将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:次女のブルータス

12032502 本日大阪府池田市で起きた事件を帰りの電車の中で、夕刊紙の見出しで知りました。前にたっている人の新聞でしたから、何のことかピンときませんでした。この日本のことだとは、なんだか明確に認識できませんでした。家に午後10時30分頃ついて、妻と話して、どうやら、事件が判りました。でもやはり、どういうことなのか、どういう事態なのか、つかめませんでした。長女も帰ってきまして、長女も小学校の教員ですから深刻です。次女はきよう外泊で帰ってきません。
 でも、なんだかテレビを見る気にもなれません。いや、明日はちゃんと見なければと思いますが、今は嫌です。「死刑になりたいからやった」とか言ったそうです。死にたいなら、勝手にどこかで死んでくれ! と言いたい。なんで子どもという弱い存在を狙うのだ。

 長女の小学校の話を聞いても、次女が今やっている教育実習の小学校の話を聞いても、あちこちで言われているような「学級崩壊」などという姿は、私には少しも見えてきません。なんだか、可愛い素直な子どもたちの姿や言動が私には見えてきます。そうとしか思えないし、私の二人の子どももそうとしか思っていないようです。
 次女のブルータスが担当の小学校4年生の子どもたちの真ん中に座っている写真があります。なんだか、とってもいい写真です。ブルータスの笑顔がいいし、子どもたちみんなの笑顔がいいのです。それから担任の先生の笑顔もいい。実習の最初に私が聞きました。

 周「可愛いと言っても、悪ガキもいるだろう?
 ブルータス「悪ガキ? そうだな、あの子かな

ということで、教えてくれました。ブルータスが最初の日に校長室で、校長先生とお話していたら、そこへずうずうしく入ってきて

 「せんせいが、ハギワラサヨコせんせいか?

という男の子がいたそうです。いつも担任の先生に怒られてばかりいて、でもぜんぜんめげないで元気いっぱいな男の子です。ようするに、悪ガキではなく、元気な子なんですね。そして、教育実習生なんて、1年に1人くらいしかこないので、もうそれこそブルータスが担当になったクラスの子たちは嬉しくてたまらないが、担当でないクラスは、もうつまらなくてたまらないようです。だから、他のクラスにいきますと、もうそれこそ子どもたちが寄ってくるようです。
 私は、だから、この写真を見たときに聞きました。

 周「おい、どいつだ、あの悪ガキは? ああ、こいつか、たしかに悪そうだな」(でももちろん、私は口で言っているだけで、少しもその男の子を悪い子だななんて思っていません。むしろ、すぐに好きになってしまうような顔をしている男の子です)

 ブルータスがやった図工の授業では、ブルータスがかなり教材研究をしたこともあるかもしれないのですが、みなもう真剣にやっていたそうです。

 周「おい、あの悪ガキもちゃんとやったのかよ?

というと、

 ブルータス「○○くんも、もうもうめちゃめちゃ真剣にやっていたよ

といいます。いいなあ。
 長女の話もよく聞きます。子どもたちの面白いこと、懸命にやること、どの子もいい子たちで、いろいろな可能性を持っているんだよなあ。
 つい先日、朝の通勤のときに、柏駅から小学生が大勢電車に乗ってきました。千代田線の根津駅まで一緒でした。たぶん上野動物園に行くのでしょう。こうして朝の通勤時に乗ってくる小学生は、実にうるさくて困るものです。こちらはただただ本を読んでいるのに、煩いことです。
 でも、私はちょうどブルータスが担当しているのが4年生で、ちょうど彼らも名札をのぞくと4年生で、「あ、ブルータスが相手にしているのはこういう子どもたちか」と思いまして、なんだか彼らの声を聞いて、彼らのやることを見ているのがとても嬉しい思いでした。担任の先生もとても若い女先生で、これまた自分の娘を思います。

 でもでも、きょう(8日)の池田市の事件は、そんなところに突如起きた、とんでもない事態です。ただただ、嫌になる思いばかりです。(06月09日 03時42分)

12031812 28日午前6時台に発刊しました。303部の配信です。
 私は前日文教大学の「1日大学」へ行きまして、少々疲れてしまい(少し飲んだからかなあ)、午後9時30分にベッドへ入ってしまいました。28日の午前1時30分に目が醒めまして、このマガジンを書き出しました。ところが、次女のブルータスもずっと起きていまして、その日の授業の教材を作っていました。
 我が家は、パソコンが4台、プリンタが3台ありまして、LANになっているわけですが、それをあちこち使うのに、ブルータスは走り回っています。なんでも工作の授業だということで、立体のカードをいくつも作って(実に可愛いカードです)、それの説明の文書を作っています。たくさんの絵を入れた文書です。それで、4時までかかってやっていました。
 子どもたちが(小学校4年生だそうです)可愛くて仕方ないようです。いいなあ私も行きたいななんて思いです。(05月29日 05時50分)

1202170212021703 本当はきょう午後からでも会社へ出て仕事しようかなと思っていましたが、あまりの大雪で日和ました。もっとも予想もしていましたので、自宅に仕事も持ち帰っていました。木曜日夜に会社に泊まって仕事したので、疲れていまして、金曜日夜には「もう帰らないとな」というところで、「明日出てこよう、ただ雪降りそうだから、出てこれないかもしれないな」なんて思っていたのが、当たりました。
 でも長女のおはぎは元気に大学へ出かけました。卒業制作の最後の追い込みです。また帰ってこないかもしれません。次女のブルータスも出かけました。みんな元気ですね。
 でも、ブルータスは驚くほど早く帰ってきました。午後4時頃「ただいま」と帰ってきたのですが、「雪がすごいね」なんて言っているうちに、妻が「あれ、ブルータスがいないよ」なんて言っています。
 ブルータスはすぐに外へ出て小さな雪だるまを11個作っていました。もう私は寒くてね、デジカメで撮っただけです。(01月27日 17時56分)

 昨日「将門Webマガジン第23号」を発刊しました。251部の配信でした。
 それからついでに、先日20日夜の雪の日に次女のブルータスの作りました雪だるまをデジカメで撮ったものをここに掲載します。(01月23日 23時27分)
12021601

 Eさんの

97-02-11「ボランティアとは」

を読んだその前に、TBSの午後11時からの筑紫哲也の番組で、千葉の高校生4人がこの重油回収のボランティアに出かけたドキメンタリーをやっていました。実に30分くらいの内容でした。この高校生は柏南高校の2年生で、私の次女のブルータスと同じ学年で、しかもよく知っている男の子たちでした。ブルータスが、この番組を教えてみせてくれたものです。
11111611 なかなかけっこういいドキメンタリーだったと思います。いまの若い子たちだってなかなかやるじゃないのと思ったものです。ちょうどこのときの4人の男の子たちはこの放映のときに、一人の子の家に集まっており、ブルータスの彼氏もそこにいるというので、放映後ブルータスは長く電話で話していました。
 そして、そのあとEさんのUPを見たわけです。Eさんのは、TBSの映像ではえがいていないところを書いてくれており、いろいろと考えさせられました。だがいくら考えても、その考えた内容を私はここに書くことができません。簡単に言葉に出せないのです。

 次に12日の夜に、私はTANUKIさんご夫婦と飲みました。けっこう1月が忙しかったので、2月になったらゆっくり飲もうと言っていたのが、この日になったのです。
 そこで、この重油漂着の問題を長く話していました。やっぱり国家および自治体という行政はまったくひどいなというのが共通した思いでした。それで、やっぱり俺たちも行くべきではないのかということになり、行くのなら、みんな大勢が行く石川県三国町ではなく、福井県美浜町にしようということになりました。2月21日の午後8時にTANUKIさん運転の車で出発し、とにかく2日間は懸命に重油取りしようなどときめました。
 帰宅して、家族みんなに伝えると、もう卒業式まで何もない(といってもアルバイトはしているが)長女のおはぎが「私も行く」ということになり、これで4人で行こうということになりました。
 ところがTANUKIさんが調べると、美浜町は22日まで重油回収作業はお休みだということです。では仕方ないから、そのあとに予定を変えようと、TANUKIさんご夫婦と私とおはぎのスケジュール調整をしていました。
 ところが次のニュースが新聞・テレビで伝えられました。

 02/22 10:20 <重油漂着>ボランティア受け入れ中止−−福井・美浜町  
 福井県美浜町は21日、町外からの重油回収ボランティアを24日から受け入れないことを決めた。「ボランティアがいる間は作業を休めない」と町民から声が上がり、回収がある程度進んだのを機に方針転換した。
 同町は1月25日、ボランティア本部を開設。延べ1万1727人のボランティアを受け入れ、町民延べ約2万人とともに、海水混じりの重油約3000キロ(ドラム缶約1万5000本分)を回収した。
 回収の長期化で、町民の間から「ボランティアの手前、毎日回収に出ているが、同じペースで作業するのはしんどい」などの声が強まり、同町がボランティア本部代表者に「今後は地元住民だけで対応したい」と打診。ボランティア側も了承。今後は町民が土、日曜日だけ回収する。毎日新聞社

 うーん、これはどうしたらいいだろう、どう考えるべきなんだろうというのが、私の感じたところです。まずは俺たちはどうしたらいいんだという思いですね。そしてEさんが報告してくれた内容を再度読んでみました。「そうなんだろうな」というところが口から出てきたところです。
 でもでも、やっぱり本来は行政が仕切りをすべきじゃないのかな。行政が仕切れば、もっと私たちも参加していけるんじゃないのかな。ボランティアが前面で指揮を取り出したら、それはもうボランティアではなくなってしまうわけで、なんで、こんな頼りにならない行政ばかりなのでしょうか。
 なんにしろ、今重油回収には、いつどこへ行こうかと考えているところです。

2017051503 昨日は文教大学の父母と教職員の会の研修から比較的早く帰ってきたのですが、帰ってくるなり、先日相談にきましたある会社のことで、さまざま長い電話をすることになり、それこそ疲れ果ててしまいました。いや研修に行っている間にも、携帯でさまざまと話してはいたのですが、実に気の重い話です。

文教大学の研修会11082503は実に愉しい時間がもてました。まあたくさんの方々と知り合いになれて嬉しい限りです。きっとこのホームページも拝見してくれている方がいることでしょう。
それで、この研修会で私と一緒にお風呂に入られた方で、私の赤ふん姿を見られた方々は、ここの私のイラストをみて納得が入ったかな。もうあれが私のトレードマークになっているのです。
私の次女のブルータスが昨夜言っていました。

私は、パパはふんどしだってことを、小さいときからはずかし
  いことだから、誰にもけっして言わなかったけれど、このごろ、
  これはどうも「美味しい話じゃないか」と思い出して、ともだち
  に話だしたら、それが「受ける、受ける」。みんな面白がって、
  興味シンシンで聞いてくるんだ。

ねえ、そりゃそうですよ。私もたんなる私の下着であり、たいして意味を感じてはいなかったけれど、こうしてホームページの表紙をかざるようになると、少しはもっと露出すべきかななんて思えてきます。
そういえば、思い出したけれど、私は学生運動の東大闘争で逮捕されたわけですが、あのとき勾留された東調布署(田園調布にある)でも、その後の府中刑務所でも、私のふんどしは話題だったなあ、と思いました。「なんでゼンガクレンがふんどしなの?」とよく聞かれたものです。そして、その次に逮捕されたときの朝霞署でも、同じ留置場での、ヤクザや自民党の選挙違反の方々にも、よくこの疑問をもらったものでした。埼玉県警の方々も面白がっていたなあ。
そういえば、私の長女が小学生の低学年のときに言っていました。

きょう先生が、ふんどしの話をして、「誰かおじいちゃんがふ
  んどしの人いますか?って聞いたら、○○君が、「ウチのお祖父
  ちゃんがそうだ」といったら、みんながその子のことを笑うんだ。
  私はずっと黙っていたの。お祖父ちゃんで、あんなにみんなに笑
  われるのに、ウチはおじいちゃんじゃなくて、パパがふんどしな
  んだもの。

そんな長女がいまでは、あのイラストを描いてくれたのです。

「周の掲示板」へたくさんの書き込みをありがとうございます。RESが遅れ気味で申し訳ありません。(98/12/14 06:05:25)

「安田弁護士の不当逮捕に抗議する!」のページに12月16日の抗議集会への呼びかけの文書「安田弁護士不当逮捕抗議集会の呼びかけ」を掲載しています。ぜひ多くの方々の集会への参加を訴えます。それと、この文書をぜひとも転載いただきたいと考えます。(98/12/14 16:02:08)

続きを読む

11071811   Monday, August 12, 2002 6:01 PM
「ホームページの感想」
前略 青森は7日から雨でとても涼しく分けてあげたい位です。gooで、「水泳」を検索しておりましたら、700番目くらいに「おはぎ」さんのHPにブチ当たりました。リンクに「自分のHPができたのも父のお蔭」とありました。HPに挑戦しようかと思っている私としてははて、どんなHPかとつい、助平ごころを抱いて開いてしまいました。「TOP」と「プロフィール」だけを覗いたのですが、ニヤニヤしてしまいました。本人は兎に角、よいご家族に囲まれてこれほどの幸せはないですネ。羨ましい生き方だと思いました。
 何で「おはぎ」さんのHPを開いたのでしょう。私の潜在的感覚が働いたとしか言いようがありません。甘いものが大好きなのです。下戸です。1940年生まれ、8人兄姉妹の私は貴方とは全く対照的な生き方の男です。小心翼々と教員務めを終え、今、年金生活。まぁ、それほどの友人もなく、お客様を自宅へ呼ぶこともありません。鍛冶屋を父から受け継ぎ、絵を描き、音楽の好きな兄とは大違い。まぁ、それが私には合っているのですが、破天荒な貴方のHPにはこれからも伺いたいと思っております。(「なんで将門なんだろー」)
 最後に自分のことを。水泳を始めて一年。とても面白〜い。
          K.S.

   Tuesday, August 13, 2002 2:51 PM
「Re: ホームページの感想」
 メールをありがとうございます。
 私たち4人家族で、群馬県の温泉に行ってきましたところで、ちょうど自宅に帰りまして、パソコンを起動しましたところ、このメールを受取ました。家族旅行でとても愉しくて、嬉しい気持のところへ、また嬉しいメールをいただきました。
 長女おはぎのホームページが検索エンジンで700番くらいといいますのによく見ていただきましたね。ただ、おはぎのホームページは今どうしようなく更新ができていません。もうおはぎは東京都の小学校の教員の2年目なのですが、ただそれだけで、ホームページのほうまで手がまわらないようです。
 でも、この家族旅行のときに、私の常時持っておりますノートパソコンで、私のサイトの中の

  周の家族・教育の話

を旅館で夜に全部読みまして、また「自分のホームページもやっぱり更新していこう」と思ったようです。
 次女のブルータスのほうは、けっこうホームページの更新を続けています。
 私の家族で3人は、みな甘いもの好きですが、私のみは酒飲みです。いえ、家族だけでなく、親族の中でも、私のみ酒飲みの異端児です。なんとか娘たちにも少しくらいの酒飲みになってほしいと思いましたが、駄目ですね。ただ、ときどき娘の東京の部屋へ行って、「じゃ、飯食いにいくか」と言って、結局飲んでいますと(娘二人はほんのわずかしか飲みませんが)、私はとても幸せです。
 私のサイトは、いろいろなことをガラクタのように並べております。ただ、中身はほぼ同じようなものですね。そして、その私の生き方、考え方の象徴として、私は平将門公が好きなのです。
 またおいでください。そして何か気がつかれたことがありましたなら、メールください。またいくつかあります掲示板へも書込みください。
 メールをありがとうございました。萩原周二
(第105号 2002.08.19)

 私の家族はNHKの連続テレビ小説の「ちゅらさん」が大好きでした。ただ、このドラマは私たち家族だけではなく、誰もが好きになってしまうようです。
 そしてこの「ちゅらさん」は、その後「ちゅらさん2」が月曜日夜放映され、現在は「ちゅらさん3」が放映されています(ただし、きょうがその3の最終回ですね。ものすごく寂しいです)。11072301


最終回の最後の画面です。我が家のテレビ周辺はこんなに汚いのですが、羞しいけれど、こうして映しました。

 もう私もこの「ちゅらさん」のことをあちこちで話してきました。そして誰もが、テレビで見てくれるようになったものです。次女のブルータスも朝の連続ドラマのときに、全部をビデオに撮り、何度もくり返し見ていました。そして、大学の同級生にも見せていて、大学の卒業旅行で、みんなで小浜島へ行ったくらいです。そして、自宅で撮ったビデオではもの足らないので、DVDを購入したくらいです。
 今は、みなで真剣に、「ちゅらさん4」を、また連続ドラマでやらないものかと真剣にNHKに言いたいところが私の家族全員です。
 それから私の家族全員とも、沖縄が大好きなのです。八重山もみな好きです。なんとか家族4人で、今度こそ沖縄に行きたいのです(前に4人でブームの沖縄公演に行く予約をしていたのですが、私だけ無理になりました)。
 私は生まれたのは、茨城県ですが、1歳のときから、東京、秋田、札幌、名古屋、鹿児島、横浜と引っ越ししてきました。横浜で大学に入りました。その後もいくつものところに住みましたが、どこも好きになれないところばかりでした。

  嫌いな故郷と好きな故郷

 でも、私には、この沖縄と秋田だけは好きなところなのです。
 そういえば、我が家族は、「古波蔵家の窮状を救え!」とばかり、熱心にゴーヤマンを探して買った4人でもありましたね。11072302






一風館の住人のメルヘン作家城之内真理亜の書いた素敵な本です。

 先週のある日の朝、次女のブルータスが私に言いました。

  ブルータス「パパは、あれだけお酒を飲んでいるから、肝臓が
            壊れているんじゃないの?」

  周「いや、石先生のところへ行っているから健康そのものだよ」
  ブルータス「ちゃんと健康診断やっているの?」
  周「大昔やったよ」
  ブルータス「もしお金がないのなら、私が出してあげるから、
            健康診断でも、人間ドックでも受けて!」

 私はこんなに優しく私の身体を思ってくれるブルータスに感謝したくなります。

  周「そんな、なんでパパの身体を心配してくれるの?」
  ブルータス「だって、ちゃんとお医者さんに見てもらえば、パ
            パの余命が判るじゃない」
  周「えッ!」
  ブルータス「そうすれば、あと生きている時間がこれくらいだ
            から、それなら、優しくしてあげようかなという気に
            なるじゃないか」

11062602 もう私はなんだか、嬉しい気持がすぐしおれてしまいました。たしかに、私の肝臓は大変に苦労していますが、まだまだ大丈夫ですよ。
 だけど、これじゃなんだか優しい娘ではなく、怖い娘です。死期が判っているから、急に優しくなられても困るのです。私は次女が結婚して、長女と次女の子どもつまり私の孫と一緒に遊ぶまで元気にやっていきます。

 次女のブルータスがこのごろ、いろいろな本を読むようになりました。「むかしは本を読まない子だったのになあ」という思いで驚いています。次女のホームページの「ぶるぶる日記」の1月18日に次のようにあります。

  あとは「声に出して読みたい日本語」で有名な齋藤孝さんの本
  を買いました。「ちびまるこちゃんの音読暗誦教室」というやつ
  です。教室の学級文庫に置いておこうと思っています。
  言葉ってこんなに奥深いものなんだなあととても勉強になりま
  す。
  本を読め読めとさんざん父に言われてきたけど、本当に読まな
  いとまずいなあと最近になって気付いてきました。

11060905 私は斎藤孝さんというのは、私よりかなり若くて、しかもこうしたものは安易なノウハウ本に思えて、評価できない感じだったのですが、彼の本を1冊読んで、その思いは消えたものでした。私は、「こんなところで紹介されている本は、みな読んでいるし、ほとんど暗誦できるよ」という生意気な思いだったのですが、どれも改めて読んでみると実にいいのです。
 昨日もこの「ちびまるこちゃんの音読暗誦教室」を開きました。
 太宰治「走れメロス」が紹介されています。

 「いや、まだ太陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、
  赤く大きい夕陽ばかり見つめていた。走るよりほかはない。
 「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命
  が大事です。あの方は、あなたを信じておりました。刑場に引き
  出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっ
  ても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけてい
  る様子でございました。」「それだから、走るのだ。信じられて
  いるから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。
  人の命も問題ではないのだ。私は、なんだかもっと大きなものの
  ために走っているのだ。ついてこい、フィロストラトス。」

 私は、最初の「まだ太陽は沈まぬ」という言葉で、涙を流してしまいました。どうしてもメロスの思いに涙が出てしまうのです。
 斎藤さんが、

 「走れメロス」は中学校の教科書に載っているが、実は小学校時
  代に読んだ方が感動が大きい。友情という人生の重大テーマにつ
  いて、強く訴えてくるからだ。

と書かれていますが、まったくその通りだと思います。私が中学生のときに読んだときには、もうこの話を皮肉にしか読めませんでした。太宰治は、「こんな友情物語なんて、あり得ないんだよ」という皮肉で書いているんだとばかり思っていたものです。そんな私が、この物語に引き付けられるようになったのは、30歳を過ぎてからでした。今では読むたびに、涙が浮かんできます。きっと小学生のときに知っていたら、もっと良かったなあという思いを抱きます。
 そんなことを教えてくれる、この斎藤さんの本を、ブルータスが自分のクラスに置いてくれるというのは、実に嬉しいことです。そして、できたら、この「走れメロス」を、クラスの子どもたちの前で読んであげてほしいなと思っています。

11060812 次女のブルータスは23日朝から彼氏と沖縄へ旅行して、26日に帰ってきました。私はいくつかのクライアント等々の忘年会で、どうやら27日朝雪の中帰宅しました(でも私は実に雪が好きですから、雪が降っていて、心がうきうきしていました)。それで、当然怒られました。
 こういうことなんで、27日も28日も私はずっとおとなしくしていました。でも28日夜は、ブルータスは大学時代の友人たちとの忘年会です。それで、私はブルータスの年賀状3種類をちゃんとすべて印刷しました。パパは偉いよな。よくやったよ。
「もう少しほめてほしいな」なんて、少し思っていました。今もそう思っています。
 ときに、長女おはぎは一体いつになったら帰ってくるのだ。

11051004 昨日6日に、帰ってきていた長女が「おばあちゃんのところへ行くよ。パパも行こう」といいます。それで二人で兄の家へ行きました。久しぶりの母は割と元気でした。兄嫁と姪の次男のれいちゃんもいました。れいちゃんはまだ4歳で可愛いんです。一緒に遊びます。そして母や兄嫁と、姪のみーねえや、うちの子どもたちの小さいときの話をします。
 みんな、私の父である我孫子おじいちゃんには、とても懐いていたのですが、それぞれの母方のおじいちゃんには、最初の最初はなかなか懐かなくて、泣いたりしていました。それはそれは、それぞれのおじいちゃんには辛かったことだろうと私は思うのです。ただ、うちの次女のブルータスはもうほんの小さいときから、王子のおじいちゃんにも懐いていました。それはブルータスは調子いい孫ですから、なんか必ずいいものを買ってくれるおじいちゃんをだまくらかすのが愉しかったのでしょう。
 私は、「パパも、あんなにみーねえやくにこのように、嫌われたり泣かれるおじいちゃんにはなりたくないな、きっと泣きたくなるし哀しくなるよ」と言っていました。
 あとで、長女のおはぎは、「パパは、まだ私たちが結婚もしていないのに、もう孫がどうなるかばかり考えているんだよ」と、私の妻と次女に呆れて言っていました。
 でもなあ、心配なんだよな。「もし孫に嫌われたらどうしよう」なんて、今から心配している私です

11042422 次女のブルータスは4月1日から千葉県の先生になりまして出勤していました。前日までは文京区の学校に行っていましたが、もう1日からは忙しくまた働いていました。5日は休日なのに出勤していました。そして本日が、はじめて子どもたちと会います。姉のおはぎに、「どういう挨拶したらいいの」かなんて聞いていました。
 それにきょうみなに渡すクラス通信を先週夜中までかかって作っていました。クラス担当になったら、クラス通信を出そうと決めていたというのです。なかなか愉しい雰囲気のクラス通信になりそうです。
 それから、ブルータスは文京区の学校では自閉症の子をずっと見ていたわけですが、今はブルータスの大学時代からの親友がその子の担当になりました。ブルータスはその子のことが心配で、その親友を説得していたのです。もちろん人事は教育委員会の権限ですから、うまく担当になれるとは限らないわけですが、ブルータスは懸命に校長、教頭先生に頼み込んだようです。これでその子のこともまたどうしているかを頻繁に知ることができるわけです。それにさらにもう一人の親友が、ブルータスの紹介で同じ小学校の介助員になりました。私も妻も姉もみなひと安心です。
 私はまた、この小学校にも、運動会や何かのときに引き続き行ってみたいなと思っています。

11042404 次女のブルータスは4月から小学3年生の担任になるそうです。けっこう大きな学校のようです。それで職員の名簿で判ったのですが、ブルータスが小学校の1年生と4年生で担当だった先生が同じ学校の先生でいるそうです。驚いてしまいました。相手の先生も驚かれることでしょうね。
 思い出せば、私が小学1年というと札幌の幌西小学校で、4年は名古屋の内山小学校でした。担任の先生の顔は今も思い出せますが、再会できることなんか考えようがないことでした。それが娘たちの場合はあるんですね。娘二人は今も中学校のときのクラス会をやっていますが、私なんかは全くありません。やはり親が引っ越しばかりしているのと、私のように転職はしても同じ地域に住んでいるのでは、子どもにはたいへんに違う事態になるようです。

11032806 次女のブルータスは今千葉県教員試験の2次の結果待ちなのですが、彼女の友人たちの教員採用試験の2次の結果がいくつか聞こえてきました。せっかく2次試験まで行ったのに、駄目だった人もいます。そうしたことがだんだん判ってくると、なんだか親としても心配になってきます。今は私も祈るような気持というとところでしょうか。千葉県の正式な教員になったら、次女の彼も千葉県なので、結婚するのが早くなるでしょうから、それなら今のまま東京都の先生でいてくれたほうがいいかなという思い(結婚するのはいいのですが、もっ先でいいし、そして結婚しても私のそばに住んでほしい)もありますが、せっかく受けたのだから、やっぱり受かってほしいものです。

11032503 次女のブルータスが昨日と本日、千葉県教員の2次試験です。昨日は、マット運動と集団討議、面接で、本日が水泳の実技です。
 次女は昨日夜遅く帰宅しまして(大学時代アルバイトしていた店で、なんかのイベントがあったようで、それに参加していました)、妻に試験の報告をしていました。私は半分眠りながら、話を聞いていました。
 やはり普通は大変だろうなと想像するのが「集団討議」です。その日初めて知った人たちと、提示されたテーマで司会を決め討論するわけなのです。いわば急にやるわけですから、「大変だろうな」と思ってしまいます。でも、事実は不思儀なほど上手くできたといいます。それは、いわばみな教員になりたいという競争相手なわけですが、相手をけ落としてやろうという気持ではなく、「このグループ全員が揃って教員になろう」ということのみを一致して決めて討議に臨んだようです。これはいいことを聞いたなという思いで私は聞いていました。

   8月28日に私の携帯に次女のブルータスが電話をしてきました。千葉の教員採用試験の1次試験に合格したといいます。次女は、自分の彼氏と同じ千葉県の教員になりたいのです。試験はあまりできなかったと言っていましたので、無理かなと思っていたのですが、まずは良かった。筆記試験はできなかったのですが、論文や模擬授業や面接は自信があったようです。そこで思い出しました。次女が大学受験のときの高校三年のときです。本も新聞も雑誌もほとんど読まないし、まして論文なんか書けるわけがありません。でも大学受験というと、論文でほぼ決ってしまうというくらい大事です。そこで、論文の特訓になりました。
11032108 毎日毎日論文を書かせました。新聞に載っている時事的なことや、いくつもの新書を読んでの論文です。高校の国語の先生にもお世話になりました。それからさまざまな予備校で論文を担当している先生方の参考書もおおいに参考にしました(ただし、読んでも「こりゃだめだ」という先生もいますよ)。でもおそらく一番は、私がしつこくみたことでしょう。
 それが最初こそ、まったく書けなかったものが、みるみるうちに文章が上達していきました。やはり毎日しつこくやり続けたことがよかったのかと思いました。もうそれからは、ブルータスは大学に入っても、論文を書くようなレポートこそ一番の得意になったようです。
 あの当時、毎日論文をみて、あれやこれやいろいろと私と二人でお喋りしていたことが少しは役だったのかなと思いまして、少しは嬉しいものなのです。

11022401   16日に次女のブルータスの文教大学の卒業式に妻と一緒に行ってきました。たくさんのはかま姿の女の子たちを見ました。次女の同級生の女の子たちから「お父さん、可愛い!」とか散々言われ(実はあちこちで活躍したのだ)、娘からは、

 なんでもう酔っ払っているの(私は二日酔い)?
 みんなの前で詠っちゃ駄目だよ! 吟ったら、親子の縁を切るよ!
 こら、手酌で飲むな!

と言われ続けました。愉しい卒業式でした。
 でも娘が卒業しても、私は父母会の役員として、まだ残ります。それと長女の小学校でも父母会を作りたいな。

11020611 もうとにかく暑いです。暑がりの私は「暑い、暑い」と連発して、家族から顰蹙をかっています。
 昨日の日曜日は珍しく家族4人が揃いました。やはり家族で話していると愉しいです。土曜日に次女のブルータスが教育実習をやった小学校へいきまして、「夏祭り」に参加してきました。そして写真やお手紙をもらってきました。もうそれを見たり読んでいると、なんだか涙が溢れそうです。みんないい子どもたちです。最後のお別れ会のときに、一番の乱暴者で、悪ガキの男の子が声をあげて泣いたそうです。男の子で声をあげて泣いたのは彼だけだったようです。
 いいなあ、あんな子どもたちと一緒にある時間と空間と共有できる先生という仕事はいいなあ。

11020604 次女のブルータスは先週土曜日で、教育実習が終わりました。もう子どもたちには会えないわけで、少し寂しそうです。子どもたちからのお別れの文集があって、写真があって、花篭があって、それはそれは、みんないい子たちですね。まさしく珠玉のような子どもたちです。
 こんな子どもたちを大事にしたいな。魯迅の言葉を思い出します。「子どもを救え」(「狂人日記」)。

  吉本ばななは、「よしもとばなな」になったのですね。知らなかった。以下のようなことらしいです。

  2003年に長男をもうけるが、その子の名前を姓名判断で考えて
 いたら、自分の名前こそ良くない事がわかり、今のペンネームで
 ある「よしもとばなな」に改名した。

11012608 なんかいつも驚いちゃうな。彼女は「右の太ももにバナナ、左肩にオバケのQ太郎のタトゥーを入れている」ということです。なんか私は驚くばかりです。
 でも私は彼女の作品は、ほとんど読んでいます。そして大ファンです。昔、私に「それって、お父さんの吉本隆明でじゃないの?」と言った人がいます。私は「そうだよ、なんかおかしいかい。私は隆明さんの娘さんだから、彼女の作品も大好きなのだ。なんか間違えているかい?」
 でも今では、もうただただ、よしもとばななの作品が好きな私になっています。

 私の次女のブルータスは小さいときから漫画しか読みませんでした。どうも本を読むのが苦手なようなのです。それでも、高校3年生の半ばを過ぎてから、大学入試のために少しは文学とか評論作品を読まねばならなくなりました。
 それでも評論はよく読めないし、その価値が判らないなどと言っていました。
さて、そんなことをしていても入試は迫ります。さすがにあせって来る気持があるようでした。あるとき、一体何を読み始めればいいのと聞いてきました。

 周「そうだな、たとえば漱石、そうだ『こころ』くらいは読んだ
    だろう。あれは感動したろう

 ブルータス「全然感動なんかしないよ。あれはさ、3つの部分に
    別れているじゃない、最初と2番目のところなんかいらないん
    じゃない。最後のところだけにすればいいのに

 周(これじゃ困ったと思って)「そうじゃないんだよ、……、そ
    うか漱石じゃないとしたら太宰治はどうだ?

   ブルータス「読んだことないよ!
  周「困ったな、……、そうだ、吉本ばなななら読めるんじゃない
    か。え、まだ何も読んだことがないの。……、そうそう、これ
    なら短編だからすぐ読めるよ

と薦めたのが、「キッチン」の最後に載っている「ムーンライトシャドウ」です。これは私がけっこう誰にも薦めているのですが、それまでばななを避けていた人も確実にみんなこれでばななのファンになってしまってくれたといいきれる作品です。
 これなら、せいぜい30分もあれば読めるよ、と言って手渡ししました。ブルータスは珍しく素直に自分の部屋にこもって読み始めたようです。20分くらいたった頃、ブルータスの部屋へ行きました。

 周「どうだった? 涙出たろう?

というと、少し悲しい顔をして、

 ブルータス「うん、涙が出たよ。いい作品だね

ということで、もう「キッチン」を読んでいました。やっと、感動する本の存在に気がついたようです。
 ブルータスはすぐに、「キッチン」「満月」と読んでしまい、姉のおはぎから「マリカの永い夜」も薦められ、それも読んで、たちどころに「白河夜船」まで読み終わってしまいました。
 あれほど本嫌いだったブルータスも、どうやらやっと本を読むことの魅力が判ったようです。そして、やっぱり私はばななに感謝したいなと思います。

 私もよしもとばななは大好きな作家であり、かつその作品も好きなのですが、まずこの作品を見てみたいと思います。

 太宰治の「走れメロス」を最初読んだとき、思えば中学2年生だったのですが、私にはあの話自体を信用できなかった。まあシラーの詩を太宰なりに翻訳したもので、太宰は「こんなことは、本来ありえないのだ」ということで書いたのだと思いこんでいました。それが、だんだんこの年をとるごとに読見返してみると、自然に涙がでてくるようになるのですね。
 さくらももこの映画特別描き下ろし「ちびまるこちゃん」は大野くんと杉山くんの友情物語です。これも最初なんで女のひとは男の子の友情なんて想像誤解するのだろうと思いました。しかし何度も読むうちに、二人の友情と二人を囲む友達たちの姿に私も涙が出てくるのです。
 まだこんな物語があるんだ。俺だって純粋なんだと思うのですね。
 まだこんな小説が存在します。それがよしもとばなな「ムーンライト・シャドウ」です。

書 名 ムーンライト・シャドウ
著 者 吉本ばなな
発行所 福武書店
    (「キッチン」の中に入っている短い小説です)

 最初に主人公の恋人が鈴をもっているという記述があります。この鈴が最後に大事な役割をします。
 この恋人が急に交通事故で死にます。この死んだ恋人に、ある川のところで再会します。その時に鈴の音が聴こえてきます。それが読んでいると、その鈴の音が私たちの耳に聴こえてくるのですね。
 ちょっと読むとばかばかしい話なんですよ。「こんなことあるわけないじゃないか」と。でも違うんですね。やはり鈴の音は聴こえるし、こんなことやはりあるのですよ。

  たとえば、遠くひびいている汽笛の音をききながら、わたした
 ちはしばしばそれを対象である汽船からの音をきいているのでは
 なく、ただ音の響きをきいているという意識の瞬間を体験するこ
 とがある。そのときわたしたちは聴覚において時間を知覚してい
 るのだ。            (吉本隆明「心的現象論」)

 吉本ばななは自分では父親の著作思想の影響はないといいますが、自然に分かってしまっているのですね。
 こんな体験というのは、私たちには大なり小なり誰も出会っているように思います。おそらく私たちの祖先は太古の山や森の中で、こうした体験を神話や物語にしてきました。また私たちが小さなときにも、こうした不思儀な体験をしてきているかと思います。ただ、次第に大人になるに従って、こうした音が聞こえなくなり、かつ忘れ去ってしまうのです。
 そんな大人になってしまった私でも、この小説を読むと、鈴の音が聞こえてくるし、自然に涙が頬を伝わります。

 まだこんな小説があります。こんな小説を書ける作家がいます。文学ってすばらしいものなのですね。

 以上は、私が過去2度に渡って書いたものを合体しました。今後もばななのいくつもの作品について書いていくつもりでいます。(2011.01.27)

11012502 また雪が降りました。次女のブルータスがまた小さな雪だるまを作りました。
前にその写真をUPしてあります。目は小さな石で、口は紅い毛糸です。でも今ではもうすっかり融けて、たった今私が石や毛糸を回収してきました。

 それからついでに、先日20日夜の雪の日に次女のブルータスの作りました雪だるまをデジカメで撮ったものが以下です。11012501

10123009 私の次女のブルータスは、9日午前中に退院できることになりました。1か月くらいの入院になると言われていたのですが、結局は16日間ですみました。若いだけに回復力がかなりあるようです。ただ退院しても、安静にしていなければならず、しばらく大学へも行っては駄目だと言われています。
 ところで、風邪から急性肝炎になったようなことを前には書きましたが、慈恵医大で6日に診断されたところですと、最初から風邪などではなく、A型肝炎だったようです。それを私たちもいくつかの医院も、風邪だとばかり思い込んでいたのです。かなり危険なことでした。それで何か「生もの」が口から入ったということなのですが、本人は刺身等々は絶対口にしませんから(好き嫌いが激しいのです)、今もって原因が解明できません。
 それにしても、本人は入院生活は退屈だったようで、困ったものです。たくさん本を差し入れたのですが、ほんの数冊しか読んでいないようです。せっかくひたすら読書できるいいいチャンスなのになあ、と私は納得いきません。
 でも、私一人で、面会に行くと、いろいろなことを二人で話しました。妻やおはぎと行くと、私なんか相手にされないので、なるべく私一人で、時間を見計らって行くようにしました。4日の3時半頃、私が行くと、しばらく愉しく話していたのですが、何故か妻がやってきて、さらに近所の友だち姉妹がやってきて、私は独りになってしまい、ブルータスのベットで横になるうちに、いびきをかいて眠ってしまいました。
 慈恵に入って2日目のときに、私とブルータスで随分長く話しました。こうして狭いベッドに寝ているのは退屈だというので、私は私の経験した府中刑務所での独房生活のことを話してあげました。

   そりゃね、面白いんだよ。飯は朝は麦しゃりとみそしる、昼は麦しゃ
  りと豪華なおかず、夕方は大きなコッペぱんが入ってくる。はじめての
  食事が夕方で、このコッペぱんが房に入ってきた時には、パパは何でこ
  んないい目に会えるのだと大感激したものだよ……………。

「パパは入院したことある?」という問いに、

  いや、ないよ。……いや、まてよ。あるある、大学でハンガースト
  ライキ、要するに飯を一切食わないで大学とやりあっていたら、確か
  7日目に倒れて、救急車で病院に運ばれて、何日か入院した。もうで
  もあれはやるものじゃないね。もっとも、そのあと刑務所でも2回やっ
  てしまったけれど。

 ブルータスはたいへんに面白がり、かつ呆れていました。まあ、もっともっといろいろ話しましたけれどね。刑務所では、食事の時間がどうだとか、消灯は何時だとか(みな病院との比較)、運動の時間のこととか、もうそれこそ、愉しく面白くお話しました。

 ブルータス パパ!、パパはもうママをもっと大切にしなよ!
 私     うん、あの人はさ、結局幸せ薄い人なんだよね。

なんてことで、またまた怒られていました。
 なんだか、ブルータスと二人で話したお話の内容を記録しておきたい気になります。

10122908 私の次女のブルータスは姉のおはぎと一緒の文教大学に入学しました。彼女が行きたかった大学ですから、合格したときには、家族親族姻族そして友人たち私のクライアント等々、みんな喜んでくれました。この次女の大学入試については、いろいろなことを思いました。「論文」に関する指導をけっこうしましたから、それで思うことがたくさんあります。またそれは時間を見て書いていきます。

 それで、ブルータスは新しい大学生活で緊張して疲れたのか、風邪をひいてしまいました。もともと丈夫な子なので(と親まで思い込んでいた)、「風邪くらい」と彼女は動きまわっていました。これがいけませんでした。23日(木)に我孫子のある病院に行ったら(20日からいくつかの病院には行っていたのですが)、突如入院ということになり、柏駅前の岡田病院に入りました。私は妻からの電話で、それこそ驚きましたが、簡単に直るのだろう(どうせたかが風邪だし)と思い、私はその日は神田会の例会もあって、平気でいました。
 だが次の24日(金)に、事態は急変しました。24日朝の検査があって、その結果が午後3時過ぎに判るということで、妻と二人待っていましたら、突如「慈恵医大に転院する」ということになりました。なんだか、風邪どころではなく、慈恵ではないと処置できないというのです。
 それから救急車で慈恵まで転院です。ちょうど、妻の会社の福島さんという、いつも私の娘たちを可愛がってくれている女性が、来てくれたのですが、彼女が来て見たのは、救急車に載せられるブルータスでした。彼女はそれこそ死ぬほど驚いたようです。そして私も妻も説明している暇はなく、かつ説明できる内容が判らないのです。
 そして慈恵医大で、それこそ待って待って、「どうやら危機は脱しました」という先生の報告がありました。私は仕事の連絡(突如の訪問のキャンセルやその他いろいろ)を電話しながら、いらいらしながら待っていました。
 急性肝炎なのです。そして絶対安静ということで、1カ月の入院となってしまいました。私は25日(土)は出社して、そしてまた突如の急用があり、面会にはいけませんでしたが、妻とおはぎがいうことでは、どうやら本人は少し元気になったようです。ただどうして肝炎になったかは判りません。ただ「たかが風邪」なんて思ってはいけないのだということでしょう。
 しかし、今回のことでいろいろなことを思いました。娘たちのことをよく見てくれる病院を確実に確保しておくこと。そしてそれは、こうした病院だけではなく、また鍼灸等々の先生にのも見ておいてもらおうと思っています。とにかく私が電話で話して、それで内容が判るような関係の先生方を持たないと、不安です。

 でもでも、ブルータスの寝顔を見ながら、いろいろなことを思いました。小さいときのブルータスをいつも思い出していました。そしていつもブルータスは私のことをこそ、心配していたことなどです。ブルータスは私が飲んでばかりいるので、とくにこの花見の季節などには、

  パパは、手に桜の枝を握って「綺麗だな」と一言いって、どっかで
  死んでるんじゃないか

といつも心配なようです。
 まあ、まあ、酒は止められないだろうけれど、昨日はお酒のお誘いを断って帰ってきました。

d1890cd5.jpg

 昨日は、長女の家へ行きまして、二人の孫と会いました。ポコ汰は、私のそばに寄ってきて、私のデジカメやホメラをいじりまくります。

2009/04/16 08:15ちょうどNHKの朝のドラマが開始されました。「おかあさん・・・」と声をかける声が私にも聞こえてきます。ポコ汰の声も顔も思い浮かべます。ポコ汰とポニョに会いたいな。ちょうど義母の朝食の時間です。
 あと私は次女のブルータスと離れていることが少しものすごく心配で気になります。
2009/04/16 08:32「仏像ガール」という女性がいることに感動しました。阿修羅像を見に行こうかなあと昨日考えていました。どう実現しようかなあ。
2009/04/16 17:38長女の家にいます。ポコ汰とポニョと遊んでいます。
2009/04/16 18:24今上中里から電車に乗りました。でもポコ汰も、このポメラには、ものすごく関心を持ってくれますね。驚くほど、そしてものすごく嬉しいことです。
 あとひと駅です。それから谷中の街を歩きます。いいですね。
2009/04/16 18:50「浅野」に入りました。まだ女将さんは、ここに出られていません。けっこうお店にも何人ものお客さんがいて大変ですね。少し前に外人の方が3人帰られました。

 あ、やっぱり阿修羅像を見に行きたいな。でも日時を選ぶのが大変です。

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