将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:江分利満

11062607 ブルータスからのケータイメールはもう私は泣けてしまいます。あ、昨日の23時56分のメールですが、今も私は読んで泣けるのです。

2011/06/27 08:00ちょうど「おひさま」が始まりました。この寸前までボンドでDURO CARCO DC15の少し外れたところを接着していました。
2011/06/27 08:07今あることをやっていまして、でもこの「おひさま」の内容では、また私は涙です。
 昨日の夜12時寸前の私の次女ブルータスからのケータイメールを思い浮かべます。
2011/06/27 10:02「ちい散歩」を見始めました。北九州の小倉って私は行ったことはないです。何度も通り過ぎているいるんでしょうが。私の妻が生まれたところです。
 そういえば、インターネット上で、この「ちい散歩」を非難している書き込みがありました。ときどきちいさんが、あちこちでブランコに乗るのが気にいらないらしいです。私はいつも心和むシーンなのですが、あれが嫌な人もいるんだ。なんとなく、どうしようもない人だなあ。
 山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』を思い出します。江分利は、都会の街の片隅にある小さな公園が好きなのです。そういうところにあるブランコが好きなのです。
 私はこの番組もちいさんも大好きです。
2011/06/27 18:03どうしても忘れがちなことがありますね。
 このポメラを書くことも忘れがちです。上の山口瞳の小説の中のエピソードも正確に本から抜書きできません。
 いや、私のこのすぐ近くにあったはずの『江分利満氏の優雅な生活』がないのです。『華麗な』のほうはあるのですが。
 私が横浜の白楽のある古書店で高校2年か3年で買った本です。いつもときどき読んでいました。もうボロボロで、どうかしちゃったのかなあ。

 山口瞳の好きだった飲み屋を思い出します。目白のキリキリシャンとした和服の白髪の女将の店も良かったな。私が29歳の頃飲んでいた店です。思い出して、また涙を流しています。

  私は、「山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』」の書評の中で、

  一体、この「白髪の老人」とは誰のことだろう。

と私は書きました。私はこれがあるときに思い当たったのです。この老人とは、私は市川房枝ではないのかと、思い当たったのです。もちろん山口瞳は、市川房枝のことを言っているわけではありません。でも私にとって、戦中派である江分利満の酔っている頭に浮かんできた「白髪の老人」とは、市川房枝に思えてならないのです。こう私が思い付いたのは、もちろん市川房枝がまだ存命なときのことです。

11032216  私は随分前から、いわゆる女性運動家の大政翼賛会と戦争への加担の仕方などを批判していたのですが、そのことについての詳細な本があると聞いていました。そして私あてにわざわざとっておいてくれた人がいます。

書  名  フェミニズムと戦争−婦人運動家の戦争協力
著  者  鈴木裕子
発行所  マルジュ社
1986年8月1日第1刷発行

  著者は私より1歳年下の方です。「戦争も知らないくせに生意気な、といったお叱りを受けそうである」と「はじめに」に書かれているように、私もこうした論議をしていくと、よく上の世代に同じように言われたものです。でも私は言うのをやめませんでした。さらにこの著者が扱っているのは、戦前の婦人運動家です。これはけっこう煙たく思われていることでしょう。

    本書で扱う婦人運動家・婦人指導者のなかには、その高潔な人
  柄と庶民的な性格で大衆的な人気と尊敬を集めてきた人も含まれ
  ている。
    また戦前日本の婦人運動史を多少とも勉強している人なら、戦
  前の婦人運動家たちが、世間からふだんに受ける悪罵、中傷、揶
  揄、冷笑などものともせず、精神的にも経済的にもいかに困難な
  道を歩んできたかは、容易に知れることである。日本の社会運動
  史・女性史研究の驥尾に付しているわたくしとて、そのことはよ
  く承知しているつもりである。にもかかわらず、いや、そうであ
  るからこそというべきであろう、わたくしは戦中におかした彼女
  たちの過ちについても検討しなくてはならないと思うのである。
 (はじめに)

  こうして何人もの婦人運動家の大政翼賛会ならびに戦争への加担協力の実態を明らかにしています。ここで大きく扱われているのは、高良とみ、羽仁説子、市川房枝、山高しげり、奥むめおの5人です。私はこの中で、市川房枝に関したところを見ていきたいと思います。今も彼女の志を継ぐという二院クラブとかが存在するわけですし、青島幸男は都知事になりましたし、私はこの市川房枝のことだけは尊敬しているという婦人たちに、今も出会うことが多いからです。そのたびに、どうにもいつも何もかも話してしまいたい衝動にかられてきました。いまそうしたことを、少しでもこの本の紹介で明らかにしてみたいと思うのです。
  市川房枝(1893〜1981年)は、戦前には婦人参政権運動、戦後は参議院議員として政治浄化を唱え、戦前戦後を通じて婦人運動に生きた方です。市川はいかに、戦争に協力し、体制に加担していったのでしょうか。
  満州事変の勃発に際しては、

  ……婦人は、国境の区別なく平和の愛好者である。
    此度の満州事変に際しても、私共は婦人の殆どすべては、その
  勃発を悲しみ、一日も早く無事解決される事を切望していると断
  言して憚らない。

と言っていた市川も、1937年7月の支那事変には、

     ……ここ迄来てしまった以上、最早行くところ迄行くより外あ
  るまい。

とまでいうようになってしまいます。事変の勃発から2か月たっているのですが、その間かなり苦悩したようです。この時の市川の苦悩と転回を、著者は市川の文を紹介して、次のように言っています。

    苦衷と煩悶を振り切って、国家のため、婦人のため、進んで戦
  争に協力していこうと思うまでの心的プロセスがよくあらわされ
  ていよう。と同時に、わたしたちは市川の婦人運動家としての使
  命感・責任感の強さに目をみはらされる。この強烈な責任感、使
  命感、そして時に「愚直」にさえみえる誠実さは、市川房枝の生
  涯を貫いたひとすじの糸であった、と思われるが、ならばこそ、
  このひとすじさが彼女にあっては、戦争協力・加担への“転回”
  をももたらした。

  1937年9月、市川は日本婦人団体連盟を結成する。この連盟の任務と役割についての文で市川は次のように述べています。

    国家総動員といふからには、国民の半数を占むる婦人もふくま
  れてゐるに違ひない。婦人を動員するためにには男子と異つた手
  段方法を要するのである。……
    ……私共は、政府当局が婦人を認めると否とに拘らず、小にし
  ては各自の家庭、各自の生活を守るために、大にしては愛する国
  家のために、婦人としての部署を守ることの必要を痛感するもの
  である。……
    然して政府の総動員計画に側面から協力、その足らざる点を少
  しでも補ひたい者である。


  この「側面から協力」といっていたものが、すぐに市川の「公職」への就任となって転回していきます。完全に国策へ協力していきます。
  市川は1940年2月から約2か月間、日中戦争中の中国へ出かけています。ここで市川は中国人の抗日意識の強力さ、日本軍の占領統治の不安定さを充分認識したはずです。しかし、市川は帰国後、よりいっそう自分を含めた女性の国策協力を推進していきます。1940年7月第2次近衛内閣が成立し、新体制運動が開始され、すべての政党、団体が解散して大政翼賛会に参加していきます。市川の婦選獲得同盟も同9月に解散します。そして数々の婦人組織を一元化し、大政翼賛会に結実していこうとします。市川は大政翼賛会に、もっと婦人を加えろ、婦人にはもっと大政翼賛会に協力しようという主張をしていくことになります。そしてそれは強力に押し進められます。
  さらに日米開戦となり、よりいっそう市川は大政翼賛運動を推進していく役割を果たしていきます。

    今次の支那事変並びに大東亜戦争に於ては、日本民族の優秀性
  がはっきり確認され、東亜十億の指導者としての地位が確立いた
  しました。
    大東亜共栄圏を確立し、その悠久にして健全なる発展をはかる
  ためには、何よりも日本民族の人口が更に増加し、その資質の増
  強をはかる事が重要となりました。
  (中略)
    かくて産み、育てることは、母親一人の、乃至はその家庭の私
  事ではなく、国家民族の公事として取り上げられる事となりまし
  た事は、産むものの立場として肩身広く、嬉しい限りであります。
    国家のこの要望に対して、婦人は、今こそ民族の母としての自
  覚をしっかり持ち、量、質とも優良なる日本民族を産み、育成す
  るやう努力しようではありませんか。
    これは婦人としての、否、婦人でなければ出来ない御奉公であ
  り、大政翼賛の最も重要な事項であります。
   (「婦人戦時読本」1943.7昭和書房の市川が執筆した「婦人と
    国家」の一節)

  これが、いったい婦人運動家の言葉なのですか。いったい女を、母親をどう考えているのでしょうか。こうして市川は、大政翼賛運動を文字どおり支えていったのです。
  たくさんのたくさんの若者があの戦争で死んでいきました。なにも教えられず、ただ祖国の為だ、祖国とは自分の母であり、父であり、恋人であると信じて戦場へ出て行きました。誰も本当なら、一人の人間としてどのように生きる資格も権利もあったのです。戦争を推進した指導者たちは、裁かれるべきです(もちろんこれは、連合軍によって裁かれることを肯定はしません)。裁かれなければ、自分で反省してほしい。

    敗戦後私自身は戦争協力者として三年七カ月追放になりましたが、ある
  程度戦争に協力したことは事実ですからね。その責任は感じています。し
  かしそれを不名誉とは思いません。(中略)
  ……私はあの時代ああいう状況の下において国民の一人である以上、当然  といわないまでも恥とは思わないというんですが、間違っているでしょう
  かね。  (市川房枝「私の婦人運動−戦前から戦後へ−」1979年)

  当りまえではないか、間違っているよ。なぜ反省出来ないのだ。その血塗られた手をそのままに、また戦後同じ形の運動をやっていっただけではないのか。私は今もまた「市川房枝先生の志を受け継ぎ……」などという女性がいることに我慢ならない気持なのです。こうした発言をされる女性には、どうしてか私はよくお会いしてしまいます。そうしたときには、私はいつも上のようなことを言い続けております。
  しかし、それにしても実にいい著作です。この著者は、私が女性運動家としては、一番好きになれる山川菊栄の全集などの編集もやっていることを知り、ますます感心しています。(1998.11.01)

10120808 山口瞳が肺ガンにて30日亡くなりました。私の大好きな作家でした。我孫子図書館にある山口瞳の本は全て読んでいたものです。私はまだ読んでいないといったら、「男性自身」の最近に近い単行本でしょうか。まだ若いのになあ、という思いです。典型的な戦中派作家という感じでしたね。
 一番印象に残る作品といったら、「江分利満氏の優雅な生活」「江分利満氏の華麗な生活」「血族」「姻族」「酒飲みの自己弁護」でしょうか。江分利満氏に関しては、今も時々読んでいますが、どうしても涙が出てくるところがあります。あの中に出てくる江分利満も佐藤勝利さんも、もういないということなのかな。夏子夫人はどうしたのだろう。
 そういえば、山口瞳の先生の高橋義孝も先日亡くなりましたね。なんだか淋しいことです。だんだん悲惨に腹いっぱい飲む人が少なくなりますね。
 合掌します。前に「江分利満氏の優雅な生活」の書評は書きましたから、何かほかの作品の書評も書いてみます。(1995.08.31)

 なんだか山口瞳と飲んでしまったよ
 やっぱり山口瞳が亡くなったのは悲しい。ずっと今「酒呑みの自己弁護」を読みながら、飲んでぶつぶつ言っていた。たくさんのこと、この本でも教わったなあ。梶山季之なんて、ただのエロ作家くらいにしか思っていなかったが、この山口瞳の書いているところを読んでから、私も読んでみたものです。
 梶山季之って、いいね。私は実は頼山陽のこと梶山季之の小説で知ったのです(もちろん山陽の詩は詩吟をやっていたわけですから、昔から詳しく知っていた)。山陽の莫大にある詩の、それこそその数十倍も作詩している山陽の存在を知りました。自在に奔放に生きる山陽の姿を、私は梶山季之によって知りました。そして、山陽の彼女たる江馬細香も知りました(もちろん、もともと知っているわけだが、これは大きいのです。そして私は細香に関しては、いくつもの書物を読みました。そして詩は全て読むことになりました)。何もかも、梶山季之と山口瞳のお蔭です。
 いったい私が山口瞳から入っていった人って、どれくらいいるでしょうか。例えば例えば(私はいつもとんでもない人をあげる)、綱淵謙錠なんて作家は、私は思うのだが、多分、山口瞳が銀座ルパンで飲んでいたとき(いや、思えばこんなことないかもしれない、ルパンは太宰と織田作と田中英光かな)、なんとなく山口瞳が煙たく面倒で話しかけられない存在だったのじゃないのかな。つまりは、俺たちと違って、もっと上のところで静かに飲んでいるって奴がいるでしょう。それが綱淵謙錠じゃないのかな。だから、もしもその場に私がいたら、そりゃ当然綱淵に絡みますよ。その為に、私は明治維新戦争のことは学んできたし、綱淵謙錠の小説はせっせと読んできました。いつか機会があるものと思ってきました。私は綱淵の「戊辰落日」を嫌いではありません。でもでも、ただただひたすら江分利満の為に、綱淵に絡むことを夢見ていました。(ただし、山口さんは綱淵のこと何等書いていないかもしれないよ。だだ、私にはそうした匂いがするのです。飲み屋での上の席と酔いどれの席の差が) もうすべて甲斐ないことになってしまいました。
 飲んでではなく、しらふでもとにかく一番希望していたのは、山口さんに、我が吉本(吉本隆明)さんと対談して欲しかったことだ。おそらく、こんな希望をいうのは日本で私しかいないだろうな。でも、私はあの70年11月25日の三島由紀夫の自刃に関して、すくなくともすぐさま読むべきことを言いえていたのは、この二人しかいない。
 おそらく、三島さんは吉本さんが言ったことには、真っ直ぐに聴いているだろう。山口さんの言ったことには、「いやいや」と首をふって、「私だって貴方と同じ戦中派なのだ」とすり寄っていく気がする。吉本さんはそういう三島が耐えられないし、山口さんは、それこそそうした三島を冷たく引き離すのではないかな。
 もう少し生きててほしかったな。(1995.09.01)

e1d65e5d.jpg

 本当に私は阿呆です。馬鹿です。快男児佐藤勝利さんのことで を書いたことで、この文庫本を読み、そしてやっぱり涙を流してしまいました。たった今も涙が溢れます。
 この本の最後ですが、少しだけ引用します。

………………………………。乱闘はみっともない。しかし江分利にとっては、みっともなくない。それがこのMPにわからないのかな。頭を割られた兵隊は泣いているかもしれない。江分利はしかしMPに叱られても、この場の情景だけは大事にしたい、よく見とどけたいと思った。バカバカしいことさ。バカバカしいけれど大事なことなんだ。これは。
 それが毎年のライスボウルだった。駐留軍の数がだんだん減ってくると、ライスボウルもおとなしくなった。サラリーマンみたないな兵隊がふえてきた。彼等は「戦争」を知らない。軍楽隊も威勢がわるい。
「あれは、もう終っちまったんだな」と江分利は思う。酔いが廻ってくる。ずいぶんいろんなことがあったけれど、バカバカしいことはもう起こらないだろう。
 ああいう時代や、ああいうことはもう終わったんだ、と思う。あれはせいぜい「バイア・コン・ディオス・マイ・ダーリン」までだったんだな。
(山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』「昭和の日本人」)

 なんで、私はこんなに泣いてしまうのでしょうか。どこページを読んでいても、涙が湧いてきます。
 私の父は大正2年生まれです。実際に戦争に行きました。江分利である、山口瞳は大正15年生まれ(14年だったかなあ。昭和元年生まれとすぐ近い。大正15年は、昭和元年と同じ年)、だからやはり戦中派です。戦後生まれの私とは違います。大正生まれの私の父たちとも違います。

 写真は、一つ前のUPは、実際の「優雅」の文庫本です。私はこれをどこで買ったのでしょうか。もともとは、この文庫本で読んだわけではありません。
 ここの写真は『江分利満氏の華麗な生活』です。これもどこで買ったのでしょうか。みな古書店ばかりで手に入れていました。

    快男児佐藤勝利さんのことで へ

 私は以下の書込みをしていました。

江分利満の同僚の佐藤勝利さんの校正の話で
思い出した。たしか「完璧」の字のことだった
思い出した。たしか「完璧」の字のことだった 2
思い出した。たしか「完璧」の字のことだった 3

 私は7月14日に我孫子の自宅へ帰りました。ピアノを出す用があったのです。そのときに、自分の寝室で、山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』の新潮文庫本を見つけました。パソコンのHDケースの中の上にありましたが、その上にはいくつものものが重なっていました。

 この7月に書き込んで、すぐに本屋に行きまして、絶版を知り、図書館へ行きましても、読めないで、インターネットのオンラインでも、『江分利満氏の華麗な生活』はありまして、手にいれましたが、『優雅』はありません。さらに古書店を歩きましたが、「これは簡単には内容を確認するということはできないのだ」ということが判っただけです。
 それで、上のような書込みをしたのでした。

07080203 でも、14日にこの文庫本を手にして、私は実に喜びました。次の内容です。

 どこの会社にも快男児がいる。快男児的存在がある。東西電機における快男児は業務課の佐藤勝利だ。佐藤は江分利と同じ社宅群の、前列向かって左側に住んでいる。
 佐藤のどこが快男児的であるかといえば、たとえば佐藤は江分利たちのつくる宣伝物に誤植があれば必ず発見してしまう。宣伝物は業務課を通って出稿し責了となった校正刷も業務課を通るから、江分利たちは、ずい分助けられたわけだ。致命的な値段表・商品名のミスを発見してもらったことさえある。
「江分利さん、えらいすんまへんが、これ、今度3千5百円になったのとちがいまっか?」佐藤はむしろ恥ずかしそうにいう。「念のためにうかがいますが、この文案の、ここん所完璧の璧は壁やのうて、下が玉になってるのとちがいまっか? 当用漢字では壁でよろしいのでっか?」などというので、おそれいってしまう。
(山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』「困ってしまう」)

 私は以上のとくに、佐藤勝利の「」内の発言を思い出したかっただけなのです。それなのに、それができなくて、最後は飲み屋のカウンターでしょんぼりしていたものでした。
 でもこうして、実際に確認できると、嬉しいものでした。
 ただし、もう現実の世界で、この佐藤勝利さん(現実の世界で、このモデルになった方)にお会いすることは、もうできないのでしょうね。なんだか、実に寂しい悲しい思いになります。でももう仕方のないことなのでしょうね。

 快男児佐藤勝利さんのことで の2 へ

07052402 周の雑読備忘録「柳原良平『おうちのともだち』」に次のように書きました。

 江分利満のおかげで、私はたくさんの方を知りました。あの「江分利満氏」の「優雅な生活」「華麗な生活」に出てくる実際の寿やさんの社員だろうという方々、そしてあれのイラストのこの柳原良平さん、そして常磐新平さん。

 このときに、私は当然、あの中の登場人物の中で、佐藤勝利を思い浮かべていました(あ、もちろん佐藤勝利というのは、小説の中の名前です。本名は違う名前です)。いつもいつも私はこの佐藤勝利さんのことを思う浮かべては、ニヤニヤしながら、かつ何だか涙を浮かべています。私は 映画「江分利満氏の優雅な生活」に次のように書いています。

 昔、nifty のある会議室で、私はこの江分利満氏の話をしていたら、つまり私が「佐藤勝利さんが一番好きだ」とかなんとか言っていましたら、実際にあのサントリーの社宅群に住んでいた方がいましてね(その方もあの小説に出てくる登場人物です)、その方から何度か会議室の交換をいただいて、実に感激したものでした。彼も私のいうことを見て、「こんな若い奴にも山口瞳が好きなのがいる」と喜んでくれたようです。

 この佐藤勝利さんは、実際には、実に豪快な方だったようです。まさしくこの小説で書かれていたとおりだったのですね。
 それで実は、この佐藤勝利さんが小説の中で、えがかれている内容で私が思い出したことがありましたが、その内容が詳細に思い起こすことができません。それは次のようなことです。
 佐藤勝利さんは、自分の仕事ではないのですが、実にさまざまなことをやってくれる方なのです。広告コピーの校正で、佐藤さんが話されるセリフなのです。
 私も昔広告制作の仕事に携わっていましたから、校正は色校正含めて、たくさんやってきましたが、ここでは文字校正のことです。

 でもでも、私はこの内容が思い出せないのです。佐藤勝利さんの言われている内容を思い出せません。山口瞳の小説はほぼすべてに近いくらい読んできました。最後は我孫子図書館で、あるかぎり読んできました。そして「江分利満氏の優雅な生活」も「江分利満氏の華麗な生活」も文庫本で何度も何度も読んできました。
 でもその文庫本は我孫子の家にあるのです。だから、仕方ないからインターネット上でなんとしても確認しようとしました。

   http://books.bitway.ne.jp/  ビットウェイブックス

にて、「江分利満氏の華麗な生活」のほうは、全文購入しまして(315円でした)すべて読みましたが、どうやら佐藤勝利さんの校正に関する話は、「優雅」なほうのようです。でもでも、ここで困りました。「江分利満氏の優雅な生活」のほうは、ビットウェイブックスには提供されていないのです。「では、本屋で新潮文庫を立ち読みするか」と思いまして、私はサミットストアに急ぎました(食事用のものを買う用意もありました)。わが家のおかあさん2007.05.24 で載せました写真は、そのときに途中で撮りましたものです。
 でもサミットストアにはありません。その帰り王子図書館に行きます。でもここにも「江分利満氏の優雅な生活」はありません。
 私はその日秋葉原に行く用がありました。ヨドバシカメラの8偕の書店で検索しても、山口瞳の本はたくさんあり、「華麗な」はありますが「優雅な」のほうはありません。絶版なのです。
 かくして困りまして、ある古書店に行くことにしました。「あそこならたぶんあるだろう?」 でもでも、山口瞳はあっても、「優雅な」はないのです。私はでもとにかく古書店に入ると、とにかく必ずなにかの本は買います。そうしないと古書店に悪いような気持になっています。
 かくして、私には「江分利満氏の優雅な生活」の中で佐藤勝利のいう校正の話をここに再現することはできません。
 インターネットで調らべても、これほどインターネットが頼りにならないものだとは驚きました。いえ、一番頼りにならないのは、私の頭なのです。
 なんとかまた別の日に確認して、ここに書きます。いえいえ、たいしたことではないのですが、なんだか悔しい情けない気持です。

    思い出した。たしか「完璧」の字のことだった  へ

続きを読む

おうちのともだち
 これを王子図書館で見つけて、「あれ、柳原良平さんだ」と驚きました。柳原良平さんの独特なイラストは、私にとって江分利満のときから、ずっと親しんできたものです。山口瞳さんの小説とともに、どれくらい親しんできたものでしょうか。
 ポコちゃんは、まだ子どもではなく生後4カ月を過ぎた赤ちゃんです。まだ0歳です。だから、この0歳用の絵本を探すのが最初は大変でした。
 でもすぐに見つけることができました。そして、この柳原良平さんの絵本があったのです。

書 名 おうちのともだち
作・絵 柳原良平
発行所 こぐま社
定 価 900円+税
発行日 2006年4月25日第1刷発行
読了日 2007年5月22日

 絵を見ていて私は嬉しくなります。でもポコちゃんは、私が読んであげてもちゃんと見てくれない感じでした。ただ次のママのおはぎが、膝に乗せて読みますと、ちゃんと絵を見ています。そして、手で絵をさわろうとします。もうその手には、ポコちゃんのよだれがついています。
 私は、「これは公共の本ですから」と言いまして、その手をのけ、よだれは私のハンカチでふきます。でも、やっぱりママが読んであげると、いっぱい興味を持つようです。
 いい絵本を知りました。いい絵本作家を知りました。
 江分利満のおかげで、私はたくさんの方を知りました。あの「江分利満氏」の「優雅な生活」「華麗な生活」に出てくる実際の寿やさんの社員だろうという方々、そしてあれのイラストのこの柳原良平さん、そして常磐新平さん。
 もう私は山口瞳さんの小説で知った多くの方の、そのまたファンになっています。

↑このページのトップヘ