11082104   Wednesday, July 21, 2004 10:44 PM
「手紙」の重さを知りました。

「手紙」と言う言葉にまさかそれほどの深くて重い思い出があるとは夢にも思わず、自分の軽いメールの様なものと思っていてはずかしいです。高松城の水攻めの様な深謀遠慮、また今から考えれば自分の支えにもなっていたのではありませんか。そして青春の全てと結びついた思い出なんですね。ですから丁寧に書けば本一冊が軽くできあがりますよ。メールに書ききれるものではありません。もっとも先生は今でも青春真っ最中の様な方と想像しておりますが。

 府中刑務所の手紙の検閲その他については殺人狂時代という本で読みました。日本の刑務所は明治時代の決まりをひきずり、先進国の中では最悪の部類に入るということは知っています。

 将門Webマガジン、いつもありがとうございます。これはまさかどと読むのですか。それともしょうもんですか。詩のメールの中で読み方は自分の考えでいいといわれましたが、世間一般で通っている読みを違うように発音すると笑われることがありますからね。お釈迦様のお母さんはまやふじんではなく、まやぷにんと読むのだと初めて知ったときは驚きました。信長公記はしんちょうこうきだといわれても、どうやってこの場合はのぶながではないと判断すればいいんですか。詩の場合は口調が優先すると思うんですが。垣の外はかきのそとと私も読んでました。将門記はしょうもんきですからしょうもんうえっぶでしょうか。

 実は一年ほど前に平らの将門の話も一度通しで読もうと思って童門冬二さんの平将門を読んだんですが、登場人物それぞれの考えや当時の関東の自然や情勢などはよくわかるんですが、分かりやすく書きすぎて何だか少し幼稚な印象を受けました。小説としてはあまりおもしろくなかったです。そこで聞くのが怖いんですが、将門が主人公の小説では何がよいでしょうか。きっとものすごい思い入れをお持ちでしょう。

 結局、あのガリア人の若い王をあれほど残虐に描くのは、実はカエサルをこそ貶していることになるのだと私は思います。いや誰もがそのように判ってほしいのだろうなと推測しました。

 この文章は意味がよくわかりません。著者はなるべくカエサルを貶めたかったということですか。新しく斬新なカエサル像を作り出すためにですか?MM

  Thursday, July 22, 2004 1:12 PM
 Re: 「手紙」の重さを知りました。

 まずいつもメールをありがとう。昨日飲み過ぎた私が、このメールを開きましたのは、今朝なのですが、ものすごく嬉しかったです。そして今も嬉しいです。

「手紙」と言う言葉にまさかそれほどの深くて重い思い出があるとは夢にも思わず、

 いえ、なんとなく勝手に書きまして、ごめんなさい。そうねえ、私はあのときも、ただただ書き続けましたね。思えば、その長い長い手紙の続きが、私の今のホームページになっているのかもしれません。私のメルマガもただただ、長いだけなんですが、これもまたあのときの手紙の続きかななんて思います。
 あのときの私の彼女は、全部で私から数百通の手紙を受け取ったでしょうが、もう燃してしまったでしょうね。でも今私は燃せないようなデジタルのものを日々書いているつもりなのです。
 ただどれも、とても本になるようなものではありません。アベラールとエロイーズの愛の書簡集は、今読んでもその愛の深さに驚きますが、私の書いた手紙は、誰もが呆れるような内容のないだけのものです。

もっとも先生は今でも青春真っ最中の様な方と想像しておりますが。

 ありがとう。ただね、どうなんでしょうね。私の長女が以下のようにいいました。

  おはぎに言われちゃった

 そうねえ、「その通りなんです」よ。

府中刑務所の手紙の検閲その他については殺人狂時代という本で読みました。

 見沢さんの書いたものですね。私はあの方と飲んだことがありますよ。千葉刑務所というところは、赤軍の吉野さんもいるし、狭山事件の石川さんもいたところですね。私は千葉刑務所の係の人と偶然飲んだときに、「吉野さんを大事にしてくださいよ」と頼んだものです。石川さんとお会いしたときにも、見沢さんのことや吉野さんのことをききまして、石川さんに驚かれたものでした。

日本の刑務所は明治時代の決まりをひきずり、先進国の中では最悪の部類に入るということは知っています。

 そうなのかもしれないけれど、私は府中刑務所は好きでしたよ。飯は最高にうまかったし、看守も懲役の方も真面目でした。若き日に、あんなところにいて愉しい経験が出来たのは、実にいいことだったな、と今もつくづく思っています。
 私なんか、東大闘争の統一公判要求というので、裁判には出廷拒否という戦術で向かいました。ただ、裁判の前の日には、刑務所側が、私たち裁判に出る予定の者を、拘置所から、刑務所内の懲役刑の中の駅舎へ連れていきます。とにかく孤立させようというのですね。そして朝、「出廷だ」と看守が呼びにきまして、私が拒否しますと、すぐさま頑強な看守(刑務所内の機動隊ともいうべき連中で、彼らだけは緑の制服を着ている)が3人でやってきまして、私を引きづりだそうとします。私なんか、身体が小さいですし、腕力もないので、このときの戦いは必死でした。でも、あのときの経験は良かったなと思っております。
 私は温泉新聞社というところの新聞記者をやっていたのですが、そのとき毎月月末に、各温泉街の旅館・ホテルに集金にいきます。これがけっこうつらい非情な仕事でした。旅館・ホテル側はこんなひどい新聞(と彼らは思っている)に金を払うなんて気持ちは1%も持っていません。でも私のほうも、集金しないと帰れません(かっこう悪いからではなく、実際に集金しないかぎり、金がないから動けないのです)。
 温泉街は歩いていきますと、各ホテルはものすごくそれぞれが遠いところにあります。那須温泉を、あるホテルでの戦いのあと、また歩いていきます。もう近道しようというので、山の中を歩いていきます。私独りで、もうずっと歌を唄って歩いています。「ワルシャワ労働歌」と「青年日本の歌」なんかを大声で唄っていきますと、やっと目的のホテルが見えます。「ああ、良かった」と思いますが、またそのホテルでも、また戦争が始まるのです。
 でも、私には「これよりは、あの府中のでかい看守に挟まれたときのほうが辛かったな」なんていう思いで、また元気に貫徹できたものでした。

将門Webいつもありがとうございます。これはまさかどと読むのですか。それともしょうもんですか。

「しょうもんうぇぶ」です。私の以下で紹介しております

  将門Webオンライン書店「哲学・思想・漢詩・漫画」

この本がいいですよ。

書 名 お言葉ですが…7
    漢字語源の筋ちがい
著 者 高島俊男

 この漢字熟語の読み方や、氏名の読み方をよく判るように書いてあります。15代将軍の「慶喜」を本当に「よしのぶ」と読んだのかどうかは、実は判らないのですよ。西郷南洲も本当に「隆盛」と書いたかどうかも判らないのです。ただ「りゅうせい」と呼んだのは間違いないようで、明治期になって、戸籍を作るときに、「たしかリュウセイだったぞ」というので、「隆盛」という字を
当てたようです。そして本人は何も言わないのですね。弟の「従道」なんか、もっと驚きます。本人が口をもごもごさせて「ジュッド」と言ったのを、誰か「従道(ジュウドウと読むらしい)」と字を当てただけなのです。
 ぜひこの本を読んでみてください。

信長公記はしんちょうこうきだといわれても、どうやってこの場合はのぶながではないと判断すればいいんですか。

 信長を「のぶなが」と本当に読んだのか否かというのは、実は彼の父親と本人しか判らないです。それで、本人が本当の「読み」を言わないかぎり、他の人が彼を読むときには、「音(おん)」で読めばいいんです。それだと失礼にはならないのです。だから15代将軍慶喜は、「よしのぶ」ではなく、徳川ケイキ、一橋ケイキと読めば、間違いではないのです。現代の我々が「慶喜(よしのぶ)」だと教わっただけで、実はあの時代には、そうは誰も読んでいなかったのです。

実は一年ほど前に平らの将門の話も一度通しで読もうと思って童門冬二さんの平将門を読んだんですが、

 童門さんの将門も私は好きですよ。

分かりやすく書きすぎて何だか少し幼稚な印象を受けました。

 その通りでしょう。私はやはり、海音寺潮五郎「平将門」が好きです。また吉川英治「平の将門」もいいですよ。海音寺さんは、この「平将門」を書くときに、吉川英治さんに相談にいきまして、「それはいいことだ」と誉められたそうです。
 でも私が好きなのは、幸田露半の「平将門」かな。私は幸田露半が大好きなのですよ。

将門が主人公の小説では何がよいでしょうか。きっとものすごい思い入れをお持ちでしょう。

 将門に関する本は知る限り、すべて読んでいますよ。
 また。萩原周二

   Thursday, July 22, 2004 5:29 PM
あ、レスを忘れていました

この文章は意味がよくわかりません。著者はなるべくカエサルを貶めたかったということですか。新しく斬新なカエサル像を作り出すためにですか?

 私には、新しいカエサル像ということではなく、ただただ貶したかったのだと思いますよ。私は最初から、あの著者は気にいりませんでした。
 ただ、こうして生きていると、また新しい本を読むことができるし、あなたのような方とメール交換できますから、人生はいいものかな、なていう気になります。
 きょうは、早く帰宅します。帰宅すれば、次女と会えます。それが嬉しい。
(第210号 2004.08.23)