将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:求めよさらば與へられん

13040312「ルカ傳福音書」は私には難しいなという印象ばかりです。思えば、「マタイ傳」と「マルコ傳」はいつもときどき読んでいたからでしょう。それに比べてこの「ルカ傳」はどうしても私にはまだ読み込めないものです。
 でもこれからはもっと読めるようになっていくかなあ。

第11章
 イエス或處にて祈り居給ひしが、その終りしとき、弟子の一人いふ『主よ、ヨハネの其の弟子に教へし如く、祈ることを我らに教へ給へ』イエス言ひ給ふ『なんぢら祈るときに斯く言へ「父よ、願はくは御名の崇められん事を。御國の來らん事を。我らの日用の糧を日毎(ひごと)に與へ給へ。我らに負債(おひめ)ある凡ての者を我ら免(ゆる)せば、我らの罪をも免し給へ。我らを嘗試(こころみ)にあはせ給ふな」』また言ひ給ふ『なんぢらの中たれか友あらんに、夜半(よなか)にその許に往きて「友よ、13040313我に三つのパンを貸せ。わが友、旅より來りしに、之に供(そな)ふべき物なし」と言ふ時、かれ内より答へて「われを煩(わづら)はすな、戸ははや閉ぢ、子らは我と共に臥所(ふしど)にあり、起(た)ちて與(あた)へ難し」といふ事ありとも、われ汝らに告ぐ、友なるによりては起ちて與へねど、求(もとめ)の切なるにより、起きて其の要する程のものを與へん。われ汝らに告ぐ、求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり。汝等のうち父たる者、たれか其の子魚(こうお)を求めんに、魚の代に蛇を與へ、卵を求めんに蠍(さそり)を與へんや。さらば汝ら惡しき者ながら、善き賜物をその子らに與ふるを知る。まして天の父は、求むる者に聖靈を賜はざらんや』
  さてイエス唖(おふし)の惡鬼を逐ひいだし給へば、惡鬼いでて唖もの言ひしにより、群衆あやしめり。其の中の或者ども言ふ『かれは惡鬼の首ベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出すなり』また或者どもは、イエスを試みんとて天よりの徴を求む。イエスその思を知りて言ひ給ふ『すべて分れ爭ふ國は亡び、分れ爭ふ家は倒る。サタンもし分れ爭はば、その國いかで立つべき。汝等わが惡鬼を逐ひ出すを、ベルゼブルに由ると言へばなり。我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人(さばきびと)となるべし。されど我もし神の指によりて惡鬼を逐ひ出さば、神の國は既に汝らに到れるなり。強きもの武具をよろひて己が屋敷を守るときは、其の所有(もちもの)安全なり。されど更に強きもの來りて之に勝つときは、恃(たのみ)とする武具をことごとく奪ひて、分捕物(ぶんどりもの)を分たん。我と偕ならぬ者は我にそむき、我と共に集めぬ者は散すなり。穢れし靈、人を出づる時は、水なき處を巡りて休を求む。されど得ずして言ふ「わが出でし家に歸らん」歸りて其の家の掃き淨められ、飾られたるを見、遂に往きて己よりも惡しき他の七つの靈を連れきたり、共に入りて此處に住む。さればその人の後の状(さま)は、前よりも惡しくなるなり』
13040314 此等のことを言ひ給ふとき、群衆の中より或女、聲をあげて言ふ『幸福なるかな、汝を宿しし胎、なんぢの哺ひし乳房は』イエス言ひたまふ『更に幸福なるかな、神の言を聽きて之を守る人は』群衆おし集れる時、イエス言ひ出でたまふ『今の世は邪曲(よこしま)なる代にして徴を求む。されどヨナの徴のほかに徴は與へられじ。ヨナがニネベの人に徴となりし如く、人の子もまた今の代に然らん。南の女王、審判のとき、今の代の人と共に起きて之が罪を定めん。彼はソロモンの智慧を聽かんとて地の極より來れり。視よ、ソロモンよりも勝るもの此處にあり。ニネベの人、審判(さばき)のとき、今の代(よ)の人と共に立ちて之が罪を定めん。彼らはヨナの宣ぶる言によりて悔改めたり。視よ、ヨナよりも勝るもの此處に在り。
  誰も燈火(ともしび)をともして、穴藏の中(うち)または升の下におく者なし。入り來(きた)る者の光を見んために、燈臺(とうだい)の上に置くなり。汝の身の燈火は目なり、汝の目正しき時は、全身明るからん。されど惡しき時は、身もまた暗からん。この故に汝の内の光、闇にはあらぬか、省みよ。もし汝の全身明るくして暗き所なくば、輝ける燈火に照さるる如く、その身全く明るからん』
13040315  イエスの語り給へるとき、或パリサイ人その家にて食事し給はん事を請ひたれば、入りて席に著きたまふ。食事前に手を洗ひ給はぬを、此のパリサイ人見て怪しみたれば、主これに言ひたまふ『今や汝らパリサイ人は、酒杯と盆との外を潔(きよ)くす、されど汝らの内は貪慾(どんよく)と惡とにて滿つるなり。愚なる者よ、外を造りし者は、内をも造りしならずや。唯その内にある物を施せ。さらば一切の物なんぢらの爲に潔くなるなり。 禍害なるかな、パリサイ人よ、汝らは薄荷(はくか)・芸香(うんこう)その他あらゆる野菜の十分の一を納めて、公平と神に對する愛とを等閑(なほざり)にす、されど之は行ふべきものなり。而して彼もまた等閑にすべきものならず。禍害なるかな、パリサイ人よ、汝らは會堂の上座、市場にての敬禮を喜ぶ。禍害なるかな、汝らは露れぬ墓のごとし。其の上を歩む人これを知らぬなり』
 教法師の一人、答へて言ふ『師よ、斯かることを言ふは、我らをも辱しむるなり』イエス言ひ給ふ『なんぢら教法師も禍害なる哉。なんぢら擔(にな)ひ難き荷を人に負せて、自ら指一つだに其の荷につけぬなり。禍害なるかな、汝らは預言者たちの墓を建つ、之を殺しし者は汝らの先祖なり。げに汝らは先祖の所作(しわざ)を可しとする證人(あかしびと)ぞ。それは彼らは之を殺し、汝らは其の墓を建つればなり。この故に神の智慧いへる言あり、われ預言者と使徒とを彼らに遣さんに、その中の或者を殺し、また逐ひ苦しめん。世の創より流されたる凡ての預言者の血、即ちアベルの血より、祭壇と聖所との間にて殺されたるザカリヤの血に至るまでを、今の代に糺すべきなり。然り、われ汝らに告ぐ、今の代は糺さるべし。禍害(わざわひ)なるかな教法師よ、13040316なんぢらは知識の鍵を取り去りて自ら入らず、入らんとする人をも止めしなり』
  此處より出で給へば、學者・パリサイ人ら烈しく詰め寄せて、樣々のことを詰(なじ)りはじめ、その口より何事をか捉へんと待構へたり。

「求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」とあるわけですが、どうなのでしょうか。ただこれで今後は私はこの「ルカ傳」もよく開くようになるでしょう。
 その時が嬉しい思いです。

12102610  マタイ傳の第7章の一部です。

求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。

 私はいつもこの「マタイ傳」を開いています。
 吉本(吉本隆明)さんの「マチウ書試論」があるから、私はこのマタイ傳をよく読むようになったものです。吉本隆明さんのいうマチウ書とは、マタイ傳のフランス語訳での言い方です。
 いつもマタイ傳ばかり読んできましたが、ここ二年くらいは「マルコ傳」も読むようになりました。このマルコ傳の第一五章を読むと、イエス・キリストのことを思います。
 インターネットですと以下をよく開きます。

  マタイ傳福音書

 私なんか『聖書』など読んでも、がらにも合わないし、第一さっぱり分からないし、信仰心ももともとないから、ただ分からないことだらけです。
 ただいつも「マチウ書試論」を思い浮かべ何度も何度も読んでいるものです。
 でも口語訳はどうしてもなじめないものですね。ただ実際の教会の牧師さんの言葉を聞くと、私には口語訳で充分な気がしています。

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