将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:淀屋辰平

2017012313

13021205 私の浅田次郎「黒書院の六兵衛」(263)にmatoyaさんから次のコメントがありました。

1. Posted by matoya   2013年02月07日 20:43
  周さんこんばんは、いつも楽しくブログ見てます。淀屋辰五郎(本編の辰平とは別人物)に私は思いがあります、淀屋の話の前に、お稲荷さんの話ですが、我が家からほど近いところに土佐稲荷神社があります、元土佐藩邸で維新後の版籍奉還、藩営事業廃止令によって、岩崎弥太郎が藩営事業を屋敷ごと買い入れ、その後に三菱の創業の地となり、屋敷内の鎮座していたお稲荷さんを神社として建立、現在は三菱グループの守護神社となってます(神社紋はスリーダイヤ)。そこから北へ15分ほど行くと土佐堀川沿いに薩摩藩邸跡があります。坂本龍馬が勝海舟の紹介で、西郷隆盛に初めて会ったといわれてます。その並びにある長州藩邸跡を見ながら15分ほど土佐堀を遡ると淀屋橋のたもとにつきます。淀屋辰五郎が、屋敷と川向の米市場との往来の為寄進したものです、淀屋の初代・常安は大坂の陣で徳川方につき、戦場に棄てられた武具類の回収をして大儲け。その財力で淀川を改修、中之島を開発。2代目の言当はに米市を開く。財を成した淀屋は大名貸付を始め、4代目の重當の時代には貸付額が20億両(現在のお金で120兆円とも200兆円とも)。5代目の淀屋辰五郎の時代、突然米商の免許取消、家財没収、大坂をところ払いに。表向きは、贅沢な生活の幕府よりのお咎め。実は大名の借金を踏み倒し。4代目重當13021206は闕所(けっしょ:財産没収刑)を予想していたのか、現在の鳥取県倉吉に牧田仁右衛門にのれん分け。そこで米屋を開かせた。牧田家はその後、大坂へ淀屋清兵衛という名で店を出し、淀屋橋を買い戻します。そして、幕末突然大坂と倉吉の両方の店を閉鎖売却、全財産を倒幕資金として朝廷に献金、忽然と姿を消す。160年前の淀屋本家の辰五郎の幕府への仇討かと思うのは私だけでしょうか。

  まずこうして、せっかくコメントをいただいたのに、それへのレスがこうして遅くなり、申し訳ありません。
  私は今回義母の一周忌で三ノ宮のお墓へ行っていました。その行くときにIS01でのUPの今はこうして乗っていますと。ものすごくいっぱいのことを思い出しますに

ああそうだ、私のブログで書かれたコメントにレスを書かなくちゃいけないんだ。

と書きましたのは、このコメントへのレスだったのです。
 岩崎弥太郎、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛と言いますと、幕末明治維新を大きく感じますね。長州藩は木戸孝允しか残らない感じで多くの志士たちが亡くなっていますね。そういうことでは土佐勤皇党も同じです。そして薩摩も、比較的残っていたはずなのですが、西南戦争で多くの志士たちが亡くなりました。
13021207 そして、江戸幕府も実に多くの方が亡くなりました。思えば、維新のときからずっと生きていたのは山縣有朋くらいかな。そんなことを思います(私はこの人物が大嫌いですが)。
 そういう思いの私には、この今の的矢六兵衛にはいささか不思儀な思いになります。そして小説の中の淀屋辰平にも、なんだかいつも「この人物は何を考えているのだろう」という思いを抱いていますが、でもこのmatoyaさんの書かれたコメントを読んで、「え、モデルがいたのか」(多分モデルと言えるのじゃないかな)と思ったものです。
 しかし、武士というのは、どうしても多くの血を流しながらも、ずっと自らの階級を守っていくのですね。フランス革命やドイツ革命等とは大きく違いを感じます。ロシア革命や中国革命とも違います。アメリカ独立革命ともイギリスのいくつもの革命とも違います。
 そこに日本の特殊なことを感じ、でもそれが今思うと、よかったのかなあ。北一輝も懸命にこの日本の違いを考えたことだと思います。銃殺されたときに、何を考えたのかなあといつも思います。おそらく昭和天皇を否定した思いだったでしょうね。彼は「天皇万歳」とは叫ばなかっ13021208たはずです。
 でもこのmatoyaさんのコメントで淀屋本家の辰五郎のことも大きく知りました。ありがとうございます。
 まだまだ知らないことばかりがあるのですね。

1302080713020808  さて、今日は淀屋辰平が急ぎます。

 さて、そうなったら善は急げでございます。
 のんびり構えて得する商いなどありますかいな。時は金なりや。銭はあそばせといてもしゃあない。なんぼかでも利を生むようにせなあきません。

 そして、私は次にある福地源一郎の顔が気になります。「そんなことだから、あとでパクられちゃうんだよな」と私は言います。いや逮捕されても、そのあとが問題です。今も、朝日、読売はありますが、福地の新聞はないではないですか。

 おや、福地様。顰めっ面をなされますか。それは商いの道にはずれる、と。

 いやいや、淀屋辰平のいうのが正解です。だが私はそういいきれるのかなあ。そして最後に次のように言っています。

 ・・・・・・。そないなじゃまくさいことばかりしているから、江戸は上方にやりくれましたんや。徳川は薩長にやりくられましたんやで。

 それはよく分かります。その通りです。・・・で13020708もでも、私はやっぱり水戸天狗党なのです。徳川も嫌いだけど、薩長も大嫌いです。諸生党も嫌いで、みな敵ばかりな思いですが、でもでも私はだから平将門様を崇めているのです。私には将門様だけが神様なのです。

1302070113020702  今日も淀屋辰平の話です。

 おっと、福地様、なんぼの銭が動いたかは口にはでけません。あぶないあぶない、お前様は相槌を打ちながら話を引っ張り出すのが上手や。どうにもただの御通弁とは思われへんな。

 さすが福地源一郎だと思うところです。でもやがてはその彼も明治新政府に逮捕されてしまうのです。なんとなく、面白くありません。
 淀屋辰平はさすがにこういいます。

「のう、お武家様。手前は商人(あきんど)やさかいお代金を揃えてもろうて文句はよう申しませんけど、いくら何でもまるでご素性を存じ上げぬでは後生が悪うおます。せめて、お名前なりお聞かせ願えませんやろか」
 お侍は、じいっと手前の顔を見つめはりましてな、たった一言、「ない」と申されました。13020607

 この新六兵衛は何を考えているのでしょう。そもそも何者なのでしょうか。私は謎が深まるばかりです。
 こうした思いでいるときに、その前で起こる明治維新です。その中で新六兵衛はどうしていくのかなあ。私のは、この新六兵衛がその後ずっと行き続けて、いろんなことをやってくれたならなと期待します。いや、そうはならないのかなあ。

1302060113020602  まだ淀屋辰平の話は続きます。いやこれは当然です。このようなことは、そんなにあることではないはずなのです。
 ここで的矢六兵衛の家を売りに出すのです。このときに、新六兵衛も初めてこの家を知るわけです。

 さて、なんぼの値ェが付けられるか。

という淀屋の思いはよく分かります。

 少し考える間があって、お侍は膝前に積まれた金を、ずいと押し出した。さて、ここが勝負どころやろ。
「あいにくでございますが、天下の御書院番士にならはるには、とうてい足らしません」

 ここがものすごい勝負どころです。淀屋辰平も引けないし、新的矢六兵衛も同じです。でも新六兵衛はどうして、こうしてお金を持っているのかなあ。そして、こうして手に入れたものが明治維新によって意味のないものになってしまうということは新的矢六兵衛には認めがたいことでしょう。
 時代は、そうした幾人、幾千人、幾万人、いやそれ以上のたくさんの人の大きな人生を無理に打ち砕いた、いや押しやったの13020514です。
 でもこの新的矢六兵衛のその直後の思いは、分かるのですが、明治時代になってのその後はどうだったのかな。
 大変なことを時代の時間の流れはしでかしてしまうのですね。

1302050813020509  この的矢六兵衛がどう入れ替わったのか、でも簡単に知ることはできないですね。しかし、この淀屋辰平もこのことは大変に大きなことだったのです。

 本心を申し上げておきますとな、淀屋の暖簾がかかったこの大一番を、どなたかに話しとうてうずうずしてりましてん。

 そうなのだろうなと肯きます。大変な出来事です。こうして小説でしか書かれないのですから。もし、こうしたことが頻繁にあって書かれていたら、歴史の中でもうすでに私たちは知っていたでしょう。

 的矢六兵衛は譜代の御書院番士、むろん御目見以上に御旗本だす。御徒衆なんぞとはまるで格がちがいまっせ。13020411

 その六兵衛もただ座り続けることになってしまった今回の江戸城開城、明治維新なのです。どんなに、この六兵衛にはショックだったことでしょうか。それがよくよく理解できる思いです。

1302040613020407  昨日でこの新的矢六兵衛が初めて口を開いたのです。でも私が期待していたようには、簡単には語ってくれません。

・・・・・・
 するとお侍は、然りと肯きはった。そのお顔を見て、よし、博奕打ったろ思いましてん。

「博奕」か。そういう思いで、この淀屋辰平も思い込むのです。

 金貸しいうもんは、五分五分の勝負にはでまへん。九分一(くぶいち)の勝ちやと思てもおっかなびっくりや。たとえ五分五分でも博奕を打つのが、淀屋辰平だす。

 うん、そうなんだなあ、と思ったものです。ただやはり明治維新という事態はま13020305ったく予想もできなかったでしょう。
 でもこうした事態はこの私たちの生きている世界ではいっぱいありますね。ただこの日本では、まずほとんど出現しないことでした。
 それを私は今大きく思い出しています。

1302020113020202  この新的矢六兵衛のことが知りたいという思いばかりです。淀屋辰平には、この侍には記憶がありません。

 江戸詰の御家来が、何か急なご用向きでお国元へ戻られる。さもなくば逆に、急な江戸詰を仰せ付けられた。そないなところやけれど、どうにもそのお侍の顔には覚えがない。

 そしてさらに話を続けるのに、福地源一郎をこの挿絵のような茶室へ案内します。
 私も随分前にたしか20年くらい前に、ある会社の役員の自宅で、こうした茶室に案内されたことがあります。あ、思い出せば、そのさらに20年くらい前にもあります。どちらもその家、そのビルの中で驚くほどの異質な空間だったものです。
 だがこの新的矢六兵衛は何も語らないのです。

 背中が寒うなりましたな。お客やのうて、意趣返しか何かやと思た。顔に憶えはなくても、世間の恨みつらみは山ほど買うて13013115ます。

 ただ、思い出せば、その過去にも私も茶室での普通の振る舞いは知っていましたから、よかった思いでしたね。そうねえ、私も大昔にある茶道教室に通ったことがあるのです。

1302010113020102  私が思っていた通りのことをこの淀屋辰平は言ってくれています。

 ・・・・・・。今さら言うても始まりませんけれど、幕府ご転覆のわけは、ほかの何でもあらへんと思いまっせ。借金まみれの旗本御家人が、本気で戦なんぞなさるものか。みなさま口にこそ出さへんが、どなた様も貧乏にはあきあきして、もうどうにでもなれいうのんが本音でございます。

 これは実にあのときの明治維新を言い当てています。でもこのことが今の今も分かっていない人が現実にいるものですよ。私はあきれ果て、実に嫌になっています。今の今も、武士というのはいい正しい存在だと思い込んでいます大馬鹿(今の今ですよ)がいるのですね。実態は、この通りです。でも維新政府はそれをごまかして行ってしまったと思っています。
13013121 のちの西郷隆盛の西南戦争のこととか、いっぱいありますね。ここで話を聞いている福地源一郎も充分理解できていたでしょう。
 しかし、問題は、私の聞きたいのは今の六兵衛です。この今の六兵衛が淀屋を訪れたのです。これは最後に書いてあります。
 これで明日はこの六兵衛入れ替わりの真相実態がわかるのかなあ。

1212040112120402 津田玄蕃の話が続くのです。これでこの件が私には分かったような気がしました。玄蕃は言うのです。

 その墓所における一件によって、拙者は確信に至った。的矢家は金上された。しかも他人養子のご法度を裂け、六兵衛とその妻子だけが入れ替わるという離れ技だ。

 うーん、これはすごいですね。でもこうして入れ替わるというのは、この浅田次郎の作品なわけですが、実際に組織がこうしたことをやるのは理解できます。恐ろしいことですが、事実あるのです。

X12120212 的矢家は御目見(おめみえ)以上の旗本じゃぞ。・・・・・・。さような名家が銭金で売り買いされたなど、考えたくもなかった。

 これは今日の最後にある言葉ですが、私もまったく考えたくはありませんが、理解できる気がしてしまうのです。

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