将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:橋爪大三郎

13062111 私の周の掲示板に、nelu(かわふくG) さんからの以下の書込みがありました。

お久しぶりです。 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2013年 6月22日(土)02時15分24秒  力量というか、読書量からすると私は周さんの十分の一以下かもしれませんが、吉本隆明信者?との関係に引きつけていうと、tamo2さんのブログで「おどろきの中国」を知って読んだことが、切っ掛けで、橋爪大三郎さん………  ああっ、なんで、この一言のことを書くかというと、前、廣松渉さんのお弟子さん、名前は今出てこない…… そのひとが、周さんと同年だからでしたけど、橋爪大三郎さんも同年ですね。「永遠の吉本隆明」という本を最近読了しました。感想は大変だから書きません。

時々、約一名私のブログを覗く方がいます。またずっとまれに二人のときがあります。ここ半年体を壊していまして、更新できませんでした。まあ、しかし、わたしの発言の場は、まっぺんさんとこの人民食堂です。
http://8816.teacup.com/mappen/bbs

それから、数年前から構想しているものですが、取り敢えず独自ドメイン10年取得しました。文字どうり蝸牛の歩みになろうかと思いますが、少しずつ作って行く計画です。
http://anuzon.com

 ちょっと言われていることが私にはよく理解できません。
 私もこの橋爪大三郎さんの本については以下で書いています。

 2011年08月06日
 第41回橋爪大三郎『永遠の吉本隆明』

 もともとは、2003.12.01に書いていますから、もう10年前のことなのですね。私はここで書いているよりは、この橋爪さんのことが好きになれた気がします。
 ただ、もう私には今ではどうでもいい存在になってきましたね。でも私には、吉本(吉本隆明)さんだけはずっと読み続け、今も読んでいます人です。
 私は奥様の和子さんも(もう亡くなられましたが)、二人の娘さん(長女のハルノ宵子さん、次13062112女のよしもとばななさん)も大好きな存在です。二人の娘さんの作品も何度も読んでいます。
 吉本(吉本隆明)さんと和子さんを考えると、私はどうしても涙になってしまいます。もっとばななさんが作品を書いてくれないものかなあ、なんてそんなことばかり考えているものです。

11080412   Saturday, November 08, 2003 3:40 AM
萩原様
 橋爪大三郎の「永遠の吉本隆明」を読みました。
 粗末な内容で驚きました。
 まず、3点あります。

1、P50−52 団塊の世代の鈍感さについて「吉本さんの影響力はこうした事態にも、帰結している」

 って、してないよ。愚劣な市民主義者も共産党も新左翼各派も、みんな鈍感だし、オヤジになって鈍感でどこが悪いと思います。
 全能感と無能も、吉本さんとは無関係な話で、読者にそういう人がいても、それまで吉本さんの責任なわけはありません。
 純粋云々も関係ない話です。

2、 P135 「テロリストによる無差別殺人。これは戦争のルール(軍人が軍人と戦う)をはみ出して、丸腰の不特定の民間人を標的にしているから許せないのです。(略)テロははじめから、民間人を標的にして殺そうと思っているから、格段に悪いわけです。
 こうしたテロに反撃するために、戦争に訴えることは正義である。それでこそ、テロを抑止でき、結局、多くの民間人が守られる。いまの国際社会の枠組みは、こんなふうにできているわけです。そのことは吉本さんも知っているし、認めていると思う。」

 太平洋戦争時、米軍は下町空襲において、また、広島、長崎への原爆の投下において、「はじめから民間人を標的にして殺そうと思って」攻撃をしました。「不特定の民間人」です。
 何が戦争のルールですか。寝ぼけた馬鹿話をまき散らすなと思います。吉本さんが、そんな事を認めているわけがないです。

3、 P136 「現実は権力によってでき上がっているからです。」

 って、おい、そりゃどういう「現実」でどういう「権力」なんだ?
 ここまで言うならば、現実とは何で、権力とは何なのかを言ってからじゃなけりゃ、話がはじまらないです。
 私の理解している現実は権力によってだけではなく、色々な物事によってでき上がっています。
 この本で読めるのは、言語美についての所だけです。もっとも、言語美には歯が立たない人ばかりで、みんなが通り過ぎているだけという噂もあります。
 私は、吉本さんは言語美を踏まえて「古事記」「遠野物語」を素材に、そこに言語として表れる幻想を読み解いて行ったのが共同幻想論だと考えています。幻想はそのものとしては扱えないため、表出に痕跡をとどめたものからたどるしか方法がなかったと思います。
 国家が共同の幻想だというのは、国家の根の深さを見据えた議論です。私は背筋が冷える思いを受けます。
 逆立については引っかかるのが当然で、逆立しないなら、吉本さんは愛国少年のままで大人となり、優秀な化学者として生きれば良かったはずです。

 何か、橋爪大三郎って、薄ら馬鹿でしたね。中身がないです。 目森一喜

   Saturday, November 08, 2003 5:50 AM

 粗末な内容で驚きました。

 私はまず、ただただ電車の中で夢中になって読んでいました。なんだか、一気に最後まで読んだ思いです。帰宅したら、偶然長女も帰ってきており、二人で遅い夕食になったのですが、本を読みながらビールを傾けている私を見て、「食事のときくらい、本を読むのはやめたら」と言われたものです。私はただただ最後まで読みたかったのです。
 全般的に、私は、いわば吉本さんに関する総整理みたいな感じで読んでいました。「うんうん、これはその通りだな」なんて頷いていました。とくに、あなたが言われるように、「言語にとって美とはなにか」の整理解説は良かったです。もっとも、これは誰でも書ける内容のように思いますが。
 それと私が読んでいて、頷いたのは「『心的現象論』はなぜ未完なのか」のあたりです。「なるほどなあ」なんていう思いでした。
 ただ、それにしても電話でもいいましたように、私も結局

 何か、橋爪大三郎って、薄ら馬鹿でしたね。中身がないです。

というふうに感じました。吉本さんのやってきた仕事を解説していくと、ただただ感心し、それをいわば肯定的に学んできた自分の姿に気がつくわけなのでしょうが、「あ、このままだとまずいな」というところで、「でも、俺は吉本さんとは違う立場に来たのだ、それはといえば…………」と解説しないと、自分がなくなってしまうと思っちゃうのでしょうね。そこで、どうしても無理やり何かを言い出します。そこがもし「あ、これはこの通りかもしれないな」と思わせるだけのものを言ってくれればいいのですが、もう非常にくだらなく馬鹿な内容しか言えないのです。
 でも、そうは言っても、だから今も大学の先生なんでしょうね。もしも、ちゃんと、吉本さんのように、いろんなことを学ぼうという姿勢を貫けていたら、大学なんぞの場には居なかったはずなのです。

 吉本さんを読んできたのは、団塊の世代が多いように言われますけれど、それはどういう根拠だかしらないのですが、その上の世代も、ずっと下の世代も読んでいる人は読んでいるし、読まない人は、私たちの団塊の世代でもそれこそいっぱいいますよ。橋爪が自分を含めた団塊の世代を「鈍感」というのは構わないのですが、もっと世代論でいうのなら、違うことも見ておいてほしいと思うんですね。私のいろいろつき合う企業の私と同じ世代の経営者のなかで、先日こんなことを言った人がいます。

   今の40代は使いものにならないね、30代後半も駄目だ。も
  う会社としては、そのさらに下の世代をもっといろいろと活用し
  ていこうと思っている。

というのです。いえ、これは会社のなかでのIT戦略のなかで、もうその世代は「駄目なのが多い」という思いのようです。むろん、自分たちの世代なんかごく少数を除いて論外なようです。
 思えば、このことはまた別にホームページ内で書いていきたいなあ。

 とにかく、私はこの本は面白くて一気に読みました。だが、あなたが指摘されたところは全くその通りです。
 やっぱり彼は、「俺のことを権力側も使ってくれれば、いいアドバイスができるのになあ」なんて思っているのでしょうね。判っていないですよ。たしかに「権力」ということなんか、まるで判っていないでしょうね。
 彼は、戦争にしろテロにして、その下で血を流し苦しむ民衆の中に自分の姿を入れて考えることができないのでしょう。「テロを根絶するための正義の戦争をしなくちゃいけないのだ」ということなんでしょうが、テロでも戦争でも、その下で苦しむ人間への視線が全然ないのです。ここが吉本さんとおおいに違うところです。
 単純なことですよ。「テロも戦争もよくないのだ」というべきなんです。やはり、シモーヌ・ヴェイユに吉本さんが注目してきたことがよくよく判る気がします。どうもメールをありがとう。萩原周二
(第172号 2003.12.01)

 今年(98年夏)の松戸自主夜間中学校のキャンプへ行ってきましたが、そこでも夜にいろいろなお話をしました。その中で、

 「民主主義」というのは、思想ではなく、あなたのいうとおり、シス
 テムなんだね

と私に言われた方がいます。ちょうど半年くらい前に、皆で激しく論争したときの私より5歳くらい上の方でした。また、NIFTY のあるフォーラムの会議室で「民主主義とは何か?」などという問いがあって、その後それへの解答がないままなのを見てきました。それに関して、「これが最適の本ではないのか」と思える本の紹介です。

11011110 私は昔から「民主主義」というと、どうにも好きになれませんでした。昔学生運動の流れの中で、構造改革派の中で「民主主義学生同盟」という組織がありました。私はこんな連中がいるのが信じられなかった。だって民主主義とは思想ではなく、政治制度なのだから、マルクス主義とか社会主義と名乗りあげることとはかなり違うのですよ。もっとも、この党派はその後、右派(日本のこえ)と別れ、「プロレタリア学生同盟」なんて形容矛盾な名前の党派を名乗り、さらには、緑のヘルメットを赤くぬり、「赤色戦線」などという組織になってしまいました。簡単に潰れましたが。
 よく三派・全共闘といいますが、本来は三派全学連と全共闘は全く別のものです。全学連はあくまで各大学の自治会の総連合ですから、民主主義の手続きを着実に遵守します。全学連の集会では自治会をもっていない党派は発言権はありません。左翼というと、かなりでたらめことをやる感じがしますが、三派全学連はその意味では戦後民主主義の申し子でした。三派というと実は五派プラスその他もろもろいましたが、社学同ML派と、第4インター(社青同国際主義派)は、自治会を掌握していなかったため、発言権がありませんでした。彼等はどうしても発言するために、会場でゲバルトのやりあいをして、その事態を説明するという理由のもとに、発言を始め、彼等の情勢分析、闘争方針を展開したものです。

 全共闘は全学連を「戦後ポツダム自治会は終焉した」ということで生まれてきました。したがってまったく民主主義的な手続きなど関係なく行動します。私などは、ちょうどその両方にいますから、よくその違いがわかります。しかし私などは、この全学連での学んだことはかなり良かったことであります。すなわち、クラス討論をしたり、投票をしたり、多数派になるという訓練をかなり経験したからです。私は労働組合を作って元気に暴れたこともありますが、私はその中で一番の過激派でしたが、私が会議の司会をやると、会社側にも褒められたものです。よくあれだけきちんと双方に平等にやれるものだと。
 私は民主主義はあくまでルールなのだという認識がありました。したがって、守るべきとかこわすべきとかいう思想としての対象ではないと思っていました。
 しかしいまこの民主主義というものを、まともに把握できない層がかなりいるのをみて愕然とします。いったい義務教育でまともに学ばなかったのでしょうか。そんな思いのとき、ある人の紹介でこの本に出会いました。

書 名 民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である
著 者 橋爪大三郎
発行所 現代書館

 なんだか題名が恥ずかしい気がして、最初は電車で広げるのが嫌でした。でも第1ページから読み進むうちに、これは全く私が持ってきた思いをそのまま展開している本であることに感動していきました。ぜひ多くの方々に読んで頂きたいなと思っています。

 「民主主義」の旗を掲げよう。
 それが社会の「理想」だからではない。「平和と民主主義を守ろう」
 というのでもない。とりあえずそれが、もっとも現実的な社会の運営
 方法だからである。

 これが最初の「はしがき」に書かれている最初の文です。これだけのことですら私は他では読んだことがないように思います。そして次の文、

 「民主主義」の前提は、人間一人ひとりが自分の生き方を考え、つき
 つめ、決してそれを他人に預けないことである。その上で、いまの社
 会制度に責任を持ち、必要ならそれを作り変えていくことである。そ
 ういう、思考の輪郭のくっきりした、人びとの格闘が、民主主義を支
 える。

 この文章こそ、まさしく私たちが義務教育で、中学3年生までに学ぶべき民主主義の意味だと思います。私は中学で社会科の先生に教えて頂きました。
  さてこの本の中で民主主義のことを中心的に書いてあるのは、「陳腐で凡庸で抑圧的な民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である」という章です。

  政治とは《おおぜいの人びとを拘束してしまうようなことがらを、
 決定すること》、これにつきる。

  民主主義とは、《関係者の全員が、対等な資格で、意思決定に加わ
 ることを原則にする政治制度》をいう。

  民主主義は、人為的な制度である。人為的だから、人間の自然な感
 情に逆らっても不思議はない。。なんて憎たらしいことを言う奴、殴
 りつけてやろう、と思っても、そうはいかない。相手が言論でやって
 いる限りは、民主主義である以上、めいめいに自制が要求される。そ
 ういう努力を惜しまず、民主主義を守り育てていかないと、民主主義
 はすぐ民主主義でないものになってしまう。
  民主主義は、われわれがそれを自覚的に選択し、そのあとも日々選
 択しつづけ、意識的に手をかけてやらないと、存在できない。

 民主主義は手続きを重視する。民衆の意思決定を形成するための手続きが大事なのです。この手続きの正しさを踏みにじる傾向をなくすことが民主主義なのです。

  日本の(戦後)民主主義は、いくつかの理由によって、大変虚弱で
 体質の弱いものであること。そして率直に言って、「民主主義を守ろ
 う」とか「民主主義はは大切だ」と言ってまわっている思想家や団体
 に、ちっとも魅力がないこと。そういうイメージが民主主義にこびり
 ついている。だから、民主主義の肩を持つなんて、ちっともカッコウ
 いいことではない。
  けれども、われわれの民主主義を、せめてもう少しタフで成熟した
 ものに変えていくことが、いまの日本にとって重要だ。ちょっと考え
 てみると、そのことはよくわかると思う。もっと日本人は、おとなに
 なろう。政治の責任を分かちあおう。そのために骨身を惜しまない人
 間が、何千万人も出てこないと、日本は少しも生きやすい社会になっ
 ていかない。そして尊敬できる社会になっていかない。

 まさしく民主主義は守るものではなく、私たちが日々つくるものであると思います。陳腐なもので、そして政治であるから抑圧的なものであるとしても、私たちがつくりあげていかなければならないのです。
 なんだかこの本を読むと、誰でも頭の中が整理されスッキリした感じがするのではないでしょうか。そうです。こういう言葉であたりまえのことをもっと早く説明して欲しかったのです。

 私は今もいろいろなところで、驚くような誤解とつき合ってしまいます。国会や地方議会で行われているものだけが政治だと思い込んでいる人が大勢います。民主主義を素晴らしい思想だと堂々と言ってしまう人がいます。それが私よりも年上でしかも社会的にも「人を教える立場にある」人なのを見ると、心の底から嫌になってきます。「あなた方は一体何を学んできたのだ、そして下の世代に何を教えようとしているのだ」

  言わしていただければ、テレビ等々で感じるのは、民主主義の本質を理解できているのは、むしろ保守的な言動を言っている方のほうであり、左翼進歩派と思われるほうこそが「こいつ判ってねえな」と感じることがしばしばです。私はこの連中はむしろ左翼保守派とか左翼守旧派というべきかななんて思っています。でも中学3年生の段階で知るべきことなのになあ、と情けないと思うばかりです。
 だからこそ私は自分が関係するところでは、この民主主義のやり方を厳守するようにしています。今年夏に松戸自主夜間中学校に関する「松戸市に夜間中学を作る市民の会」の総会があったのですが、私が議長を担当しまして、このことは厳格に追及しました。また私は住んでいるところのマンションの管理組合の理事をやっているのですが、これまた総会(いろいろとみんなで決めなくてはいけないことがたくさんあります)にて、確実にやるようにしています。
 それから私自身の仕事である経営コンサルティングでは、株主総会等々ということで、これまた民主主義のやり方が大事なことになります。私は会社の取締役間の闘いの相談もよくあるのですが、基本は「株主の多数派が勝利できます」ということであるわけです。だが、当然多数派からの相談ではなく、少数派からの相談もあるわけで、そうした場合にこそ、この民主主義の手続き上の問題が、こちらの大きな戦術になります。
 また、私自身の家族でも同じだと思っています。3人以上の人間が集まる場所では、なんらかのことで意見が異なりかつ決定する必要があるる場合には(これは夫婦で決めていいこと、すなわち子どもには関係ない場合は別です)、やはり民主的な話し合いと手続きを遵守するようにしております。

 この本を書いた橋爪大三郎氏は現在、かなりな評論を書かれ、かつテレビにもよく出て来られます。私はかなり注目し、かつ評価しております。この方は実は私と同じ三派全共闘の活動家でした。左翼の活動家出身には、今もどうしようもなく訳の判っていない連中も多いのですが、こうして原則的な勉強をかなり着実にされているんだなと感じる人も何人かはいるものです。私は全面的に彼を評価するわけではありませんが(ときどき、これは私と意見が違うなと思うときがあります)、今かなり評価できる学者だと思っています。

 そのほかこの本の中で述べられている文章はすべてなかなか読ませる文章です。そしてこの文の表現方法も著者はかなり考えていると思えます。
 また読んで感心したところに次のようなことがあります。「正義の根拠はどこにあるのか?」という章です。

 「同じものは同じように扱う。異なったものは異なるように扱う」と
 いうものです。同じ人間なのに異なった扱いをして差別するのは不正
 義である。それとは逆に、たとえばハンディキャップを負っている人
 を健常者と同じように扱うのも不正義である。

 これはかなりあたりまえのことを言っていますが、これだけの認識に到達している人がどのくらいいるのかと思うと悲しくなります。性別人種民族宗教出身地学歴等々の違いで人を差別するのは間違いです。だが同時に車椅子に乗っている方たちを私たちが普通にその椅子を押さないことはこれまた間違いなのです。
 ここらへんのことは、家庭でも普通に教えていくべきことだと思うのです。
 何度も読み返していきたい本です。(1998.11.01)

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新聞名 図書新聞第2931号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年8月15日
読了日 2009年8月22日

 最初の

評者◆藤井誠二 ドライながらも実践の書――限られた時間の中で裁判員は最大限、何ができるのかを教えてくれる

を読みました。「橋爪大三郎『裁判員の教科書』」は、「あ、これは読まなくちゃ」と思わせてくれます。最初に次のようにあります。

 とてもドライな提言の書だ。一読して、そう思った。著者が指摘する裁判員制度の問題点や、制度に期待する理由についてはさほどの目新しさは感じられないのだが、ともかく始まるものは始まるのだから受け入れよう、そして裁判員とは何をするべき役割なのかを考えようという最初から最後までわかりやすく呼びかけ続けているところが潔く、ぼくがドライに感じた所以だろう。いまからでも裁判員制度を潰せという非現実的な主張も少なくない中で貴重な提言といえる。

 これで、私はこの本自体を読まなくちゃいけないと思いました。でもこの本自体を手に入れるには、また八重洲に行かなくちゃならないのですね。いや、インターネットで手に入れるのは、吉本(吉本隆明)さんと長谷川慶太郎の本のみにしているのです。でもこういう私の決め事がくだらないのかなあ。
 でも今の裁判員制度を知るのにはいい本ではないのかと思いました。

 そもそも裁判員裁判には圧倒的に時間がない。実質3〜4日間という限られた時間の中で裁判員は最大限、何ができるのかをこの本は教えてくれる。ドライながらも実践の書である。裁判所は裁判員に対してなんらかの「教科書」を配布するはずなのだが、裁判員は検察官をチェックせよと書いてある「教科書」はぜったいに配らない。

 私が裁判員になることは決してないでしょうが、とにかくこの橋詰大三郎さんの本を読んでおこうと思ったものです。

 でもこうしてたくさんの本が紹介されていても、もうその中の僅かなものしか読めないものなのですね。少し寂しい思いになります。
 でもとにかく、頑張って読んでいきましょう……、でも自分のわきに積んである未読の何冊もの本を考えてしまいます。

 サイト限定情報の「評者◆杉本真維子 針の灯火」を読みました。実は私はこの方の詩集を2冊読んでいます。いや、まだ本は並べているだけですが。とても若い方なのですね。

 目黒の東京都庭園美術館で「ステッチ・バイ・ステッチ 針と糸で描くわたし」という展覧会が開催されている。

ということから書き出されています。そして、この方の作品について、最後に次のように書いてあります。

 勤務時間中に隠れて制作する、ということは、いわば労働に対する報酬という約束を放棄し、時間を盗むことでもあるが、その危うさや悪は、たぶんあらゆる芸術に不可欠なものだ。だから、その直接性によってもこの作品は際立って人を惹きつける。ちらちらと心をよぎった、罪悪感のようなものは、純度の高い汗となって、ひたいを滑り落ちていたかもしれない。そんな、様々なざわめきをはらいのけて、無心に刺されていく一本の針。その輝きが、小さな灯火となって、彼の「夜」を突き抜けている。そのことが全然他人事に思えないのだ。

 私なんか芸術とは無縁の人間ですが、これはよく判るな。
 でもまずは、この杉本さんの詩集を読んでいきましょう。

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新聞名 図書新聞第2890号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 平成20年10月18日
読了日 2008年10月12日

 この号を読んでみて、なんだどこも読むところがないなあ、という思いでしたが、「なんかブログに書かなくちゃなあ」と思って再び読み直します。そうすると、いわば私の苦し紛れなのですが、でもでも「あ、今度図書館で読もう」とか、「これは手に入れようかな。どこの本屋にあるかなあ?」なんていう気持になってきます。
 3面のポケットブックに紹介されている新書・文庫5冊はすべて読んでみたいと思ったものでした。

安達正勝「フランス革命──バスチューユ陥落からナポレオン戴冠まで」中公新書
ミッシェルフーコー「わたしは花火師です──フーコーは語る」中山元訳 ちくま学芸文庫
吉井仁実「現代アートバブル──今、何が起きているのか」光文社新書
橋爪大三郎「冒険としても社会科学」洋泉社MC新書
山下聖美「新書で入門・宮沢賢治のちから」新潮新書

 しかし、この新聞も古書店の広告があるのですが、もう古書店も歩かなくなったものですね。なんとなく歩いている時間が使えない感じになってしまいました。

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雑誌名 樹が陣営32
    特集「三島由紀夫と吉本隆明」
発行所 編集工房樹が陣営
発行人 佐藤幹夫
定 価 1,200円+税
発行日 2007年8月10日
読了日 2008年1月13日

 11日に地下鉄南北線、そして渋谷から王子までの電車の中で、「SCENE2吉本隆明を読む」を読み、帰ってきて「SCENE1三島由紀夫を読む」の橋爪大三郎「三島由紀夫と吉本隆明」を読み、そのほかは、12、13日に読みました。
 まだまだ私は吉本隆明さんを読みこなしていかないとなりませんね。そしてよくこれだけ読みこなしている方がいるものです。私は羞しくなってしまいます。
 もっともっと読んでいきましょう。

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