11021409 私の 当世駿台生気質 に江田さんからの次のコメントがありました。

1. Posted by 江田   2011年02月14日 09:18
ちょっときまぐれに読んでみたら、
う~ん、面白かった。
私などは頭をけっこう柔らかく使っている方だと自負していたけれど、いやいや、この人達は遙かに上手だなあと思った。若い人達は、案外ちゃんとものを考えていて、バカじゃない(人もけっこういる)のかねえ。
それに対して素直に「脱帽」している小野田氏もいいねえ。

(ところで)私は小野田襄二さんという人には会った記憶がなくて、たぶん名前だけしか知らないのだけど、当時のカリスマ的イメージとは違って、本当はけっこう親しみやすい自由人だったのかな?今は、かな?
私はかつて同時代を生きたそれらの人たちにも、ふだんは直接にはほとんど感心が無くなっていましたが、みんな元気にやっているのかなあ?
みんなそれぞれに元気で、幸福に生きているといいなあ、と思いますが。

 ありがとう。私はずっと御茶ノ水駅前に事務所があったので、小野田さんやさまざまな人が駿台予備校にいたので(今もいるか)、ときどき路で会ったり、私の事務所にもおいでになりました。
 このときには、駿台生とのお話会を小野田さんが企画されて、私たち昔の活動家が何人も参加したものです。駿台の事務側は昔の過激派が大勢来るというので、最初は警戒していたのですが、途中から我々の姿に安心されたようです。私もその事務官の一人とも熱心に会話したものです。
 その最初は駿台予備校を使いましたが、二次会は新宿でお酒を飲んで、随分長く話したものでした。駿台側も、こうした試みはいいことだと判断されたようです。
 小野田襄二さんは、数学担当の講師でした。それでいくつも、この数学に関した、或いは数学教育に関した、そして教育に関した本を書かれています。
 実は1969年9月17日の芝浦工大事件(マスコミ的には、内ゲバ殺人事件と言われました)で、その後私は初めてお会いしたものです。小野田さんは、あの事件にはまったく関係ないのですが、実に救援をよくやってくれました。私の両親も、兄弟も実に小野田さんのことは信用していました。
 そして小野田さんは、私と同じでウオッカのストロヴァイアンを好まれます。新宿ゴールデン街では、小野田さんと私がこれを一貫として飲んでいたものです。
 また小野田さんは、我々の中でコンピュータ・パソコンに触れたのも一番早いんじゃないかな。でも私のようなものがやりだすと、数学者である彼は困ったろうね。私はいつも詩吟をやって、パソコンを操作するのだから。
 ただし、この頃は、お会いしていません。奥さまも娘さんお二人もよく知っていますよ。
 あ、「遠くまで行くんだ・・・」全6冊が覆刻したのね。私はもう一冊も持っていないな。