将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:温泉新聞

13022720 私は1974年の7月に温泉新聞という旅行に関する業界紙の新聞記者になりました。そこで翌月の8月に川尻久夫さんが入社してきました。そのときには他の人も同時に入社してきていました。彼は私より一歳年上で昭和22年生まれでした。
 その彼がいつも常時飲んでいたのが神田駅前のトロイカという悲惨な(これはけっして私が見下して言っているのではありません)トリスバーでした。このバーへ最初に連れて行ったのは私でした。
 それがその後、彼は30年間、この店に通っていました。日曜日以外は毎日です。彼は私がこの店に顔を出すと同じことをいいました。「清水さんに迷惑かけるなよ」。これは彼は真剣に、私が実に駄目な人間であることを見抜いていたのです。
 その後、この店で彼は袈裟を身につけるようになりました。
 でも私が驚いたのは、あるときに、朝刊にでかでかと彼の名前が出ていたことです。テレビでも報道されました。彼はある新興宗教での何かで逮捕されていたのです。今も彼から、その後もらいましたその宗教の教祖からの分厚い「殉教の遺書」という本が私の目に入ってきます(私は少しも読んでいません)。
 彼はその後私と会いまして、パソコンを熱心にやるようになり、そして神田司町に事務所を構えるようになりました。私もそこへ行ったものです。私も彼に頼まれてあるお経の解釈をやったものです。いや私が知る限りの大学の先生方はやってくれないのですね。もちろんけっこう報酬も払うのですが。それで私がやるしかないのでした。
 私が紹介した女性をあることで使ったこともあります。その時は日暮里駅前で会ったものでした。
 この彼のことは、以下で書いています。

  2011年01月02日追悼私記30「川尻久夫さんのこと」13022806

 何故こんなに早く亡くなるのでしょう。
 彼と知り合った頃、彼は田端に住んでいたのでした。私も泊まりに行ったことがあります。彼がパソコンをやるようになって、どうしてか私を評価するようになりました。神田会にも出てくれるようになったものでした。「早すぎるよ。早すぎるよ」という言葉のみが出てきます。

13010117 そうかと今気がつきました。毎朝の『浅田次郎「黒書院の六兵衛」』を待っていて、「あれ、今日はこないのか」と気がついた私です。
 日経新聞は、いつもそれほど面白いとは感じられないのですが、これはいつも待ち遠しいです。
 思い出せば、私がこんなに新聞の連載小説を読んだのは、昔温泉新聞(この新聞は旬刊でした)で、『あなたに似た街』という連載小説を読んだとき以来です。
 この街とは、松戸市の新松戸駅前に広がる街のことでした。

12032810  今は朝食の時です。昨日は手紙を2通書いたので、今日も書きます。
  私の手紙は綺麗なシールで封をして(それに今は「封」というデザインのシールです)、素敵なデザインの切手を貼ります。
  送りましたのは、温泉新聞にいたときの友人と、一昨日王子駅前で偶然会えたT・京子さんです。

  あ、食事をします。

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 1月1日の7:00に届いた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2012/1/1 【No.2143】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

 新年、明けましておめでとうございます。
今年も 気負わずのんびり 風の向くまま気の向くままに独楽吟を作り続けていくつもりです。よろしかったら、お付き合いください。皆様にとって 幸せ多い一年になりますように。今年もよろしくお願い申し上げます。

 私からも、この新年もよろしくお付き合いください。

たのしみは 恨みつらみを 喜びに 発送転換 元気になる時

 子供の頃から蛇年で、執念深いなどと言われてきましたが、この年、還暦も近づくこの年になってようやく、恨みは自分に何の利益ももたらさない事を体得しました。小人なのです。これからは 人生の実りの秋を大切に暮らして行こうと思う年の初めです。

 まだ還暦じゃないのね。思えば、私は鶴丸高校の1年のときは昭和39年のときです。そのときは原良町に下宿していたのでした。すぐに転校してしまいましたが。

たのしみは 家の近くの 温泉に ふらりと出掛け のんびりする時

 普段からのんびりしていますが、温泉はまたこれが“のーんびり”できるのです。きれいさっぱりのーんびり、近くに温泉があってうれしいことです。

 温泉は大好きです。私は温泉新聞という会社の新聞記者だったことがあるのですね。もうそれは遠い日々ですが。

11071812 先日、自宅にて妻にインターネットの説明をしていたときに、友人のかもさんのホームページで、次が目にとまりました。

 『あや探』山形林間学校報告

これは椎名誠のキャンプのようです。

 「椎名誠とあやしい探検隊」をご存知? 昔は男ばかりで、僻地
 離島に出かけて酒を飲んで騒ぐ、という集団でした。

という書き出しではじまるこの報告は、女房も私も愉しく読んでいきました。
 私も椎名誠のファンですから、「いいな、いいな」と思いながら読んでいました。デジタルカメラによる写真が入っているから、妻が感心していました。妻はこういうことができてしまうことに感心し、私は椎名誠さんや、沢野ひとしさん、木村晋助弁護士等々という方と目の前で会っているという事実に感動していました。
 私は椎名誠が好きで、彼の小説エッセイはすべてを読むようにしてきました。ただ、何年前に、自宅にあったあらゆる彼の本を、ある飲み屋の女の子にすべて宅急便で送りました。彼女も椎名誠のファンだというからです。
 私はとにかく自宅に本が大量にたまりがちなので、ときどきこうして誰かにまとめてあげてしまいます。島田荘司も「周の書評」に部屋にあげたものは、すべて人にあげました。高橋和巳も全部あげたことがあったな。

 ところで、上の椎名誠が好きなのは、それはもちろん彼の小説が好きなのですが、私が非常に彼に親近感を抱く理由があるのです。それは私が27歳の頃勤めていた「温泉新聞社」に彼もいたことがあったからです。「哀愁の町に霧が降るのだ」にそのことが書いてあります。
 温泉新聞とは、旅行業界の業界紙でした。ブランケット版の新聞を月3回出していました。椎名誠の上の小説では、なんだかあやしげな新聞社として描かれているわけですが、私にはいろいろなことを教えてくれたとても懐かしく思い出せる会社です。
 この新聞社の記者だったときの思い出も書いておきたいな。

7c18441e.jpg 少し前に義母をデイサービスのお迎えの車に、1Fまで送って行きました。そのときに、エレベーターの中で思い出していました。修善寺の光景です。これは 「周の掲示板」に「よよ『知りたい』」の書込み を書いていて、思えば、漱石は修善寺で病気療養していたことがありますね と書いていたからかなあ。
 修善寺を思い出していて、岡本綺堂『修善寺物語』に描かれた時代、漱石が病気療養していた時代、そして私が温泉新聞の記者で集金に歩いていた時代、観光ホテルセンターで修善寺のホテル2件の営業をしていた時代、そして、伊豆へ旅行したのは4年前でなく5年前でした に書いたように、家族で歩いた時代、それぞれの修善寺があるのでしょうが、今の修善寺が一番いいのではないかな。
 思えば、温泉新聞で歩いた時代(1975年夏かな)は、ケバケバしい温泉街でよくなかったですね。家族で歩いたときが一番良かったです。
 そんな修善寺への思いを脳裏に浮かべていました。
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 周の『独楽吟のススメ』の9 に私は次のように書いていました。

 え、これを読みまして、清水から、河津へ行くというと東伊豆だから伊豆半島の南を回っていくのかなあ。遠く距離がありますね。それとも「河津桜」というのは西伊豆にもあるのかなあ。でももう桜が見られるのですね。私も伊豆は大好きです。

 それでインターネットで検索してみました。「河津桜」で検索すると、たくさんのサイトが出てきます。いくつか見てみましたが、次の河津町役場のサイトに次を見つけました。

   http://www.town.kawazu.shizuoka.jp/kankou/now/sakuranituite.htm 河津桜

 以下のように書いてあります。

河津桜の特徴
 河津桜は、寒緋桜と早咲き大島桜の自然交配種と言われており、樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で光沢がある。花形は平開形で一重のやや下向きであり、花弁は5枚の円形で無毛である。
色は蕾の時は濃紅色だが、満開時は淡紅色になる

河津桜の原木
 河津桜の原木は、伊豆急河津駅から天城方面に向かって1.2kmの地点、飯田氏の庭にあります。現在は、樹齢約50年・樹高約10m、樹巾約10m、幹周約115cmです。
 河津桜の原木は、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が昭和30年頃の2月のある日に河津川沿いの冬枯れの雑草の中で芽吹いている桜の苗を見つけて、現在地に植えたものです。昭和41年から開花が見られ1月下旬頃から1ヶ月にわたり咲き続けました。
 この桜は、河津町に原木があることから、昭和49年に河津桜と命名され、昭和50年に河津町の木に指定されました。

 でも思えば、この河津桜を見たことはありませんね。
 私は伊豆は昔からあちこち歩いたつもりなのですが、これじゃ何も知らないんだな、という思いです。私は温泉新聞の記者をしているときも、観光ホテルセンターの営業をしているときも、伊豆を訪れています。
 04年の8月には、家族4人で中伊豆の嵯峨沢温泉に行きまして、その最初に修善寺に行きました。それは以下と、このあとのUPに画像と私の能書きが書いてあります。

  http://www.marinenet.co.jp/shomon/opini/opi0408.htm#040817 2004/08/17(火) 修善寺の桂橋です

 私はこのときに修善寺まで行く際のタクシーの中で、運転手さんとお喋りしながら、そのさらに27年前に北修善寺温泉の様を思い出していました。私はそのとき、26歳で温泉新聞の記者でした。でもタクシーで乗るうちに次第に左右に見える温泉街が私の思い出とかなり違うことに気がついたものです。
 タクシーから降りて、歩いた修善寺はもう私の思い出の中の修善寺ではありませんでした。この家族の旅行で、もう伊豆の温泉が変わったこと、よりいいほうに変わってしまったことをつぶさに感じていました。
 それは2006年夏に家族5人(+ミツ君)で行きました湯西川温泉でも感じたことです。ここにも私は温泉新聞で集金旅行で行っていたのですね。これは、このブログの2006年8月に書いてあります(いや文章はそれほど書いていないですが、画像はこのときの旅行の写真がたくさんあります)。18日から旅行に関するいくつもの写真をUPしています。
 またポコ汰を連れて、みんなで行きたいな。私たち夫婦と娘二人の夫婦と、孫がホコ汰と、そのあと何人もの孫と一緒に行きたいです。

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a427110e.jpg 友人の娘さんが弁護士になりました を書いていて、私は盛岡を思い出していました。いつ行ったんだっけなあ?
 とても私が好きになれる街でした。またあの街を歩いてみたいなあ、と急に思い出していました。私は小さい子どものときから、たくさんの街に住みましたが、旅行で訪れた街もいくつも懐かしく思い出します。仕事で行った街もたくさんありますが、仕事で行くのと旅行で行くのと、そして実際に住んでしまうのとは、大きく違うことですね。
 私が温泉新聞という業界紙の記者として、いくつもの温泉を歩いたときと、自分が家族と一緒にその温泉を歩くと、なんだか全然違う街なのです。
 私は東京もかなり歩きました。観光ホテルの営業をしていたときに、もうすべての街を歩きました。でも、また別な用で歩くと、街はまた別な顔をしているのです。
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e06dde31.JPG東京テレビでジャガー横田夫妻が那須温泉に行っています。でも私が行った時代とは違いますね。私は温泉新聞の記者として、那須の山々の道を歌を唄いながら歩いていましたね。思い出すなあ。

  思えば、もう遠い思い出なんですね。

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 写植割付フィルム中原中也とタダイズム の藤田典さんより、以下のコメントをいただきました。

1. Posted by 藤田 典    2007年06月30日 09:10
「割付」とは、又、懐かしい言葉です。学校を出て直ぐの頃、ある専門紙の編集に携わったことがあります。昭和40年代後半の頃なのですが、倍指を片手に紙面を「割り付けた」ものです。
もう、現在では、全て機械任せ、コンピュータ任せなのでしょうね。
「腹切り」という言葉も、今、思い出しました。初めの頃、よくやって先輩から注意されました。

 思えば、「写植」なんですから、そのあとに「レイアウト」と続いたほうが自然なのになあと思いました。藤田さんの言われているのは、いわゆる活字の文字組の時代のことではないですか。「倍指を片手に」というところで、そう思ったのです。
 私は昔、温泉新聞という業界紙の記者をやっていまして、実際のブランケット版の新聞作りをしていました。新橋の第一新聞という印刷屋で、この新聞作りをしました。
 最初は、自分たちの記事の棒ゲラの校正をして、そのあと大組をして、それまた校正をして最後は、重い鉛の○○(あ、なんて言ったっけ)になって、それで完成です。いつも丸3日くらいかかりました。このときには、神田の会社に行かずに、新橋の印刷所に直行直帰でした。
 帰りに新橋の飲み屋で飲んでいると、活字拾いの職工さんも帰りで入ってきて、いろんな話をしたものでした。
 ただし、この私の「写植割付フィルム」なんていうのは、この活版の時代のことではなく、そのあとの写植の時代のことですね。私はこれもニチイ学館というところで、写植レイアウトの時代でしたから、それを懸命にやっていたものでした。もう前の「活字拾い」とか「大組」の時代とは違うなあということを、ひしひしと感じたものです。
 でも、この写植レイアウトの時代というのは、実はかなり短い期間で、もうすぐに今のコンピュータの時代になりました。
 これもまた、ある名古屋の印刷屋さんに行ったことがあるのですが、もうそこではMacがたくさんあって(日本の印刷は、やはりMacなのですね)、もちろんウィンドウズの機械も少しあるのですが(ないと困るのです)、それを見たときにも、「もう時代が全然違うんだな」ということを感じたものでした。新橋の第一新聞での仕事のあとの飲み屋で、その数時間前の活字拾いでの馬鹿話をしていたときとは違うんだなあということを、おおいに感じたものでした。

 ああ、思い出していくといくつものことが頭に浮かんできてしまいます。

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 このごろけっこう長時間眠るようになり、夢を見たことも覚えているようになりました。
 2日前の朝もこの 夢の中での日常 を以下のように少し書いていたのですが、時間がなくて書き続けられませんでした。

 あ、実は先ほども(2日朝)見ていた、ある大学で会計学の先生に、質問したいのだけれど、先に質問している人のが長くて、それに少しイライラしている夢でした。

 それで、今朝私は4時40分に起きたのですが、その直前見ていた夢です。

 私は夢の中で、新聞を作っています。実際に私は温泉新聞という旅行業界の業界紙の記者でした。月3回の旬刊のブランケットの新聞でした。記事を書いて、そして新橋にある印刷場に、3日くらい閉じこもりで、校正と大組みをやります。
 私は夢の中で、棒ゲラを校正しています。記事のなかで、バブリシティ記事の部分を校正しています。
 広告は、記事中だったりすると、その広告部分は凸版を作ります。でも、この夢の中では、バブリシティ記事なので、ゲラで校正しているところなのです。

   だからサ、これは広告なんだから、そんなに長く丁寧に書くと、印象が強くないんだよ!

 私は相手にこう主張しています。私は「第一、あんたは広告担当なんだから、この記事の部分は、俺たち記者にまかせろよ」という気持になっています。相手のK君は私より1歳下ですが、私よりもその新聞社では先輩ですから、私は言葉には出しません。

   だってサ、前みたいに、「パンプレット」になっちゃったら、俺は羞かいちゃうもの!

 これは、何号か前の新聞で、K君が取ってきた広告で、記事中に凸版でいれるのですが、「パンフレット送付しますので、連絡ください」というような凸版を作ったときに、「パンフレット」ではなく「パンプレット」になってしまったということがあったのです。私たちは、記事のゲラは熱心に校正しますが、凸版になっているとそれが間違えていることがあるなんて考えもしなかったのです。
 私の隣にいるS編集長が、

   ばか、あのときは悪かったけれど、今度は間違えないよ

と言っています。
 私も、「Kは真面目だけれど、面倒なんだよな」なんて思っています。

 でもでも、これは夢の中ですが、Kよ、ごめんな。今も元気でいるのかな。子どもさんはどうしたのかな。そういえば、君も同僚だった川尻君が亡くなったよ。彼とは、亡くなる数ヶ月前までは一緒に飲んでいたよ。

 でも、このK君とは、もう会うこともないのかな。

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 デジタルARENAこの記事 がありました。

 今まで既存メディアが優位性を保っていた部分においてもネットが力を持ちつつある――最近、このように感じ始めている。以前から語られてきたネットの優位性というのは「速報性」とか「検索の利便性」とか「無料」であるといった、どちらかといえば機能性に依拠した部分が多かった。不特定多数による発信というのも大いなる利点だと思うのだが、メディア論的に語られる時、これらは、たびたびマイナスファクターとしてとらえられるケースがあった。
 要するに「書いてある中身に関しては、新聞とか雑誌といった既存メディアにはかないっこない」こんなスタンスだったわけである。しかし、単純な記事のクオリティーにおいても、ネット上のもののほうが勝るケースが増えてきたように感じている。そのひとつが“バカ記事”である。
(2006.08.03)

 この「バカ記事」ということについては、引き続き説明されています。実は私も意味が判りませんでした。私もただのおじさんだものなあ。

 誤解なきよう先に説明しておくと、ここでいう“バカ記事”とは、エンターテインメント性が高い娯楽記事のことである。例えば往年の「VOW」とか、また例えば杉作J太郎さんのコラムとか、「読んで何か得があるの?」と聞かれると「別にない」って感じだけど、単純に楽しい――そういった記事のことである。

 これで私もすぐ判りました。
 それで、こうした記事が、今では雑誌からなくなってしまったというのです。それは

 その雑誌が面白いのかどうかよりも、「その雑誌は広告取れるの?」ってことが先行しだした。面白い記事が作れる編集者よりも、クライアントとつながっている編集者のほうが重用されだした。そのどっちがいいかについては、ここでは論じないが、読者を笑わしたところで「だから?」という風潮になってきて、雑誌からはバカ記事が消え去ってしまった。そう感じている。

 まったくその通りですね。
 これではまったく雑誌が面白くありません。たしかに、雑誌を読んでみても、「これ書いているライターは、ちゃんとインターネット読んでいるのかな。こんなことは違う視点で書いてあったじゃないか」なんて思うことが多くなりました。そうなると、もう雑誌は手にとる気持がなくなってしまいます。
 おそらく、広告もインターネットでこそますますさかんになるばかりですから、いよいよあらゆる雑誌の存立が問われているおおきな問題です。

 もう新聞は、どこでもインターネットでその存在を維持できている道を探っているところだと思います。そしてこのインターネットにより、従来は私たちが目にすることがなかなか難しかった地方紙も、その存在を知ることができ、愉しくその地方の情報を見ることができるようになり、このことは実に面白いです。

 ただ私がこうしたインターネットの世界になりましても、不満なのは、新聞といいましても小さな業界紙を見ることができないことです。私も昔「温泉新聞」という旅行業界の業界紙の記者でした。私は新聞と言っても、あのような業界紙を読むのが好きですし、そうした新聞記者が好きです。
 あ、そんなことに関しても、また別に書いてみます。私も新聞記者だった時代があるし、好きだった新聞記者がいます。ただし、今思い浮かべました私の好きだった新聞記者二人は、私とほぼ同じ歳だったのに、もうなくなりました。飲みすぎだったしなあ。

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 私の ドコモPR用「SNS」 10日で「炎上」というニュース旅人moo00の冒険人生 さんからコメントをいただきました。

1. Posted by moo00    2006年07月24日 21:57
>そしてやっぱり直接会うことが一番大切なことでした。

 ああ、これは僕もずっと前から思っていたし、今でもそれをしたいなと思っています。

 例えば周さんだと、以前は色々な酒場でお酒を飲んでいらしたようですし、もしかしてどこかですれ違ってる可能性も全くないとは言い切れないんですよね。
 なのにずっと会わずにネットで会話というのもなんか変というか、寂しいなと思っていました。
 だからといって中々お会いする機会を作るというのも難しいんですよね。
 私も今はお酒を全く飲んでいないし。

 でもいつか周さんとお会いしたいなあと思っています。
 それが実現するかどうかというより、そういう気持ちでいつもブログを拝見しています。

 いつかお酒を飲みましょうね。

 どうもありがとうございます。うん、もう外ではあまり飲まないね。いえ、家ではもう缶ビール一つだけです。

   ただし昨夜は千駄木の 浅野 で飲みました。きのうは、イギリス人の家族が全部で6人で来ていましたね。今あのお店は、けっこう外人さんがおいでになるのですよ。
 私がマスターの自宅のパソコンのインターネット設定をしたので、その後どうなのかな、と気になっていたのです。あの店も、今はけっこうインターネットでの情報で来られるかたが増えましたね。私のホームページの紹介記事を見てこられる方もいるようです。
 まったくの始めての方のときに、「どうしてうちにこられたのですか?」と聞きますと、インターネットでの情報だということで、そうなると私のホームページ内ということになります。

 でも私はもう飲むのは1軒で終わりになります。つい1カ月前に、昔のように3軒飲みましたが、もうまったく私は駄目でしたね。
 まあ、飲むことよりも、いろいろな方と愉しくお喋りしたいものです。そのことをいつも考えています。

 きのう浅野に来ていたイギリス人の方が家族で来ていましたが、私も来月夏休みに家族5人で湯西川温泉に行く話を店のお二人にしていました。
 湯西川温泉は、私は大昔に温泉新聞の集金で行った記憶しかないのですね。前日夜遅く鬼怒川温泉に泊りまして(泊まったと言っても、宿泊費は新聞の広告費と相殺で泊まります)、翌朝から鬼怒川温泉を集金して周り、それから、この湯西川温泉と川俣温泉を周り、夕方日光湯元温泉に必死に着いたものでした。もちろん、翌日も集金旅行が続きます。
 でもあのときとは違うから、今度は愉しくゆっくり行きたいです。今回は娘たち二人だけでなく、長女の彼も一緒ですから愉しみです。家族4人ですと、わいわいと愉しいのですが、温泉に入るときに寂しくなります。温泉の前までは4人で行きますが、温泉には、私以外の家族3人は一緒に入りますが、私は男独りで寂しくなります。
 でも今年からは、彼と二人で温泉に入れます。これがとても嬉しいです。とても愉しみです。
 あと、それから私は「日光江戸村」にも行こうと言っています。私はあのばかばかしいようなところが大好きなんです。私はディズニーランドは嫌いですが、日光江戸村は好きなのですね。

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