将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:母

13010708 新聞を毎日手にとります。これは昔からですね。

2013/01/07 05:50今日経新聞の一面を見ています。「スマホ向け動画、TVに」ってあるけれど、これ読んでも分からないよ。あとでパソコンでインターネットで見ましょう。パソコンで見た方が分かりやすいのですね。
2013/01/07 07:40今日は七草かゆの日だ。昔、母が作ってくれたものですね。前に食べたのはいつだっけなあ。

「七草かゆ」なんて、私は母を思い出します。

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 昨日NHKの朝ドラを見ていて、川越のことを思い出していました。

2009/04/07 08:22「自分の舌に嘘をつく」か、辛いことですね。
 思い出せば、私が川越に行きましたのが、大学4年の10月頃だったかなあ。川越祭りの時でした。懐かしいなあ。
2009/04/07 09:45今リビングで「わが家」からの電話を待っています。義母は今もまた「私は帰るの?」と聞いてきました。どうも故郷へ帰ると思いこんでいるようです。思い出せば、私の母も86歳くらいを過ぎてからは、いつも故郷へ「帰る」ということばかり言っていました。
 でも、私の母の故郷というのはどこなのだろか? 母が帰りたかったのは、茨城県佐貫の父と母が住んでいた家でしょうが、実は母は子どもの頃千葉県を転々と引っ越しばかりしているのです。母の父(私の祖父)が長男だったのに、「俺は百姓なんかなりたくない」と家を飛び出し(この飛び出した家は大きな家で、今も本家として存在します)、早稲田大学に入りました。卒業後国鉄に入り、あちこち千葉県の国鉄の駅長として勤めました。
 そして歳をとって今の佐貫のある土地に大きな池(池というよりも、もう大きくて沼と言えます)を掘りまして、そこに住みまして、嫌いだったはずの農業に従事しました。それが昭和のはじめのころかなあ。
2009/04/07 10:13今義母が出かけました。それで今は「ちい散歩」を見ています。千葉市でも本千葉のあたりも、知っているつもりでしたが、知らないことをとても感じました。
2009/04/07 10:25いろいろなことを思い出しますね。このポメラではパソコンと違って自分のことばで書いていかないとならないから(パソコンもそうと言えるのですが、でも少し違うのです)、少し大変なのですが、でも今はそれになれてきまして、実にいいですね。
2009/04/07 12:49もうすぐ出かけます。

 それで、このあとサミットストアに出かけました。その行き来にはいくつも桜が咲いていました。そして帰ってきたあと、長女おはぎの家に出かけました。午後3時を過ぎると、帰ってきているはずなのです。私はおはぎに渡すものもありました。
 そして行くと、ポニョが笑顔で迎えてくれます。ポコ汰は「きょうからは4時までの保育」ということで、「あれ一人で残されて泣いているんじゃないか」なんて、気になります。
 でも、「きょうはあちらのお父さんが来ている」ということでした。ポコ汰をお迎えに来てくれているのです。
 ああ、じゃ私はじゃまだから、帰ろうということで帰りました。ちょうど家に帰りましたら4時30分くらいでした。

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5e9cc1be.gif ここの画像は、義母の今年の年賀状です。いくつも義母宛の年賀状が来て、私と妻の年賀状をできるだけの方には出しているわけですが、でもどうしても義母名で出さないとならないものもあり、昨日私が作りました。フリーの画像を借りて作成したものです。

 私の母も亡くなる4年くらい前から、私が年賀状を作成して出していました。思えば、その年賀状の記録もとっておけば良かったな。一つ前のパソコンの中に入っているかなあ?

 私の過去の年賀状は、年賀状 にあります。今年のもこの部屋に収納しないといけないですね。もう私のホームページも整理していかないとならないのです。

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 私の義父松本八郎がとっていたのだと思いますが、タブロイド版の「有楽町かわら版」の通算43号がたしか4日に届けられました。
 もう私の義父が亡くなりまして2年半が過ぎていますので、前にもメールでそのことはお知らせしたはずなのですが、今回も義父あてに送付されてきました。またインターネット上のサイトに連絡のメールを入れます。
 でも毎号私はけっこう読んでいます。これは新聞用紙のことを書いてくれているのですが、実に私には興味深いです。
 私は広告制作の会社にもいたことがありますが、各印刷屋さんの用紙に対する知識の曖昧さには困惑していましたが、私の義父は適確でした。かつ、日経産業新聞ではどこを読めば、この紙、洋紙のことが判るのか、なんてことを教えてもらったものでした。

 それでこの49号では、記事ではなく、1面の記事下の「YouLuck帖」というところが私には面白かったのです。以下抜き書きします。

私の母は口やかましい。「使ったらすぐに片付ける!」「料理をしながら、ガス周りはすぐ磨く!」とか、お風呂に入れば「掃除して!」と突然現れる。ゆっくりお風呂に入れたものじゃない。当たり前のことだが、母から言われると「うるさいな〜。姑かよ!」と思いダラダラTVを見ながらヤクルトを飲んでいた。◆独立して母と別に暮らすことに。全部自分でやあrねばならない。大丈夫か私!最高級のグウタラだぞ自分!と思っていた。いざ生活を始めてみると、料理後のガス周りはピカピカ。「使ったらすぐに片付ける〜」と鼻歌まじりでトイレもピカピカに。◆気がついけば、母から追われた「うるさい」と思っていたことを自然とやっていた。こんなグウタラな私だが、母があきらめず私のために言った言葉が心に残っており、時が来て芽が出てきた。人を思う言葉は相手の心に残ると思う今日この頃である。(H)

 これを読んで私も母のことを思い出していました。私はいつも台所をすぐに片付けています。これはずっと学生のときからそうでした。このことは知らずに私の身についていたことです。そしてそれを、私も知らずに教えてくれていたのは、私の母だったのです。「人を思う言葉は相手の心に残る」ということは、間違いないことです。

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f1ee76e3.jpg きょうは、私が義母をデイサービスに送る日で、私が義母と家で待っています。もうそろそろ、義母にそのこと(お迎えの電話があるから、用意しましょうね)を伝えようと(もちろん朝から何度もこのことは、「○○時くらいになったら」と伝えてはいます)、義母の部屋を開けると、そこには居ません。あれ、これは大変です。でも私の部屋の横を通るのですが、音が聞こえないことが多いのです。義母はこのごろ足は達者なので、外へ出てしまうことがあるのです。あわてて外へ出ようとしたときに、電話がなり、長女おはぎからです。「おばあちゃんが1階でうろうろしていて…………」ということで、7階のこの部屋まで連れてきてくれます。
 デイサービスから電話があって、ちゃんと私が連れ出しますと、管理人さんが声をかけてくれました。義母が路をうろうろ歩き出すので、心配して声をかけたら、偶然うちの娘がポコ汰と一緒に現れたのです。
 義母はけっして遠くへはいかないのですが、こうして一人で外へ出てしまうと大変なことです。私の母も、足が丈夫で、けっこう勝手に外を歩いてしまい、いつも義姉がそのあとを追いかけていたものです。
 これは私がいけないのです。この部屋に入ってパソコンを打っていると、他のことが見えなく、聞こえなくなってしまうことがあります。
 ちゃんと反省して、これからはきちんとやり抜きます。
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07080201 なんだか、私の兄弟の家族があつまるお正月のことを思い出していましたら、もうたくさんの愉しいことを思い浮かべてきました。

 めばえ幼稚園のことで思い出しました へコメント の続きの2 に書きましたように、お正月には私の母の家(兄夫婦と住んでいます)か、兄の長女のみーねえの家に、みんなが集まります。私と兄とみーねえの彼はリビングの隣の部屋でお酒を飲んでいます。子どもたちと、みーねえの二人の子どもは、みなでトランプやウノをやっています。母と奥さん方3人は、テーブルに座ってお喋りしています。
 それで、私の弟はお酒も飲めないのに、私たちのところで飲んだり、子どもたちに混じってゲームをしたりしています。
 それで、お酒も飲まない弟なのですから、評判がいいはずなのですが、実はそうでもありません。みーねえの子どものルービックキューブを手にして、そんなものが子どものときから得意だった弟は、いろんなことをやりみーねえの子どもに見せていますが、そのルービックキーブを元に戻せなくて、みーねえの子どもが泣いてしまったことがあります。「あのおじゃちゃんがいじって、こうした」と泣いています。
 私はそうしたものは、一切いじりません。だって私にはできるわけがないんだもの。それに、私もトランプやウノに誘われますが、「周ちゃんは、賭け事は一切やらないんだ」と言って、ゆうやなんかに、「トランプは賭け事じゃないよ」なんていうのを、「いや、それが賭博という怖ろしいことの第一歩なのだ」などと言って、一切やりません。これが実に毎回繰り返されています。
 だから、もう愉しいですよ。これに来年のお正月には、私のポコちゃんも加わり、ブルータスの彼も参加しますから、もっと大勢になります。正志の長女のしほちゃんの彼なんか、いつも大勢なので、誰が誰だか、うまく把握できないようです。これでその妹のかなちゃんも結婚すれば、もっと増えます。愉しいなあ。

 そんなシーンを来年のお正月、母にも見せてあげたいのです。そんなとき母は何故か、私のことだとしっかり記憶が戻るのです。

 やがては、私のところで、二人の娘の家族も一緒に、そういうときには、過ごすことになるでしょう。まだ孫はポコちゃん、一人ですが、やがて多分二人の娘は、4人づつ子どもをもつから、全部で8人の孫が集まります。きっと愉しいことでしょう。

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491107b9.jpg 台風が過ぎましたが、雨がよく降っていますね。こんな雨の日だと母はどうしているかなあ、と心配になります。義母はまだ、そちらに毎日お伺いしているのだということが明確に認識できていないようです。朝何度も説明しています。(7/17)
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 けっこう雨に濡れましたナミちゃんからコメントをもらいました。

1. Posted by なみんと    2007年07月15日 01:09
すごい雨の中大変でしたね。お母様が手を握り返してくれたとのこと・・嬉しいですね。周さんのお母様を想う気持ちは十分伝わっているのですね、とても明るくて元気なお母様のお写真・・周さんが小学校一年生の時でしたかしら・・クリスマスの時の貴重なお写真を拝見させていただきました。若くてとても利発そうで三人の男の子のお母さんのたくましさを感じさせてくれます。周さんに似てますね。

 いえ、私だけでなく、弟はもっと行っていますよ。10日くらい前には、眠ってばかりいる母の顔や身体を懸命に触って、「ばあちゃん、ほら起きろよ」と言っていたようです。弟は、昭和25年に秋田で生まれましたから、一番小さいので、母からけっこう可愛がられたんじゃないかな。
 でも私の兄は全然見舞にいきません。もうしょうがない兄です。……でもでも、兄にもいろいろなことがあったのだと思っています。
 ただ一番母の面倒を見てくれているのは、義姉です。もうこれは頭の下がる思いです。

 ただし、私が一番迷惑をかけたでしょうからね。府中刑務所に面会に来るのは大変だったでしょうね。いや、もう私はそれだけじゃないですから。
 あ、一番の迷惑は、父かなあ。秋田犬ばかりしこたま飼いましたからね。いや、小鳥も莫大に飼いましたからね。いや、もう骨董は、どうしようもないほど買いましたね。いや、もう万年青はとんでもない数でした。あ、カメラにもこったし、あ、ゴルフ道具もなんだかあったし、あ、絵も好きだったし、あ、こけしもいっぱい集めていたし、あ、そういえば、あまり知らなかったけれど、切手を莫大に集めていたなあ。どっかの部屋に莫大にありますよ。
 それなのに、母は実によくやってくれました。
 5人の孫も一番母が面倒を見てくれたんではないかなあ。きのう、我孫子の自宅へ行きまして、ある部屋に溢れているぬいぐるみを少し目にしました。あんなにたくさんのぬいぐるみをみんな母が買ってくれていたのです。孫が5人いるわけですから、順番に買ってくるわけですが、あるときに、ブルータスが、母が買ってきた大きな熊のぬいぐるみを、持ってきてしまったことがあります。自分の背丈より大きなぬいぐるみです。
 私がその日夜10時頃帰ると、ブルータスの蒲団の横に、また毛布をかぶって寝ている巨大なものがいます。私が最初は実に驚きました。でもすぐに大きな熊のぬいぐるみだと判りましたが、「あれどうしたんだ」というと、ブルータスが、まだ母がいいともいわないのに、勝手に抱えて家まで持ってきてしまったということでした。あ、そういえば、この熊に勝手に「どんちゃん」という名前をすぐにつけていました。
 でもこのどんちゃんも、きょうはほかのぬいぐるみと一緒になって重なっていました。あれは本当にどうするのかなあ。

 でもねえ、母は面白い女だったかもしれないね。もうたくさんのエピソードを聞いていますよ。父も勝手な男だったから。
 またたくさんのことを思い出しています。

 でも雨の中、けっこうたいへんだったのですが、自転車で走り、そしてまたけっこう歩き、そしてタクシーでも走りまして、私にはなんだか我孫子という街が少しだけ好きになった思いがしました。

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49462dde.jpg 私はこのところ私の入院中の母に手紙を書いています。二人の娘にも書いています。この手紙を書くのがけっこう愉しいので、私の中学時代の友だちにも書きまして、さらには現在の友人にも手紙を書きました。手紙というのは、けっこう長くなってしまうので、「一体何ごとだ?」と驚くかもしれないですね。でもこうしてひさしぶりに友に書く手紙もいいものです。(5/31)
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bae836c7.jpg きのうのお休みの日ポコちゃんを連れて長女が来てくれていました。義母はこのひ孫を何度も可愛いと言っていました。私のブログで何冊もの絵本を紹介しています。みな私が読んだものです。こういう絵本を声をだして読んであげることが、昔義母や私の母が私の娘にしてくれたことだなと思い、私も同じことを真似たいと思っているのです。(5/24)
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42938561.jpg 私はきょう朝6時20分頃目を覚ますと、リビングでの妻と義母の会話が聞こえてきました。義母はかなり記憶が曖昧になってきていまして、何度も同じことをきいてきます。もうときどき私はそれが堪らない思いになってしまうのですが、妻は懸命に何度でも同じことを丁寧に説明しています。でもその義母の声を聞きながら、私は私の二人の娘に、絵本を読んでくれている義母の声を思い出していました。その読んであげている物語も思い出しました。いつも義母は王子から私たちの住む我孫子の家まできて、自分の孫二人に絵本を読んでいてくれました。娘たちは、何度でも同じ絵本を読んでもらっていました。思えば、あれが二人が教員になって、生徒たちを教えることができる原点になっているんだなあ、と思っています。
 そういう意味では、私の母もよく絵本を二人に読んでくれていました。あれが今の二人になる大切なことだったのですね。
 たった今も義母は私にまた同じことを聞いてきました。リビングの電気のコードのことです。これを切られると、この部屋のランもつながらなくなりますから、それは駄目だとリビング行きまして、強く説明します。
 でも、「ああ、俺はちゃんとできているのかなあ?」と自分を反省します。強く説明しても、心の中だけは、優しい気持がなければ駄目なのです。(5/23)
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 私が本を読むことが好きなのは、母が小さいときの私に絵本を読んでいてくれたからだと思い出していました。それで昨日も夜私の孫に絵本を読みました。なんだか、前のときよりもじっと興味深そうに聞いていて、絵を見つめています。でもそのあと、パパとじじの私がポコちゃんを忘れてお喋りばかりしていたら、大泣きされてしまいました。ゴメンね。(5/22)

b22b59df.jpg 私がブログで、孫に絵本を読ませてあげたことを書きましたら、翌日19日に5冊の絵本を贈ってくれた方がいます。私は私の二人の娘に、絵本を読んでくれている義母の声を思い出していました。でもさらに私がまだ幼稚園・保育園に行っている頃(秋田に住んでいた頃です)に、母が絵本を読んでいてくれたときを思い出しました。ああして読んでくれたから、私は本を読むことが好きになったのですね。(5/21)
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eea563e8.JPG母が目を覚ましてくれないのですこし困りました。またしばらく来られないですからね。

 写真は、母の入院している病院の控室(というのかなあ?)の壁にかかっている絵です。

07041801 私は離れている次女にこの1月からずっと手紙を書いてきました。そしてこのところ、同じマンションにいる長女にも手紙をこの4月10日から手紙を書いています。
 そして母が入院したので、母にも書いています。母は昔私が高校1年のときに鹿児島鶴丸高校で下宿しているときにも手紙をくれていました。でも返事はほとんど書いていません。私が学生運動で府中刑務所に勾留されていたときも、たくさんの手紙をくれていました。でもこのときにも返事を私はほとんど書いていません。そんな過去の私のことをおおいに反省しています。だから今、私はずっと手紙を書き続けるのです。(4/19)
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2bb34a3a.jpg 14日に妻と母のいる我孫子の病院にお見舞いに行きました。妻も義姉も帰ったあと、次女とその彼とその義母が来てくれました。次女は、ずっと母と二人でお話ししていました。昨日は、長女とその彼が私と一緒に行きました。次女も長女も、私の母はおばあちゃんというよりも、私の妻が一番目の母とすると二番目の母になるのです。母は、長女に大きく、「もうこれでいいや」というようなことを言っていました。相変わらず、私は長女の前でもおこられています。
 あ、そうですね。義母は、だから私の娘たちの3番目の母になるのです。義母にとても大変に親しんでいる私の二人の娘です。(4/16)
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 私の母が12日脳梗塞ということで、我孫子のつくしの病院に入院しました。その連絡が4月12日義姉から私のケータイにありました。それですぐに、弟と私の妻に連絡しました。携帯電話は、誰でもなかなかつかまらないものなのですが、ケータイメールが使える相手にはとても便利です。緊急にときに、電話しても相手が出ない事態というのは非常に焦りますが、ケータイメールなら助かります。
 もちろん、二人の娘にも連絡します。私の母は、私の娘には祖母ですが、でも二人には、私の妻につぐ2番目の母親だったという思いが強いはずです。
 その後、12日の午後8時すぎに弟とも電話で話せました。
 それで、翌日13日午前に、弟は病院に行ってくれまして、そして様子が判りました。
 私の母は大正6年生まれで、現在89歳です。デイサービスに行っているのですが、12日午後、左手が使えなくなり、意識も薄らいだので、自宅に帰されてきて、そのあと救急車でつくしの病院に入院しました。

 それで私は、14日午後2時半に妻と病院を訪れました。母は私には気がついてくれました。しばらくすると、義姉も来てくれました。それで経過を話してくれました。
 それで、ブルータスが、埼玉県に鶴ヶ島市に行っていました。彼の祖母を送るためです。そこから、病院へ来るといいます。それで、私と二人で何度もケータイメールで連絡しあいます。
 妻は王子で、自分の母親がデイサービスから帰ってくるので、午後3時20分に帰ります(ただし、タクシーの手配で手間どり、大変だったようです。でも王子には、おはぎがいるから、彼女にケータイメールして少し安心はできたようです)。
 それで、3時半少しすぎに、ブルータスが到着します。彼もお義母さんも一緒です。ブルータスは枕元で一生懸命に、優しくお話しています。母も、一番小さい孫のブルータスが来て、実に嬉しかったはずです。

 この日も、私は一人のときに、ずっと母に手を握っていました。左手が使えなくなっていたらしいのですが、でもこのときには、どうやら手に暖かさが戻っています。そして母は強い力で握り返してきます。
 ただ、ブルータスと我孫子の家にもいかないとなりません。だから、母にさようならをいい、私は明日はおはぎと来ることをいいました。

 翌日15日は午前11時40分に、病院に、おはぎとミツ君と入ります。母は、どうやらおはぎに気ががついて、そして元気な声を出してくれます。母もおはぎが来てくれたことはとても嬉しいはずです。
 そして私たちは、自宅に用があり、帰りました。午後3時には、弟家族と義姉が来てくれるということです。

 それで、次に私から母に宛てた手紙をUPします。母の眠っているベッドのすぐ横の机の引出に入れてあります。母は自分では読めないかもしれません。でももしかしたら、義姉が読んであげてくれるかもしれません。
 なお、書いてあるものは、名前等々はそのまま本当に書いてあります。ここの掲げたのは、名前は、すべてハンドル名にしました。それから住所等も判らないようにしています。

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e8fb8e22.jpg きょう母のいる我孫子の病院にお見舞いに行ってきます。長女も次女も来てくれるかもしれません。二人はいわば、母が育ててくれたようなものです。いや義母も二人をよく育ててくれました。そして私の義姉も、二人を育ててくれたのです。ああ、二人にはたくさんの「母」がいたんだなあ、と感謝するばかりです。(4/14)
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 私がこうして義母を介護していることは、「実に私にもいいことである」などと私はいいたいわけなのですが、ことはそんなに簡単ではありません。なんというか、やはり私自身も疲れ果てます。これほど神経を使い、これほど疲れることだとは夢にも思いませんでした。

 思えば、私の義姉も、私の母の介護をずっと続けてくれているわけです。ときどき訪れる私なんかには到底判り得ない大変さがずっと続いてきたのだと想像します。
 私の弟もよく母のところを訪れてきてくれています。いつも義姉のためにいろいろなことをしています。弟は私のような酒飲みではないですから、酒は飲まず、いつも車の運転をしていくつものことをしていてくれています。
 ただその弟でも、やはり義姉の大変なことは到底理解できないのではないかなと思っています。まして私なんかはどうにも及びもつかないところに義姉はいてくれます。
 また母のところへ行きますと、必ずまた言われることでしょう。

   お前は、あちらのお母さんに嫌われているんじゃないだろうね

 私はいつも答えています。

   そんなことはないよ

 でも、今度は、私は「そんなことはないよ」という根拠を詳しく母に語ろうと思っています。もちろん、愉しい話として語りますよ。

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2018010102我孫de3c0724.JPG子へ帰って、母に会いに行くのですが、みーねいの二人の子どもに会えるのも楽しみです。

2番目の写真は、王子です。

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ed94b4e3.jpg いつも義母は、自分が昔住んでいたところの話を少しする。でも私は当然なのだがまったく知らないのだ。義母は、義父と結婚していわば始めて自分の故郷とは違ったところに住むようになったのだろう。
 そういえば、私の母はまったく違う。母は父と一緒になって戦後になると、日本中を引越して回ったが、実は母の父親が長男なのに、「俺は百姓は嫌だ」と家を飛び出し、国鉄に勤めた。それであちこちの駅長を勤めたのだが、実に驚くほど転勤している。母が10年くらい前までよく会っていた友だちは、みな全然違う地方の人たちなのだ。ただただ私は驚いてしまう。だから思えば、あの母の友人たちは、大正時代の友だちなのだなあ。
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f1a4aa3b.jpg きのうも長女が夜来てくれた。でも長女は私とはあまり話もしないで帰ってしまう。私は、「いいサ、お前が生む子はおじいちゃんに懐きすぎて、お前が焦るぞ」と思っている。そういえば、長女も私の母と義母にも懐いたが、一番おじいちゃんと接していたのではないかな。そんな時がもうすぐ来るのだ。早く名前を考えないかな。私の案はもうとっくの昔にあるのですが。
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3267151b.jpg 昨日我孫子の自宅へ帰りました。自宅のマンションが年に2回のクリーンデイ(マンションの共有部分を住民みんなで掃除します)だったのです。
 それが終わったあと、母の家に行ってきました。母は何故か私のことはいろいろと思い出せるようです。帰りに王子の家に電話したら、妻が外出中でも義母が出てちゃんと答えてくれました。私はとても嬉しかったです。(12/04)
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e4c1e049.jpg きのう私が帰宅できたのが午後10時30分頃でした。義母が「お帰りなさい」と迎えてくれました。でも義母は夢を見るのか、記憶がたいへんにあやふやになっているようです。そして義母にそのお母さんのことやお父さんのことを聞かれても私はまったく知らないのです。でもそのことはなかなか理解されないようです。明日は、我孫子の自宅マンションの大掃除の日です。ついでに、私の母にも会ってこようと考えています。(12/02)
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c12138f8.jpg きのう23日、私と妻と次女の3人で、京王線の芦花公園の「世田谷文学館」へ行ってきました。私たち家族の大好きなTHE BOOMの「宮沢和史の世界」が開催されていたからです。もうこの宮沢和史のもつすべてに魅了された時間と空間を過ごしました。ただもちろん、義母のお帰り時間には間に合うように帰ってきました。ひさしぶりに触れ合う次女との時間は実に愉しい瞬間でした。あんないい子にしてくれたのは、義母と私の母のおかげが実に大きいのです。あ、私の義姉もよく見てくれていましたね。(11/24)
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40e3a00d.jpg いつも義母を送る時に、義母の乗る車に私は手を振っている。そして去る車からも義母は私に手を振ってくれている。私は必ず車が道を左折して見えなくなるまで手を振るようにしている。そして私は必ず私の笑顔が見えるようにしている。
 義母にとっては、私よりも自分の娘である私の妻に送ってもらうほうが嬉しいのだろうが、私はいつも必ずよういうふうにしている。
 私の笑顔が、私の歯が見えることが大切なことだなと思っている。
 それをやると、「だからどうなのだ?」ということを私も自分に聞いているが、私はただやり続けるだけなのだ。
 いや、私はそのときにいつも私の母を思い出しているのだ。私の母の言葉を思い浮かべているのだ。
「お前は、あちらのお母さんに嫌われているんじゃないだろうね?」。いつもいつも私の母は、同じ言葉を私に投げつけてきます。私はいつも「そんなことないよ。ばあちゃん!」と答えている。
 だからいつも、私の義母を送るときに、私は私の母親にも応えているのだ。「ほら、ばあちゃん、俺ちゃんとやっているだろう!」と。
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35f5e87e.jpg 義母のことを思うときに、いつも私の母のことも思います。義母は何故か私の存在をよく記憶に入れてくれているようです。母も同じです。でももうすぐ母も90歳になります。私の長女の子どもができたら、どんなことを言ってくれるのかな。そして私もおじいちゃんになるんだ。今から柳田公園を走る孫の姿ばかり想像しています。(9/02)
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06072202 きょうは妻が福岡の親族の結婚式に行っています。だから今晩は私と二人ですごします。でも夕方は長女が来てくれます。でも義母は不安を訴えるでしょう。長女が優しく応対してくれるだろうと思っています。長女も次女の小学校の教員をやっていますが、生徒たちに実によくよくやっています。あれもまた義母と母が二人に教えてくれたことなのです。(7/22)
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 朝いつもけっこう大変です。私はブログを打っていまして、でも義母の食事の用意もいます。そして食器のあとかたづけもします。洗濯もしています(これは洗濯機がやってくれる)。義母はいつもデイに出かけるのに、いつも「いつ迎えにくるのか」ということを私に聞きます。だいたいのことはいえますが、何時だとは私にはいえません。解からないのです。でもとにかく私はブログを打ちますパソコンの前から、すぐに台所にも玄関にもすぐに立ち上がってあらゆることに向かえるようにしています。
 実はパソコンの中も、他のソフトが立ち上げてあります。ブログの発言を書きながら、他の仕事のソフトもやっています。
 義母はもっていくものの中でいくつも気にしているものがあります。「ちり紙、ハンカチ、お金、眼鏡」です。でもすべて用意してあります。でもちり紙やハンカチは小さいからすぐ入れている紙袋の中で見えなくなりますから、もういくつも用意してあります。ちり紙は、私はいつも駅前で、いくつものポケットティシュをもらっていまして、それが私の鞄にいくつもいくつも入っています。ここから、義母に言われると私は手品のようにいくつでも出してくるのです。

 でもこれは実は、私の母の場合も同じです。
 あ、新聞も読まなくなくちゃなあ。テレビは耳で聞いて、ときどき画面を見ればいいけれど、新聞は手で開かないとならないですからね。新聞画面ばかりではなく、その中の折込チラシもちゃんと見たいから、実に愉しく忙しいことです。

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06060404 私のブログサービスが昨日夕方から停止状態で困りはてています。きょうも忙しく歩き回りますから、回復するだろうから、どこか公園ででもケータイでつないで管理画面開こうかななんて思っています。
 このブログで、義母と私の母の介護のことを「周の介護について」ということで書いています。そのブログが使えないのは、大変に困り果てています。
 たぶん私たちが介護を受けるような年になったときに、こうしたインターネットでの発信の記録は大切だと思っています。ただ、その頃はもっと新しいものが出てきているでしょうね(6/2)
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