将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:殷の紂王

11032213 中国古代の王朝の夏を滅ぼして王朝を建てたのが、殷でした。夏がまだ伝説の王朝としか言われていませんが、この殷は実際に存在したことは実証されています。
 その殷の最後の王が帝辛(ていしん)で、紂王(ちゅうおう)とよばれています。昨日書きました「夏の桀王の愛した女、末喜」の桀王と並んで、「夏桀殷紂(かけついんちゅう)」と呼ばれ、ともに女性に溺れ、悪逆な政治をやり、その代で国を滅ぼしました。
 夏の傑王は、殷の湯王が現れ、それに滅ぼされ、殷の紂王は、周の武王を滅ぼされました。ただ、同時に夏の傑王は、末喜という女性に惚れ、殷の紂王が愛したのは、妲己(だっき)という女性でした。
 ともに、この夏の桀王も殷の紂王もまったく同じ事態がありますが、それはこれを記録した司馬遷でも、もう仕方なかったのだと思います。酒池肉林の話などはまったく同じですが、それを言ったら、司馬遷は「でも仕方ないんだよ。資料がこれしかないんだ」と言い訳しそうに思います。
 この妲己も、末喜と同じように、紂王が滅ぼしたある諸侯から献上されたものだといいます。紂王の叔父の比干(ひかん)が甥の紂王を諌めるわけですが、妲己が「聖人の心臓に七つの穴があるとわたしは聞いいている」と言って、それを見るために、聖人とされた比干は殺されたといいます。
 のちに周の武王に殷が滅ぼされたときに、この妲己も首を斬られたといいます。(2011.03.23)

10080123 昨日はいくつものことを忘れていました。困ったものです。
 ただ「読書さとう」は、「殷の紂王の愛した女、妲己」を書きました。きょうは、「周の幽王の愛した女、褒じ」を書きます。司馬遷がよく書いてくれていました。たぶん、歴史的には、この褒じと妲己のことははっきりしていて、それから「夏の傑王の愛した女、末喜」は、多分司馬遷が創作した女性じゃないかな。いや、そんなことを言うと、また司馬遷に怒られる気がします。
 写真は8月1日の午後7時58分に撮りました。長女の家の前で花火をしているポニョなのです。(08/07の2)

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