将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:漱石

10101213 だんだん、自分のUPしたことを読んでも、この中宮崇という人物の言うことに腹が立ってきました。

明確な障壁や葛藤が時代ごとに存在した欧米と違って、日本の純文学ってのは、主に個人的な心の葛藤ばかりを扱っており

 これは例えば、欧米の文学ではどれを指しているのかなあ。日本の純文学って、誰等の文学をいうのでしょうか。

漱石なんてクズニートだの甘やかされたどら息子とかの話ばかりだし、太宰なんていうまでも無いでしょ。例外は、悔しいことに、支那文学を下敷きにした芥川や中島敦などのごく一部だけでしょう

 ここでいうこの漱石の作品を具体的にあげてくれないだろうか。「話ばかりだし」なんて、私は漱石の作品に「クズニートだの甘やかされたどら息子」の話って、なんの作品なのだろうか。全然思い当たりません。ちょっと中宮崇という人物はひどすぎます、馬鹿すぎるのじゃないのかな。
 芥川龍之介の支那文学を下敷きにした話って、何をいうのかなあ。「杜子春」って、中国のモデルになった話は、女にさせられてしまう話で、芥川のとはまったく違います。
 それに中島敦の支那文学を下敷きにした話って、何ですか?例えば、『李陵』なんか、下敷きの話は中国にはないですよ。司馬遷、李陵、蘇武の物語を描いていますが、あの物語は中国にはありません。中島敦が『悟浄歎異』・『悟浄出世』を描いてくれたおかげで、沙悟浄は、どうやら、どういう怪物かが判ってきて、でもこの日本では河童と言われるだけです。中国には河童なんかいません。
 もうただ呆れはてたばかりです。

10101211  imajoukさんのツイッターで、以下がありました。

imajouk    劉暁波氏のノーベル平和賞受賞について、こういう見方もある。「平和賞、受賞に日本は浮かれすぎ」 http://www3.diary.ne.jp/user/312071/ これが当たっているかどうかは判らないが、検証すべき見解ではある。 #seiji

 これで私はこの先の 中宮崇の 世相日記「些事争論」を読んでみました。これの「■2010/10/12 (火) 昨日の日記 純文を、子供に読ませる親は馬鹿」の中に次のようにありました。

つーか、芥川賞作品(特に最近の)は全部そんな感じだし、明治大正の古典だって、その手のものがほとんどである。
明確な障壁や葛藤が時代ごとに存在した欧米と違って、日本の純文学ってのは、主に個人的な心の葛藤ばかりを扱っており、言って見ればキチガイ向けの処方薬あるいはゴキブリメンヘル向けの覚醒剤であって…

というので、何を言っているのかなあ、という思いでしたが、次はなんだか私でもとんでもないという思いでした。

教科書に必ず載っている作品だって、たとえば鴎外の舞姫なんて、エリートのぼんぼんが留学先でろくに勉強もせずに奨学金打ち切られた挙句、現地の女を妊娠させて自分の出世のためにそれを捨てちゃうって話でしょ。漱石なんてクズニートだの甘やかされたどら息子とかの話ばかりだし、太宰なんていうまでも無いでしょ。例外は、悔しいことに、支那文学を下敷きにした芥川や中島敦などのごく一部だけでしょう。

 私は太宰治は全集を2度読んでいます。その他の漱石や鴎外、芥川龍之介、中島敦は9割読んでいるという感じです。村上春樹は、娘に勧められて、いくつか読んできました。
 私はこれに総反論しようと、そのあと長女の家まで歩いて(歩いて、私の足で20〜30分かかります)いるときに、その反論を考え上げ、でも鴎外『舞姫』だけは考えがまとまりませんでした。
 また改めて書くつもりですが、とにかく、これはとんでもないという思いで書いていくつもりです。
 そうですね、私の蜘蛛業の「読書さとう」でいくつかのこれらの作家の各作品への思いを書いていくつもりです。
 もはや総反論とも言えないものでしょうが、今後書いていくつもりです。
 あ、でもこの彼にこれでトラックバックしようと思いましたが、彼は「さるさる日記」にこれを書いているんだ。どうしようかなあ。あとでメールを送ればいいか。

10081101 8月17日の21:50に届いていたHA茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2010/08/17 【No.1989】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 夫が帰って 来たことで 家の灯りの 輝き増す時

やはり家族が揃うって嬉しいですね。無事の帰宅にまず安心。

「家族」っていいものですよ。その家族が広がる親族っていいですね。でも私はこのごろ、自分の姻族もしきりに考えます。天皇家やイエス・キリストでは自分の上やあるいは下に継る親族を考えますが、自分の横につながる姻族はいわば無限なのです。それをつくづく感じています。

たのしみは 相談できる 友のいる 幸せつくづく 感じられる時

夏目漱石の「草枕」の中の一文ではないけれど「とかくこの世は住みにくい」。今 働いている中での「苦」は 働かなくなったら無くなるという保障は無くて 私はいつも苦しみを抱きかかえて生きていくのかもしれないと思うときもあります。

でも、それを相談する友達がいるって 本当にありがたい!

 漱石先生は、なんでそんなふうに言い切ってしまったのかなあ。いや私は漱石の本当の思いは違うようにあったと思ってきているこの頃です。

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 午前中に長女の家に行きました。取りに行くものがあったのです。昨日根津の「海上海」で、どこへ行ったか判らなくなっていた妻のデジカメです。長女が持っていてくれました。その代わりにポコ汰が昨日私の家に忘れていた「うんち」のおもちゃを持っていきました。これは「うんち」の形をしたおもちゃです。
 でもでも、もうポコ汰はすっかり忘れていました。もうそれほど欲しいものではなかったようです。それを、ここに掲げました。
 それで、帰ってきて、食事をして、そのときにテレビで「坂の上の雲」を見ていました。
 広瀬武夫が出てきまして、「あ、アリアーズナ・コバレフスカヤだ」という女性も出てきました。私は 広瀬武夫「正気歌」に以下のように書いています。

 私は真面目に生きた広瀬武夫が好きです。彼は相当なロシア通でした。ロシアを深く愛していたと思います。彼は軍人には珍しく、プーシキン、ツルゲーネフ、ゴーゴリなどを原書で読破するほどでした。彼のやった閉塞作戦では、福井丸の船橋にはロシア語による熱い投降の呼びかけが掲げられていました。おそらく広瀬は心の底ではロシアとの平和を願っていたものだと思われます。
 彼はロシア滞在のときに、ペテルスブルグでかなりロシアの貴婦人の注目のまとだったようです。実らなかった恋の話もきいています(註13)。その彼がロシアとの戦いで戦死するとは、なんだか悲しいことです。しかも、彼の旅順口閉塞作戦は失敗でした。

(註13)ロシア海軍少将の娘でピアノが得意な瞳の美しい、清楚で気品のある女性だったといわれています。名前はアリアーズナ・コバレフスカヤ。彼女の父を介して2人は知り合い、やがて結婚まで意識するようになりますが、それを知った軍の上層部は広瀬に帰国命令を下します。

 私はかなりどこでもこの「広瀬武夫『正気歌』」を詠っています。ただいつもその詠うたびに、「漱石なんか、この詩は評価していなかったのだろうな」なんて思っているものです。
 でも仕方ないのよ、と私はいつも漱石に言っているつもりです。

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 明治以降の日本の小説として、『三四郎』は第一級の小説だといえますが、では世界的な意味でそういえるかというと、そこはちょっとためらわざるをえない。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』と比べて「いい小説」といえるかというと、どうもそこまでは言い切れない。それはなぜかといえば、言語表現が作品のモチーフと分離しているからです。だから、文学的に非常にいい小説作品を生んでいる西欧の先進国の人たちが『三四郎』を読んだ場合、「いい小説だ」という程度の読み方をされて、それで終わってしまうだろうなと思います。
 作家としての力量からいえば漱石は言語表現とモチーフを一致させて世界的な作品を書ける可能性を持った人だと思いますから、そこはちょっと残念なところです。
(「日本語のゆくえ」『第二章芸術的価値の問題』)

 漱石はよく読んできたつもりでいますし、『三四郎』もよく判っている思いでした。でも私が少しも届いていないのだということがここを読んで気が付かされたものでした。もう一度すべてを読み直す必要があるのだ、ということを痛切に感じています。

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 漱石の『こころ』を思い出していました に書いたことですが、私がこの千駄木のよみせ通りと池之端通りの間の路で、営業で行っていた家で、私が思い出していたのは、夏目漱石の『門』でした。
 『門』の冒頭の文章を、私はその頃ここの家に入るときに思い出していたのです。

 宗助(そうすけ)は先刻(さっき)から縁側(えんがわ)へ坐蒲団(ざぶとん)を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐(あぐら)をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和(あきびより)と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄(げた)の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肱枕(ひじまくら)をして軒から上を見上げると、奇麗(きれい)な空が一面に蒼(あお)く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較(くら)べて見ると、非常に広大である。

 なんだか、自分の情けなさに嫌になります。漱石をまた読み直して見るかなあ。でも昔読んだ本はすべて売ってしまったから、今度は図書館で読むべきですね。
 宗助はここで細君とひっそり暮らしているのでしたね。

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903ce258.jpg このごろ漱石が亡くなる寸前に作りました七言律詩を二つ私のブログに載せました。このときの漱石の歳をはるかに超えてしまった私なのに、なんだか情けなく羞しい思いだけです。
 次女が結婚する直前なので、次女に我孫子の自宅へ来た手紙を我孫子−王子と転送されてきて、次女の今いるところまで送っています。それに必ず私の手紙をつけています。こんなときが、私と同じ苗字の次女に手紙を送れるのは今だけです。
 あんな次女にしてくれたのは、私の母と義母と父と義父です。それと、私の義姉も実に優しく次女を育ててくれました。(3/20)
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 これは、漱石の小説みたいな、特に『ぼっちゃん』に出てくる、坊っちゃんをかばってくれる老女がいます。お手伝いさんというか、ばあやさんですね。そういうのがいます。それが漱石の年取ったときの理想の人だったんでしょうね。そういうふうに書かれているから。若いときに、兄に将棋の駒をぶつけたら血が出た。それでおやじに言いつけられて、おやじから勘当を言い渡されたときに、その老女は、「私が代わりに謝るから許してやってください。この坊っちゃんは、素直で正直でとてもいい人柄です」と言って、かばってくれた。坊っちゃんが松山に行くときには、「坊っちゃん、偉くなったら私をまた雇ってくださいね」と親戚の家に身を寄せます。でも坊っちゃんはちっとも偉くならないで、先生を辞めて鉄道職員か何かになります。「ばあや、帰ったよ」と尋ねていくと喜んで、坊っちゃんも「じゃあ一緒に暮らそう」と。そういう人がいいですね。文句なしですね。(『老いの超え方』2006.5.30朝日新聞社「第一部身体」)

 このことは、実は私にはよく理解できないことでした。「坊っちゃん」は少しも面白い小説ではなく、ばあやさんのことも理解できませんでした。なんだか、少し暗くて、私が溶け込めない小説にしか思えませんでした。でも今になって、すべてが判ってきたような気持になりました。漱石には、あのばあやが理想だったのでしょうね。そして吉本さんにも同じなのです。それが私は今になって、やっと理解できた気がしています。年を取るということは、無駄なことではないのですね。

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