07082002 私の母が8月14日に亡くなりまして、その通夜を20日、告別式を21日に行いました。そのときのことを書いておきます。私の母、萩原たか子の通夜・告別式 に書きましたように、我孫子駅北口のアビコセレモアホールにて行いました。
 私は20日は、午後4時にここに到着しました。
 それで、すぐにお線香をあげまして、当日私は泊まるものですから、その部屋に入って、喪服に着替えます。そして、この部屋にてパソコンでインターネットが繋がるのか、見てみましたら、何故か繋がるのです。どこかのインターネット接続に入れたのかもしれません。ワンセグもすぐ繋がります。
 それで以下のUPをしようと書いていました。

この葬儀場はつながりますよ
 今、母のお通夜で、親族控室にいます。ここでパソコンを開いたら、つながるのですね。感激します。母は今も眠った顔をしています。思えば、私が来て、予想通りもうビール飲んじゃったから、「あいつは、やっぱり同じだなあ」と嘆いているでしょう。
 でも、私はいつも変わらないというか、進歩がないのですね。

 ところが、しばらくたったらつながらなくなりました。なんでなのかなあ。

 それで、でも4時40分頃になったら、何故か繋がらなくなりました。なんでなのかなあ。だから上は、書きましたが、今始めてUPする文です。

 でもまだ誰もきません。それでまた部屋に入っていて、パソコンをいじって、ワンセグで映したりしていて、5時すぎる頃、会場のほうで声がするので、出てみると、私の親族が何人も来ています。あとで聞くと、私の妻は、私のことを「もうとっくに来ているはずなんだっけど、ここにいないというのは、どっかへ行ってしまったのか」と言っていたようです。それで、私はそのほか来てくれていた親族とお話をします。兄夫婦も弟夫婦も来ます。
07082003 さて午後6時10分前に親族の席に座って、通夜が開始されます。我が家の菩提寺の曹洞宗正泉寺の住職がお経をとなえてくれています。私は法事の関係で、何度もこの正泉寺は訪れて、何度かこの和尚の話は聞いています。実に面白い住職さんです。

 通夜は2時間、その間お清めの席がありますが、そこへ言って話をしている時間がありません。でも、午後7時半頃から、親族もお清めの席になります。私も遠くから来てきれた親族とお話します。
 私の従兄(私の伯母の長男)のIさんが、娘が二人なのですが、長女が北イタリアにお嫁に行きました。ところが今度は、「次女がオーストリアにお嫁に行った」といいます。それで、「でも、もう電話代がかかってしょうがない」というので、私はスカイプの端末をとりだして、「スカイプだと、イタリアでもオーストリアにしても三河島でも、無料で電話できるよ」と説明しましたが、判ったかなあ。たぶん、判らないだろうから、今度手紙を出して、さらに私が行って解説説明実行します。無料で映像も見られるから、これはいいよ。ちょうど日本と連帯して米英仏ソと戦った仲間なのだから、仲良くしようよ、なんてお話しますよ。

 かくして時間もすぎ、この日は終わりで、私は自分の泊まる部屋に戻りましたが、そこで飲んでいるうちに、着替えして外出して飲もうという気持になりました。ああ、母も、「しょうがない息子だなあ」で許してくれるでしょう。
 そこで、外出しようとして、ガードマンさんに頼んで、ビルを出してもらいました。歩いて行く先は、我孫子北口の「盛」です。
 そこでまた飲み始めました。ここのご主人は、実は絵描きで、何の関係か、私の妻の会社に、その絵を持ってきています。「あ、2枚持って行った」というので、それで私の妻の会社のことも判ったようです。でも、そのあとそこにいた他のお客さんと、お話していたような記憶があるのですが、もう私には、全く記憶がなくなっています。
 そして、私は「アビコセレモアホール」に戻っています。でももう記憶がまったくありません。

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