく残る小説ではないでしょうか(ただし、私の娘たちの年代は違うかな。違うだろうなあ)。やはり、森鴎外が見ていたものとは漱石は大きく違うなあという思いです。
 乃木という人は、西南戦争のときから、自分の死を見つめていました。それがつまらないこと、くだらないことと思うのは仕方のないことです。でも、この乃木さんの自刃を目の前にして、『こころ』を書いた漱石と、くだらない死としかとらえられなかった志賀直哉とは、大きく違います。そして私は漱石が好きで、志賀直哉は嫌いです。

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29e3cd8e.jpg このブログのサイドバーの「アマゾン」を今までの「森鴎外」から「吉川英治」にしました。最初は「徳富蘆花」にしてみたのですが、蘆花ですと、著作の書名は出てくるのですが、画像がないのですね。このサイドバーに置いておくのは、画像が欲しいのです。そうしないと淋しいではないですか。
 それと、私のサイドバーには、「アマゾン」は3つあります。一番上は「吉本隆明」で、次は、このブログの内容で変化するもの、そして3番目が私は指定するものです。過去には、「夏目漱石」「谷崎潤一郎」「永井荷風」としてきました。ここもまずはとにかく画像が出てくるものが大優先です。
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76add43c.jpg 今朝は長い2種類の夢を見ていました。夢の中でまったく初対面の方に詩吟を習っていました。その先生が日本の近代の方の詩を詠ってくれます。それが、夏目漱石でも森鴎外でも正岡子規の詩でもありません。今誰だったかと思い出しているのですが、忘れてしまいました。休憩時間に、その先生が席をはずされたときに、その先生の席にあったメモを読みに行きます。でもそこには、その詩の作者のことではなく、全然違うことが書いてありました。私は何故かすごく納得したのを覚えています。でもとにかく夢の中の話です。あ、それから明治期にはたくさんの漢詩人がいるんですね。あ、また娘に「パパはいつも関係ないことばかり書いているじゃないか」って怒られるかな。(5/03)
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3e3e83cb.jpg 私のこのブログのサイドバーを一部変更しました。今まで「アマゾン」で「永井荷風」だったところを「森鴎外」にしました。
 私は永井荷風は、谷崎潤一郎に比べると、それほど好きではありません。でもやはり、あといくつか読んでみようという気持があります。
 だが、森鴎外は、私には夏目漱石と比較しますと、どうしても私は漱石のほうに傾いてしまいます。私はこのごろ、ずっと漱石の漢詩に惹かれています。漱石の漢詩はいいですね。この歳になって初めて判った気がしています。
 ところで、鴎外の漢詩もいいのですね。ただ漱石ほどの量がないように思っています。
 また、このブログで、鴎外の漢詩も見てみたいと思っています。
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