将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:津田玄蕃

1212140112121402  津田玄蕃の話は終わりました。でも的矢六兵衛のことはそのままです。そして加倉井隼人には苦労して名簿を作成したのにだれもそれを視てくれないのです。

 加倉井隼人にとっていささか心外であったのは、苦心の末にようやく作り上げた勤番者の名簿が、まったく顧みられなかったことである。

 しかし、もっと隼人には心外であることはまだ何も解決されていないのです。それはやはり今も座り通づける的矢六兵衛のことなのです。田島小源太は次のように言います。「だいたい、だの、あらまし、だの」でやれば良かったというのです。

「しからば、小源太よ。あれもだいたいのうちと思うか」X12121307

 この隼人の言葉の先には、今も座り通づける六兵衛がいるのです。「帳付けとは少々わけがちがう」と小源太のいうとおりなのです。
 さてどうするのでしょうか。

 まだ今後もこの新的矢1212130112121302六兵衛の今の状態はそのままなようです。

「無念!」
 津田玄蕃はがっくり肩を落とした。

 そうなのか。まだ続くのですね。

 あまりに自信満々であったから、隼人はそれなりに期待はしていたのである。

 でも六兵衛はいささかも変わりないのです。最後にこうあります。

 六兵衛はわずかに顔を向け、段上がりの座敷から睥睨するように玄蕃を見くだしただけであった。X12121105

 なんだか、この私までがっかりします。この光景は見えるような気持になります。まだこの「黒書院の六兵衛」の物語は続くのですね。
 いやそれにしても、六兵衛も津田玄蕃と一緒になって彰義隊に加わるような事態にはなりそうもないことに、少しはホッとした私です。

1212120112121202  いつも毎朝この連載小説が気になります。

 さて、拙者が的矢六兵衛について知るところと申せば、あらましこれくらいでござる。

 いやこれだけ話してくれて嬉しいです。ただまだまだ分からないことがありますが、それは知らなくていいことなのだろうな。これで、新も旧も六兵衛のことは知れた気がします。

 厭離穢土欣求浄土、いざ松の大廊下へ!

 これでこの津田玄蕃は新的矢六兵衛を上野の彰義隊へ連れて行くのです。うーん、納得もしてしまうが、やっぱり分からない。私たちは彰義隊の結末を知っているわけですが、この玄蕃も「加倉井殿とやら。死地に赴く者に勲(いさおし)は不要ぞ」とまで言うのです。
 ここで靖国神社の大村益次郎の像を思い出しまし12121110た。この像の彼の目は薩摩を向いている(これは次に来る西南戦争を予想している)といわれますが、その前に、この上野のお山にも少しは目を向けたのじゃないかな。彼は簡単に彰義隊を打ち破るのですが。

1212110112121102  この今日の津田玄蕃の話でも、「この新的矢六兵衛って、一体何者なのだ」と思ってしまいます。

 金上げ侍と知れても、六兵衛が軽侮されなかったのは、・・・・・・。

 この新的矢六兵衛は撃剣にも強いのです。「流儀は筋目のよい直心影流と見た」と玄蕃はいうのです。元の六兵衛が道場に通ったことなどないだろうということとは大変な違いなのです。

 面を外したあとで腹立ちまぎれに、「相手が上役でもあるまいに、手かげんなどなされるな」と言うたことがある。そのときもやはり六兵衛は、汗をふきふきただひとこと、「いや」と言うただそれだけであった。

 うーん、やはりこの新的矢六兵衛は一体何者なのX12121006でしょうか。そしてでも明治維新というのは、それをすべて消し去ったのですね。でも明治維新は暴力革命ではありませんでした。それでも大きなことだったんだなあ、とつくづく思ったものでした。

1212030112120302  昨日私は「ここは誰の感慨なのだろうか。加倉井隼人だと思いましたが」と書きましたが、今日読みますと、これは津田玄蕃の話が続いているのですね。

 ところで、その的矢の御隠居じゅが、お仲間衆の噂になり始めたころに、たまたまおみかけしたのでござる。

  それは浅草の東本願寺というお寺の墓所でした。ここに的矢家の代々のお墓があるのです。津田家のお墓もここなのです。

 御隠居は津田家の墓所で前の立ち止まり、夫婦打ち揃うてを掌を合わせて下さった。X12120204

 うーん、ここで少しこの的矢の御隠居が語ります。津田家と的矢家を比べているのです。津田家を「よかったな」というのですが、今の的矢六兵衛のことも語ってくれないでしょうか。

1212010112120102 的矢六兵衛の正体が分かるかと期待していましたが、それは無理なようです。

 的矢六兵衛の正体、でござるか。
 それは拙者も知らぬ。御組頭様さえ知らぬと申すに、お仲間集の誰が知ろうものか。

 うーん、そうなんだ。この新的矢六兵衛は一体何者だと思ってしまいます。元の的矢六兵衛のこともこの津田玄蕃は語ります。

 そういえば、もとの六兵衛はおしゃべりであったな。勤番中に話しかけられて迷惑に思うこともしばしば、それに転ぶれば今の六兵衛のほうがよほど始末がよい。X12112803

 ただ分からないながら、この元の六兵衛も今の新的矢六兵衛もその姿を明確に想像できるようになりました。

1211300612113007 権現様の鎧櫃から鎧兜を取り出すのです。それは津田玄蕃と新的矢六兵衛の二人きりで行います。

  その夜、儀式の支度は拙者と六兵衛の二人きりで終えた。

 そして玄蕃は、不思儀な思いで新六兵衛を見ることになります。いやそう思うのは私だけかなあ。いや誰も思うのではないかなあ。

 ああ、そういえば儀式の支度をおえて人々が立ち去ったあと、六兵衛はしばらく御書院の下段の間に座っておったの。

12112909 これはすごい絵です。その様を想像してしまいます。しかし、やっぱり玄蕃だけではなく、私も同じに思います。「いったい誰がこやつに物を教えた」。不思儀ですよね。いやもっと私にはいくつも疑問があるのです。
 またそれは私がおいおい書いていくでしょう。

1211290512112906  この権現様の鎧櫃を玄関からさらにあげなくてはいけないのですが、誰も担ごうとしないのです。そこで津田玄蕃が自分が申し出て、その相方に新的矢六兵衛が出てくるのです。

 ところが、いざ鎧櫃が御玄関に上がると、進んでこれを担ごうとするものがない。誰も彼も万一の粗相を怖れて、手を触れようとしないのだ。

 こんなことは私もいつも体験してきていますね。津田玄蕃が前を担ぎ、申し出により六兵衛がその後で担ぐことになります。「やめおけ」という声もかかりますが、誰も自分ではやろうとしないのです。

 しかし、あれこれ言うわりには誰も進み出ぬ。

 この光景が実に目に浮かびます。「あれこれ言うわりには」、どこでも同じなのです。でもでも、六兵衛は違うのです。でも背の高い六兵衛では釣り合いがとれないはずなのですが、

 ・・・、拙者の身丈に合わせて中腰で歩んでいるではないか。12112806

 うーん、これだけを普通にやる、できる新的矢六兵衛なのですね。それが今ではこうした事態になってしまったのです。
 どうか、津田玄蕃の説得を六兵衛が素直に聞いてほしいものです。

1211270112112702  さて今日は新的矢六兵衛の挙動が語られます。津田玄蕃のいう話なのです。目の前の六兵衛はもとの六兵衛と同じ御書院番士として、そのまま演じているのです。

「的矢六兵衛殿じゃ」
 ハテ、何を言うておるのかと思うた。前の並びにも、あの貧相な的矢六兵衛の背中はない。

 その新的矢六兵衛の脇差の小柄にも的矢家の家紋が象嵌されているのです。
12112605 でも私の家も家紋はありますね。でもこのままではどうなるのかなあ。私のここのサイドバーに花個紋女将ブログがリンクしてありますが、もうこういう時代になったかなと思うのですね。私は自分の家の家紋は少しも気に入りません。

「もし、小さ刀をおまちがえではござらぬか」
 と拙者は尋ねた。
「いや」
 侍はひとこと、きっぱりと否んだ。

 この小説で新的矢六兵衛が声を出したのは、初め12112606てだと思います。この回の「いや」が2回です。
 しかし玄蕃のこのときの思いは、読むものみんなが同じでしょう。間違いだと思っても、その目の前の侍は「いや」としか答えないのです。
 さてさらに明日を待ちます。

1211260112112602 さて、これで今の的矢六兵衛のことが分かるかと思っています。

 ・・・・・・。あいわかった、拙者の知るところを語って進ぜよう。
 もとの的矢六兵衛という御仁は、薄っぺらな侍でござったよ。・・・・・・。

 そうなのだということは知っています。今の六兵衛を知りたいわけです。

 目が遭うたとき、オヤ、と思うたのでござるよ。顔に見覚えがない。

12112509 これでこの新的矢六兵衛が少しは姿が分かっていくのでしょうか。ぜひそのことを強く希望していきます。
 毎朝届けられる日経新聞のこの小説が実に楽しみです。この日本中に大勢いるのでしょうね。

1211250112112502 この津田玄蕃はこの六兵衛とはかなり親しかったようです。

 ハハッ、もしそうだとすると、たしかに天下の意地ッ張りでござるのう。しかし、信じられね。あやつは馬鹿のつくぐらい物わかりのよい男でござる。

 フーン、この玄蕃の思いを聞きますと、少し分かった気がします。

 さては六兵衛め、何でもかでもハイハイと聞きながら、御組頭様に対してはよくよく肚(はら)に据えかねるところがあったか。それで御下命を達せられても、知らんぷりを決めてせめてもの意趣返し。ほかに考えようはござるまい。

 しかし、この小説のこととは関係なく、実に大修館の「漢字林」にお世話になっています。今回も、この「肚」を画面上に出すのが大変でした。これからもある12112421のでしょうね。漢和辞典は手放せません。
 それにしてもこの津田玄蕃によって的矢六兵衛の心が解けてくれるのでしょうか。なんとかうまくいってほしいのです。
  それと、この挿絵のやもりは何なのかなあ?

1211240612112407  津田玄蕃にたいして、組頭の秋山伊左衛門が喋るのです。これで分かったのですが、玄蕃がいう六兵衛とは、新的矢六兵衛のことなのです。以下は玄蕃が秋山に言う言葉です。

「甚だ僭越ながら、一言申し上げます。的矢六兵衛殿には御家のご事情があって、みなさまのご不審も当然と存じますが、八番組中に有為の士と申せば、彼を差し置いてほかにはございませぬ。・・・・・・」

 だが秋山はそれを認めないのです。

 だが、御組頭様の申されることも一理ある。たしか12112401にお仲間は誰も彼も保身に汲々として、武士道も御書院番士の矜侍も忘れていたのだ。

 これで玄蕃のみが選ばれるのです。
 それで次の展開が待たれます。

1211230112112302  今日は津田玄蕃が語ります。この挿絵にある通りお茶を飲みながら話します。私は最初はこの茶碗に酒を入れて話していると思ったのですが、それは私が酒が好きなだけのことです。でももう酒を飲まずにどれくらいになるのでしょうか。いやビールは毎日飲んでいますが。

 それにしても、上司の詰席たるこの菊の間におぬしと二人きり、何とも居心地の悪いものでござるのう。

 この津田玄蕃はけっこうよく分かっているのです。隼人のことを、尾張藩の「江戸定詰の御家来と拝察いたす」と見抜いています。
 結局仕事でも学生運動でも、手をあげてやりきる人間よりも、いわば日和見してしまうやからが圧倒的に多いものです。この江戸城の状態もそれがものすごいものだったのでしょう。

 上がそうした及び腰ならば、いよいよおのれが出よ12112220うと思うた。進み出たのは拙者ばかりではない。八番組からは今ひとり、あの的矢六兵衛が手をあげた。

 思えば、私もいつもこうしたときに必ず手をあげてしまったものだなあ、とつくづく思ったものです。

1211220612112207  この新聞を手にとってすぐに読みました。津田玄蕃のいうことがものすごく気になったのです。

 上司お仲間のことごとく脱走した御城内にただひとり、あの的矢六兵衛が踏ん張っておるのでござるな。
 ・・・・・・。拙者はお仲間のどなたよりも六兵衛の人柄をよう知っているゆえ。

 そうなんだ。でも「六兵衛の人柄」というのは、新と前の六兵衛とどちらなのかな。この口ぶりでは今の新的矢六兵衛のことのようですが、そんなことも少しでも語ってくれないかなあ。

 拙者の行く先は、どのみち上野のお山しかござるまい。・・・・・・むろん六兵衛の行き先もほかにはござらぬ。・・・・・・。

 私なんかは、彰義隊の末路も知っているために、こ12112201うした誘いも嫌になります。いや慶喜について水戸に行っても大変なこと(水戸天狗党と諸生党との悲惨な戦があります)なのです。行ってほしくないですね。
 どうなるのでしょうか。

1211210112112102  この津田玄蕃の苦労をこの江戸城にいるすべては何も報いてはくれないのです。

「・・・・・・。お手前のご事情を察するに駿府脱走はけだし当然、責むる法がどこにござろう。とまれ、道中ご苦労にござった。とりあえずは御城内にて休息なされよ」

 せっかく駿府を脱走して、この江戸城に駆けつけたのに、その肝心の江戸城内は、もはやひどい有様なのです。ただ津田玄蕃とその郎党にはこの隼人の言葉は嬉しいです。所詮江戸時代の武士なんて、こういうものだったのでしょう。

「拙者もよくは知らぬが、たしか的矢六兵衛殿ーー」
12112010  隼人がその名を口にしたとたん、石段を昇りかけた津田の足がはたと止まった。

 ああ、この津田玄蕃によって六兵衛が変化してくれればいいなあ。そして彼の口から語ってほしいのです。

1211200612112007 この津田玄蕃はやはり気の毒に思います。なんかこの玄蕃のいうことには、私も涙を流す思いです。
 だが加倉井隼人には、この玄蕃にはやってもらいたいことがあるのです。
 隼人はこう想像します。

 なにはともあれ、あの的矢六兵衛の同僚である。・・・・・・。・・・このバカバカしいくらいの実直さは、六兵衛の気性に一脈通ずるとも思える。かつては気の合うお仲間であったやもしれぬ。12112008

 なんとか、そうであって欲しいです。でも、隼人が

 気の毒だが上野のお山に上がってもらうほかない。

と思うのを聞いて、「なんか冷たいな」と思いましたが、それは私たちがその後の彰義隊の惨めな壊滅を知っているからです。ここで私は靖国神社の大村益次郎像を思い出していました。だからこの時点では隼人にはその後のことは分からないのです。
 でも最後に12112001

 若党と中間どもは、いっそう声を絞って泣いた。

というところで、私もここで泣きました。

1211190112111902 なんだか、この津田玄蕃という旗本が気の毒になります。

 侍は名乗ることも忘れるほど呆然としていた。まさか御城が官軍に封じられるとは、考えてもいなかったのでさろう。

 この挿絵にあるのは、ここが埃だらけなのを示しています。思えば、この時はもう江戸幕府なんて、この埃ばかりだったのでしょうね。

 事情はようわかった。・・・・・・。むろん登城したところで、挨拶をするべき上司はいない。逃げたの消えたのと、どの口が言えよう。

12111812 でもやがては、この津田玄蕃もすべてを知るのでしょう。気の毒だなと思います。こうしたことはものすごくたくさんあったのでしょうね。
 これでこの旗本はどうするのでしょか。それにこの侍は的矢六兵衛を、いや新的矢六兵衛をどう語ってくれるのでしょうか。

12111808 この字は、「蕃」だ、「津田玄蕃」なのです。です。
 でも私が漢和辞典で引けないのがいけないなあ。虫眼鏡で見て、「漢字林」でひいて分かりました。
 私はちゃんと「漢字林」を詳細に読んでみましょう。

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