2016110917
2016110916 1998年の2月14日(土)に私は、千葉県館山市にある「かにた婦人の村」に行ってきました。

  千葉県館山市大賀594
    婦人保護長期収容施設
   かにた婦人の村
     電話 0470-22-22801112120411121205

 この施設は、この施設は、全国の売春婦の方々で、もはや更正できないとみなされた方の長期収容施設です。こうした売春婦の方々の施設は全国で都道府県に1つづつあるのですが、そうした施設は、みな更正して、また社会へ出ていくためにあるわけです。だが、もう社会復帰できないだろうと見なされた方々が、ここに長期収容されています。もうほとんどの方が50代を超えた方々です。ただ、2月16日(月)には岐阜県から36歳の方が入園してくるとのことでした。彼女が最年少になります。
 この施設は、もうすべてを収容者自身で作っています。牛を飼い、牛乳もチーズもバターもパンも野菜も果物も、みんなで作っています。それに実に綺麗な織物も見ました。
 収容されている方とも少しだけお会いしました。土曜日でしたから、昼からは、もう作業がないのです。みな元気に挨拶してくれます。なんだか、本当なら、もっとゆっくりして、彼女たちとたくさんお話したいななんて思いました。
 彼女たちは亡くなると、その遺骨の引取を拒否される家族もいるそうで、それらの方々の遺骨が施設の中にある教会に納骨されていました。
 職員の方の説明の中で、彼女たちの住む部屋には、テレビはないそうです。テレビがあると、それにばかりにかかりきりになるからでしょう。その替わりに食堂にテレビがあって、それを曜日を限って見ることができます。見るのは、みんなの希望でテレビ番組を職員の方が録画するそうです。でもなんと言っても、みなに人気のあるのが「フーテンの寅」さんだそうです。

  寅さんなら、また同じのを見てもいい

というそうです。そしてみんな、実によく見ているそうです。彼女たちが一番飢えているのは、「家族」になるのでしょう。
 あの半端者の寅さんでさえ、優しい家族がいます。どんなになっても歓迎してくれる故郷を持っている寅さんです。そして女性には優しい寅さんです。いや寅さんだけではなく、寅さんの周りにいるどの男性たちも、女性には優しいのです。そんなところにきっとあこがれてしまうのでしょう。渥美清さんが亡くなって、もう寅さんの映画が作られないことには、とても残念なことのようです。
 なんだか、また誰かと一緒に訪れたいところでした。できたら、私は娘二人を連れていきたいと考えています。でも今も実現できていません。

 この施設は、敷地面積108,911平米という、実に広大な敷地であり高台にあります。館山の旧海軍砲台跡に1965年建てられたものです。ちょうど館山で東京湾を入ってくるだろう敵国軍艦を砲撃できるだろうという砲台跡地です。 この高台の一番上の山の上に「鎮魂碑」がが建てられています。その碑には

    噫従軍慰安婦

と標されてします。
 その場は、ちょうど東京湾の館山沖が見渡せて、晴れた日には富士山も見えるというところで、実に気持のいい広さを感じるところです。
 この鎮魂碑から見た景色がちょうど太平洋戦争にて激戦地になったパラオの風景とそっくりなそうです。そのパラオにて従軍慰安婦として苦労された方が、同じくあの戦争で苦労された方々を鎮魂する碑ということでした。この鎮魂とは慰安婦の方々のみでなく、同じく苦労された兵隊さんも含んでいるという説明でした。
 この碑の前で見た景色を私は忘れることはできないでしょう。どんなにパラオの地で日本へ帰りたかったことだろうなと思うのです。私たちの今の平和を築く礎になった多くの方々を決して忘れてはならないと、私はそのときにも深く思いました。
 実はこの「ああ従軍慰安婦」という碑の「ああ」は、「あゝ」、「噫」、「嗚呼」のどの字で書いてあるのか判りません。目の前で見たわけですが、ちょうど逆光であり、明確に判りませんでした。そばにこの鎮魂碑のことを解説してあるパンフ等があるわけではなく、またちょっとこの園の方に聞く雰囲気でもありませんでした。
 この碑でも「噫従軍慰安婦」というのが、この「従軍慰安婦」という言葉が使われた最初のことのようです。そのような説明がありました。だから今でもよく新聞社がこの碑を撮りに来るということでした。

 この施設の中には今でも大きな防空壕等が存在しています。そして園には当初戦地で「慰安婦」として苦労された方が収容されていました。そして今もその経験のある方がいるようです。なにしろ、50代、60代、70代の売春婦の方々ばかりなのですから。
 この園を作られた方は、どうしても売春という行為から逃れられない女性たちを見ているうちに、これはことの本質は何なのだろうかと考えていきました。いくら売春をやめてもやめても、結局はまたそれに戻ってしまう。しかもけっこうなおばあさんになってもやめられないのです。これは「貧しさ」とか「その女性の傾向」というようなことではないのではないのか、ということに気がついたわけです。

 この施設のパンフレットには次のようにあります。

 この日本が、世界にも珍しい「買春天国」と言われた頃、これではいけない……と立ちあがつたのは、クリスチャンの女性でした。その80年におよぶ運動のすえ、やつと「売春防止法」が成立した時、深津文雄牧師は一人の奉仕女を連れて厚生大臣をたずね、コロニーの必要を説いたのです。
 それは、ひとりの人間が、苦しみの海に身を沈めるからには、ただ貧しさだけではあるまい、それに先立つ障害があるのではないか……と思つたからです。 果たせるかな、彼女たちの大部分は、何らかの意味で精神に欠陥をもつ、不運な人々でした。そうした、簡単に社会復帰のできそうもない人々のために、法律には書かれていない「長期収容」と特記された婦人保護施設が、日本で初めて、館山の海軍砲台跡に生まれたのです。
 内外の数知れぬ有識者に協力によつて……。1965年の春のことです。

 要するに私が簡単に言いきってしまえば、実に悪い男たちが、知恵遅れの女性たちを食い物にしているという事実なのです。だから彼女たちは、やめてもやめても、またこの男たちのために売春行為をさせられてきたのです。私たちがこの園でお会いした女性たちは、元気で挨拶はしてくれますが、たしかに知恵遅れの方たちかな、と思えるおばあさんたちでした。
 私はこのことは絶対に許すことができないことだと思っています。いつの世でも卑劣なことで生きている連中はいるわけです。

 私は現在問題になっている「従軍慰安婦」ということも、こうした悪い連中、悪辣な女衒がやってきたことだと思っています。このことだけは許せないことであるわけです。
 そしてそうした被害にあわれた方が勇気を持って訴えだされたことについては、日本という国家がやったことではないが、日本が国家としての継続性を主張する以上、補償していくべきであると思っています。これは国籍を問わず、誰に対しても同じです。国家の継続性を認めなかったのは、レーニン一人でけっこうです。
 レーニンは革命前のロシア帝国の約束した数々の条約や約束をすべて守りませんでした。ただし、中国に対して結んだアイグン条約や北京条約(ロシアはアイグン条約で黒龍江以北を、北京条約にて沿海州を清国から奪い去ります)という自分に有利なものだけはそのままにしました。でも、現在のロシアは実にあの革命前の80年前に遡って、フランスに対して借款を返済し始めました。国家の継続性ということが、近代国家にとって当然のことだからです。
 ただ、問題は国家がやったことでもないのに、国家が補償していくのは、どういうことかということでしょうね。だから、旧満洲におけるのソ連軍の不法行為でも、南太平洋の数々の戦場でのアメリカ軍の不法行為でも、双方ともに、それぞれの国家は認めないでしょうが、でも我が日本はあくまで、先の戦争にて、苦労されて、そして今の時代を作ってきた礎になった方々には、やっていくべきではないのか、と私は思っているのです。国家がやったことでもないのに、各金融機関のバブルの処理を国民の税金で処理していることよりも、もっと当然にやりきれることのように私は思っております。

 この「従軍慰安婦」の問題でテレビ等々での論争を見ると、私は実に嫌になってきます。国による強制連行があったと糾弾するならば、それを言う側はそれを明確に論証すべきです。女衒といわれる業者の中には、悪辣な方法で女性を連れて行った連中もいたことでしょう。だが今この問題で日本という国がやったとしている側は、さも日本国こそが計画的にやったかのような言い掛かりを言い続けています。言い掛かりでないというならば、このことの明確なる証拠を提出すべきです。証拠がない犯罪など、法の前では犯罪ではありません。
 ただ、韓国やフィリピンの「従軍慰安婦」として名乗りだされた方の中には、それこそ日本国による連行なのか、悪辣な女衒による狩り出しなのか、明確に区別できていない方もいるかと思います。そしてそれは彼女たちの責任ではありません。過去の自らの苦しみを恥を忍んで名乗り出た方々に関しては、私はなんらかの補償をしていくべきだと思っています。これは、韓国や台湾の方で日本の軍人や軍属として戦った方にも、軍人恩給等々を支給すべきだ(あるいは希望する方には靖国神社に祭るべきだ)ということと同じです。
 カエサル率いるローマ軍団でも、フランス革命後のナポレオン軍でも、豊臣秀吉軍でも、昔から軍隊と言われるもののそばには、「慰安婦」とでもいう女性たちが大勢ついて歩いていました。これは、日本軍でもイギリス軍でもアメリカ軍でもオランダ軍でも国民党軍でも中共軍でも同じです。私が知る限りの例外は、インパール作戦に従事したインド国民軍です。彼らはインドの独立までは、女性は必要ないと日本軍に言いきったようです。
 それをさも我が日本だけがなぜか卑劣なことを計画的にやったのようなことを言っている人たちが、残念ながら、まだまだいるということだろうと思います。この人たちは、ソ連が敗戦間近の日本に不当な戦争をしかけ、その中で日本の多くの女性たちが、ソ連軍によって強姦強殺されたわけですが、今生きている方々が、もしこのことの補償をソ連(ソ連を継いだロシア)に求めたとしたら、また懸命に運動するのでしょうか。敗戦後日本に進駐してきたアメリカ軍が日本各地で、日本の女性たちを多く強姦したわけですが、この女性たちがれまたアメリカの補償を求めたとしたら、これに対しても同じように支援するのでしょうか。
 また私は、「従軍慰安婦問題」ということでのテレビ等々の論争を見ると、実に嫌になるのは、いわゆる朝日新聞側というか左翼側というか、そちらに対して、腹が立つだけではなく、その反対側にも、簡単にうなずくことができないのです。
 韓国から来られた「元慰安婦」の方の講演会に、老年の方が抗議に来たことがあると毎日新聞に書いてありました。彼ら二人は「元慰安婦」に方に、口々に、「どうせお前らが好きでやったことだろう!」とか叫び続けたそうです。
 残念ながら、こうしたことを私はよく見聞きします。とても腹が立ちます。「左翼進歩派とかいうのが駄目なのは判っていたけれど、右派も全く質が悪いのが多いんだな」と思うことしきりです。とくに、「売春婦のいうことじゃないか」とかでかたずけてしまおうという言動の方がいますが、これこそがあのようなくだらぬ「左翼進歩派」を活かしてしまうものです。
 昔から、民族派とでもいう方には、真面目な方もおいでになるのでしょうが、単に民族差別としか思えない言動をはく方をたくさん見てきました。「反共産主義」を称えるのなら判るのですが、北朝鮮だろうが韓国だろうが、とにかく朝鮮人差別を平気でいい続ける人を多く見てきました。こうした傾向をこの「従軍慰安婦」問題でも感じることが多々あります。
 なんだか、私はこうしたことで「いらいら」してしまうことが、実に嫌なことなのです。
 ある方から以下のような書き込みがありました。

大連においても、見境もなく女たちを襲うソ連兵の防波堤となって、市の有力者の懇請を受け、犠牲となって働いた女性たちがいました。彼女等の勇気有る献身が大和撫子を守ったのです。

 彼女たちの行動に限りなく敬意を感じます。そしてソ連およびスターリンをどうしても憎いと思います。私が学生のときに、三派全学連とともに行動していたわけですが、その中で彼らはマルクス主義共産主義を信奉しながらも、どうして日本共産党民青ではなく、三派系になったのかというと、このスターリン主義が許せないのだ、ということがおおきかったと思います。とくに日ソ不可侵条約を一方的に破り、我が日本の婦女子たちを強姦強殺したソ連そのものを絶対に許せないのだ、という言葉会話はよく聞いたものでした。私はマルクス主義は嫌いでしたが、こんな心情こそはまったく同じだと感じていたものです。

 この「かにた婦人の村」の見聞は、私にはかなりな衝撃でした。村の中に教会(これはすべて手造りの建物です)があり、そこで彼女たちが普段唱うのだろう、賛美歌の歌集を手に取ってみて、さらにその会堂の下にある納骨堂で並んだ遺骨を見ると(彼女たちが死んでも、「親族の恥だから」と遺骨の受け取りを拒絶される家族がいるそうです)、言葉を失ってしまいました。もう涙すら出てこないのです。
 そのあと山道を登って歩いて、あの鎮魂碑に出会いました。そして「噫従軍慰安婦」と標されているのを知ったのです。突如、生々しい現実が私の前に提示されたわけですが、そのときにはもう何の言葉も出てこない感じだけだったのです。そして今も、この「かにた婦人の村」とあの「鎮魂碑」を思うと、まだ同じ状態です。
 私はこの「かにた婦人の村」の「噫従軍慰安婦」の碑の前では、「ここにも、この問題が出てくるのか、どう言ったらいいのだろうか」と思いましたが、ただ、そのときには、その碑とその碑の向いている風景を眺めていただけでした。 私自身はもっともっと、真実を知る努力を続けて行きたいと思っています。そこには、あらゆる偏見(私自身がどうしても持ってしまう偏見を含め)を排除して行きたく思っております。その過程でたくさんの方と話合って行きたく思っています。