将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:汐文社

 この本のあとがきで著者が次のように言っています。

  最後になりましたが、私が書いた『ぼくはノウサギのクック』をみ
 ごとに翻訳して、すばらしい本に仕上げてくださった蒲原ユミ子先生
 に厚く御礼申し上げます

 どうやら、この本を書き上げたのは蒲原ユミ子さんのようです。

11010208書 名 野うさぎクックは宝もの
著 者 野紫木洋
発行所 汐文社
1997年4月初版第1刷発行

 小学校4年生の優紀はいま学校へ行っていません。学校へ行こうとする朝になると、熱が出て頭が痛くなります。典型的な不登校の子どもの症状ですね。お父さんとお母さんは二人とも教員で、実に忙しいようです。この二人はとても物分かりのいい父母です。そして優紀のおじいちゃん、優紀のお父さんの父親も一緒に住んでいます。このおじいちゃんがかなりな存在感があります。本当は優しいのだけれど、優紀に言う言葉はぶっきらぼうです。いや孫の優紀にだけではなく、息子にも嫁にもいいたいことをずばずば言います。 思えば、こんなおじいちゃんっていたものだよなと思います。あとで出てくるヒゲ先生というお親父もそうなのですが、昔の町にはこんなお年寄りが必ずいたものでした。自分の孫だろうが、近所の子どもだろうが、誰だろうが、うるさく意見を言います。言われた子どもたちは、「うるせえな!」なんていいながらも、そこで何かを学んでいたような気がします。あるいは意見はいわないけれど、ただ頑固に一つのことをやり遂げている偏屈な親父がいたものでした。これまた、私たちは「へんな親父だな」と思いながらも、心の奥底ではなんだか親しみを感じていたものでした。
 こんなお年寄り、親父たちは今いったいどうしちゃったんだろうななんて思います。思えば、私の父もこんな存在でした。近所の男の子たちには怖い存在だったでしょう。それでもたぶん、怖いけれど実は頼もしい存在だったんじゃないかな。そんな親父たちがいなくなったのではなく、私たちこそが、またそんな存在になるべきなのかもしれません。

 ある日、このおじいちゃんが、「なんとなく優紀に似ていたもんで、思わず拾ってしまったよ」と野うさぎの子どもを拾ってきます。優紀は野うさぎなんかに興味はありません。学校にだって、うさぎなんてたくさんいるんです。でもだんだんこの野うさぎのことが好きになってきます。優紀はクックという名前をつけます
 私の兄と弟の奥さんの実家でうさぎを飼っていて、それがだんだん増えてしまい、実家のほうの小学校だけではなく、私の弟どころか私の子どもたちの学校にまで、そのうさぎを持っていきました。よく私の子どもたちと、「あれが双子ちゃんからのうさぎだよ(兄と弟の奥さんは姉妹であり、さらにその妹がいて、その子どもが双子でして、ここの家でたくさんのうさぎになってしまった)」と、学校に見に行ったものでした。自宅でうさぎを飼えないうちの子どもたちはいつまでも見ていたものでした。
 私の子どもたちと同じように、優紀のところへ学校の同級生たちがクックに会いにやってきます。そこで優紀といろいろなトラブルが起きてきます。優紀は同級生と初めて喧嘩もしてしまいます。でもこの喧嘩をおじいちゃんは「たまにはけんかするのも、男の子らしくてよかろう」としかいいません。どうやら優紀には友だちがはじめてできるのかもしれません。
 でも野性の野うさぎをこのままにしておいたのでは、もうクックは自然に戻れないどころか、死んでしまうかもしれません。それに元気になった優紀が二学期から学校に通うようになると、クックの世話をすることができません。それで優紀は悩んだあげく、ヒゲ先生という風変わりな親父さんに、クックのことを相談に行きます。ヒゲ先生は自然や野性の動植物のことが詳しいのです。

 こんな優紀って、いい環境だなと思います。回りにいろいろな人がいて、それぞれがいわばおせっかいなほど関係してきます。これはいいなと私は思います。父親や母親も、いろいろと優紀のことを考えているようです。でも優紀にこうしろというような態度は誰もとりません。
 私は教育というのは、人と人とが出会うときに、互いに影響しあうその動きのことだと思っています。優紀はクックを飼うことによって、いろいろなことを学びました、いろいろな人と知り合い、その人の思いを知りました。優紀のやることも、回りの人に大きな影響をあたえているのです。お父さんも少しは仕事人間から、抜け出せるかもしれません。お母さんだって。

 なんだか読んでいて、とても素直な気持になれます。自然を守ろうとか、環境破壊は良くないとか、声高に叫ぶのではなく、こうして野うさぎと出会うことによって、ある少年とその回りの子どもたちや大人たちが、何か少しでも変われたかに思えるのはいいなあ、と感じてしまうのです。
 もっともっと、こんな物語を読んでみたいなと思っています。(1997.05.17)

10122305書名  健太となかまたち
著者  蒲原ユミ子
絵   宮崎耕平
発行所 汐文社
1997年2月発行

 私はこの題名の「健太」という字を見たときに、「あ、私の好きな男の子の名前だなと思いました。健太というのは、私が昔進学教室をやっていたときに4年生から6年生までいた男の子でした。最初は千葉教室で日曜日だけ来ていたのですが、そのうちそのほかにも週に二回船橋まで通ってくるようになりました。お母さんの話だと、彼は私たちの進学教室で好きでたまらなかったようです。そして私も元気な男の子だった彼が大好きでした。ただ、私はいつも「うるさいから、静かにしろ」と怒っていたばかりいたような気がします。
 もう一人の登場する男の子が「一平」という名です。この名前も私は好きなのですね。私の大学のときの仲間後輩でも何人か自分の子どもにこの名前をつけた人がいます。今思い出すと、「あいつもそうだ、彼女もそうだ」と幾人も浮かんできました。
 そんな私は最初から興味シンシン読んでいきました。

 健太は東京の男の子でしたが、喘息で丈夫ではありませんでした。健太の健康のことと、お母さんがもともと自然のある田舎で暮らしたいという気持があったためにお父さんを説得して、秋田県の北、能代川の流れるあたりに引っ越してきます。意地悪な目をした私なら、「そんなこと簡単にできるわけないじゃないか、第一田舎がそんなにいいわきゃないよ」というところでしょうが、実は私の友人に実際に子どもの喘息のために東京の神楽坂の家から、房総安房に引っ越してしまった人がいるために、そんな違和感がありません。その友人も丈夫になった娘さんのことを自慢げに話してくれたものでした。
 都会を否定し、田園と自然のある田舎を一方的に礼賛する傾向やそうした人を、私は少しも評価しません。そしてそうした主張のある文書は、私は少しも好きになれません。でもこの物語には、私はそんなことよりも、違うものしか見えてきません。これは豊かな自然のもとでの男の子たちの童話なのですね。物語の半ばから参加してくるヒロキも、最初は喘息のひよわな子です。なんだか健太と一平と打ち解けないのですが、それが自然に仲よくなってしまいます。それはおそらく、ここが都会ではなく田舎だからということではなく、ここではなにしろ子どもたちは直接に触れ合い、ぶつかりあう環境にしかないからだろう、そしてまた健太の両親も、そのような形を懸命に作っているからだろう
と思います。
 田舎礼賛のエコロジカルな物語だったら、私はすぐに読むのをやめてしまったでしょう。そうではなく、ここに書かれている男の子たちの姿やその遊び回っている風景が、私たちの身体の中に郷愁としてつねに思い出されてしまうようなものだからからなのだと思います。著者が

  ある日、一人でカマクラという大きなどじょうがよくとれる小川でざ
 るをすくっていました。はだしでザクザクと小川の隠れ家をたたき、生
 き物たちをざるの方へ追い出します。十分追い込んだところでざるを持
 ち上げました。ざるの中の濁った水が、大波がうねるように大きく揺れ
 ていたので、内心、──これは大物だ!──と、どきどきしながらざる
 をゆすっていました。ところが、水がひけたざるの中にあらわれたのは、
 ぶっとい蛇の青大蛇でした。思わず、側の田んぼにざるを放り投げまし
 た。けれど、そんなことくらいではへこたれません。また、ちゃんと翌
 日も一人で小川に出かけたものです。       (「あとがき」)

と書いているところなど、私も懐かしく思い出すような光景です。私はまさか青大蛇を取ってしまったりはありませんが、こんなことを何日もやっていたのを思い出します。小学校3年生の頃でした。何人もの仲間たちと、いつもいつもいろいろなところへ出かけていたものです。そして、よく同じような小川でいろいろなもをを取ったり、とんでもないことを(小川といってもたぶん農業用水に使っていたのだろうけれど、私たちは砂で堤防を作って何度も川の流れをせき止め、流れを変えてしまった。ある日お百姓さんが怒ってきたっけ)していました。
 でもそうした私たちの心の中にある懐かしいものを思い出させてくれた物語です。私は出版されたときに真っ先に読んだものでした。1997年2月のことでした。

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