将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:正泉寺

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今ちょうど松戸駅でこのIS01の電池の替える時でした。今日はいい天気です。今は新松戸でした。思い出せば、マッチャンに連れられて、みーねえとおはぎとブルータスと新松戸スケートリンクにきたのですね。懐かしいな。もう南柏だ。
柏に着きます。
さあ、つぎが我孫子でその次が天王台です。
そこからタクシーで、正泉寺です。

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 今朝は起きるのが6時を過ぎてしまいました。

2014/08/15 05:38また今はリビングへ来ました。
 今日は終戦記念日だなあ。前には私は「敗戦記念日」と言っていて、「終戦記念日」とは言えなかったのでしたが、今はやっと終戦記念日と言えるようになりました。もう「終戦」です。
2014/08/15 06:01今はフジテレビを見ているのですが、今語る解説者に林修さんがなっています。そうなのだなあ。彼は私は好きですね。いつも彼の解説を聴いていてとてもいい感じを持っています。
2014/08/15 06:42もうして書いています。
 そうだ、今ローマ教皇が韓国を訪問しているのだ。そうなのだなあ。
2014/08/15 07:40さあ、こうして書いていきましょう。14081226
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2014/08/15 07:53また「花子とアン」になります。こうして毎日このドラマが見られるといいなあ。
2014/08/15 10:53今日は義姉のところへ電話しましょう。今日は午前中に正泉寺の住職が来てくれるということです。兄の法要なのです。
2014/08/15 12:25義姉に電話したのですが、正泉寺の住職は午前8時30分に来たそうです。それで今度は26日(火)10時30分に正泉寺に行くということですが、私はこの日の15時に義姉の家へ行くつもりです。そこで兄の位牌に手を合わせます。

2014/08/16 06:27今日は目覚めるのが遅くなりました。
2014/08/16 06:45今はリビングに来て日経新聞を読みました。もちろん最初はチラシを読みます。
 今テレビを見て感心しています。インドの昼食弁当配達サービスです。すごいなあ。ダッパーワールドという自宅のお弁当を職場のご主人に届けるサービスです。
 インドって、何かを変えていけるかもしれないなあ。インド式英語っていいのかもしれないなあ。あの不寛容なイスラム教やキリスト教をいわば入れたけど、はやらせてはいないのだから。14081228
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 もう7時を過ぎます。
2014/08/16 07:23こうして今もこれでやっているのはいいのですね。


 こうしてインドがもてはやされるのはいいなあ。

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 昨日私が行ったときも、少し具合は充分とは言えない思いでした。
 それで今朝電話がありまして、すぐにばあばが行きました。私は昼に明治堂のパンを持って行きます。午後はママおはぎが帰ってくるということです。13121109

 このために15日の兄莞爾の49日には、おはぎは正泉寺にもそのあとのみんなの食事会にも参加できません。少々残念です。少し前に、私が義姉にケータイメールをして、家の電話にも留守録を残しました。
 でもさきほどばあばが電話くれたのですが(ある飴を持って来てほしいという連絡)、その電話のそばにはどうしてか元気に思えるポポの声がしました。
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 画像は昨日のおはぎの家の窓なのです。上二つはおはぎが作ったものですが、下二つはポポとポニョが貼ったものです。
 でもね、こうして写真を撮っておいて良かったのです。このあとすぐに、もうめちゃくちゃに二人で張り替えているのです。もう元には戻りません。
 ただ、ポコ汰はさすがお兄ちゃんです。こうしたことは一切やりません。

13072112 前日はブルータス家族に会いに行きまして、この日は母の七回忌でした。

2013/07/21 18:37今「サザエさん」を見ています。今日は朝から(8時30分)マンション前で待っていまして、おはぎ家族5人と母の七回忌に車で行きました。もう母が亡くなって、丸六年になるのですね。その前に柳田小学校へ選挙へ行きました。
 そして、9時50分頃正泉寺へ着き、10時から法要が始まりました。約1時間くらいでお墓の前でお参りをして、11時50分からみす〃亭で13072114始まり、「献杯」の私の兄の発声で食事が始まりました。
 これに参加したのは、兄夫婦、兄の娘美織(夫は仕事でした)、長男ユウヤ次男レイ。私夫婦、私の長女おはぎ、彼ミツ君、おはぎミツ君の長男ポコ汰、長女ポニョ、次男ポポ、私の次女ブルータスとその彼ナオキ君、その長女じゅに、私の弟夫妻、その長女シホちゃん、その彼、この二人の長男ヒイラギ君、弟に次女カナちゃん、その彼、そしてその長女です。全部で23名です。
2013/07/21 20:38そしてみすヾ亭(ここのサイドバーにバナーがあります)で行われた献杯の宴に13072113は、私の次女家族を除いた20名が参加しました。
 私の三人目のポポは始めての参加でしたから、ものすごく嬉しかったようです。

 この宴には実に楽しいことでした。ポポもものすごく嬉しかったのじゃないかなあ。

 昨日正泉寺の私の父母のお墓に行きましたあと、私の兄家族5人と食事して、それから兄に家まで歩いて行きました。兄は先に家に帰り、姪のみーねえとその息子レイちゃんは先に自転車で帰ります。長男のユウヤ君はこれから友人たちとカラオケをやるというので、そこへ行きました。
 私と妻とおはぎ、ポニョ、ポポと義姉は兄の家へ向かって歩いていきます。
12081321 その途中で、この写真の森を見たら、「あ、トトロがいるかなあ?」と、ポニョが言いまして、私の妻ばあばと手をつないで、森の中に入っていきました。ポポはカートに載せられて眠っていました。
 でもそのあと、また、ここの二番目の森を見たときに、ポニョはまた「あ、あれ12081325こそトトロの森じゃないかな?」と言いました。
 そんな思いで、ここらへんを見たことのない私はとても反省していたものです。
 もう夢も何もいだけない、私なのです。
 私ははるかに、前を思い出していました。

  「トトロがいるかな?」
  トトロを探したポコ汰とポニョ

 もっと夢をいっぱい出せる私でいたいものです。

12081303 今日の8月13日は、私の父母の墓参りに、我孫子市湖北の正泉寺へ行きます。それで、私と妻と長女家族5人、計7人でいくつもりでしたが(現地で兄家族5人と会います)、昨日私のポコ汰が具合が悪くなり、行けなくなりました(だからパパと留守番です)。 だから私じいじはものすごく残念です。

  今日暮里で常磐線に乗りました。これで常磐線まで行きます。そこで義姉と会いまして、正泉寺へ行きます。
8c0e0162.jpg  私の父と母の墓参りなのです。 この前に、娘のおはぎの家へ行きました。ポコ汰、ポニョ、ポポと会えました。みんなで上中里まで一緒に歩きまして、ポポが転んだのですが、じいじは泣きません。でも上中里駅で、別れてしまうので、ポニョが泣くとじいじも涙になってしまいます。 こんな悲しいのだなあ。

90eb16e6.jpg   父母にはたくさんのことを話してきます。私の孫の三匹のこと、ずっとお見舞いに行って、つい先日日曜日にもあった孫じゅにのこと。いっぱい話すのです。
  そして、義姉とお喋りして、やがて家に行きます。もう完成した家を見るのです。そういえば、兄にも会います。
  もちろん、私の姪のみーねえにも会うのです。 みーねえの彼にも二人の息子にも会うのです。

11053002  私の父と母にブルータスの娘じゅにのことをお願いに行きます。

2011/05/30 06:31今日は私の誕生日です。満63歳です。
2011/05/30 07:08それで今日は我孫子の湖北正泉寺へ行きまして、私の父と母にじゅにのことをお願いしてきます。父と母は私たちの願いを聞いてくれるはずです。正泉寺は少し遠いのですが、大事なことです。

 きっとこの願いは叶えられます。

10080103  私のここのサイドバーにあるツイッターで、私の友人のyossitakaさんに以下を書きました。

あ、そうなんだ。あのお寺は私の父が菩提寺と定めたのです。曹洞宗のお寺で、代表は戦争で長男次男が戦死したので、自分が継ぐことになったと前に言っていました。私は11時20頃入りまして、お参りして正午にはもう飲んでいました。暑い日でしたが、いいお墓参りでした

 これは140字という制限がありますので、「、」や「。」も大変なのです。いつもあとで、文字やこうしたものを削除して140字に合わせています。もちろん、私のこのブログにUPする題名をそのままUPするときには、ほぼ字数の問題はありません。
 この正泉寺は実にいいお寺です。住職は、先の大戦のために、突如お寺を継ぐことになり、鶴見の総持寺に修行をされた苦労を語ってくれたことがあります。
 私も大昔は、禅宗といえば、道元の曹洞宗がちゃんと哲学を語っているのだろうと思い込んでいたものでした。「道元『正法眼蔵』」は、岩波書店の「日本思想大系」で最初1970年に刊行されたと思いました。
 でも読んでもよくわからなかったな。でもこの本はあちこちの私の友人たちの本棚でもいつも見かけたものでした。
 でもそののちは、臨済宗の栄西の方に私は興味が移って行ったものです。鎌倉や京都の禅宗のお寺を歩いても、そちらへの興味のほうが大きくなったのです。
 でもあと禅宗といえば、黄檗宗にも興味をもったものです。でもどれももう私には無縁になりつつあります。そもそも私には宗教なんて、難しすぎるのです。
 私は今はけっこう『文語訳舊新約聖書』はよく開いて読んでいます。でもいつも読んでいた『マタイ傅』ではなく、今は『マルコ傅』をよく読むようになりました。
 でもでも、自分の死を考えると、マルコ傅をよく読んでも私にはわからないなあ。私の父母がこの正泉寺なのですが、私の義父は神戸の教会です。だから私はよく『聖書』もよく読むようにしているのですが、やっぱりこれまた私には向いていないかなあ。あまりに私は不勉強ですからね。
 やはり、親鸞の教えには、分かりたいと思うところが一致することも多いです。
 私はやはり吉本(吉本隆明)さんの考えにそのまま従ってしまう自分で行きます。いきそうです。親鸞の教えと、吉本隆明さんの考えに何故か似たところを感じている私です。

22be3929.jpg 靴下をありがとうございました。そのお礼のお菓子を入れました。
 昨日は、私の母の3回忌でした。母にはひ孫たちが増えて嬉しかったと思います。でも今度集まるのは7回忌のときですね。もうポコ汰はまたいとこと会えて自動車をたくさんお土産にもらえて嬉しそうでした。それに、綺麗なブルータスおばちゃんにも会えました。あ、来年のお正月にみんなで会えるんだ。
 写真はその3回忌のあった我孫子市湖北の正泉寺です。

d24b50e9.jpg 新年おめでとうございます。今年も義母をよろしくお願い致します。
 本日は長女4人家族と私で、私の父母の墓参りに我孫子湖北の正泉寺に行ってきます。小さい孫二人も一緒に参ります。ポコ汰は1月3日に2歳になったばかりです。
 写真は1月3日に行きました神田明神です。ここで私はいつも将門様にさまざまな報告と決意表明をしています。(01/05)

07082002 私の母が8月14日に亡くなりまして、その通夜を20日、告別式を21日に行いました。そのときのことを書いておきます。私の母、萩原たか子の通夜・告別式 に書きましたように、我孫子駅北口のアビコセレモアホールにて行いました。
 私は20日は、午後4時にここに到着しました。
 それで、すぐにお線香をあげまして、当日私は泊まるものですから、その部屋に入って、喪服に着替えます。そして、この部屋にてパソコンでインターネットが繋がるのか、見てみましたら、何故か繋がるのです。どこかのインターネット接続に入れたのかもしれません。ワンセグもすぐ繋がります。
 それで以下のUPをしようと書いていました。

この葬儀場はつながりますよ
 今、母のお通夜で、親族控室にいます。ここでパソコンを開いたら、つながるのですね。感激します。母は今も眠った顔をしています。思えば、私が来て、予想通りもうビール飲んじゃったから、「あいつは、やっぱり同じだなあ」と嘆いているでしょう。
 でも、私はいつも変わらないというか、進歩がないのですね。

 ところが、しばらくたったらつながらなくなりました。なんでなのかなあ。

 それで、でも4時40分頃になったら、何故か繋がらなくなりました。なんでなのかなあ。だから上は、書きましたが、今始めてUPする文です。

 でもまだ誰もきません。それでまた部屋に入っていて、パソコンをいじって、ワンセグで映したりしていて、5時すぎる頃、会場のほうで声がするので、出てみると、私の親族が何人も来ています。あとで聞くと、私の妻は、私のことを「もうとっくに来ているはずなんだっけど、ここにいないというのは、どっかへ行ってしまったのか」と言っていたようです。それで、私はそのほか来てくれていた親族とお話をします。兄夫婦も弟夫婦も来ます。
07082003 さて午後6時10分前に親族の席に座って、通夜が開始されます。我が家の菩提寺の曹洞宗正泉寺の住職がお経をとなえてくれています。私は法事の関係で、何度もこの正泉寺は訪れて、何度かこの和尚の話は聞いています。実に面白い住職さんです。

 通夜は2時間、その間お清めの席がありますが、そこへ言って話をしている時間がありません。でも、午後7時半頃から、親族もお清めの席になります。私も遠くから来てきれた親族とお話します。
 私の従兄(私の伯母の長男)のIさんが、娘が二人なのですが、長女が北イタリアにお嫁に行きました。ところが今度は、「次女がオーストリアにお嫁に行った」といいます。それで、「でも、もう電話代がかかってしょうがない」というので、私はスカイプの端末をとりだして、「スカイプだと、イタリアでもオーストリアにしても三河島でも、無料で電話できるよ」と説明しましたが、判ったかなあ。たぶん、判らないだろうから、今度手紙を出して、さらに私が行って解説説明実行します。無料で映像も見られるから、これはいいよ。ちょうど日本と連帯して米英仏ソと戦った仲間なのだから、仲良くしようよ、なんてお話しますよ。

 かくして時間もすぎ、この日は終わりで、私は自分の泊まる部屋に戻りましたが、そこで飲んでいるうちに、着替えして外出して飲もうという気持になりました。ああ、母も、「しょうがない息子だなあ」で許してくれるでしょう。
 そこで、外出しようとして、ガードマンさんに頼んで、ビルを出してもらいました。歩いて行く先は、我孫子北口の「盛」です。
 そこでまた飲み始めました。ここのご主人は、実は絵描きで、何の関係か、私の妻の会社に、その絵を持ってきています。「あ、2枚持って行った」というので、それで私の妻の会社のことも判ったようです。でも、そのあとそこにいた他のお客さんと、お話していたような記憶があるのですが、もう私には、全く記憶がなくなっています。
 そして、私は「アビコセレモアホール」に戻っています。でももう記憶がまったくありません。

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