将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:武田泰淳

12010314 じゅには部屋が替りました。今度は同じ歳の女の子が二人います。

2012/01/13 12:49もう随分前に、この部屋に来ました。それでお義母さんと交代で、私はじゅにのそばに来ました。そしてお義母さんは帰りました。
 今はブルータスがじゅにを抱いて、この部屋を少し歩いています。
 今ブルータスママが絵本を手にとって読んであげています。
 もう少しでミルクです。今そのミルクが来ました。その前にお薬です。
2012/01/13 13:07このミルクでご機嫌になるはずなのですが、まだですね。
2012/01/13 13:38私の孫じゅにも大変な経験をしてきたのですね。もう8カ月を越えています。
 今は私のじゅにの母ブルータスと、お隣の子のお母さんがお話しています。
2012/01/13 14:33今食事に行ってきました。じゅには眠っています(といいたいのですが、ときどき目を開けてじいじの顔をみます)。でも今は眠っているみたいです。
 私は今日はまだ「周のIS01ブログ」も一つもアップしていないのですね。なんだか悲しいな。家でならもっとアップできているかなあ。
 今食事しながら、司馬遷のことを考えました。「史記」を私が初めて読んだのは、昭和39年の秋、たしか9月だったと思います。高校1年のときでした。私は鹿児島から横浜に来たときすぐに読んだものでした。武田泰淳「司馬遷ー史記の世界」は大学2年の秋12月近くだったと思います。そのすぐあと1969年1月に私は東大闘争で安田講堂で逮捕され起訴され、府中刑務所に拘留されることになりました。
 私の娘ブルータスと、隣のお母さんとまたお話しています(初めての会話)。いいですね。でもじいじは会話に加われません。
 司馬遷の書いた内容をよく思い出します。

 体温7度6分、血圧80です。

 じゅにが泣くと、じいじは不安になります。でも治まって、でも隣の赤ちゃんが泣き出しました。

 史記は、なんといいましても、その列伝が白眉だとされています。それはまったくその通りなのですが、でも私は最初の本紀からが実に興味深いのです。実に五帝(王・おう)の堯や舜もいいのですが(私は舜が大好きです)、私はどうしても黄帝が、
(この間、ウンチの処理でした)
 私はどうしても黄帝の記述が好きです。その前の炎帝とも争いなんかが興味深いのでした。

 黄帝の前の皇帝は炎帝ですが、それは神農氏と言われていますが、実は、この神農と炎帝は別な神(と言っていいのかな?)と言えます。ただそこらへんは、司馬遷ははっきり言わないのです。それが正しい姿勢です。

11010307 この本をひさしぶりに開きました。私は吉本(吉本隆明)さんの本等以外は、みな下北沢の古書店に我孫子の家に来てもらって売ったつもりでした。でもこの本はこの王子の家で私の義父が読んで自分の書棚に置いてあったのでした。
 最後のページで、この本は私が大学2年の秋に赤羽の紅谷書店で買って読んだものだと判りました。私が東大闘争の安田講堂で逮捕される数カ月前のことでした。
 最初の「司馬遷傅」が次のような言葉で始まります。

    司馬遷は生き恥さらした男である。士人として普通なら生きながらえ
  る筈のない場合に、この男は生き残った。……

 この生き恥とは、彼の受けた宮刑のことです。
 私が「史記」を読んだのは、高校1年の秋でした。実に長い書物で、私は筑摩書房の「世界文学大系」で全2冊読んだものです。
 最初の巻は、「本紀、表、書、世家」からなっており、下巻がすべて「列伝」です。もうこの列伝は面白いばかりなのですが、上巻は、少々退屈です。でも「これさえ読み終われば、列伝という超面白い篇になる」と思い込んで読んだものです。
 実に司馬遷の史記の醍醐味といいましたら、この「列伝」だと言って間違いないでしょう。もちろん、私は本記も面白かったのですが、でもそれはまた列伝を読んだあとで読みなおすと、これまたよく判ってくるという思いです。

 それにしても武田泰淳はたくさんのことを持っている作家だなあ、とつくづく感ずるものです。
 今後もこの司馬遷の『史記』の中からいくつも書いていくつもりでいます。(2010.03.05)

10122109 この本は何故か今も私のすぐそばの本棚にあります。私は吉本(吉本隆明)さんの本等以外は、みな下北沢の古書店に2008年の4月に、我孫子の家に来てもらって売ったつもりでした。でもこの本はこの王子の家で私の義父が読んで自分の書棚に置いてあったのでした。
 最後のページで、この本は私が大学2年の秋(1969年)に赤羽の紅谷書店で買って読んだものだと判りました。私が東大闘争の安田講堂で逮捕される数カ月前のことでした。こうして何かヒントが残っていると、その頃のことが鮮やかに蘇るものです。
 最初の「司馬遷傅」が次のような言葉で始まります。「司馬遷は生き恥さらした男である。士人として普通なら生きながらえる筈のない場合に、この男は生き残った。……」。この生き恥とは、彼の受けた宮刑のことです。
 私が「史記」を読んだのは、高校1年の秋でした。実に長い書物で、私は筑摩書房の「世界文学大系」で全2冊読んだものです。最初の巻は、「本紀、表、書、世家」からなっており、下巻がすべて「列伝」です。もうこの列伝は面白いばかりなのですが、上巻は、少々退屈です。でも「これさえ読み終われば、列伝という超面白い篇になる」と思い込んで読んだものです。
 実に司馬遷の史記の醍醐味といいましたら、この「列伝」だと言って間違いないでしょう。もちろん、私は本記も面白かったのですが、でもそれはまた列伝を読んだあとで読みなおすと、これまたよく判ってくるという思いです。
 私は、この司馬遷の『史記』で刺客列伝は詳しく内容を思い出します。おそらく、これからもこの列伝の中や、本記の中でもまた書きたい思いの箇所が出てきて、またそれを書いていけると思っております。
 それにしても武田泰淳はたくさんのことを持っている作家だなあ、とつくづく感ずるものです。
 今後武田泰淳のいくつもの作品についても書いてまいります。(2010.12.22)

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新聞名 図書新聞第2889号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 平成20年10月11日
読了日 2008年10月5日

 6面の

一女性革命家の魂の高貴さ――日本と中国との熱い精神的交流の歴史に新しい一頁《秋瑾》就義一百周年出版紀念講演集永田圭介 作 張脉峰 責任編輯 中国文化出版社

を読みました。
 この秋瑾は、魯迅『薬』という短い小説に中に描かれている革命家です。でもその小説の中では、秋瑾は、夏喩という名前の男性として描かれています。もう私はこの『薬』を何度読んできたことでしょうか。
 私はこの短編への思いを以下に書いています。

   http://shomon.net/hon/rozin1.htm#rozinkusu 薬

 私はこの武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す』も読んだものでした。大学4年の頃かな。ただ、この本も今年3月に我孫子の自宅の引越で、古書店に売ってしまっていました。

秋瑾(一八七五―一九〇七年)といえば、孫文による辛亥革命前夜、革命運動の途上、三十一歳で刑死した清朝末期の女性革命家である。日本では、武田泰淳の小説作品『秋風秋雨人を愁殺す』で知られている。この書名は、秋瑾の遺句「秋風秋雨、人を愁殺す」から採られたものだ。

 私はこの『薬』への書評の中で最後に、以下のように書いています。

 最後にカラスがないて、夏瑜の魂が母の前にいたことが分かりますが、この花は夏瑜がやったものではありません。じつにこの花は、多分小説の中にやってはいけないことだろうけれど、どうしても供えざるをえなかった魯迅の気持ちです。
 魯迅は秋瑾女史とまた多くの革命家の魂と、そして多分自分の母親にこの花を供えたのだと思います。

 何度この『薬』を読み直しても、いつでも、秋瑾という実際の革命家と、その人物を魯迅が夏喩という小説の中の男性として書かざるを得なかったことに、いつも涙を流してしまう私です。

 原著者の永田は、次の様な謝辞をこの講演会の際に述べている。
 「2001年の秋、私は紹興で秋瑾の事跡にめぐり逢い、志を立てて三年後の2004年9月に(略)出版しました。(略)私は自分の人生も終わりに近い時期に、幸運にもこの高貴な魂の記録を描く機会と時間、そして気力を与えられ、その目的を果たすまで生き延びたことに、深く感謝いたします。/秋瑾は私には難しいテーマでしたが、そのような状況でも、感じて求めれば、人は自ずから新しいエネルギーを生じるように思えます。」 
 このような熱い言葉は、まるで秋瑾の魂が乗り移ったかのようであり、これもまたひとつの熱い「交流」の証しなのだ。

 私はこの間、この秋瑾という女性革命家(彼女は、抜き身の日本刀を持って、こちらに向かっている姿の写真が残っています)に、いくつもの自作の漢詩があることを知りました。今後、ここでいくつも紹介していくつもりでいます。

 それと4面の、

日本精神史といえる潜在した主題を浮き上がらせる――日本におけるドストエフスキイ受容史のさらに深部を切開ドストエフスキイと日本人 上・下松本健一 第三文明社

なのですが、私は松本健一さんは、いくつもの作品を読んできましたが、こうしてドストエフスキーに関する著作も読んでみたいなという思いになりました。

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 文学者の中でも武田泰淳は、「俺は大学を中退した奴じゃないと信用しないんだ」と言っていますね。一方で太宰治は、カンニグしてでも何でもいいから、とにかく卒業してしまったほうがいいという考え方です。僕はどちらかというと、太宰治と同じ考え方。太宰治が好きでもありますのでね。(「よせやぃ。」『教育について───第一回座談会』)

 この言葉は、太宰治の言葉としても、吉本さんの言葉としても私には大きく考えてきていたものです。私はだから、大学を卒業したものです。同じ学生運動をやった中で、ごく少数が卒業しない路を選んだ人もいる。けっこう、「卒業したほうがいいんじゃないの」と言ったものでしたが、しない人もいたものでした。

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司馬遷―史記の世界
書 名 司馬遷史記の世界
著 者 武田泰淳
発行所 講談社
定 価 380円(この値段は、古書の1968年版のものです)
発行日 1968年6月5日第1刷発行
読了日 2006年8月17日

 ちょうど湯西川温泉に家族で行った帰りに、ケータイブログを書いていたのだが、ケータイが電池切れで使えなくなった帰りの東武電車の中で、これを読み終わりました。読み終わったのが春日部駅でした。
 この本は義父の本棚を整理していて見つけて、「あ、義父も読んでいたんだ」と思っていたのですが、この電車の中で読み終わったときに、最後のページで赤羽の古書店「紅谷書店」のシールを見て、「あ、これは俺の本だったんだ」と気がつきました。いや、義父の本棚には、いくつも「あ、義父も読んでいたんだ」と思って、それを開けて見ていくと、それが私の本だということが、もう何冊もあります。

 私は1968年の秋、ちょうど学生運動で忙しいときに、紅谷で購入して読んでいたことを思い出しました。思い出せば、この本を読んだ数ヶ月後、私は東大闘争で逮捕起訴され、刑務所の独房に勾留されることになり、その中で、同じく前漢の武帝の時代に、獄に繋がれ、宮刑というおぞましい刑を受けた、司馬遷の思いをいつも、考えていたものでした。

 そして今回「任安に報ずるの書」は、前にも読んでいるはず(といっても37年前なのだが)なのですが、今回また新しく読んでいるような気になりました。司馬遷は、自分が庇うことにより、武帝の怒りを買うことになった李陵のことを書いています。司馬遷には、この李陵のことは決してそれほど親しい関係ではありませんでした。それでも司馬遷は彼のために当たり前のことを弁じます。

 私は李陵と共に、同一門下には居ましたが、もとからの親友ではありませぬ。行動も各々異なっていましたし、盃をあげ、酒を飲んで、友情をあたためたこととてありません。しかしながら、私が彼の人となりを観察するに、生まれつきの奇士でありました。親につかえて孝、士と交わって信、財物に対すること廉、取ること与えることに義、何かにつけて人に譲り、恭倹にして、へりくだっていました。常々奮発してわが身をかえりみず、以て国家の急に殉ぜんとの心は、彼の胸中に蓄積されてありました。李陵には国士の風がある、そう私は考えていました。(中略)
 しかるに今、この彼は、事を挙げて、一度失敗したからとて、一身の安全をはかり、妻子を安泰ならしめている官吏共が、その非を責めて罪におとしいれんとするのは、小生の私情、真に忍びえぬ悲しみであります。
 そればかりではありません。李陵は五千に足らぬ歩兵をひきつれ、匈奴戎馬の地深くすすみ、
(後略)
(いやもっと引用したいのですが、漢字が出てきません。それでここまでとしました)

 そして、司馬遷は、それほど親しい関係でもなかった李陵のことを普通に弁じたのですが、それがために、獄につながれます。そして武帝の怒りのために獄に繋がれ、そして死刑よりもつらい刑を受けてしまいます。

 司馬遷は生き恥さらした男である。士人として普通なら生きながられる筈のない場合に、この男は生き残った。口惜しい、残念至極、情けなや、進退谷まった、と知りながら、おめおめと生きていた。(第一篇司馬遷伝)

 これは最初に書かれている文です。
 でもこの悔しさの中で、司馬遷が生きることにより、あの「史記」を書きあげました。もし、彼がこの悔しさの中で生きることをしなかったら、私たちは、あの「史記」を目にすることはできなかったのです。
 ヘロドトスの「歴史」、トゥーキューディテスの「歴史」を読んでいますと、やはりギリシア人の、歴史に対するものすごい情熱を感じます。だが、この司馬遷の「史記」こそ、素晴らしいものです。私は思うのには、ヘロドトスもトゥーキューディテスも素晴らしいのですが、「史記」の「列伝」にあたるものはないと言いきれるかと思います。
 いや、もっと私が今回も感じたことがあります。「列伝」の最初に「伯夷列伝」を置いたわけ、「史記」の「表」の意味(私は「表」なんて少しもわけが判りませんでした)、司馬遷は、孔子よりも、老子のほうに親しみがあったのではないかということ、………………、その他いくつものことを、あらためて読んでいました。

 いや、ここでいくつも書きまして、この本は他の本と同じで、捨てようと思っていました(いや、今回はいい本だけれど、何冊も捨てました)。でも、これでは捨てられないなあ。
 そして司馬遷をまた思います。そして武田泰淳をまた思います。

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