将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:永井荷風

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 一昨日のブルータス家のことと以下に書いたことを思い浮かべています。

2014/05/07 03:40今から一時間以上前から起きていました。私のブログ将門Webの「周の映画演劇館」を読んでいました。そうですね。私は「男はつらいよ フーテンの寅」をもっとすべて書かないといけないなあ。いやそればかりでなく、もっといっぱいのことがあるのですね。
2014/05/07 03:54今チラシでB5判両面印刷の明治座のものを見ています。「細雪」の公演を見に行きたいな。長女鶴子を高橋恵子が、次女幸子を賀来千香子が、三女雪子を水野久美が、四女妙子を大和悠河が演じます。私は四女役だけは知らないです。谷崎潤一郎は明治座のあるそばの日本橋蛎殻町で生まれているのですね。
 私はもちろん「細雪」は読んでいます。中2の時に読んでいて、高1でも読み返していますね。中学生の時から谷崎潤一郎は大好きな作家です。ただし、わずかに好きになれない作品もありますね。
2014/05/07 05:01しかし、谷崎潤一郎のことを書くともういくつものことを思い出しますね。そうですね。永井荷風も好きな作家です。私は漱石も好きなのですが、谷崎潤一郎も永井荷風も好きなのですね(ちょうど私は中2のときに中央公論社のこの三人の作品集10巻ずつをすべて読んだのです)。14043009
 ただし、荷風は好きな作品名をあげることはできませんが(作品はいくつも思い出しますが)、谷崎潤一郎はいくらでもあげることができます。そうなんだよなあ、なんて思うのですね。でも知りました。青空文庫では荷風はいくつもの作品を見ることができますが、谷崎潤一郎はただの一つもないのです。
2014/05/07 05:40新聞がなかなか来ないな、なんて思っていたのですが、今朝も(昨日の夕刊も)休刊日なのですね。さきほど気が付きました。そうなんだなあ。だから今テレビをつけました(消音にしていますが)。そしてでもソニーXDR-63TVで聴いています。


 そうだなあ。ソニーXDR-63TVも聴いていますが、今は自分の部屋でツインバードで聴いています。

11092201 さきほど、テレビで映画の「墨東綺譚(本当は墨にはさんずいがついている)」をやっていました。全部は見られなかったのですが、一部見ることができました。永井荷風の「墨東綺譚」と「断腸亭日乗」から作られた映画のようです。
 映画はさておき(なんせほんの一部しかみてない)、「墨東綺譚」は永井荷風のなかでは好きな作品です。この舞台の玉の井を歩いたこともあります。荷風はいったい、何から逃げていたのかななんて思いながら歩いたものでした。私は作中の主人公がお雪に初めて出会うシーンが好きです。おそらくは、間違いなくありえない出会いなのですが、荷風は墨東を歩きながら、このような出会いとお雪のような女性を創造してしまったのでしょう。
 永井荷風で思い出したことがあります。またどうでもいい、酒飲み話になってしまうのですが、昨年あるバーで友人と飲んでいました。隣にかなりな年齢の紳士がいました。やがて話しかけてきました。彼は、永井荷風に関した研究機関みたいのをやっていました。私は、ついいいました。

 私  「永井荷風はいいですね。私は好きですよ
 相手「え、これはまためずらしい、何が好きなのかな

ここで、私が「墨東綺譚」とか「すみだ川」でもあげれば、彼としては、「まあ『墨東綺譚』もいいけどね、荷風にはもっとたくさんのいい作品があるんだよ」ということで、彼の話を聞くことになり、彼はそれできっと愉しかったのでしょうが、なんせ私はもう酒は2軒目です、まともに喋るわけがありません。

 私 「そうですね……(と考えるふりをする)、『あめりか物語』
  とか『ふらんす物語』は、あまり好きではないのですが、……
  そうですね、やっぱり、『つゆのあとさき』とか、『問はずが
  たり』とか、……それから、『腕くらべ』『浮沈』『新橋夜話』
  『貸間の女』『おかめ笹』なんかが、いいですね(これをわざ
  と時間をかけていっているから、だんだんと相手は驚いてきま
  す)。でももっと好きなのは、そうだな『罹災目録』ですかね。
  あれなんか、淡々と記録してあるだけだけど、読んでいるとい
  いですね。

 相手「しかし、そんなのまで読んでいる人ってめずらしいな
 私  「ああそうだ、『葛飾土産』も好きですね……、私はちょっ
  と素人だからいい加減に考えて『罹災目録』を正岡子規の『病
  状六尺』と比較してしまうのですよ。子規のは好きになれない
  のですが、荷風はいいですね」(なんて段々適当なことをいう)

それからさらに内容をくどくどいううちに、その紳士はだまってしまいました。その店を出て、もう1軒の飲み屋に向うとき、連れの友人に怒られてしまいました。

  いつものことだけど、あれじゃ人が悪すぎるよ、ああいう人の
 話は聞きてあげればいいじゃない。

まったくそのとおりなのですが、酒が入るともう駄目なんですね。
 周と飲むときには、文学の話、歴史の話をされる場合は気を付けてください。なんだかすぐにむちゃくちゃなこと言い出します。ついでに、プロレスの話、ヤクザ映画の話、学生運動の話、水戸天狗党の話、将門公の話、等々、まったく突如どうでもよく口をはさんできますから、気をつけましょう。

11021310 私は26歳のときにある業界紙の新聞記者をやっていました。その新聞社は神田(JRの神田駅近く)にあったのですが、新聞を印刷する工場(こうば)は新橋にありました。 この新聞社が温泉新聞社でした。いい新聞だったと思います。ただし、その会社の人間としては、非常に低賃金のひどい会社の労働者でしたね。
 まだ活字を拾って大組をするブランケット新聞の時代でした。一つの新聞を作るのに3日くらい新橋の工場に通うものでした。
 この新聞作りの工場は新橋でしたが、いつも午後6時くらいになると、すぐに駅までの帰り路で飲むことになります。飲んでいると、工場の活字拾いの工員がビールを差し入れてくれたりしたものです。
 その飲む店の裏手の路にいくつもの旅館があったものです。私はいつも、そういう通りを見て、この永井荷風の小説を思い出していたものでした。私はそれらの路にある旅館の存在が理解できませんでした。「連れ込みでもないし、誰が泊まるのかなあ?」なんて思っていたものでした。
 永井荷風の小説はかなりな数を読んでいたものです。いつも荷風の各小説の内容が思い出されてきます。
  私は「あめりか物語』『ふらんす物語』は少しも面白いとは思いませんでしたが、これら荷風の小説は好きでした。いや、それは自分にはもはや知りようもない昔の昭和初期以前の世界が描かれていたからかもしれません。
 思い出せば、ついこの頃もあそこらへんで飲むことがあるのですね。もう街はすっかり変わったように見えて、実は全然変わらない街の姿も私には見せてくれます。そんな街を歩いていると、私はいつも泣きたいような気持をいだいてしまいます。
 そのときにいつも思い浮かぶのがこの小説を始めとするいくつもの永井荷風の作品なのです。(2011.02.13)

11011906 16日にビジネスシヨウで激辛庵さんと飲む中、東中野へ行くことになり、電車の中で、彼が急に谷崎潤一郎のことを喋りだしました。先日東中野で飲んで組合の仲間のうちへ泊まったときに、そのお父さんから谷崎の本を借りて読んだら、それが仲々面白い内容だったといいます。日本の文化のことが書いてあるといいます。

 周「それは『陰翳禮讚』じゃないか?」
 激辛庵「……題名はなんだったかな?  とにかく旧漢字で書かれ
        ている古い本なんだ。最初に電線がどうたらということで
        始まるんだ」
 周「それで、たとえばトイレが真っ白なタイルなのは落ち着かな
    い、とか書いてあるんだろう」
 激辛庵「そうそう」
 周「だからそれが『陰翳禮讚』だよ」

ということから始まって、その話を延々していました。私は谷崎潤一郎は中学生のときから好きな作家でした。だが中学では話す相手はいませんでした。入学した鶴丸高校では、さすが「細雪」や「痴人の愛」「卍」等々は読んでいる友人ができましたが、私の好きな「少将滋幹の母」や「武州公秘話」「盲目物語」などまでは話が進まず、ましてこの「陰翳禮讚」の内容まで話すことは皆無でした。それが大学へ入っても、その後も同じだったように思います。またたまに「読んだ」という人に会っても、内容までは覚えていないということで、寂しい思いをしてきました。
 それがいわば初めて、いろいろと話せた気がしています。思えば、今年正月に大掃除(本当は年末にやったのだが、遅すぎて本を棄てるのは正月になってしまった)で、本を800冊処分しました。それこそ大量に棄てました。棄てないと、もうかたずかないどころか埋もれてしまうのです。それで夏目漱石や森鴎外に始まって、藤村、秋声、花袋等々から、新感覚派、白樺派、プロレタリア文学、そして昭和前半、そして戦後期の本も大量に棄てました。でも、どうしても私は谷崎潤一郎と永井荷風の本を棄てることはできなかったのです。
 私の思いでは、もしも漱石の本ならば、なんかあってもその内容をパソコンで調べるか、あるいは誰かにこの通信で「内容を調べてくれ」といえば、すぐ判るだろうとの思いがあります。だが谷崎の本は、もし何か聞かれた場合には、私はそれこそ、瞬時に応えたいし、そしてどこかで調べるというわけにもいかないのではという危惧があるからなのです。
 ところでこの「陰翳禮讚」なのですが、いったい何がいいのかなと考えてみました。日本の文化は光がまぶしいようなところではなく、ほのかとした陰翳の中でこそ存在しているのだというところでしょうか。それをいろいろなことをあげて言っています。私はいつもけっこううなずいて読んでいます。
 だが私の本心を言うと、私はこの本を中学生のときから「でも何か違うな、日本というのはこんなものなのだろうか?」という気持で読んできた思いがあります。それは谷崎さんのことが私は好きであり、内容も面白く賛同しながら読んではいるのですが、どうしてもこの「日本の文化」への谷崎さんのいうことには、どうしてか違和感があったのです。
 そうした思いをこそまた書いていきたいと思っております。(1996.05.19)

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 本日17:44に届いていたHA茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2009/01/10 【No.1767】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 食事に行こうと メールして 君とランチを ご一緒する時

お相手はお時間があるかどうかも解らないのに 遠慮しつつメールしてみてうまい具合に お相手がメールを見てくださりご一緒できるとラッキー!

 あ、私も圧倒的美女を誘おうと思ったのですが、なかなか双方の都合を合わせるのは難しいのですね。でも私は美女と会っても、孫の話をしているだけですものね。

たのしみは 私の狭い 4畳半 居間寝間書斎と 変化する時

本が好きだから結構本を読みますが、4畳半ですから時間によって書斎になったり寝室になったり・・・、楽しんでいます。

 私は本を読むのは、電車の中だけです。この今いる部屋は、パソコンでインターネットの書く部屋、仕事の場で、そして手紙やメールを書いている場です。前にはお酒も置いてある部屋でしたが、暖房をかけるので、お酒はもっと寒い部屋の持っていきました。

たのしみは 昔の人の 書を読んで 自分に似たもの 見出せる時

永井荷風に今はまっています。何となく自分みたいなところがあります。

 私は中学2年のときに、永井荷風の小説はほとんど読みました。だが、このごろ、荷風のお父さんが漢詩人だったことを知り、そして荷風もまた漢詩人と言える面を持っていることを知り、また読んでいます。

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2017041017  永井荷風の詩です。浅草を愛した荷風を思います。

墨上春遊 永井荷風
黄昏轉覺薄寒加 黄昏(こうこん)転(うた)た覚ゆ 薄寒(はくかん)の加わるを
戴酒又過江上家 酒を載せて又過ぐ 江上の家
十里珠簾二分月 十里の珠簾(しゅれん) 二分(にぶん)の月
一灣春水滿堤花 一湾の春水 満堤の花

ad7a9fda.jpg たそがれのとき、何となく寒さがつのり
酒を携えて、また川べりの料亭へと上る
十里の堤に立ち並ぶ青楼 名月が照らしている
春の水は入江に満ち、桜の花は堤に満ちている

漢詩は、他の詩から語句を転用するのはよくあることのようです。この荷風の詩も唐詩からいくつか転用しています。
「二分の月」とは、徐凝(じょぎょう)の「天下三分名月の夜 二分無頼是れ揚州(天下の明月の夜の美しさの三分のニはなんと揚州が占めている)」から転用しています。でも私なんかには、この二分の月でなぜ満月で名月なのかはすぐに判りません。この転用した詩を知ってはじめて判ることなのですね。
春といっても寒いので、酒を飲みたくなるのでしょう。隅田川沿いに並んでいる料亭に上がってしまうのでしょうが、そこに酒を持って上がっていってもいいのかなあ。

隅田川沿いの浅草では花見で飲んだことはあります。船でお花見で飲んだこともあります。いつも必ず隅田川に向かって、「正是櫻花好時節」という(これは黒澤忠三郎『絶命詩』の転句)詩を詠ったものです。

周の『独楽吟のススメ』の5へのコメント

永井荷風は、父親が永井禾原(かげん)で漢詩人です。母は鷲津毅堂という漢詩人の娘さんです。

と書きましたように、荷風には漢詩を作ることは普通のことだったのでしょうね。おそらく漢詩は30ほどしか残っていませんが、漢詩そのものは実によく学んだものなのでしょう。
私は浅草の北側の街で何度か飲んだことがありますが、いい街ですね。いつも永井荷風が好きだったのだろうななんて思いながら街を歩いています。

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2017082804 私の 周の『独楽吟のススメ』の5破茶さんご当人から次のコメントをいただきました。

1. Posted by 破茶    2008年01月31日 20:11
 周さん、お久しぶりです。
そしてありがとうございます。
こうして歌の感想を書いていただけるなんて 光栄です。
永井荷風さんの歌があるのですか?
知りませんでした。

放送大学、 ちゃんと勉強すれば楽しいと思いますが・・・、どうもなかなか時間を割かない私で 試験を受ける度に 反省しています。(笑)

永井荷風は、父親が永井禾原(かげん)で漢詩人です。母は鷲津毅堂という漢詩人の娘さんです。夏目漱石ほどたくさんの漢詩を作っているわけではありませんが、30ばかりしか残っていません。
今度、私の 周の漢詩塾(ブログ篇)で扱ってみましょう。0c3f7fcf.jpg

 

私は 周の酒飲み話荷風のことから という文を書いています。いや単にこれは、私が嫌な酔っぱらいだということなのですが、私は中学生2年のときに、永井荷風と谷崎潤一郎はかなりな量の作品を読んだのです。でもその後は谷崎潤一郎は、『新々訳源氏物語』を読んだりしまして、さらに読んでいく気持がありましたが、荷風からは、もう随分離れてしまった感じです。荷風のことをまた再び読む気持になってきたのは、ついこのごろなのです。
『すみだ川』という小説は短編ですが、実に何度読んでもいい小説です。いや、荷風にはいい小説がいくつもありますね。退屈な小説もあるのですが、思えば『源氏物語』が退屈だと言えるのだと思いますから、もう荷風は好きな作品のみ読んでいけばいいと私は思っています。
墨田区の東武伊勢崎線のいくつもの駅を降りますと、私はいつも永井荷風を思い出しています。いえ、私は昔観光ホテルセンターというところで営業マンとして、東京中のJR・私鉄・地下鉄・都電に至るまですべての駅を降りて歩いたことがあるのです。
そのときに、この墨田区ではいつもそこを歩いているだろう永井荷風を探していました(もちろん荷風が歩いていたのは、もっと前のことですが)。
思えばまた東京のいくつもの街を歩いてみたいですね。あのときのように重いパンフレットを持ってネクタイ姿で歩くわけじゃなく、もうパソコンを背負って下駄っぱきで歩いている私になれるのですね。

年をとっていくことは嫌で大変なことでもありますが、こうして次第に昔はそれほど好きにもならなかった作家のことが、好きになって、またその作品を読み眺めることができるようになることは嬉しいです。

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 以下、私が午後7時台に書き終えた母宛ての手紙です。もうポストには入れました。実際の手紙とは違って、ここでは名前等はハンドル名にしてあります。

   萩原たか子 様

               2007年6月27日

                周のURLメール
                今の王子の住所電話等
 前略
 またひさびさの手紙になってしまいました。この6月はこれで3通目です。
 おはぎにもブルータスにも手紙を書いています。そして私の何人かの友人にも手紙を書いていますよ。おはぎの子ども(私の孫でばあちゃんのひ孫)のポコちゃんが字が読めるようになったら、書きますよ。でもまっさきには、ケータイメールかな。今では、みーねえの二人の息子(ばあちゃんのひ孫だよ)とは、私はケータイメールをしています。
 私が中学2年のときに、ばあちゃんの中央公論社の夏目漱石集や、谷崎潤一郎集、永井荷風集が実に読んでよかったものです。漱石は他でも読めたでしょうが、谷崎と荷風の本をあれほどいわばほとんど読めたというのは、実によかったなあと思っています。ばあも文学少女だったんだねえ。
 谷崎潤一郎は、その後も読みまして、『新々訳源氏物語』を府中刑務所にばあが差し入れてくれて、それを読んだの最後かなあ。そのあとは、みなどの本も読み返すばかりでした。しかし、一応いうと、谷崎の作品も退屈なものもありますね。それと荷風は、中学生には、あまり面白いとは言えませんでしたが、その後実にこのごろは、どうやら少しは判ったような気がしています。荷風という人はお父さんが漢詩人だから、今の私にはとても興味深いのです。
 でもその意味では、漱石もあの当時は全然判らなかったわけですが、漢詩がいいですね。私もこの歳になって、やっとその良さが判ってこれたように思います。といっても、もう私は59歳、あの漢詩の多くを書いていた時期の漱石の歳をはるかに超えてしまいました。三年前修善寺にママ、おはぎ、ブルータスと4人で行きました(泊ったのはまた別な温泉です)。修善寺というところは、私には、頼家、実朝、政子のことしか思い浮かばないものなのですが、思えば漱石をこそ思い出すべきでしたね。もう実に反省しています。
 おはぎもブルータスも、こうして一緒に温泉に行くと、実に愉しいですよ。少し残念なのが、家族4人のときは、温泉の前までは4人でわいわいお喋りしながらいきますが、温泉そのものは男組・女組で別れてしまうことです。
 でも今年からは、ブルータスも結婚して、ポコちゃんもいますから、男組・女組の数が4対3なのです(昨年は、おはぎの彼ミツ君がいましたから、私独りではありませんでした)。
 だからこれはいいですよ。ポコちゃんにも赤ふんさせて、私と二人威張って入ります。これはもう今から愉しみです。             早々

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29e3cd8e.jpg このブログのサイドバーの「アマゾン」を今までの「森鴎外」から「吉川英治」にしました。最初は「徳富蘆花」にしてみたのですが、蘆花ですと、著作の書名は出てくるのですが、画像がないのですね。このサイドバーに置いておくのは、画像が欲しいのです。そうしないと淋しいではないですか。
 それと、私のサイドバーには、「アマゾン」は3つあります。一番上は「吉本隆明」で、次は、このブログの内容で変化するもの、そして3番目が私は指定するものです。過去には、「夏目漱石」「谷崎潤一郎」「永井荷風」としてきました。ここもまずはとにかく画像が出てくるものが大優先です。
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3e3e83cb.jpg 私のこのブログのサイドバーを一部変更しました。今まで「アマゾン」で「永井荷風」だったところを「森鴎外」にしました。
 私は永井荷風は、谷崎潤一郎に比べると、それほど好きではありません。でもやはり、あといくつか読んでみようという気持があります。
 だが、森鴎外は、私には夏目漱石と比較しますと、どうしても私は漱石のほうに傾いてしまいます。私はこのごろ、ずっと漱石の漢詩に惹かれています。漱石の漢詩はいいですね。この歳になって初めて判った気がしています。
 ところで、鴎外の漢詩もいいのですね。ただ漱石ほどの量がないように思っています。
 また、このブログで、鴎外の漢詩も見てみたいと思っています。
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 何日も前のことですが、私のこのブログのサイドバーを「谷崎潤一郎」から「永井荷風」に替えました。ときどき、こういうふうに替えないとつまらないからなあ、と思っているからです。
 私は永井荷風に関しても、中学2年のときに、かなりな量の作品を読みました。以下に荷風の作品について少し書いています。

   荷風のことから

 この私のサイドバーであげられた作品でいいますと、「断腸亭日乗」、「墨東綺譚(ただし墨はさんずいがついています)」は私が好きな作品です。「ふらんす物語」とか「あめりか物語」はあんまり中学生の私には面白くありませんでした。「つゆのあとさき」「新橋夜話」が好きな作品でした。
 それで「日和下駄」という作品は読んだことがありません。本屋で手に入れないといけないですね。でも王子というところは、本を探すのが大変なところです。
 それと半藤一利「荷風さんの戦後」という作品もすぐに読んでみます。半藤さんも私は実に好きな著作者です。

 でも思いますが、どこでも誰とでも荷風について語るということは、私はほぼ経験したことがありませんね。

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