将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:渡部昇一

11022407書 名 ドイツ参謀本部
著 者 渡部昇一
発行所 中公新書
昭和49年12月20日初版
読了日 2001年4月24日

 渡部さんのかなり若いときの著作でしょうが、実にいい内容です。名著です。これでいろいろなことが判りました。昔けっこう旧陸軍参謀の方が書かれたり、監修された戦史を読んだことがあるのですが、ナポレオン戦争におけるイギリスウェリントンの評価がかんばしくないことと、プロイセン軍(例えばブルュッヘル将軍)の評価が高いのは、その理由が明確だったのですね。思えば、ナポレオンに一番学んだのが、プロイセンの参謀本部だったわけです。(2001.04.24)

2017062629 もう随分前に読んだ本ですが、かなり内容に感激して、何度か振り返る本があります。

書  名 英語教育大論争11011306
著  者 平泉 渉
渡部昇一
発行所 文春文庫
1995年8月10日第1刷

日本人は、英語が少しも上手くならないと言われてきました。アジアの国々と比べても、日本人は英語が話せないということを、なんだかどこでもしつこく言われてきました。
そこで、昔から「日本の英語教育は間違っている。会話中心の教育にすべきだ」なんてことがさんざん言われてきました。私の姪や娘の時代には(今もでしょうが)、公立中学に必ず米国人なりがいまして、みな英会話ができるようになれるはずだとされてきました。そして、学校のみならず各企業でも、「英語くらいは話せるように」といろいろといわれ、英会話を習いにいくサラリーマンがあとをたちません。
でもでも、日本人は全然英語が得意になりません。いや却って、私たちのときよりも現在の中学生高校生は英語が苦手になっているといいます。
このことは何なのでしょうか。これについて、一番その訳が判るのではないかと思えるのが、この本なのです。

この論争は、平泉渉氏(当時自民党参議院議員)が、1974年4月18日に出した試案「外国語教育の現状と改革の方向」という提案を出された内容に関して渡部昇一氏が「亡国の『英語教育改革試案』」という批判をされて、それで平泉氏の再反論、それに対してのまた再々反論ということでの大論争になったものでした。
平泉氏は、日本人がこれだけ大量の時間を英語教育にあてているのに、どうして他のアジア人に比べても英語が話せないのかということで、それは今までの英語教育に問題がある、「英米人を各高校に」入れることにより、会話中心の教育にして、日本人ももっと自由に外人とコミニューケーションができるようにしようと提案されたものです。そして何ら意味のない英語教育は必要ないから、むしろ英語教育の時間を減らせ、できたら大学入試科目から英語なんかはずしてしまえという主張でした。
平泉氏の父親は戦前の有名な国粋主義者であり、この渉氏もその影響があるのでしょうが、この日本がかくも英語教育(まさか戦前みたいに英語を敵性言語とは言わないが)ばかりに時間をとられるのが気にいらなかったのでしょう。「英語なんて、ただ喋られればいいんだよ」ということなのだと思います。事実平泉氏は、英会話は自在にできる方でした(いや実は語学に堪能になったのはフランス語のほうが先だったといいます)。
ただ、これで驚いたのは日本で各公立中学や高校やその他たくさんの学校で英語を教えている教師たちでした。彼らのほとんどは、英語は教えていますが、私たちと同じで、英米人と自在に会話できる自信なんかまったくなかったのです。このままでは失職してしまいます。
この全国の不安になった英語教師たちのいわば救世主として渡部昇一が登場してきました。彼がいうのは、簡単にいいますと、「過去やってきた日本の英語教育は間違っていない」ということなのです。
渡部氏がいうのは、簡単にいいますと、アジア人、例えばインド人が何かを学ぼうとするのに、シェークスピアを読もうとしても英米の映画を見ようとしてもその言葉や会話はヒンドゥー語やベンガル語には訳されていません。いや実は家で雇ったメイドさんとも、また別なインドの部族語の子だから会話できないという問題があります。そうなると英語を使うしかないのです。だが、この日本ではシェークスピアでもゲーテでも、どの映画でも自然科学の本でもほとんどが翻訳されて読むことができるのです。そしてこの日本人というのはその海外の文化をあくまで正確に読みこなそうと努力してきたのだということなのです。それが英語教育でも同じなのだというのですね。

このことを、渡部氏は聖徳太子の仏教学の学び方から江戸時代に至る漢学の学び方の説明からしていきます。私などは、実に「なるほどなあ」と感心してしまう内容なのです。
以下彼のあげた有名なエピソードを引用してみます。明治時代の熊本五高での話です。

その当時の五高の英語の先生たちは佐久間信恭氏をのぞいてみなア
  メリカの大学出ということで、マスターやバチュラーの肩書がついて
  いたが、教室での解釈は学生たちの目から見るとすこぶるあいまいで、
  しばしば先生と学生との間に論議が起った。先生はこれに対して明快
  な判断で学生たちを納得させることができず、結局、「アメリカの大
学でやった人は駄目だ」という評判が学生たちの間に生じた。そうし
た先生が居づらくなって中学校などに去られるなどして、幾人か代っ
たが、学生たちにとっては一向に代りばえがしなかった。それで、中
には「先生の解釈では駄目だから、リーディングをやって下さい」と
言う失礼な注文を持ち出し、外国帰りの発音などを聞いて、一時間の
授業を無駄にしてしまったこともあり、一向に学力もすすまない。先
生もやりづらかったろうが生徒も迷惑してどうにもならなかった。
こうしたところに日本の大学を出た若い教師がやってきた。もちろ
んこの人は外国に行ったことがない。ところがこの人の授業がはじまっ
て見ると、今までとは大違いである。学生を指名して訳させ、誤訳が
あると辛辣な質問で突っこんでくる。その答え方がまずいと、「君は
一体、どこから来たんだ」と聞かれると「〇〇中学です」と答えると、
フンと鼻の先で嘲られ、「君の中学ではそんな訳をするのか」と言わ
れる。更にひどくなると「フン、中学からやり直すんだな」と冷然と
して言われる。この辛辣さに学生は憤慨し、今度の先生は意地が悪い
からひとつとっちめてやろうという相談がまとまり、クラス総がかり
で熱心に下調べをして、授業の際には質問攻めをもって喰ってかかる
ことをやったが、結局は学生の総負けである。「こんどの先生には歯
が立たん」と言うことで敬服の心が起ってみんな勉強するようになっ
た。教室での説明も前のアメリカ帰りの先生方と違い、明快至極で、
よく学生たちを納得させたのである。それで学生たちは、課外での英
語の教授をもお願いすることになり、総代が頼みに行って、イギリス
の名作を読むことにしてシェイクスピアなど何点かを読みあげたと言
う。

この辛辣なことを言う若い教師というのが、夏目金之助のちの漱石です。まだ彼は洋行していません。
私にはこの漱石と生徒たちの学ぶ姿が、おそらくは聖徳太子の時代に中国の漢籍を学ぶ師弟の姿でもあり、「解体新書」を訳している前野良沢や杉田玄白の姿でもあったと思います。またおそらくは、駿台予備校や河合塾でも同じように学んでいる師弟の姿が見えるような気になってきます。
これが日本人が過去やってきた学問としての語学を学ぶ姿勢であったかと思います。日本人は外国の文化を真剣に自らのものにしたいから必死に正確に学ぼうとして来たのです。単に、外人と会話できればいいやと考えてきたわけではありません。

かくいう私も英語は苦手です。英米人と話すのも苦手です。ただ、よく飲み屋で知り合いになった米国人なんかと、どうしても話したいとなると不思儀に言葉が出てきます。それは、例えば相手が日本の12月8日のパールハーバーのことを「日本は宣戦布告以前に攻撃したから卑怯だ」なんていいますと(実は私が巧妙に、こういう話に持っていく)、私は「何を言っているんだ、米国はベトナム戦争のときも、パナマ進駐のときも、そうだ米西戦争のときにも、宣戦布告なんかしないで先に攻撃しだしたじゃないか」なんて喋り出します。私はその相手と真剣に話したい、その相手をちゃんと論破したい、私の意思を正確に伝えたいと思うと、何故か言葉が出てくるのです。
思えば、これは中国の人とも、「蘆溝橋事件なんて、そちらから仕掛けたんじゃないか」なんて言い出しまして、そうなるともう大激論になりますが、私は私の中国古典の知識を総動員をして筆談含めて元気に話しています。私はこの相手とこそ意思を伝え合いたいのです。
私は「まず会話がしたい」ではなく、相手と真剣に正確に話したい、相手の文化を真剣に理解したいと思うことこそが一番大切なことだと思っています。

そうした私の思いの中で、この大論争は実に学ぶべきことをたくさん含んでいるのです。(2002.12.16)

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10123115書 名 詠う平家殺す源氏
    日本人があわせ持つ心の原点を探す
著 者 谷沢永一・渡部昇一
発行日 2002年12月25日1刷発行
発行所 ビジネス社
読了日 2002年12月21日

目 次
序章 「大変革期」を活写した人間劇
第1章 平氏こそ日本型「家族」の理想像
第2章 滅亡を招いた平家の「集団力学」
第3章 脈々たる民族的「感性」の源泉
第4章 物語創作の「謎」に迫る
第5章 源平台頭の原因は「僧兵」だった
第6章 神と仏を併存させた日本人の「英知」
第7章 「武」の源氏に敗亡した「文」の平氏
第8章 「権力と人間」の宿命的な構図

 ひさしぶりに気持よく本を読んでみたいという思いで、この本を手にとりました。帰宅の電車の中で読み始めました。私の「平家物語」への思いも、平家と源氏の在り方についてもまったく同じ思いです。
 ただし、たしかに谷沢さんはいつもの通り博覧強記なのですが、今回はいろいろとうなずけないのです。この本の内容とあまり関係のない資料の解説が多すぎやないでしょうかね。それから、どうみても明らかな間違いというか誤植といいますか、指摘します。こんなのは、編集で気がつかないものかね。羞しいよ。

 明治の政治家で長州出身の黒田清隆。………これがまたとことん酒乱。…                      (61ページ)

とありますが、黒田清隆は伊藤博文のあと2代目の内閣総理大臣ですが、当然薩摩藩です。これは、この黒田のことを、正確に頭の中に思い描けないからじゃないかな。黒田のことなら、誰だって幕末から明治にかけて、いくらでも思い描ける人物ではないのかな。エピソードがありすぎだよ。

  昔から『源氏物語』の歌はまずいという定評があるけれども、……
   ……『平家はよろしい』。……… 。『平家』のなかに歌くずはない。
  みなちゃんと色気がある。一番有名なのは、後三年における義家との
  やりとり」
                   (73ページ)

とありますが、これは当然「前九年」の誤りです。これまた、源氏の、安部氏の戦いと後三年での清原氏との戦いの質の違いを頭で理解できていません。義家は安部氏に勝利し、清原氏にも勝利したように見えますが、後三年で勝利したのは、実は清原清衡(藤原清衡)です。これから奥州は源氏ではなく奥州藤原氏が掌握するのです。ちなみに、この歌とは(あまりに有名だから説明するのが羞しい)、前九年の役のとき、安部氏の衣川関が陥落するときに、義家が逃げていく安部貞任に「衣の館はほころびにけり」と歌をかけると、貞任がとっさに「年を経し糸の乱の苦しさに」と返したという逸話です。でも、こうした内容で、そのあとはもう細かく読む気がなくなりました。もう少し渡部さんが喋ってほしかったな。(2002.12.21)

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新聞名 図書新聞第2948号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2010年1月1日
読了日 2009年12月27日

 私は一面の写真と見出しを見て嫌になります。いえ、書かれている方は何も悪くないのです。私はどうにも山というところが好きになれないだけです。
「山から眺める地球の姿」ということで、雪におおわれた山の写真があります。
 私はもうすぐに震え上がって紙面をめくります。
 やっぱり秋竜山さんのところが私は落ち着きます。いつも私はここで紹介されている本は読むようにしてきたものでした。

評者◆秋竜山 はい、成功、の巻
No.2948 ・ 2010年01月01日

「天は自ら助く物を助く」という諺。有名すぎるほど有名だ。サミュエル・スマイルズ著、中村正直=訳/渡部昇一・宮地久子=現代語訳『自助論――西国立志編(上)』(幸福の科学出版、本体一二〇〇円)は、その有名すぎる格言から始まる。いったい、これはどういう意味なのか。あまり有名な言葉というものは、何も考えずにわかった気分になってしまうものである。なんとなく、わかったムードにさせてしまうからだ。そして、ある時、フッと考える。「ハテ? これはどういう意味なのか」。

 私もまさしく「これはどういう意味だ」と問いました。

〈今日本は、不景気だと言われ、何かにつけて政府から施し物をもらおうという気風があります。その中にあって自らを助けようという気概を持つ人が減れば、すでにスマイルズが150年前に指摘したように、国力は減るのです。また逆に、自助努力する人の数が多ければ、その国、その社会も栄えるのです。これは人間社会の変わらない鉄則であると思うのです。中村正直の訳は、殿様から扶持をもらうのを中心とした封建社会が終わった時、自ら立って生きるという道を示した北極星のような大きな導きの星であったのですが、近頃再び近寄ってきた爐上に頼る思想瓩涼罎砲△辰董同じ導きの星の役目をしてくれるのではないかと期待している次第であります。〉(本書、まえがき、渡部昇一)

「なるほどなあ」と思いました。渡部昇一さんは、私の好きな方でいくつも彼の本を読んできました。でもこの方から見るとすれば私なんかは駄目そのものだなあ。
 とにかく、私も自ら努力していこうと思っています。

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 吉本(吉本隆明)さんの、『全マンガ論』を読んでいるわけですが、きのう電車の中でものすごく頷いていたことがあります。

   「吉本隆明『全マンガ論』」の第敬瑤稜詒望都との対談

 この中(「時間の使い方」というところ)で、吉本さんと萩尾望都さんは、同じことを言われています。
 まず以下は萩尾望都の言葉からです。

 お客さんといえば、仕事の依頼は編集さんから電話でくるわけですね。原稿を描いている合間に、非常に小さい依頼がちょくちょくくるわけです。たとえばコメントだけをいただきたいんですけど、いま読んでいる本はなんですか、それについての批評をいってくださいとか、今年映画をみましたか、なにかいい映画があったらいってくださいとか。仕事やってると、それがぜんぜんかんがえられないわけですね。で、ちょっといま考えられないんだ、っていいますと、むこうもやっぱりしたたかな編集さんだから、それでは引き下がらない。五分ですむからなんかいってくれってわけで、いうわけです。もしくはこんな小さなカット一点とかね。描けば五分でほんとにすむでしょう、あした取りにきますから描いてください、と。ところがこれがすっごくしんどくてね。このカット描いたら一日なにもできないってことだってあるわけです。論理的に考えるとほんとにカット一点描くのに時間なんて十分ですむんですね、ペンで描いて消しゴムかけて。なのに描いたあとで、さあ仕事に入ろうと思ったら、気持ちがどこかへ飛んでっちゃったらしく、ぜんぜん集中できなかったりするわけです。

 このあと渡部昇一さんが「知的生活」のナントカという本にも同じようなことを書いているとあります。あ、私も読まなくちゃと思いました。そして、さらに吉本さんが続けます。

 なんか三枚書いてくれ、みたいなことありますが、ぼくには物理的な時間がないっていうのがいちばん多いんです。すれですまないときには、いやあなたのいう時間とおれのいう時間がちがうんだ、ある世界に頭が入っていて、そこから出てくるのがものすごく億劫だし、出てきてなんかやっていて、またそこへ入っていくのが億劫なんだ、その全部の時間を合わせて時間といってんだから、あまり時間がないんですよ、枚数の問題じゃないんだとかっていうんですけどね。

 これを読みまして、まったく私も頷いたわけです。もちろん、私はこの三人ほどの人間ではありません。でも実によく判るのです。
 もう私はケータイに電話が来ても出られないことが多々あります。できたら、ケータイメールかインターネットメールでお願いできればと思うのです。いえ、手紙もいいですね。
 本当に本当に、このことは大事なことです。

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