将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:江馬細香

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 私が「周のポメラ2014.10.22」で以下のように書いたことですが、

 江戸時代には、「漢詩を作るような女性は駄目だ」と江馬細香は言われたろうし

 私はここ将門Webで過去書いています。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51925872.html
      頼山陽の愛した女、江馬細香

 私は以下のように書きました。

彼女は、天明七年(1787)、大垣藩の医者の江馬蘭斎の第二子、長女として生まれました。父親は、この長女を可愛がり、おおいに詩文や絵をを教えました。彼女はその父の教えるものをどんどん吸収していきました。父親は、どんなに細香が、男だったら良かったのにと思ったことでしょうか。でも困ったことに、この娘は誰のところにも嫁にもいくようなことにはなりません。もう父親としてもおおいに困ったと思われる頃、文化十年(1813)に、頼山陽が蘭斎を訪れます。この偉大な詩人、文学者の山陽との出逢いが、細香の生涯を決定します。二人は夫婦にはなりませんが、恋愛する関係になります。
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娘のことをただただ心配していた父親も、「いや、この子は、女であったからこそいい人生だったんだな」と思えたのではないでしょうか。
 この文化文政期のこの日本に、これほど自立した女性がいたことに感動します。おそらく、細香は当時のヨーロッパにもいなかったような自立した女性であったかと思います。「女は男によって生きるのだ、子どものときは父親に、嫁いだらその夫に、老いたら自分の子どもに従うべきなのだ」という時代に、はっきりと自立した存在を主張できたのが、この江馬細香だと思うのです。


 私は今もこの江馬細香が大好きです。こんな素敵な詩人がいたのですね。いやもちろん私は頼山陽にも感じるのです。素晴らしい教育者であり、素晴らしい詩人です。私はいつまでも頼山陽の詩を詠って行きます。そのときに、いつもこの江馬細香のことも思い出していきます。

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 こうして書いていまして、江馬細香のことも清少納言も思い出しました。

2014/10/22 06:12こうしてここリビングでこれを書いています。昨日のおはぎの家での3人の孫を思い出します。部屋の中で走って転んで泣いてばあばに抱かれていたポポがものすごく可愛かったです。
 ポニョが今では、とってもポポを可愛がるので(昔から可愛がっていましたが、今はもっと感じるのです)、もう私はもうたまらなくなるのです。
 またこの三人に会いたいなあ。
2014/10/22 06:489時を過ぎたら粗大ゴミを出します券を手に入れに行きます。
2014/10/22 07:46NHKテレビで「インターネットを使う子どもほど生活が乱れている」という各自治体の多くの調査内容が出ているといいます。昔から言われていたのだろうな。江戸時代には、「漢詩を作るような女性は駄目だ」と江馬細香は言われたろうし、平安時代には「和歌を詠むなんてよくない」といわれ、大和時代には「言葉を話すのはよくない」と言われ、その昔は「そもそも生きるのがよくない」と言われたのだろうな。本当にくだらないです。

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 私の将門Webのサイドバーのゲーテ以下がまだ書けていないのです。ゲーテを書くところで書くまでに時間がかかるのです。
 粗大ゴミの処理券が1枚300円でセブンイレブンで買えます。14102104
上のバスタオルは昨日ばあばが三人の孫へ持っていったものです。もうポニョがとっても喜んでいました。これに寝転んだりしました。

2017070321 頼山陽は、1780年(安永9)1月21日〜1832年(天保3)10月16日の生涯でした。この山陽が愛した女性に、この江馬細香がいました。この女性の生涯は、1787年(天明7)〜1861年(文久元)でした。
今まで私は彼女の詩を以下のように紹介しています。11050102

      江馬細香『自述』   江馬細香『夏夜』

二人は一緒になることはできませんでしたが、実にいい師弟関係、恋人同士だったと思います。
  それに私は江馬細香の父親は、江馬蘭斎という蘭学者で医者ですが、この人も娘が頼山陽の恋人であったことを実は喜んでいたのではないかと思っています。時代はそう考えることを許さないものでしたが、私は実はそうだったのではと思うのです。
江馬細香の詩はすべて残っています。『湘夢遺稿』という詩集で、すべて頼山陽の添削がされています。私はいつも細香の詩を読むときに、頼山陽という詩人の大きな愛を感じています。頼山陽の強い詩を私が詩吟でやるときも、私にはいつも細香のことも思い出しています。(2011.05.01)

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11010802 本日「わが家」で会があるように思い込んでいました。来週ですね。昨年1月の私のブログで見ましたら、第2週の土曜日になっていました。これで予定が立てられます。
 年賀状で知った友人のサイトを訪れ、さらにまた訪れて、そのUPにも、彼女の勤め先のサイトにも感動し、両方トラックバックしたいのですが、彼女には迷惑になってしまうかな。
 といいながら、やってしまう私です。
 今朝、ブログで、「大西巨人『三位一体の神話』」を私が昔読んだ思いを書きました。私の大好きな作家です。彼のは、もういくつの作品も読んできました。吉本(吉本隆明)さんも彼が好きなのですね。この大西巨人により、私は田能村竹田も江馬細香も知りました漢詩人です。
 この写真も、EyesPicの画像です。コーヒー等を飲むときの果物です。私はコーヒーも嫌いですが、こうした果物も嫌いです。(01/08)

2017082102書 名 三位一体の神話
著 者 大西巨人
発行所 カッパノベルズ

大西巨人といったらやはり「神聖喜劇」を思い浮かべるでしょう11010801か。私はこの長大な小説を読み終るのに丸2年かかってしまいました。また1ページ読むのに時間のかかったこと、まったく大変でした。ほんの僅かな期間の軍隊でのできごとなのですが、それがまた驚くほどの内容が盛り込まれています。
主人公は軍隊生活の合間に、マルクス「ゴータ綱領批判」の一節を思い浮かべ、また田能村竹田の詩を思い出します。私はここで少し出てきた江馬細香という詩人について、この頼山陽の彼女たる細香のことなどなにも知らず、恥いってしまい、すぐに細香に関する本を2冊ばかり読んだものでした。とにかく大西巨人とは名のとおり「巨人」なんだなという怖ろしいまでの思いがしたものです。
その巨人が推理小説を書いたというのは知っていました。いったいどんな内容なのだろうと、興味と怖れみたいな入り交じった心境でした。それがやっと手に入りやすい形になりました。

「悪」の反意語(アントニム)は、「善」か。それならば、語は、 「善日」だろうか。しかし、「善日」という成語の使用は、日本では あまり普及しなかったようだから、「好日」または「吉日」が、普通だろう。「好日」については、たとえば夏目漱石作俳句「花落ちて砕けし影と流れけり」の「問ふて曰く相思の女、男を捨てたる時什麼(そも)/漱石氏筆を机頭に竪立して良久(ややひさし)曰く日々是好日」という前書きが、また「吉日」については、たとえば    井原西鶴作『日本永代蔵』巻六の「彼に味噌屋、敦賀にて呼び迎へし女房は去りて、濱手に少しの見世を出し、是にも世帯人なくてはと、其所より、女房呼びしに、吉日を見て頼みを遣はしける時、角樽一荷、鯛二枚、銭一貫文、是を送る」という一節が、僕(枷市和友)に思い浮ぶ。(「第四景 近景 二十九 『尾瀬路迂全集』編纂始末抄 三」)

ああ、またしても大西巨人の世界に入ってしまった、と感じてしまいます。またこれで、漱石の俳句を探してみたり、井原西鶴を読んだりすると、深みにはまっていくわけです。
さてこれはミステリーとあるのですが、まずいったい何人の人が普通これを推理小説と認識できるでしょうか。別に犯人探しや、アリバイくずしがあったりするわけではないのです。

作中人物尾瀬路迂(おせみちゆき)は、「眼高手低(がんこうしゅてい)」という言葉に言及している。作者自身は、「眼高手低」という事柄をわがこととして承知してきた。しかし、読者諸氏は、「この作品は、推理小説的な枠組みの中で進行する。」というような命題に消極的に捕らわれることなく、論理的な思考・文脈の細緻な網の目を存分に咀嚼し、『罪と罰』ないし『魔の山』を読むごとく『三位一体の神話』を読まれよ。そのとき、必ずや読者諸氏は、作品の心境に触れて多大の感興ならびに精神的栄養を 享受する(ことができる)であろう。(「著者のことば」)

著者をモデルにしたと思える作家尾瀬路迂が、同じ作家である葦阿胡右(いくまひさあき)に殺されます。しかし自殺と認定されます。七年後同じく葦阿胡右は枷市和友(かまちかずとも)という「尾瀬路迂全集」の編集責任者を殺します。これは他殺であることが認定されますが、犯人の見当もつかないのです。私たち読者には犯人ははっきりしています。だがこの犯人はどうしてこの殺人を犯すのでしょうか。ここのところがこの小説の一番の面白さのところです。

第一事件において犯人の殺人を決意・実行する動機の叙述・闡明が不都合である(そんなことで人は殺人を決行するであろうか)、というような短見の批評が、一つ二つ見られた。むろん作者は、そうとは信じない。その批評は、人間精神(情念)の種種相にたいする通りいっぺん・かいなでの知見に立脚している。小説家は、人間精神(情念)の各深淵に測深儀を下さねば、文学の極地へ辿り着くことができぬのである。(「著者のことば」)

どうしてこの犯人の殺人の動機が判らないのでしょうか。この犯人の殺人に至る動機は明白なのです。犯人である葦阿胡右は、

尾瀬は早晩おれの過去・おれの身上に関する秘事を───世間の人人・一般の読者にもそれがおれのことだと明白にわかるような形式内容の作物として───発表するのではあるまいか、とおれは、ここ数カ月とつおいつしてきたが、中編小説『三位一体の神話』が、それなのではなかろうか。

と怯え、その小説の発刊を阻止しようと、第一の殺人に至ります。これはこの犯人の秘事がきわめて隠匿しておきたいことがらだからなのです。この上巻のカバーに吉本(吉本隆明)さんが次のような推薦文を書いています。

わたしは、漱石の『こころ』の推理小説版のように讀んだ。これはひとりの女性をめぐるふたりの男のかけひきの罪ではなく、氏素性や年齢や経歴の秘匿をめぐる罪のものがたりだ。漱石には根源的な不安があり、この作者のは世にも稀な根源的な理路があると思う。

まさしく「世にも稀な根源的な理路」というのは、まったく言い得ているなと思います。この経歴等の詐称の秘匿は他の人間には計り知れないほどの深淵であることがあるのだということなのでしょう。そしてこの葦阿胡右には、大変に大事なことなわけなのです。
それにしても、この小説も読むのにかなり苦労してしまいました。
ただかなり最初から愉しかったのは、この登場人物の名が、シェイクスピア「オセロ」の各人物の名からパロディ化しているということです。

尾瀬路迂(おせみちゆき)───オセロ
葦阿胡右(いくまひさあき)───イヤゴー
枷市和友(かまちかずとも)───キャシオー

この著者の遊び精神に大いに敬意を感じます。(1993.04.30)

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10110212 私が、大西巨人『神聖喜劇』を読んでいく中で、頼山陽の彼女である江馬細香(1787〜1861)を知りました。それまでは名前だけしか知らなかった女性の詩人です。これで知りまして、梶山季之の「頼山陽〜雲か山か〜」を読んで、山陽と江馬細香について判っていったものでした。また他にも、江馬細香に関する本を読んだものでした。
 そして、やはり彼女自身の詩を読みたくなり、次の本を書店で開いてみました。

  江馬細香詩集「湘夢遺稿」(上下2巻)
      汲古書院1992年12月初版発行

 そして真っ先に出逢った詩が、この「自述」でした。私は書店で、これを読んで、ただただ感激して、すぐにこの詩集を購読したものでした。ちょうど今から10年くらい前のことでした。

   自述     自ら述(の)ぶ
            江馬細香
三從總缺一生涯 三従(註1)総て欠く 一生涯
漸遂衰顏益放懷 漸く衰顔(註2)を遂(お)うて 益々懐を放つ(註3)
擬試畫毫裂羅帶 画毫(註4)を試みんと擬(ほっ)して 羅帯(註5)を裂き
爲粧瓢口卸銀釼 瓢口(註6)を粧(つくろ)わんが為に 銀釼(註7)を卸(ぬ)く
吟題洗雨蕉箋破 吟題雨に洗われて 蕉箋(註8)破れ
塗抹書空雁字排 塗抹(とまつ)空に書せば 雁字排(なら)ぶ
唯恐人間疎嬾婦 唯だ恐る 人間 疎嬾(註9)の婦
強將風月倣吾儕 強いて 風月を将(も)って 吾儕(われ)に倣うを

(註1)三従(さんじゅう) 女は父と夫と子に従うべきだという儒教の教え
(註2)衰顔(すいがん) 年をとって衰えた顔
(註3)懐(おもい)を放(はな)つ 心が自由になる
(註4)画毫(がもう) 画筆
(註5)羅帯(らたい) うす絹の帯
(註6)瓢口(ひょうこう) 瓢箪(ひょうたん)の口、酒を飲むこと
(註7)銀釼(ぎんさい) 銀のかんざし
(註8)蕉箋(しょうせん) 詩を書きつけた芭蕉の葉
(註9)疎嬾(そらん) 怠惰でなげやりなこと

女が従わねばならないという三つのものを総て無視してきた私の生涯です
年をとって容貌が衰えるにつれて、私の心はますます自由になります
画筆を試してみようと着物や帯を裂いてみたり
酒を飲むのに 簪をぬいて、お金に替えたりしています
芭蕉の葉に詩を書きつけますと、雨に洗われて、葉が破れてしまい
塗りたくるように空に書くと、字が雁の列のように並びます
ただ私が嫌なのは、世間のものぐさな女たちが
風流ぶって、私の真似をしてほしくないことです

 彼女は、天明七年(1787)、大垣藩の医者の江馬蘭斎の第二子、長女として生まれました。父親は、この長女を可愛がり、おおいに詩文や絵をを教えました。彼女はその父の教えるものをどんどん吸収していきました。父親は、どんなに細香が、男だったら良かったのにと思ったことでしょうか。でも困ったことに、この娘は誰のところにも嫁にもいくようなことにはなりません。もう父親としてもおおいに困ったと思われる頃、文化十年(1813)に、頼山陽が蘭斎を訪れます。この偉大な詩人、文学者の山陽との出逢いが、細香の生涯を決定します。二人は夫婦にはなりませんが、恋愛する関係になります。
 この二人は、恋人同志ということもありますが、詩においては、見事な師弟関係を作っていきます。それは、この細香の「湘夢遺稿」を読むと判ります。細香の総ての詩について、山陽は、実に丁寧な添削をしています。
 私にとって、山陽という人は、たしかに詩は天才といえると思いますが、勝手に生きた、いえばただの放蕩息子さ、なんて思っていたものでした。でもこれを読んで、「いや、山陽という人は、また偉大な教育者でもあったのだな」とつくづく思ったものでした。
 二人は師弟としての愛と、そして恋人としての愛を貫けたのではないかと私は思っています。
 おそらく、娘のことをただただ心配していた父親も、「いや、この子は、女であったからこそいい人生だったんだな」と思えたのではないでしょうか。 この文化文政期のこの日本に、これほど自立した女性がいたことに感動します。おそらく、細香は当時のヨーロッパにもいなかったような自立した女性であったかと思います。
「女は男によって生きるのだ、子どものときは父親に、嫁いだらその夫に、老いたら自分の子どもに従うべきなのだ」という時代に、はっきりと自立した存在を主張できたのが、この江馬細香だと思うのです。(2004.12.27)

2017070411  江馬細香は私の好きな詩人です。天明七年(1787年)〜文久元年(1861年)に生きた、詩人であり画家です。大垣藩医江馬蘭斎の長女であり、頼山陽に詩の指導を受けました。

夏夜 江馬細香
雨晴庭上竹風多 雨晴れ庭上 竹風多く、
新月如眉繊影斜 新月眉の如く 繊影(註1)斜なり。
深夜貪涼窓不掩 深夜涼を貪(むさぼ)りて 窓掩(おほ)はざれば、
暗香和枕合歡花 暗香(註2)枕に和す 合歓(ねむ)の花。

(註1)繊影(せんけい) 細い形
(註2)暗香(あんこう) 闇に漂う花のかおり。

雨が上がった庭には、竹やぶを通る風が多くなった、
三日月の形は眉のように細い形で、西に沈もうとしている。
夜がふけても涼しさが欲しいために、窓を閉めないでいたら、
夜の闇に香が私の枕もとに漂い、それは合歓の花である。

7389395d.jpg 私は江馬細香詩集の『湘夢遺稿』を持っていたのですが、今年の3月に引越で整理し、古書店に売ってしまっていました。また買わないとならないですね。
江馬細香は頼山陽の弟子でもあり、また恋人でもありました。だから、この結句にも、山陽と睦み合う細香の気持がみてとれます。
江馬細香は美しい女性だったと思われます。ただし、彼女の姿は絵でしか残っていません。でもこうして、いくつもの詩を読んでみて、頼山陽をあくまで愛し続けた細香を思います。
そして『湘夢遺稿』を読みますと、細香の詩をずっと添削している山陽がいます。どうみても詩の天才児ではあるが、放蕩児にしか思えない山陽も、実に丁寧に細香の詩を添削しています。それを読むたびに、細香の愛を感じてしまうのです。

   最初の写真の花が合歓の花です。

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