将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:江分利満氏の華麗な生活

12092417 このポメラをパソコン上でもよく付け加えます。そうして、いつも読み、書いているのです。

2012/09/25 07:56またリビングに「梅ちゃん先生」を見に来ました。
 ひろし君はどうしたのかなあ。ものすごく心配です。
120926082012/09/25 10:18「江分利満氏の優雅な生活」と「江分利満氏の華麗な生活」を私の後の本箱から持ってきました。なんだか読みたくなったのです。
 この二つの文庫本で、「優雅な生活」は

  昭和四十三年二月二十日発行
  昭和四十九年五月三十日十刷

となっています。
 私は「あれおかしいな」と思いました。私はこの作品を昭和42年の3月に横浜の白楽の古書店で買って読んでいるのです。・・・それで思い出しました。
 私はたしかにそこで買ったのでしたが、私は単行本で買っているのですね。そして「あまりによく読むから文庫本も買って置こう」と早稲田の古書店で買ったものでした。そして「華麗な生活」もまたその頃手に入れたものでした。その単行本は今はありません。
 中身を必死に読んで、また私は涙になっていました。私がNIFTYでメール交換したのは、この最初に活字で出てくる辺根さんだったように思えます。いや、電話番号を聞いて話したような気もしますね。いや小説の中の登場人物は違ったかもしれません。
 でも私はまたどうしてもこの小説の数々のところで涙になっていました。しょうがないですね。
 やっぱり、この作品は読んでいて、つらいばかりです。もちろん、笑うところも多いのですが、今は涙のほうが多いです。
2012/09/25 14:27そういえば、私の3年下の大学の後輩で、この山口瞳をまったく知らず、私は何度も作品をいくつかあげて話しましたが、驚いたものでした。吉本隆明や磯田光一のことなら私と話せるのに、この山口瞳をしらない12092418のです。そのとき彼はもう30歳くらいでした。その後私は彼とは一切付き合っていません。
 こういう手合いはときどきいますよ。もう今では、このインターネットすら何もやっていないでしょう。

 とにかく、これでまたUPします。

11102602 やはり暮ですから、飲む機会が多いものです(実は暮だろうがなんだろうがいつも飲んでいる私ですが)。それで、少し思ったことがあります。
 私の大好きな作家山口瞳の小説には、「酒を飲む」ということに関して、たくさんのことが書いてあります。
 それで、思い出したところです。「胃」のことで思いだしました。

  オンザ・ロックをダブルで……クールは例によってヒタと江分
  利に目を注いだまま無言である。江分利の思いついた洒落はバレ
  がかかっているから、マクラを振る必要がある。
 「東西電機に勤めているとね、関西人が多いでしょう。トテモ変
  なふうになることがありますよ、たとえば………」
  飲む。
 「たとえば、私、胃がわるいでしょう。始終吐き気があるんだ。
  もっともウィスキーを2杯飲むとなおるけれどね。ウィスキーを
  2杯飲んだあとの2、3時間だけが私の人生という気がしている
  んですよ」
 「まあ、へんですね」
 「たとえば、課長が江分利君からだの調子どう? なんて訊(き)
  くでしょう。こちらはよくないですねえ、と答えるよ。すると、
  むこうは、いいですか、と重ねてくる。『よくないんです』心配
  そうな顔で『いいでしょう?』とくる。『いいえ、わるいんです』
  『ですからね、いいでしょう』
 『ダメなんです、吐き気がして』『いいですね』『朝がいちばん
  駄目でしてね、朝は必ずはきます』『いいじゃないですか』『お
  もてへ出て、もう
 1回。もっとも、このときは胃液だけですが』『それはいいです
  ね』こっちは腹が立ってくるんだ」
 「…………………」
 「まあ、途中で気がつくけどね。いいが悪いという言い方がある
  んだなあ。胃のことをイイと発音するでしょう」
  クールは眼だけで笑う。30秒くらいたってから黒のワンピース
  がけたたましく笑う。空虚である。(後略)
            (山口瞳「江分利満氏の華麗な生活」)

 私はいつも山口瞳の本を読んでは笑っていますが、ここは何度も笑っています。「いいが悪い」か。

 この「始終吐き気があるんだ。もっともウィスキーを2杯飲むとなおるけれどね。ウィスキーを2杯飲んだあとの2、3時間だけが私の人生という気がしているんですよ」というのが、私も実感として判るときがよくあります。 私はよく前日の酔いが夕方まで残っていることが多々あります。そしてそのまま飲むことになる場合がこれまた多々あるわけなのです。そしてたとえば、ちょうど午後7時半頃ゴールデン街に向かうことがあります。私はもう2日酔いがきつくて、「ちょっと飲んだら、もうすぐ帰宅しよう」と考えています。私はもう終始吐き気がしています。とくに、靖国通りからゴールデン街に至る歩道あたりで、それこそ吐き気で、それこそ気持悪くて仕方ありません。それと私はその頃、トイレでおしっこがしたくなっています。2日酔いで1日中脱水状態で、やっとこの時間になって尿意を覚えてくるのです。それで、歩道の途中にあるトイレに入ろうと思っているのですが、何故かたいがい誰かが入っていて、私は「いいや、お店ですぐトイレに入ろう」と思います。
 そしてすぐ

  ゴールデン街「吐夢」

に着きます。ママがすぐ、私のボトルを出してくれます。ウォトカの「ストロヴァイヤン」です。私はこれをストレートで口に含みます。必ず私は同じことを思います。「何で、俺はこんな強い酒を飲んでいるんだろう」。50度のウォトカは、食道から通って空腹の胃に入っていく様が判ります。食道をそのまま焼くような感じで通っていくのです。
 そして吐き気はまだ続いています。「もうやめよう、もう帰ろう」と思いながら、グラスを空けて、私は2杯目を注ぎます。
 ママと「この間誰が来た」とかそうした話をしています。そして2杯目を空けて3杯目になるころ、ちょうど時間は8時10分くらい前なんですが、私はもうすっかり吐き気を忘れています。実に気持がよくなります。吐き気があったことなんかすっかり忘れ果ててしまいます。そしてそして、あとで気がつくのですが、私は尿意も忘れるというか、なくなっているのです。この尿意の問題に関しては、おそらく脱水作用でいた身体が、また飲んでいる事態になると、いわば膀胱内の水分を取り出して身体に回すのかなと思っています(あの、事実として科学的にこういうことはありえません。でも私はいつもそう思ってしまう身体の状態になるのです)。
 まさしく、この時には、あれほど強烈なウォトカが、非常に優しく甘い感じになっています。これは何でなのでしょうか。
 そして、また私はそのまま延々と飲み続けてしまうのです。こんなことを続けてもう何年になっているのでしょうか。

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