将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:漢詩の中で

11081714   Sunday, July 25, 2004 10:55 AM
Re: はじめまして
萩原周二様

このたびは見ず知らずのサイトアクセス者からの不躾かつ身勝手な要望にもかかわりませず、誠意を持ってご返信いただきましたことを、心より御礼申し上げます。そして、なにより不愉快な思いをさせてしまいましたこと、まことに申し訳ございませんでした。
確かに無理なリクエストでしたし、おつとめからご家庭のことまで実にご多忙の中での唐突なお願いをいたしましたことを重ねてお詫び申し上げます。この無礼をなにとぞお許し下さい。

しかし、そのような中でも最善の対処をしていただき、豊富な知識の中から最適なものをご提示くださいましたことを、この上ない幸いと感謝する次第です。

貴サイトのように充実した解説をされるには、相当の時間と労力を費やしておられることに違いありません。
また、それだけに、そこにかける思いも私のような素人には想像もできないほどでいらっしゃることでしょう。
今、振り返ってみますときに、先にお出しいたしました内容は、まことに失礼極まりないものでありました。
そのときは萩原様の思い入れや労力などを考えもせず、一方的な希望のみでメールをしてしまいました。
もし逆の立場なら、こんなメールに応える気にもならなかったであろうと考えますとき、お詫びの言葉も見当たらないばかりでなく、にもかかわらず真心をお示しくださいましたことに対する感謝の言葉もございません。

なんと返信すべきか困惑しておりますが、このたびの無礼をお許しいただきたく、また御礼も心より重ねて申し上げます。
とりいそぎ、返信まで。
今後とも意義あるサイトをご提供いただきますように願いつつ・・・
失礼いたしました。          F.D.

   Sunday, July 25, 2004 1:04 PM
言いすぎでした。ごめんなさい。
 こうしてすぐ返事をいただきまして、ありがとうございました。
 私もかなり言いすぎでした。ごめんなさい。
 現在以下にて、

  お便り紹介

いくつものメールのやり取りを紹介しております。
 この中で、

  第48回「五丈原の詩」

から、ある奥さんとのメールのやりとりをずっと紹介しております。今後もいくつもの彼女とのやりとりを紹介していきます。この彼女が、「こんなに私とのメール交換だけ紹介でいいのかな?」と気にしています。私は「いや、メールはたくさんもらうのだけど、紹介できるのは少ないのですよ」と言い訳しておりまして、Fさんのメールについても思いだしたものなのです。

 それで、前に書いた内容ですが、少し付け足します。
 韓愈もいわば、思想家や詩人というよりも、政治家の面も強いかと思います。この人の生涯を見ると、かなりなことが判るのではないかなと思います。そして韓愈に関して書かれた書物はいくつもあるかと思います。
 ただもう一人の細川頼之ですが、この方に関しては、私は今ただの一つの本も小説も思い浮かびません。私が知ったのは、いくつもの日本の歴史の本の中の短い一節からだけです(高校時代によく、授業中に歴史のシリーズ本を読んでいました)。いわゆる太平記(これの小説版といいますと、吉川英治「私本太平記」)を読んでも、この人物はちゃんと描かれてはいません。北方謙三さんなんかは、南北朝のいわゆる、後醍醐天皇や足利尊氏、新田義貞等々の時代ではない、かなりあとの時代や、地方の話も書いていますが、たとえば「武王の門」では九州での壊良親王と菊地一族の戦いを描いていますが、敵の足利側の今川了俊や少弐頼尚に関しても、実に見事に描いています。でもでも、細川頼之に関しては、1行も出てこないのですね(これは九州の戦いを描いたからで、著者がいけないのではありませんが)。
 ただ私は、私の少ない知識だけからではなく、あの「海南行」という七言絶句を詩吟で詠うなかで、このときの頼之の本当の気持が判ってきたものなのです。

  隠居するという詩なのに、なんで、こんなに元気に気持よく詠っ
 ていいのかなあ?

なんていう中で、すこしづつ何かをつかめてきた気がします。ちょうど私が、21歳の頃、國誠会という詩吟の会の宗家が、私にこの詩を薦めてくれました。宗家が私に、詠うことを一番薦めてくれたのは

  黒澤忠三郎「絶命詩」

なのですが、この頼之の詩も、「君にあっているな」と言ってくれたものでした。
 私は当時革命運動に邁進しているときであり、明治生まれの宗家荒國誠先生には、私の存在は、頑固で非和解的な水戸浪士と同じに思えたのでしょうが、この「海南行」の頼之の本当の気持をもまた私に伝えたかったのかな、と今の私には思えます。
 思えば、細川頼之は、足利幕府側の人間です。宗家荒國誠先生は、まったく南朝の悲しさに涙を流す人でした。でも、この南北朝の争乱を終らせた頼之の気持が、荒先生には、一番落ち着けたものだったのでしょうか。荒先生には、どうしても理解できない許し難い、全学連とか全共闘に私はいた人間です。でもその私の本当の姿を知ってから、私のことを「あれは弟子ではない」などとは言わず、私のことを実に心配して動いてくれたものでした。この荒先生の思いが細川頼之の時代を思う考えにつながっているのかな、なんて私は今思います。

 少々つまらないことを書きました。
 できたら、Fさんにも、ホームページを開設していろんな思いを披露していただきたいなと思います。
 それから私は弘前は好きな街です。ただ、随分大昔に行きましたときに、どこで飲んでいいのか判らなかった街です。
 それから私は太宰治も好きですよ。昔、学生運動で刑務所に居たときに、太宰治全集を読みきりました。独房で、太宰の面白さに声をあげて笑っていると、看守が「一体どうしたんだ?」と心配して見にきたものでした。萩原周二
(第208号 2004.08.09)

   Sunday, July 18, 2004 8:45 PM
はじめまして

11081412前略 ごめん下さい。
興味深く、漢詩入門サイトを眺めさせていただいています。
実はわけあって、ことわざや名言を探しています。
漢詩の中にはたとえば川柳のように短い言葉でそれなりの意味を網羅するような言葉はありますか。

周知のように、小泉内閣が改革路線を崩さずに徹底して改革を断行しています。自民党内にもそれに反対する勢力があるわけですが、それについて首相は「抵抗勢力」と呼んで、ある意味で皮肉とも取れるような発言・答弁をしていたことがありますね。
新しいことを始めるときには必ずそれに抵抗する勢力があるわけですが、それらを痛烈に皮肉ったような言葉が漢詩の中にはあるだろうかと思い立ち、それらを探しております。
漢詩はいくつもの漢語ではじめて成り立つのかもしれませんが、何か端的にそのような意味を持った漢詩が(詩全体でなくとも、一文だけでも)あるものでしょうか。

そのことをお尋ねしたく、もしあるのでしたら、参考までに手ほどきをしていただきたいと存じ、あつかましいとは思いつつも、お尋ねのメールを差し上げました。
また、ずいぶん勝手ではありますが、1,2日中にご回答いただけましたら、まことに幸いです。
以上、お願いまで失礼します。

草々
2004年7月18日
F.D(31歳)牧師

   Saturday, July 24, 2004 11:54 AM
Re: はじめまして

 まずこれだけ遅い返事で申し訳ありません。私も仕事もやっているので、なかなか返事をたくさん書けないのです。
 それで、F様の聞かれる内容に、

  うーん、漢詩にもいくつもあると思うけれど、簡単に応えるの
  はできないなあ。少し調べてみるかな。

なんて思いでした。
 ただメールを受け取りました18日は母の面倒を見る用事があり、夜中にこのメールを開いたのです。そして翌日は休日でしたが、事務所へ出て仕事をして、夕方はあるクライアントのやっているイベントへ行き、また事務所へ戻って徹夜の仕事でした。
 だが、Fさんの文面に

また、ずいぶん勝手ではありますが、1,2日中にご回答いただけましたら、まことに幸いです。

という文があり、「冗談じゃないよ、そんなの無理に決っているだろう」とさすが不快になりました。私が役員を勤める会社や、顧問先の仕事は、徹夜でもしますが、ちょっとこうしたことは簡単にはできません。
 とはいえ、何も応えないもの、私も愉快ではありませんから、もう簡単に応えます。

漢詩の中にはたとえば川柳のように短い言葉でそれなりの意味を網羅するような言葉はありますか。

 私は、漢詩は好きですが、短歌や俳句は苦手です。このことは書いているかと思います。まして川柳は、私には難しすぎます。だから「川柳のように」といわれても私には到底理解できません。
 それで、理解できないのだから、もっと詳しく調べるべきなのでしょうが、もう簡単に応えます。
 私の「漢詩入門」の中でいいますと、

  韓愈「左遷至藍関示姪孫湘」

なんか、かなり当時の駄目な政治勢力へのむきだしとも思える韓愈の気持が伝わってきます。

  一封朝(あした)に奏(そう)す 九重の天
  夕べに潮州に 貶(へん)せられる路八千

 この文言は、私もいろいろなときに口から出る皮肉です。
 また、

  細川頼之「海南行」

もまた、Fさんの言われることに合致する詩だと思います。
 足利幕府内のいわば、どうしようもない反対勢力に対して、

  満室の蒼蝿(そうよう) 掃(はら)えども去り難し

という句に、頼之の左右に蠅を払うしぐさを見ます。だが、頼之は

  起(た)って禅搨(ぜんとう)を尋ねて 清風に臥せん

と言って、これから隠居する、すなわち逃げるのです。でも、私も書きましたが、この詩は枯れて静かに吟うのではなく、私のように声高く、元気に詠うべきです。このことが、この詩の真意、頼之の心をあらわしています。頼之は、逃げ出したのではなく、再度戦うために、ここで一旦隠居しただけなのです。
 そして再び政治の世界に出てきたときに、反対勢力を抑え、ついには長い南北朝時代を終らせることができたのです。実に偉大な政治家だったかと思います。
 私には、「やっと君にも、俺の真意が判ったのか」と私に笑顔を向けてくれる細川頼之の顔が見えるような思いになります。

 以上簡単ではありますが、他の詩を調べる気持には今なれません。萩原周二
(第207号 2004.08.02)

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