800cb0fd.jpg

 僕の知っている人は、つい一週間ぐらい前に自殺しちゃいました。かねてから、この人はちょっと鬱病的だなと思っていた人ですが、それこそ「これはまいったな」というのがだんだん増えてきています。もっと言えば、「お前はどうしておかしくならないんだ」と僕が言われたら、「我慢しているからならないんだ」と思っています。では、「我慢って、どこで我慢しているんだ」ということなんですね。それはカッコよく言うと「存在論的に」我慢しているいるんです。それ以前だったら「ここまで来たら、もう限界点だよ」となっていると思いますね。いまは存在論的に言って「生きているんだから、存在しているということがまだ半分以上意味があるんだ」ということになっていて、そうである限りは、自ら死ぬことはないんじゃないかと思っているから、我慢している。我慢しているとはなはだ健康にも悪いし健全でもないから、構想力だけでもちゃんとしようじゃないかと自分で思って、それで打ち消し合いをしているという、この均衡の問題ですね。(「よせやぃ。」『教育について───第一回座談会』)

 私もたしかにいつもなんとか我慢できていますが、たしかにそれでも「これはまいったな」ということが多くなっています。でも私もいつも「我慢していこう」と思ってばかりいます。ただ、そのときにどうしても私のイライラが親しい人間に向いてしまうことがあるから、妻や娘には申し訳ないなあ、という気持でいっぱいです。私も我慢することによって存在できているんだと常に思っているのです。

続きを読む