将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:橋のない川

2017010905

   「水平宣伝歌」
  さべつかんねん
   はらからとれよ
  とらなきゃ
   きゅうだん飛んで行く
         (中略)
  おやは差別に
   子ははくがいに
  なくぶらくの
   ほととぎす
  (関の五本松、どどいつ、安来節、デカンショ、篭の鳥、この五の節で歌えます)

11051002 上の歌は大正十三年に水平社の本部から出されたものといわれています。大正末期の流行歌5つのどれでも合わせて歌えるというものです。エタとか非人とかいわれ、永年に渡って泣いてきた部落の人たちが、水平社(現在の部落解放同盟の前身)を起こし、「糾弾」という形の闘いを起こしていったのがうかがえます。

書 名 橋のない川
著 者 住井すゑ
発行所 新潮文庫(全七巻)

 この小説は第六部まで完結するのにも実に一二年余りかかっているといいます。そしてさらに第七部も刊行されました。以下刊行された年・月です。

  第一部  一九六一年九月
  第二部  一九六一年一二月
  第三部  一九六三年三月
  第四部  一九六四年四月
  第五部  一九七〇年一一月
  第六部  一九七三年一一月
  第七部  一九九二年一二月

 著者は明治三五年(一九〇二)生まれで、さらにこのあとをまだ書き続ける予定だったようです。
 私はこの小説をまたたくうちに読んでしまいました。いったん読み始めると、最後までいっきに読み終らないと気がすまない感じでした。そしてさらにできたら、昭和二〇年の敗戦のときくらいまで書いてほしいなと最初から思いました。たぶんそれは第一〇部くらいにならないと無理でしょうから、時間的には無理であり、かつ著者の死によって実現はされませんでした。

「破戒」で、生徒の前に手をついて謝った丑松のことが、この主人公の二人の兄弟(兄誠太郎、弟孝二)は好きになれません。

  あれはあんまりや。あれを作った人は、まるでわしらのことを
 知らぬのや。つまりあの話を作った人は、はじめからエッタは世
 間の人とちがう人間と思いこんでるんやで。    (第2部)

 随分昔私もこの丑松の姿勢についてかなり話し合ったことがあります。島崎藤村が苦労して書いているのもよく分かります。でもこの誠太郎の言葉には何もいうことができません。
 孝二は大阪に丁稚奉公に行っている兄誠太郎が送ってくれた少年雑誌にのっていた「峠の秋」という物語を読みます。与吉という主人公は働きに出て、ある娘をみそめて、そこの主人にも認められます。そして、その主人にあなたのふるさとを娘に見せてやってはくれまいかと頼まれる。

  さて、峠のいただきに辿りついた二人は暫く疲れた足を休めて
 いたが、やがて峠の下りにかかろうとして、与吉はまた石のよう
 に立ち止まった。そして“どうかしましたか。”と心配そうにた
 ずねる加代に、与吉はいった。“峠の向こうは僕のふるさとです。
 そして、そこはエタ村です。僕は今までそれをかくしていたので
 す。”
  その与吉の胸に顔をうずめて加代はよよと泣いた。泣きながら
 加代はいった。“ほんとうは、私もエタの娘なのです”
                         (第1部)

 この話は孝二にとって雑誌の中だけの話ではないです。与吉の顔は兄誠太郎の顔なのです。この与吉の告白は丑松の告白とはどう違うのでしょうか。同じなのでしょうか。

 大正一一年三月全国水平社が結成されます。同情とかあわれみ、いたわりというものではない「人間は生まれながらにしてみな平等に尊い存在だ」ということを原点として団結し闘うために。これはまさしく当然の動きだったと思います。この小説の登場人物も、みな元気に活躍します。読んでいて快いところです。
 しかし私がこの小説を終戦まで見てみたいというのは、この全国水平社の運動がどのように戦争に関わっていったのかをどう描くかということなのです。私は第五部、六部での関東大震災のあたりの記述が何故か不充分な気がして不満だったのです。朝鮮人虐殺、大杉栄虐殺等のことに対して、この小説の登場人物はみなすべてかなり怒りを感じているわけですが、それで本当かよという気がしてなりません。朝鮮人虐殺は不当なことなのだから、怒りを持つのは当然だとしても、その怒りの対象には、いわば日本人全体がなるべきで、この水平運動に関わっていた人々は唯一朝鮮人の味方だったような描き方には納得できないのです。こんな感じで戦争のことも書かれてしまうのかなと思ってしまうのです。全国水平社も積極的に戦争へのめり込んでいったのではないでしょうか。このままの描き方なら、この小説の登場人物はみんな戦争反対になって、国家の弾圧をうけちりじりになるはずです。はたして事実はどうだったのでしょうか。そしてこの人たちは小説の中でどう振舞っていくのでしょうか。 ここらのことをまともに見ていかないと、私は何もならないように思っているのです。

 この小説の題名の「橋のない川」とはなんでしょうか。この川は誠太郎孝二兄弟の母ふでがいつも見る夢にでてくる大きな川です。対岸には日露戦争で戦死した夫が出てきます。でも川を渡ろうとしても橋がありません。……もういまになればこの橋は架けられているのでしょうか。
 私は以下の吉本(吉本隆明)さんの中上健次に対する追悼文を読んだときに、何故かほっとしました。

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  <中上健次の文学の思想としての特長>
 島崎藤村が『破戒』猪子連太郎や瀬川丑松をかりて、口ごもり、ためらい、おおげさに決心して告白する場面としてしか描けなかった被差別部落出身の問題を、ごく自然な、差別も被差別もコンプレックスにはなりえない課題として解体してしまったことだとおもう。
 差別と被差別の問題は中上健次の文学によって理念としては終わってしまった。あとは現実がかれの文学のあとを追うだけだ。(「追悼私記−中上健次」)

 これだけのことを中上が生きているときに言ってあげればよかったのに。吉本さんの中上への文学への批判は「これはきびしいな」と感じていた。この追悼だけで、中上は生き返りたいほどの内容ではないだろうか。
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 橋を架けたのは中上の文学なのだ。多分住井すゑさんは、これを絶対に認めないだろうけれど、私にはもう間違いのないことに思えるのです。

 さらに第七部を読んで思ったことを以下書いてみます。

 いよいよ大正の時代がおわり昭和年代に入ってきます。
 どうやら水平社運動も全国的に展開され、作中の人物の動きも明るく感じられます。作中の子どもの言動にも、思わずじんとしてしまうようなことがまたあるわけですが、過去の時代よりは少しは救いがあるように思えます。みんな水平社の運動により、自分たちは団結することこそが大事なのだと知っているからだと思います。
 だから読んでいるとなんだか和やかな気持になっていることができます。でもやはり私は何かをいうべきだなと思いました。これは時代が次第に良くなり、水平社運動が正しく進んできたから、こうした展開になったのではなく、著者の筆が鈍っている、いやもっと言えば、いったいどこをみているのだとまで私は思ってしまうのです。
 昔沖縄返還運動のときに、以下のようなニュースが伝えられました。
 沖縄戦の最中、島の住民が集団自殺した島で、その住民たちの慰霊祭ということで招待された当時の守備隊長であった人物が、沖縄の教職員組合を先頭とする人たちに阻止されたという事件です。つまりこの元隊長は軍の威光を背景にして住民に集団自殺を命じた張本人なのだということなのでしょう。だがこのとき、この元守備隊長は「それなら本当のことをいおうか」と開き直ったといいます。
 この「それなら本当のことを言ってやろうか」というこの元守備隊長の言葉はいったい何なのでしょうか。私にはこのことをよくよく考えてみたく思っているのです。
 この元守備隊長がいいたかったのは、お前たち教職員たちこそが、住民が集団自殺するような意識を形作ったのではないのかといいたかったのだと思います。そうしたことを内省することなしに、他を責める資格などあるのでしょうか。
 私はこの第七部を読んでますます、これと同じように思ってしまいます。もはや第七部に出てくる人物はいい人間たちばかりです。全国水平社の運動はこんなものだったのでしょうか。これで著者は第八部、第九部と書き続けられるのでしょうか。これだとこの登場人物のすべてならびに全国水平社は、国家のために壊滅的に打ちくだかれるか、ひょっとしたら国家の戦争への道を阻止できているのかもしれません。だが、現実にはどちらの事態にもならなかったのではありませんか。
 朝鮮人朴相竜という人物が主人公たちの小森村に尋ねて来て、みんなでいっしょに食事をするシーンがあります。日本天皇制帝国主義から差別される、朝鮮人と部落民が心をわって会話するところは読んでいてとても気持がいいのですが、いったいこんなことがあったのでしょうか。このように表現できるのでしょうか。本来このような関係にあることこそが嬉しいことなのですが、私にはまったくありもしないことにしか思えません。これでは私がよく見るやくざ映画での朝鮮人問題ほどのきりこみ方もできていないと言わざるを得ないのです。
 全国水平社、部落解放同盟のやってきたことは、この小説に描かれるようなことばかりなのでしょうか。「本当のことを言ってやろうか」ということが必要なのではないでしょうか。彼等こそ、日本天皇制帝国主義の被害者なのではなく、むしろその中でその体制強化のために積極的に加担していった側ではないのかということを内省することができなければ、いったい何なのだと言わざるを得ないのです。
 昔この小説から映画が作られ、その映画が上映されるとき、その映画の上映に抗議して自殺した部落解放同盟の少女がいました。彼女の残したもの、書いたものなどを知りたいとずっと思ってきたのですが、未だにどこで捜せばいいのか分かりません。
 やはりどうしても「本当のことを言おうか」ということこそが大事なように思います。
 この住井すゑさんが亡くなりましたときに、私は以下の文を書きました。住井すゑさんのことです。引き続き読んでみてください。私のこの小説および住井さんへのこだわりがお判りいただけるかなと思います。(1993.11.01)

  追悼私記17「住井すゑさんのこと」

10121901「橋のない川」の作者、住井すゑさんが16日に95歳で亡くなりました。 私は、「周の書評」で2度、この著書について書いてきました。「橋のない川」を読んでいると、たいへんに話の展開にひきつけられてしまい、実に真剣に読んではいくのですが、やっぱり何か「これは違うんじゃないの?」という思いがわき上がってくるのです。
 明治後半から大正期にかけての奈良県の部落民の少年のおいたちが中心として描かれていきます。第6巻ではついに全国水平社が結成されます。読んでいると実に感動的なところです。最初はここで、この物語は終わりの予定だったようです。でも読んでいると、「このあとはどうなるのだ」ということがいくつもちりばめられていて、そのとおり、住井さんは第7巻を執筆完成します。さらには、第8巻も予定されていたようですが、その第1行を書いただけで、亡くなられました。
 私が言いたいのは、全国水平社は、けっして日本帝国主義天皇制に弾圧されてきた存在なのではなく、むしろその最先頭でアジア侵略に向かっていた存在でもあったのではないのかということなのです。その内省がなければ、私には、なにかあの戦争への総括にはならない、部落問題を根本的に解決することにはならないと思っているのです。そこのところが、住井さんは、私にいわせれば「ごまかしている」ように思えてならないのです。
 関東大震災で、どうしてあのような朝鮮人虐殺がおきてしまったのか。そして、それは私たちが20代前半のときにも、朝鮮人高校生襲撃事件というのが、東京山の手線,赤羽線などで多発していました。大阪で起きた山口組と松田会の抗争事件には、実は朝鮮問題(松田会は朝鮮人系やくざである)が大きな要素としてあったと私は思っています。
 こうしたことを考えるときに、住井さんが「橋のない川」で描いているように、抑圧される朝鮮人たちに対して、全国水平社は果たして連帯できた存在であったのかというのは大事なことです。あのように描いてしまうのが真相なのか、住井さんに問いただしたいところなのです。私はむしろ、たくさんあるやくざ映画のほうがこうしたことをそのまま如実に描いているように思っています。けっこう私は飲んだときに、こうしたことを話しています。書くと、どうしても表現しづらいところがあるわけです。
 こうした思いから、私はどうしても住井さんのいうことに全面的に納得できないでいました。本当なら、あの物語のように、部落民をはじめとする非抑圧階級民族が連帯して日本帝国主義と闘い、あの戦争を阻止できていることが、私たちの理想としたいところであったわけです。だが事実はそうではなかったわけです。
 でもとにかく、住井さんには、もっと書き続けてほしかった。もっと長生きして欲しかったと思うところです。(1997.06.21)

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