2017010918
11042818 この人は1901年3月29日〜1983年6月8日までの生涯でした。私は先に岩波新書の『ミケルアンヂェロ』『都市』を読んでおり、この『都市の論理』を読んだのは、1968年(の春だったか)のことでした。
 でも読んでも、少しも内容に感心しませんでした。吉本(吉本隆明)さんが、この人のことを、「殺してやりたいほどの人だ」というのが(あとで知りましたが)よく判る気がしたものです。
 本の内容で、ただ美濃部都政を讃え、蜷川京都府政を讃えているのには実に嫌になったものです。蜷川なんて共産党じゃないのよ。この人がいわゆる新左翼をたたえたのは、共産党が戦わない政党だからいけない、新左翼はいいんだ、ということだったのじゃないかなあ。馬鹿じゃなかろうか。蜷川なんてまったくの敵であり、美濃部も倒すべき敵の体制じゃないですか。
 私は1972年の秋に千葉刑務所に拘置されている後輩の活動家に差し入れに行ったときに、一人の活動家があまりに不勉強で、この本を差し入れたのですが、刑務官に、「今どきこんな人の本を読むのかなあ?」と言われたときに、非常に恥ずかしかったものです。私は「いや、一応批判的に読んでもらおうと思って」と言ったものでした。
 思えば、この人の『佐藤信淵』も読んでいたな。でもとにかく、みな読むのは面白いけれど、少しも内容には感心できませんでした。ただ、彼が中世イタリアの都市のことを書いているのと同じように、故郷の群馬県桐生市を描いている視線は好きでした。
 私は彼の自宅のあった横須賀の自宅を1968年の9月に訪れました。講演を依頼するためです。右翼の襲撃を防ぐためが、彼の自宅はすべて鎧で包まれているようで、どこからも入ることができません。ただイヤホーンに出た彼は私たちの依頼に、その期間(68年の秋)は無理だがまた別な期間に受けようと言ってくれました。
  これが翌年1969年6月12日に埼玉大学で実現したのですが、この「羽仁五郎講演会」は、日本共産党=民青の妨害で、それを突破し、その後講演会を防衛しようという私たちの側と民青との衝突になりました。後に羽仁五郎講演会を防衛しようと言う我々の側が大勢事後逮捕されることになりました。私は69年1月19日に東大安田講堂で逮捕されて、この日は府中刑務所にいましたが、この日の読売新聞(刑務所・拘置所は読売しか入らない)はの朝刊は墨で大きく塗りつぶされており、私は何事かと驚いたものでした(思い出せば、私用にわざわざ塗りつぶしてあったのですね)。
 しかし、講演している羽仁五郎に日共=民青は石を投げてくるんですよ。それを近くで軍手でキャッチボールしていた防衛隊の友人もあとで逮捕されたものでした。
 もう遠い人で、私は一切読むことのない人です。(2011.04.28)