将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:浅田次郎

13042803 もうばあばは孫たちと立川のなんとか美術展で楽しんだかな。いえミツ君が忘れ物をしたので、届けに行ったのです。そこで多分孫たちと楽しんだでしょう。

2013/04/28 17:07もういっぱいUPしたいことがあって、もうやりきれません。新聞を読んでももういくつも書きたいことがあります。今日の日経新聞15面に

  働かないアリにも働き

があり、これは今までも何人かの人と話してきました。これは私は、「長谷川英祐『働かないアリに意義がある』」を読んで、いくつものことを思い出したものです。
 小学校4、5年、そして6年の頃や中学生1、2年の頃、よく女の子たちから「あの掃除をしないでさぼっている人たち(多くは男子で、箒でちゃんばらなんかしている)を私は「彼らはあれでもなにかやっているんだよ」と言って、「何故かばうの?」と怒られたものでした。でもこの本を読んだときに、「俺は間違ってなかった」(いや本に書いてあるように明確には分かっていなかったものです。
 あと32面で、浅田次郎が「見果てぬ花の咲く如く」を書いています。これも書くべきだなあ。

 私の書いた書評『働かないアリに意義がある』には、さらに

  働かない蟻も必ず何割かいる(2004.09.20)
  働かない蟻も必ず何割かいる の2(2004.09.27)
  働かない蟻も必ず何割かいる の3(2004.11.01)13042608

が書いてあるのですが、これはもう昔の私のホームページ内なのですね。でも今度探してみるかなあ。

2017012313

13021205 私の浅田次郎「黒書院の六兵衛」(263)にmatoyaさんから次のコメントがありました。

1. Posted by matoya   2013年02月07日 20:43
  周さんこんばんは、いつも楽しくブログ見てます。淀屋辰五郎(本編の辰平とは別人物)に私は思いがあります、淀屋の話の前に、お稲荷さんの話ですが、我が家からほど近いところに土佐稲荷神社があります、元土佐藩邸で維新後の版籍奉還、藩営事業廃止令によって、岩崎弥太郎が藩営事業を屋敷ごと買い入れ、その後に三菱の創業の地となり、屋敷内の鎮座していたお稲荷さんを神社として建立、現在は三菱グループの守護神社となってます(神社紋はスリーダイヤ)。そこから北へ15分ほど行くと土佐堀川沿いに薩摩藩邸跡があります。坂本龍馬が勝海舟の紹介で、西郷隆盛に初めて会ったといわれてます。その並びにある長州藩邸跡を見ながら15分ほど土佐堀を遡ると淀屋橋のたもとにつきます。淀屋辰五郎が、屋敷と川向の米市場との往来の為寄進したものです、淀屋の初代・常安は大坂の陣で徳川方につき、戦場に棄てられた武具類の回収をして大儲け。その財力で淀川を改修、中之島を開発。2代目の言当はに米市を開く。財を成した淀屋は大名貸付を始め、4代目の重當の時代には貸付額が20億両(現在のお金で120兆円とも200兆円とも)。5代目の淀屋辰五郎の時代、突然米商の免許取消、家財没収、大坂をところ払いに。表向きは、贅沢な生活の幕府よりのお咎め。実は大名の借金を踏み倒し。4代目重當13021206は闕所(けっしょ:財産没収刑)を予想していたのか、現在の鳥取県倉吉に牧田仁右衛門にのれん分け。そこで米屋を開かせた。牧田家はその後、大坂へ淀屋清兵衛という名で店を出し、淀屋橋を買い戻します。そして、幕末突然大坂と倉吉の両方の店を閉鎖売却、全財産を倒幕資金として朝廷に献金、忽然と姿を消す。160年前の淀屋本家の辰五郎の幕府への仇討かと思うのは私だけでしょうか。

  まずこうして、せっかくコメントをいただいたのに、それへのレスがこうして遅くなり、申し訳ありません。
  私は今回義母の一周忌で三ノ宮のお墓へ行っていました。その行くときにIS01でのUPの今はこうして乗っていますと。ものすごくいっぱいのことを思い出しますに

ああそうだ、私のブログで書かれたコメントにレスを書かなくちゃいけないんだ。

と書きましたのは、このコメントへのレスだったのです。
 岩崎弥太郎、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛と言いますと、幕末明治維新を大きく感じますね。長州藩は木戸孝允しか残らない感じで多くの志士たちが亡くなっていますね。そういうことでは土佐勤皇党も同じです。そして薩摩も、比較的残っていたはずなのですが、西南戦争で多くの志士たちが亡くなりました。
13021207 そして、江戸幕府も実に多くの方が亡くなりました。思えば、維新のときからずっと生きていたのは山縣有朋くらいかな。そんなことを思います(私はこの人物が大嫌いですが)。
 そういう思いの私には、この今の的矢六兵衛にはいささか不思儀な思いになります。そして小説の中の淀屋辰平にも、なんだかいつも「この人物は何を考えているのだろう」という思いを抱いていますが、でもこのmatoyaさんの書かれたコメントを読んで、「え、モデルがいたのか」(多分モデルと言えるのじゃないかな)と思ったものです。
 しかし、武士というのは、どうしても多くの血を流しながらも、ずっと自らの階級を守っていくのですね。フランス革命やドイツ革命等とは大きく違いを感じます。ロシア革命や中国革命とも違います。アメリカ独立革命ともイギリスのいくつもの革命とも違います。
 そこに日本の特殊なことを感じ、でもそれが今思うと、よかったのかなあ。北一輝も懸命にこの日本の違いを考えたことだと思います。銃殺されたときに、何を考えたのかなあといつも思います。おそらく昭和天皇を否定した思いだったでしょうね。彼は「天皇万歳」とは叫ばなかっ13021208たはずです。
 でもこのmatoyaさんのコメントで淀屋本家の辰五郎のことも大きく知りました。ありがとうございます。
 まだまだ知らないことばかりがあるのですね。

X12121407 私が浅田次郎「黒書院の六兵衛」(210)で次のように書いたことです。

 私もただ座り続ける的矢六兵衛がどうにも薄気味悪く嫌でしたが、だんだんとシンパシーを感じてきたものです。
 いや私は、サラリーマンだったときの、いくつものことを思い出していたのです。

 私が赤坂の広告の制作会社にいたときです。社長は私のいる会社含めて4つの会社の社長でした。私はそのときに、どこでも会社の現状を鋭く指摘していました。親会社は大きな広告会社です。
 そのときに、親会社の私の好きでない人が(多分私と同じか一歳年上だと思いました)私に忠告してきました。

 あんたのいうことは正しいと思うよ。だけどあの社長も正面きって言うことではなく、本音は自分におべっか使う奴が好きなんだよ。

 これを大阪弁で言いました。私は感謝して礼したものです。
 まさしくこの彼のいう通りでした。このことはいくつも感じています。会社にとって正しいこと、いいことを言い続けるよりも、上司にただただおべっかを使うものがそうした上司、ひいては社長は好きなのです。ただし、こんな会社がどうなるのかは、私の知ったことではありませんが。
X12121409 でもこのことは、いつも思い出しています。そして言われたことには感謝しますが、この彼のことは今でも好きになれません。

X12120911  なんで新聞がこないのだろうと思いましたが、昨日の新聞に書いてありました。今日は新聞の休刊日なのですね。
 もうこの小説を読むことだけ考えていましたから、ものすごくショックです。これもただ私の阿呆なところを確認したようなものです。

X12120416 浅田次郎「黒書院の六兵衛」(197)へ、愛読者さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 愛読者   2012年12月07日 08:31
幕末を経済破綻と捉えているのがおもしろい。
形骸化した財政負担がいかに家臣を困窮させたか克明に調べている。

 今までも、「経済破綻と捉えている」のはあったと思うのです。私なんかは、もはやどうしようもない徳川幕府をいわば、救ってあげたのが明治維新じゃないかと思っているのですね。
 いわばそれほどの租税でもなかったものが地租改正でもっと全国民からむさぼるようになったのがこの明治の時代になったのだと思います。
 でも幕府は何もかも困窮したでしょうね。徳川家康よりも15代慶喜の方が真面目で懸命だったようにも思えますが、もはやそんな武士たちではどうしようもなかったのです。 思い出せば、嫌になるくらい、真面目なのは鎌倉時代の執権たちです。驚くくらい質素な生活をしていますよ。
 でももう世界経済の中で生きていくのは、もう徳川幕府ではどうにもならなかったのだと思っています。
X12120417 そうした私の思いからは、浅田次郎は、よくこの時代をとらえてくれたなと思っています。その時代の中で、うまく振舞えないのが、新も旧も、的矢六兵衛なのだと思うのですね。

12101706  私は見落としたテレビを見るにはで次のように書きました。

 やはり映画は本とは大きく異なります。テレビの番組の映像でも同じでしょう。

 このことを、『鉄道員(ぽっぽや)』で大きく感ずることができます。私はこの『鉄道員』を原作の小説では、

   浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』

で書いています。以下のように書きました。

 電車の中で読んでいました。もう「鉄道員」に中の言葉に、どうても涙が出てきます

 映画は以下に書いています。

   降旗康男『鉄道員(ぽっぽや)』

 淋しく悲しい映画でした。原作を読むときと同じで、ただただ涙ばかりになります。12101707

 同じく涙を流すのですが、でも映画では原作の『鉄道員(ぽっぽや)』では存在しない江利チエミさんのことが見ている私たちにも伝わってきて、それがまた私たちの涙になるのです。

12100509 私が毎日書いてあります「周のポメラ」ですが、このmatoyaさんのを読みまして、大変に私も考え込みました。

1. Posted by matoya   2012年10月06日 13:39
  私の拙い推理ですが、新的屋六兵衛の正体のことです。45話、104話、113話にお稲荷様がつどつど登場します。稲荷町なのでとうぜんなんですが、大きく引っかかるのは、121話、周さんもご指摘の通り、伏見の下り酒です。有名な灘五郷の下り酒でなく、摂泉十二郷の下り酒でもなく、あえて伏見の下り酒の登場、伏見稲荷は日本全国のお稲荷さんの総本社。で正体はお稲荷さんが、お隣の没落する的屋家をみかねて、手をさしのべているとおもいました。新的屋六兵衛の人間離れしたところ等々、、でも、、たぶんはずれてるでしょうね。

 以下のように書いているところで、私はそれを読み直しました。

45話、104話、113話にお稲荷様がつどつど登場します。稲荷町なのでとうぜんなんですが、大きく引っかかるのは、121話、

 でも私が書いているのはあてにはならないのです。「周のポメラ」の一部として書いているだけですから、何もなりません。
 必死にインターネットで、これをぬきだして読んでみました。
 それで「お稲荷様」がそれぞれに書いてあるのかは、私には分からないのです。

 私が抜き出したところです。

45話
下谷の組屋敷に帰るすがら
104話
「御隠居様、こちらさんは私の父親(てておや)が奉公していた御屋敷の若旦那様でござんしてね。いやァ、会いたかったお人がたまたま通りすがるなんて、お稲荷様の冥加でござんす」
113話
 ご登城の朝なんか、奥様に見送られて御門を出るまでたいそう鯱張っていなさるんだが、そこの稲荷の辻を曲がったとたん、ぼうっと息をついて私らお供に話しかけてきなさる。
121話
伏見の角樽を飲み放題だと言われてごらんな。

 以上なのです。それでまたこのあと、私の長女おはぎの家へいくのです。三人の孫に会うのです。
12100510 そして明日はもう一人の孫に会うのです。今また入院しているのですね。千葉こども病院へです。
 それでまた書きますのは、また別になります。
 ただ今後は、明日からは、この「黒書院の六兵衛」については、また「周のポメラ」とは別に書いてまいります。

12082403 真っ先に新聞小説を読みます。

2012/08/24 04:57まずは「黒書院の六兵衛」を読みます。そのあとは別なことをやって、リビングで「君原健二『私の履歴書』」を読み、またこれを書くときに、この浅田次郎の小説を読みます。
 今日は福地源一郎の思いです。最後にこうあります。1208240612082407

 あるいは------ふと悪い想像をめぐらして、福地源一郎は歩みながら怖気(おぞけ)をふるった。
 六兵衛の覚悟を惑わせぬために、家族がみな自害し果てている、というのはどうだ。

 私は稲荷町の的矢六兵衛(現在の的矢です)の家族は、そのまま、もとのまま(ただし、現在の的矢の家族)で生活しているように思えます。
 まあ、明日はそれが分かるのでしょう。
「君原健二『私の履歴書』」は実に大切なことを教えてくれていると思います。

 一方の私は2年間だの文通を経て、結婚に至った。心の平静を得た私と、悩みを打ち明ける相手のいなかった円谷さん。ぎりぎりまで自分を追い込むゆえに、競技者は人の支えなしでは生きていけない。

12082402 これは誰にでもいえることです。言いたいです。私の二人の娘にも、二人の彼にも、四人の孫にも言っていきたいです。

 ああ、こうして書くと、また孫に会いたくなる私なのです。

 リビングでこのポメラを書いていましたが、またパソコンの前に戻ってきました。

2012/08/04 05:43リビングへ来ました。ここで冷房をつけるとどうやら過ごせます。
1208040112080402 浅田次郎の「黒書院の六兵衛」は新聞を手にとると、真っ先に読んでいます。最後にこうあります。

「ところで、忌部とやら。そちらにちと訊ねたき儀がある。的矢六兵衛についてのことであるが」
 出雲守様の予期せぬご下問に、肝が縮みました。

 また明日が待ち遠しくなります。
12080207 そのあとすぐに、「君原健二『私の履歴書』」を読みます。ここに円谷幸吉のことが少し書かれています。私は彼は急に東京オリンピックで自衛隊で走ったと思いこんでいましたが、もっと前から地道にやっていたのですね。「そんなの当たり前じゃないか」という私に、ただただ頭を下げるしかない私です。

 これで、あとデジカメの画像をパソコンにUPして、またこの「周のポメラ」をUPします。

12071614   このすぐ前に、私の亡き母への私の手紙を私のここのブログで披露しているわけなのですが、とってもレイアウトが大変で苦労しています。
   もうそれで添付する画像を文章の中に入れるようにしました。 私は文章を書くことよりも、そのレイアウトで莫大に時間がかかっています。いつも困り果てています。
  その前に、「鉄道員(ぽっぽや)」の映画評のいくつもの画像を入れたのですが、これがまた非常に大変でした。いつも時間ばかりがかかり、そして最終的にうまく行っていません。 これはもう困ったことです。 こうした、困った事態にいつも悪銭苦闘しています。
  そういえば、浅田次郎の「角筈(つのはず)にて」がポメラでは書けなくて、いつも困っています。新宿東口のここらあたりだとは分かるのですが、実際には歩いてもそんな地名は見当たらないものな。
  いや、随分昔あそこらへんを歩いていて、この地名が書かれていたのを見たなあ。あれは、20年前、いや30年前か。いやいや40年前のことかなあ。

12071702 この映画はいつ見たのだろうと思い出そうとするのですが、皆目分からないのです。私のこのブログで見ますと、2001年の3月に本の『鉄道員(ぽっぽや)』を読んでいますね。読みながらどこでも涙を流していたものでした。そしてその自分の涙を流した顔をごまかずのにものすごく大変でした。その後はこの作家の本は人前では決して読まないようにしてきました。
 でもその本の『鉄道員(ぽっぽや)』を読んだあとに、この映画を見たものでした。もう映画でも私は涙ばかりになっていたものでした。
 今その映画のいくつものシーンが甦ります。12071701

題名  鉄道員(ぽっぽや)
封切 1999年6月5日
監督 降旗康男
原作 浅田次郎
音楽  国吉良一
配給会社 東映
キャスト
 佐藤乙松  高倉健
 佐藤静枝  大竹しのぶ
 佐藤雪子  広末涼子
 杉浦仙次  小林稔侍
 吉岡敏行  安藤政信
 杉浦秀男  吉岡秀隆
 加藤ムネ  奈良岡朋子
 吉岡肇   志村けん
 杉浦明子  田中好子
 川口    平田満
 集配人   板東英二

12071714 佐藤乙松は北海道の廃止寸前のローカル線「幌舞線」の終着駅の幌舞駅の駅長です。彼はもう妻静枝に二年前に先立たれて、でももっと前に娘の雪子のことも病気で失っています。もうこのことが分かると、もう見ている私たちは涙になるしかないのです。 彼は孤独な生活を送る中、ただこの駅に勤めるしかないのです。それがたくさんの雪の中でただただ厳しい雪と彼の孤独を感じます。もうこの終着駅もこの路線も廃止されるだけなのでしょう。
12071809 でも乙松が一人で幌舞駅の雪かきをしているときに、「忘れ物をした」という少女が現れます。それがこの物語の奇蹟の始まりだったのです。

 もう乙松には、妻も娘も失っているわけですから、もうこの駅とこのローカル線をただ守るしかないのです。だって彼は妻と娘の死にも立ち会わず、この駅のプラットホームにたち続けただけなのですから。きっと乙松はそんな自分に罰を与えるかのように、極寒のホームに立ち続けるだけなのです。 そこを訪れた少女は「今度一年生になるの!」という少女は時代遅れの人形を抱いています。「この町の子ではないな」と思うだけの乙松です。
12071715 この娘が乙松の亡くなった娘雪子なのです。そしてその雪子が乙松の前でだんだん大きく成長していきます。これは奇蹟の話なのですが、もう乙松も娘や妻のところに行く寸前なのでしょう。

1207171612071717 この映画の中で何度も「テネシーワルツ」が流れます。これは故江利チエミ(高倉健の元の夫人です)の代表曲です。この曲が流れるたびに、私たちは江利チエミを思い出しています。これは浅田次郎の原作にはない物語です。でも見ている私たちにはそれが充分に分かっています。「ああ、健さんも江利チエミを思い出すのだろうな」。乙松も亡き妻静枝を思い出しているのでしょう。
 そして乙松はまた亡くなった娘雪子を思い出すのですが、その雪子が目の前で次第に成長していくのです。
 そんなことはありえないのですが、これは奇蹟の話なのです。そして乙松は最後雪の中で亡くなっていくのです。

 淋しく悲しい映画でした。原作を読むときと同じで、ただただ涙ばかりになります。
 もうまたこの映画も見ることはあるのかな。当然またあるでしょうね。

12071410 Noraさんが「ネット赤ちょうちん」で次のUPをしてくれました。

大豆蒔き 投稿者:Nora  投稿日:2012年 7月14日(土)20時56分10秒
浅田次郎さんはほとんど読んでいないのですが、ラジオの名作劇場だったかでやっていたのを聞きました。(西田敏行さんと竹下景子さんで)題名は忘れましたが、続きも聞きたいと思いました。
おはぎさんの家の植物、いいですね。木のうろを利用していて、山百合でしょうか。とても初々しくていい感じです。

夏の高尾山 投稿者:Nora  投稿日:2012年 7月15日(日)20時26分40秒
新・日曜名作座は浅田次郎さんの『終わらざる夏』のようです。終戦間近の兵隊達の様子がリアルに脚色されていました。

 ありがとうございます。ただ私が書き込んだものの画像は、おはぎの家のものではないのです。家まで3分くらいのところにあるボクシングジムの前にある百合なのですね。

 私は浅田次郎については、以下で書いています。

   浅田次郎のことで

 HNKのラジオドラマ「日曜名作座」については、以下を書いています。」

   追悼私記29「加藤道子さんのこと」

   陳舜臣『青玉獅子香炉』

 もう今では「ラジオって、どう聞くんだっけ?」という段階なのです。iPod Nanoを持っていた頃はよく聞いていたのですが(ブルータスに取られました、いや少し故障していたのでしたが?)、今はもう分かりません。
 今度日曜日この「日曜名作座」を聞いてみます。私はいつもほとんどインターネットばかりで、朝テレビを見て、日曜日に「笑点」と「ちびまる子ちゃん」と「平清盛」を見るばかりなのです。ラジオって、どの器械でどうすれば聞けるのか皆目分からなくなっています。

 これで今後も書いていきましょう。

120623012012/06/23 05:48また「黒書院の六兵衛」が興味深いです。今日の最後に

 孫右衛門は確かめるように二人の顔を見つめ、それからとつとつと、怖い話を始めた。12062302

 これでは明日の朝刊が待ち遠しいです。
 やはり浅田次郎はいいですね。私は再び彼の大ファンになりました。少しいわせてもらうと、私は『蒼穹の昴』が少しも好きではありませんでした。そういえば、この小説のすじとは関係ないのですが、物語の中で毛沢東が少しだけ出てくるのですが、私はその毛沢東の描き方(わずかに出てくるだけですが)も少しも好きになれません。この作品では、西太后が出てくるのですが、そこは「えっ、西太后って、こんな人物だったのだ」といささか驚いて、そして感心したものでしたが、あとは好きになれません。
 そもそも、この20世紀になろうとするのに、宦官という存在をひとこと「これはいけない存在だ」と書けば、あとは物語を描いていくのはいいと思うのですが、私にはそのひとことが欲しかったのです。
2012/06/23 06:09これがもう少し薄ければなあ、と思ってしまいます。どうしても腰のベルトにつけているデューロカーゴに入れるのをさけてしまいます。IS01のようにすぐ簡単に入れられないのですね。
 これがもう少し薄くて、いつももっていられたら、この「周のポメラ」はもっとUPが増えるでしょう。今はどうしても「周のIS01ブログ」の方がUP数は多くなっています。

 どうしてもIS01のほうがUPできることがいいのですね。

12051502 いつも、自分の書いた中身もインターネット検索しています。

2012/05/14 13:48もうこの時間です。先ほど(2012年5月14日のポメラ)は私の記憶ではなく、インターネットの検索で私のサイト内を「浅田次郎」で検索して、私の読んだ本が分かりました。もういつもこういう使い方ですね。

 私のブログ「将門Web」のサイドバーで私のブログ内を調べられるボックスがあるのです。

12051408 この作家は、私より3歳年下です。今まで読んだ作品は、以下があります。

『鉄道員』(ぽっぽや)(この文庫本の中に、ラブ・レター、悪魔、角筈にて、伽羅、うらぼんえ、ろくでなしのサンタ、オリヲン座からの招待状、があります)、地下鉄に乗って 、三人の悪党 プリズンホテル(夏、秋、冬、春)、蒼穹の昴、天国までの百マイル、壬生義士伝

 私には、大好きな作家と言えるでしょう。
 でも読んでも、その読んだときの思いを私が書いておかなくては、何もならないですね。

12051407 今インターネット検索しました。

2012/05/14 06:29今日の日経新聞の一面を見て、「えっ、随分変わったなあ」という思いです。大きくレイアウトが変わったのですね。
 それから最終面(36面)にある小説ですが、今日から浅田次郎の「黒書院の六兵衛」が始まりました。毎日読んでいたのですが、挿し絵が「なんだか違うな」と思っていましたら、今日から開始されたのです。浅田次郎は、けっこういくつも読んできましたが、「短編はいいけれど、長編はなあ」という思いです。少しあとで、私の読んだ作品名をあげてみます(ちゃんと調べないと、すぐにいくつも作品名があがらないのです)。
 でも前から思うのですが、この新聞小説の挿し絵は、あとで単行本になったときには見られないものなのだから、その本にはなくても、また別に見られないものかなあ。あ、インターネットでも見られればいいのだ。
 あとでインターネットで検索してみましょう。「宇野信哉 画」とありますから、またあとでインターネット検索してみます。
2012/05/14 07:57今またテレビの前です。
 今8時になります。
「梅ちゃん先生」を見始めました。私はいつも見ています。
2012/05/14 08:22また地震があったようですね。

 ここで書いた日経新聞の最終面の『浅田次郎の「黒書院の六兵衛」』の挿絵ですが、この宇野信哉さんをインターネット検索すると、次のようにありました。

  http://ars.alephzero.co.jp/dataBase/mem_data.asp?param1=231
宇野 信哉UNO Sinya
 トラッドファッションと明るい色調で軽やかな日常生活のひとこまを描く。これが僕の絵の特徴と思っております。1930〜40年代のアールデコ調のポスターが好きで、影響を受けていますので、ぜんたいの雰囲気がクラシカルですが、現代に生きる人々を描く以上、いまと違和感を感じない程度を保つよう心がけています。いまのところ雑誌の仕事が中心になっていますが、もっと書籍の装丁画や広告の仕事をしていきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。

 インターネットですと、彼の紹介はまだいくつも読めますよ。彼のたくさんの文庫本の表紙のイラストをいくつも見ました。

 前回に引き続き、入院中の妻へあてた私の手紙です。

ママへ
                         2003年10月3日
                              萩 原 周 二
                       私のホームページのURL
                          私のメールアドレス

11052603 きのうはちょうど夜10時頃帰宅しましたが、久仁子は自分の部屋で、佐世子はリビングのソファーで眠っていて、声をかけても起きてきませんでした。二人はカップラーメンを食べたみたいです。やっぱり家族3人でないと、ちゃんと食事作らないのかな。二人ともかなり疲れているようです。
 佐世子に小さな懐中電灯をメールして頼んでいたのですが、きょう私が届けることになりました。
 きのうは、事務所に行きまして、いろいろやっていましたら、両国の社長から電話があり、打ち合わせが早くなりまして、すぐ両国に向かいました。ここの社長からお見舞いをもらいましたよ。
 それで、夕方、「奥さんの病気回復を祝って飲みましょう」というので、近くのお蕎麦屋で飲みました。そのあとなんだか飲みたりないので、千駄木「浅野」で飲んでいました。店のマスターも奥さんも、ママの入院とその結果を言うと喜んでくれましたよ。

 さて、退院はいつになるのかな。ブームのマザー牧場にコンサートへは、ママは無理だね。だから、K君とお母さんにチケットをあげればいいと思うんだ。その替わりに、パパとママで辰巳館へ行ったらと佐世子は言うのだけれど、まだこれまた無理かな。それなら家でのんびりしていればいいね。
 浅田次郎はもう何を読んだかな。3冊とも短編ばかりだから、読みやすいと思ったのです。ママが読みおわったはずの文庫本では、私は「マダムの喉仏」が一番好きです。あのマダムの戦後というのは、ものすごいと思うんですね。たしかに小説の中の話だけれど、やはりあれも、日本という国家と対決した生き方だと思うんですね。19歳で終戦を迎え、ちょうど8月15日に、晴れ渡った青空の下で、富山湾で泳いでいた吉本(吉本隆明)さんを思います。吉本さんも日本という国家が許せなかったのでしょうね。戦争を簡単にやめてしまう日本、そして自分も何もできないまま、戦後社会に滑り込んでしまうというのが吉本さんは許せなかったんだろうなと思います。
 ただ吉本さんは、その戦後の中で、とくに1973年くらいから、何かが変ったといいます。ご自分も変られたのだろうなと思いますよ。それでも、あのマダムは変らなかったのですね。そんな存在は現実にはいないのだけれど、仮構の話の中では理解できてしまいます。
 明日4日から神田会の仲間たちと奥多摩(だろうな)にキャンプに行きます。これは7月から予定予約していたのです。
 神田会は、私と同年代のおじさん、おばさんが多くて、いつもただただ飲んでいるばかりなんですが、もう何年も前から「キャンプに行こう」と言っていました。「とにかく早く1度いかないと、もう2度と行けなくなる」という心配がありました。そして、とにかく1度いけば、また来年も行けるようにあるんじゃないか、ということなんですね。
 だから、土曜日は朝しかこれません。日曜日は夕方に来ます。

 これを次女のブルータスが読んで、「なんて、パパって、ノーテンキなんだ」と言ったそうです。

書 名 鉄道員(ぽっぽや)
著 者 浅田次郎
発行所 集英社文庫
2000年3月25日第1刷
読了日 2001年3月19日

 以下の短編集です。

「鉄道員」
「ラブ・レター」
「悪魔」
「角筈にて」
「伽羅」
「うらぼんえ」
「ろくでなしのサンタ」
「オリヲン座からの招待状」

11010902 電車の中で何度も泣きました。18日に帰宅するときに、この文庫を買いまして、それを電車の中で読んでいました。もう「鉄道員」に中の言葉に、どうても涙が出てきます。もう涙が伝わるのが判ります。なんだか目の前の人に判ってしまうのが羞しい。「俺は二日酔いで、しかも花粉症なんだ」なんて思い続けました。そして次の日にあるクライアントへ行くときに、また「うらぼんえ」でまた涙が出てきます。波際で「おじいちゃん!」と呼び掛けるちえ子の声が私にも聞こえてきます。そしてまた19日、帰宅するときに、また「鉄道員」を読んで涙です。なんども、同じところで涙がでます。そして今もまた同じです。(2001.03.19)

11010312 この作家の本はいくつも読んでいまして、その中でいわば最後にこの作品にたどりついたものです。講談社文庫で最初に発売されたときに読みました。私が「いわば最後に」と書くのは、この作品を読んだあとには、この著者の作品をまだ読んでいないからです。いや、もう読みたくなくなったのです。
 私は2004年12月6日に少しだけ読んだ思いを以下のように書いています。
 それにさらにいくつか付け足したのがこの文です。

(1巻)
 中国を描いた日本人の小説としては、浅田次郎さんの書く内容表現はかなり違っている印象があります。一つには時代が清代ということもあるかと思います。でもとにかく、このあとの展開に非常に興味を持てます小説です。
(2巻)
  歴史上のたくさんの出来事が、歴史上の人物によって動かされていきます。日本の側の歴史で知っていたこととは、随分と印象が違って見えます。この視点から、中国を見ることもそしてあの時代の日本をも見ることは大事だななんて思っていました。
(3巻)
  いよいよ歴史の上で明らかになるたくさんの出来事があらわになってきます。読む私のほうも、ものすごく興奮して読んでいます。今まで知っていたことの違いに驚いています。「この人物は、こんな人だったのか?」なんていう思いを何度も心の中でつぶやいています。もちろん、浅田次郎が描く人物ではあるわけですが、私の中で過去思い描いていたこととの違いに驚くのです。
(4巻)
  これで、この小説の最後の巻でした。ただ、この作品は、「一体何をいいたいのかな?」というのがどうしても私には判らないのです。歴史の上では「戊戌の政変」がこの小説の出来事なわけですが、描かれている西太号の姿に、納得もしてしまうところもあるのですが、またどうしても違和感もあります。この小説を読み終わったあと、何人もの歴史上の女性政治家を思い浮かべていました。

 私はこの作家のファンであったと言ってよく、いくつも読んできて、その数々の作品でいつも涙を流していました。電車の中では周りの人の目が気になっって、いつも読めなかったものです。でもこの『蒼穹の昴』はどうしても納得がいかないです。
 そもそも宦官という制度を中国は二千五百年年以上長くやっている(私は前漢のあたりからしか分からないです)わけですが、20世紀の今に限りなく近い時代にもやっているのです。それがこの小説の主役の一人なのです。
 この宦官という制度をけっして許してはいけないことだというのを著者に書いてほしかったなと思います。
 日本の奈良時代だと思いますが、日本にこの制度をけっして入れなかった政治家がいます。その人を私は尊敬するばかりです。『千一夜物語』にも宦官は出てきます。ローマの時代にも出てきます。みな中国を真似たものです。
 この日本に絶対にこの制度慣習をを入れなかった政治家が誰だったか、今私は知りたいばかりです。(2010.01.03)

08060602 私は少し前、テレビを見ていて、映画の「地下鉄(メトロ)に乗って」の少しばかりの予告を見て、涙を流していました。この文庫本を読みましたときに、私はただただ涙にくれていました。
 でも先日の我孫子の家の引越で、全部売ってしまったのでした。仕方ないなあ。
 そのあと部屋に帰ってきて、パソコンを再起動するわずかな時間(これがけっこう私には本を読みすすむ時間なのです)に、リジヤ・アヴィーロフ『私の中のチェーホフ』の120ページから123ページを読みました。仮面舞踏会の中での僅かな著者とチェーホフとの会話に、私はまた涙を流していました。
 なんだか、いつも涙を流している私です。
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