将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:武蔵野美術大学

11022010 私はこの本を2009年10月に読んでいました。これは、深澤直人さんというプロダクトデザイナーの作品をすべて写真で紹介しています。最初に私が魅入ったのは、16ページにある道端のフェンスにあった牛乳パックです。そのあと数ページも同じようなもの(駅の階段の手すりにある盲人用の点字のプレートでタバコを消した跡)が彼によって写真が撮られています。その次のページもまた違うものの写真が撮られています。
 実はこれらの出来事は、私にはどれも嫌なもの許せないものです。でもこうしたものをプロダクトデザインの目で見ているこの著者に私は驚きました。それで次々にページを繰るなか、私はこの人が携帯電話のデザインもされていて、前に私が「いいデザインだなあ」と感じていたことを思い出させてくれたのです。
 この方は私よりも8歳年下の方です。今は武蔵野美術大学の教授をされています。
 この本は、私の長女の友人が長女にプレゼントしてくれたものです。それで私が借りてそのままになってしまっていました。本が重過ぎるので、私がいつものように電車の中で読むわけにはいかないのです。
 でもこうした自分には一見無縁な本を見てみるのもいいものだなあ、としきりに思っていたものでした。
 私が常に持参していますauケータイのIS01(シャープ)は、この方のデザインされたものです。これは私は電話としては使ってはいません。実は私はこれが深澤直人作品だから、手に入れたものなのです。

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 本日の亀山郁夫さんの文章に、目森一喜さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2009年09月20日 11:42
太宰と心中した女性は、近所で評判の美人で、洋裁の先生をなさってらした方でした。当時、女性の間で洋裁を習うのが流行したんです。あの心中は、どちらがどうというのではなく、あの瞬間に2人の道行きがそういう事になってしまったんでしょうね。当時から今まで、色々と取りざたしたがる人たちはいますが、余人のうかがい知るところではないですね。

 私はジブリ美術館に家族4人で行ったときも、この玉川上水のわきを歩いたものでしたが、私が大学1年の夏に、武蔵野美術大学へ行った友人と、もう一人の友人(彼は浪人中だった)と会ったときに、その武蔵野美術大学の友人のアパートがこの玉川上水のすぐそばでした。たしか、彼のアパートへの行き帰りに、この玉川上水の傍を歩いたものです。そのときにも、この太宰治の死を話したものでした。
 それが大学1年の夏で、そのちょうど2年後のたしか7月、私が府中刑務所に勾留されていたら、武蔵野美術大学全共闘(違う名前だったかもしれない)の人が面会に来てくれて、そのときに、私がこの同級生の名前を出したところ、同じくバリケードをやっている友人だということで、すぐその何日か後に、府中に面会に来てくれたものでした。
 思えば、このときに最初に面会に来てくれた方にもお礼を言いたいな。思えばもう40年も前のことですが。
 でもでも、やはり太宰治には、死なないで小説を書き続けてほしかったな。いえ、今文学者の亡くなった歳を少し考えていたのですが(例えば、漱石とか、それから長生きしたという武者小路実篤とか志賀直哉とかですね)、やはりもっと生き続けて文章を書き続けてほしかったです。
 この目森さんのコメントを読んで、『ヴィヨンの妻』のあの妻を思います。どうしても私は、酔いどれのあのヴィヨンのほうが好きになれます。

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