2018081301 この詩を知りましたのは、私が高校一年生のときです。ちょうど私は、鹿10112912児島から横浜に転校してきて、なんだか毎日の高校生活のつまらなさの中で、こうした漢詩をいくつも読んでいました。その中でも好きになれたものです。
ただ、私はこの詩を好きだということは誰に言うこともありませんでした。劉希夷という詩人について、それほど好きになれない思いがしていたからな、なんて今になって思います。

代悲白頭翁 白頭(註1)を悲しむの翁(おきな)に代わる
劉希夷
洛陽城東桃李花 洛陽城東 桃李の花
飛來飛去落誰家 飛び来り飛び去って 誰が家にか落ちる
洛陽女兒惜顏色 洛陽の児女は 顔色を惜しみ
行逢落花長嘆息 行くゆく落花に逢うて 長嘆息す
今年花落顏色改 今年花落ちて 顔色改まり
明年花開復誰在 明年花開いて復た誰か在る
已見松柏摧爲薪 已に見る 松柏の摧かれて薪と為るを
更聞桑田變成海 更に聞く 桑田の変じて海と成るを
古人無復洛城東 古人復(また) 洛城の東に無く
今人還對落花風 今人還(また)対す 落花の風
年年歳歳花相似 年年歳歳 花相い似たり
歳歳年年人不同 歳歳年年 人同じからず
寄言全盛紅顏子 言を寄す全盛の紅顔子
應憐半死白頭翁 応(まさ)に憐れむべし半死の白頭翁
此翁白頭眞可憐 此の翁(おう)白頭 真に憐れむべし
伊昔紅顏美少年 伊(こ)れ昔 紅顔の美少年
公子王孫芳樹下 公子王孫 芳樹の下
清歌妙舞落花前 清歌妙舞す 落花の前
光祿池臺開錦繍 光祿の池台(註2) 錦繍を開き
將軍樓閣畫神仙 将軍の楼閣に神仙を画く
一朝臥病無相識 一朝病に臥しては 相識る無し
三春行樂在誰邊 三春の行楽 誰が辺にか在る
宛轉蛾眉能幾時 宛転(えんてん)(註4)たる蛾眉(註5) 能く幾時ぞ
須臾鶴髮亂如絲 須臾(しゅゆ)にして 鶴髪乱れて糸の如し
但看古來歌舞地 但(た)だ看る古来 歌舞の地
惟有黄昏鳥雀悲 惟(た)だ黄昏(こうこん)鳥雀の 悲しむ有るのみ

(註1)白頭 テキストによっては、白髪になっているものもある。私は私が最初に親しんだものにしました。
(註2)光祿池臺 前漢の光祿大夫王根が、池の中に豪奢な建物を建てて権勢を誇ったこと。
(註3)將軍樓閣畫神仙 後漢の大将軍梁冀が華美な邸宅をつくり、その壁に、不老不死の神仙の像を画かせたこと
(註4)宛轉 ものごとがなだらかに美しい
(註5)蛾眉 蛾の触角のように美しい眉

洛陽の城東の桃や李(すもも)の花は
ひらひらと風に舞い どこの家に落ちていくのか
洛陽の少女たちは 容色のうつろいやすさを思い
落花の季節になって 深いため息をついている
今年はもう花が落ちてゆくとともに 容色も衰える
明年花が咲く時には 誰がいることだろうか
松柏のような木も すでに薪となってしまうのを見る
更にその上桑田が 海と変ってしまうことも聞いている
昔のあの知り合いは もう洛陽に東には住んでいない
今ここにいる人も 落花の風に逢って嘆いている
年々咲く花は変らないが
年ごとに人は変ってしまう
言います 今を盛りの紅顔の美少年たちよ
どうかこの半ば死にかけた白髪の老人を憐れんでください。
なるほどこの老人の白髪頭は 憐れむべきものだが
これでもつい昔は紅顔の美少年だった
貴公子たちとともに 香しい樹のもとで
麗しい歌や踊りを 散りゆく花の下でおこなったものだ
高官のお屋敷の池の傍の高台では 美しい光景が開かれていて
大将軍梁冀(りょうき)が 神仙をえがいた楼閣もかくやと思うほどの宴にも連なったものだ
しかしある日、病に臥してしまっては、交際する知りあいもいなくなり
あの春の日の行楽はどこへ行ってしまったのか
綺麗な眉の美女も その若さ美貌を誇れるのは、いつまでなのか
たちまちにして糸のように乱れた白髪になっててしまうことだろう
古来からの歌舞・遊興の地で繁華でもあったこの地も
今はただ、たそがれに、小鳥が悲しげに啼いているだけである

この詩はやはり

年年歳歳花相似
歳歳年年人不同

の対句が見事です。
この句については、劉希夷の叔父である詩人の宋之問が、あまりの見事な句に、これを譲るように頼みました。だが、劉希夷はこれを断わり、このことを恨みを思った宋之問は下男を使って、劉希夷を殺害します。
そしてこのことにより宋之問も、のちに玄宗の命により死を賜りました。
ただ、この句が見事だといいましても、人が年々同じでないように、実は花も同じではありません。花だって、人間と同じなのです。だが、それは劉希夷は判っていたことでしょう。それでも、人間の生命の一回性をこうしてのべたときに、そのことを自覚することによる人間の人間たるところが表れているということができるかと思います。
すべてが愛唱しやすく、いつでも何度も口に出てくる詩句ばかりです。私はずっといつでもこの詩を思い浮かべ、そして口にのせてきました。おそらく、劉希夷には、何年、何千年が過ぎようと、この詩が世界の人たちの口に載るのを自覚できていたかと思います。 私は若いときには、この詩を口から出すことができませんでした。あまりに見事な詩句ばかりで、「でもよ、殺されちゃったらどうしようもないじゃないか」なんて思いでいたものでした。
今はそうではありません。ただただ、この詩句の美しさに感動して口に出していきたいと思っています。

今の私はもうはっきりいえます。私はこの詩が好きなのです。高校1年のときから好きな詩なのですが、「好きなんだ」ということが誰にもいえなかったものです。思えば好きな女性にもこの詩が好きだとは教えなかったな。今は、私の今の健康状態だと、とにかく「好きなんだ」と言っておかないとまずいよな、という思いです。(2005.06.06)

今はこの詩をときどき私の口から語句が出てきます。劉希夷という人は、どうしてもそれほど好きにはなれませんが、それでもいつも、この詩のいくつもの詩句は浮かんできています。いつまでも忘れられない詩でしょう。(2010.12.02)

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