13012906 日経新聞の今日の夕刊を見て、「鬼」を考えました。

鬼の役割 国際日本文化研究センター所長 小松和彦
 まもなく節分である。節分は四季が変わる立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日を意味するのだが、日本では立春の日のみが特別扱いされている。この日、邪気を払うという意味を込めて、豆をまいたり、ひいらぎの枝にイワシの頭をさしたものを戸口に置いたりする。

 え、節分というのは本当は年に4回あるんだ。でもこの2月の節分しか私は知りませんでした。

 節分といえば鬼がつきものだ。これは邪気に姿かたちを与えたもので、寺社や家庭によっては、鬼に扮(ふん)したり鬼の面をかぶった者が登場して豆に打たれて退場するという決まりになっている。私の家でも、子どもが幼かった頃には、私が鬼の面をかぶって出現し、キャーキャー騒ぎ立てる娘に豆を打たれて玄関からすごすごと退散するというパフォーマンスを演じたものである。

 考えてみれば、毎年鬼だけが可哀想ですね。以下のように書かれていることがよく分かります。鬼は毎年、退散するだけで、「鬼が勝利する」なんてことは決してありません。 でもさらに以下のようにあります。

 ・・・時を定めてわざわざ追い払われるためにやって来る鬼に対して、人々はやがて、邪気そのものと見なして怖(おそ)れるよりも、むしろ自分たちの身に潜むケガレを吸い取ってもらう「吸塵器」のような役割を見出した。つまり、人々のケガレをその身に一杯吸い込んで遠くの世界に去っていただこうというわけである。

 これが過ぎれば、もう春なのです。
 でも私の子どものときでも節分の鬼退治はいつもやってきました。今もやっています。たしか3年前に、おはぎの作った鬼の仮面が怖くて、ポコ汰が泣いたかな。でも私たちが、「ポコ汰、がんばれ、がんばれ」と言いましたら、もう奮い立って鬼に勝ちまして、鬼にふんするおはぎが逃げていきました。それで春になれたのです。13012907
 私の家でもいつもやっていました。札幌でも名古屋でも元気に豆をまき、鬼を退散させていたものです。
 思えば、鬼にも少し可哀想だったかな。でも仕方ないのです。それが節分での鬼の役割なのですから。