将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:激辛庵

12012708 激辛庵(本名堀雅裕、JONNYBというハンドル名も使っていました)さんとのお別れです。これから前夜祭に出かけます。

   堀雅裕さんの前夜式・告別式

 彼は友人と一緒に語りあって飲むのが好きでした。奥さんの燕尼も言っています。ぜひ彼を知っている方は、来て彼の前で飲んでほしいと。
 本日は彼とずっと語り合います。
 私は明日彼の骨を拾わせてもらいます。(11月06日 15時50分)

a459e4b6.jpg さきほど7時30分前に配信しました。158部です。
 今回は私の親友である堀雅裕(ハンドル名激辛庵)さんが3日早朝に突然亡くなりまして、それで、本日朝4時半からマガジンを書き出しました。彼のことを思いながら書いておりました。(11月06日 08時35分)

11091809 昨年のいつのことか、激辛庵氏と築地で飲もうということになりました。彼の奥さんもあとから来るとのことで、ある焼鳥屋で待ちました。その焼鳥屋は大変に繁盛しているお店です。
 いまのどこのお店とも同じで、働いている店員さんに外国人が多いのです。その中で、色の白い美人の女の子が目にとまりました。どうにもアジア系の顔だちではありません。私と彼とはよく色々な飲み屋でそこの店員に話しかけたりして知り合いになるのですが、どうもこの店員には話かけにくいのです。美人であるのと、なんだか寂しげな感じがします。

 周「おい、あの彼女国籍どこだと思う?」
 激辛庵「うーん、どうも中国系じゃないね」
 周「俺が思うにね、国籍はさておき、あの娘は白系ロシア人だよ、
    きっと…………、あのくらいの歳だと、たぶんひいじいさんが
  1917年の革命で結局は国外へ逃亡することになったんだな」

 そして、さまざま白系ロシア人が赤軍には勝てなかったこと、ロシア社会革命党戦闘団のサビンコフが最後は白軍の指揮をとっていたこともあることなどを話しました。満州には大勢白系ロシア人がいたし、その人たちがまた日本にもたくさんやってきたんだなんて話をしました。そういえば、昔の横綱大鵬にも、山本リンダにもこの血がながれているんだ、なんてあることないこと話しました。そしてそのロシアを失った哀しみがあの娘にも自然に表われるんだなんて話しました。
 ちょうど私たちの前では、色の黒い笑顔の若者が、いろいろと注文をとったりしてくれます。その彼といろいろ話だしました。

 激辛庵「あなたはどこから来ているの?」
 彼「ワタシ、ミャンマーです、日本で勉強しています」
 激辛庵「あの彼女はどこから来ているの、知っているかな?」
 彼「あ、あの娘もミャンマーです、ワタシの友達です」

 ここで、激辛庵さんからどうにも私の話の根拠のなさを指摘されました。彼女は日本語がまだうまく話せないので、すこし緊張してしまいそれが寂しく見えたものなのでしょう。私はさらに、いや白軍が日本軍ほかのシベリア出兵でも敗北して、そこで彼女のひいおじいさんは満州から大連と流れて、日本からさらにはビルマへいったんじゃないかとか言い張りましたが、もう相手にされません。そのうち彼女も来て挨拶してくれましたが、またまた笑顔の素敵な女の子です。どうも私のはこじつけのようでした。
 毎回私と激辛庵さんはこうして、なにかしらいろいろなことを話して、そこのお店の人と知り合いになったりしています。

11091508「リンクス(友人・知人)」にところに「こたろうWeb」を紹介しました。まだ解説は書いていません。これは私の友人で神田会の仲間である激辛庵(「周の掲示板」ではJOHNNYBと言っている)さんが昨日開設したホームページです。彼のことは「周の酒飲み話」で「激辛庵さんのこと」で紹介しています。
 ところでこのホームページですが、今行っても、もうそれはまったく出来ていません。「工事中」という以前の状態です。
 このホームページを立ちあげるので、昨日苦労していました(私のほうは苦労したよ)。私は一昨日から会社に泊まっていて(これを激辛庵さんは、私が飲んでまた会社に泊まっているものと思っていた。私しゃ1滴も飲まず、まったくの仮眠もとらないまま仕事していたのよ。ホームページの更新もしましたけれど)、土曜日午後彼と電話で話し出しました。彼のところもISDNなので、インターネットをやりながら電話できます。もうそれで延々やりました。私は丁寧につき合いましたよ。
 それで、このときに、彼と話ながら画面を見ていたときに、ある柏市民ネットの仲間の掲示板を見たら、なにか「これはなんだろう?」という書き込みに出会いました。モニターになればiMacが無料でもらえる、しかもその数が2千台という書き込みです。詳しくは私の「リンクス(掲示板・会議室)」の各リンク先を見てください。この書き込みの書いてある指示通りにやると、なんだか変です。そこで土曜日だけれど会社に出ているなと思ったぱらむさんに電話しました。そうしたら、「いや、私のところもかもさんのところにも書き込まれているよ」ということで、これはどうみても詐欺だなと思いまして、まず柏市民ネットの関係の掲示板を見てみました。けっこうあちこちに書き込まれています。そこで「これは変だよ」という意味の文章を作りまして、あちこちに書き込みはじめました。「これは柏市民ネットということではなく、東葛地区の掲示板にやっているのかな」と思い、いくつか当たりました。そして同時に書き込みもしました。同じ文章を書き込んだわけですが、掲示板により題名が変わったり、少し挨拶を入れたりしました。字数制限のあるところもあるので、いろいろろ加減しました。それと急いでいたので、誤植だらけだったかと思います。
 それで、途中でぱらむさんと何度か連絡をとると、これはどうも上の私の「リンクス(掲示板・会議室)」にあげてある掲示板に軒並み書き込まれているようです(ただし書き込んでないところもいくつかあった)。私の管理する松戸自主夜間中学校の掲示板にも書き込みがありました(すぐ削除した)。 私が把握した限り16の掲示板にまったく同じ人物から同じ書き込みがありました。これは実にたちが悪いです。ただし私のところの掲示板にはありません。何人かの方の指摘で、これはダイヤルQ2ではなく、外国にそのまま電話がかかってしまうようです。だからちょっとの時間でかなりな料金がかかります。そして電話代の請求で驚くことになるのでしょう。KDDだとそのまま請求してくるようです。
 とにかく私は上の16には警告の文書を書き込みました(一つは削除した)。問題は私の知らない掲示板だと、もう私は判りようがありません。できたら、ここを見られたみなさん、ぜひこの悪質な書き込みを見かけたら、その掲示板に警告の書き込みを御願いします。
 こんなことを必死にやっている中で、激辛庵さんとはまたホームページ作りの話をし続けて(途中で何度か電話を切ったけれど)、とうとう開設にまでいたりました。さてきょうはもう少しはまっとうなホームページになっているかな。
 さて見に行きますよ。(99/02/21 10:32:49)

11091208 私のごく親しい友人である激辛庵さんの奥さんは、北京美人です。スタイルよく、背も高く素敵な女性です。ところが、中国女性だけあって、口うるさいんですね。まったくうるさい。それで私が知り合ったころ、彼彼女はまだ結婚していませんでした。それで彼とはしこたま飲むのですが、飲んで彼のところへ泊まると、夜中2時か3時に彼女がきます。結局飲み続けで、朝になると3人で朝食食べにいきました。
 それで朝の定食屋で、「えーと、とりあえずビールに、納豆に大根おろし、おしんこ、それに半ライス」なんて頼んでいたわけなのですが、そうすると彼女はいろいろいうわけです。「日本人の食生活はなんてまずしいんだ」と。確かに彼女が食事つくると違うんですね。まず納豆に大根おろしだけなんてことは絶対にありません。それであまりに彼女が日本の食事をけなすので、私はついに怒って、「そもそも、明の永楽帝は義満に何といったのだ、『奴国』の『奴』とはなにごとだ、蘆溝橋事件は国民党便衣隊がやったんじゃないのか」などととちくるい、「そんなら日中料理合戦をやろう」ということになりまし
た。場所は、私のクライアントの鬼怒川のリゾートマンション。
 私は何人か誘ってその日戦いました。しかし、しかし情けないことに、彼女は完璧に北京料理を作ったのに、日本側が作ったのは、大量の大根おろしのみ。あーあ駄目ですね。

 ところでその料理合戦の日なのですが、前の日から飲み続けで、彼の自宅から3人で出かけました。いい天気だったので、華厳の滝を見にいきました。前にも彼彼女には、鎌倉はどこがいいとか紹介していたのですが、そのとき鎌倉の大仏の感想聞きました。

  燕尼(実は女へんに尼と書いて、イェンニーといいます、すな
  わちカールマルクスの奥さんの名前ですね)、鎌倉の大仏さん、
  いいお顔していたでしょう。

 ところが彼女は全然感動しないんですね。なんだか中国にはあんな仏像は信じられないくらい大きいのがいくつもあるらしいです。
 それで、また華厳の滝なのですが、私は17歳でここに飛び込んだ藤村操の「厳頭の感」の文章を思い出しながら、「燕尼、綺麗な滝でしょう」といいました。ところがこの中国の女性は、中国にはこんな滝数え切れないくらいあるそうで、全然感動しないらしいのです。
 私しゃ、もういいかげんに頭に来ました。中国というのは、その昔清の康煕帝の時にイギリスのマカトーニが、貿易したいと額を地にすりあわせていったとき、「中国にはないものはないから、べつに貿易なんか必要ないが、どうしてもというならやってもよい」とかいったという。言葉のとおり、中国にはないものがなく、イギリスは少しもうまみがなく、ついには阿片をもってきたらしい。
 たしかに中国にはなんでもあるらしいですね。なんとなく面白くないまま、華厳の滝からタクシーに乗りました。いろは坂を降りてくると、その日はめずらしくたくさんの日本猿がいたのです、そこで思いあたったのです。

  燕尼、中国にはなんでもあるといっても、日本猿はいないだろ
  う。北京の動物園にはいるかもしれないけど、日本猿はいないだ
  ろう。中国には日本猿と吉本隆明はいないんだ。

なんだか、やっと溜飲がさがりました。
 それでまた、その晩の料理合戦でうちまかされたんですけどね。
 中国のなんだか分からない大きさは、感じることだけはありますが、日本には吉本隆明がいるんですよ。それだけで私は嬉しいんです。

11091112 16日にビジネスシヨウで激辛庵さんと飲む中、東中野へ行くことになり、電車の中で、彼が急に谷崎潤一郎のことを喋りだしました。先日東中野で飲んで組合の仲間のうちへ泊まったときに、そのお父さんから谷崎の本を借りて読んだら、それが仲々面白い内容だったといいます。日本の文化のことが書いてあるといいます。

 周「それは『陰翳禮讚』じゃないか?
 激辛庵「……題名はなんだったかな?  とにかく旧漢字で書かれ
    ている古い本なんだ。最初に電線がどうたらということで始ま
    るんだ

 周「それで、たとえばトイレが真っ白なタイルなのは落ち着かな
    い、とか書いてあるんだろう

 激辛庵「そうそう
 周「だからそれが『陰翳禮讚』だよ

ということから始まって、その話を延々していました。私は谷崎潤一郎は中学生のときから好きな作家でした。だが中学では話す相手はいませんでした。入学した鶴丸高校では、さすが「細雪」や「痴人の愛」「卍」等々は読んでいる友人ができましたが、私の好きな「少将滋幹の母」や「武州公秘話」「盲目物語」などまでは話が進まず、ましてこの「陰翳禮讚」の内容まで話すことは皆無でした。それが大学へ入っても、その後も同じだったように思います。またたまに「読んだ」という人に会っても、内容までは覚えていないということで、寂しい思いをしてきました。
 それがいわば初めて、いろいろと話せた気がしています。思えば、今年正月に大掃除(本当は年末にやったのだが、遅すぎて本を棄てるのは正月になってしまった)で、本を800冊処分しました。それこそ大量に棄てました。棄てないと、もうかたずかないどころか埋もれてしまうのです。それで夏目漱石や森鴎外に始まって、藤村、秋声、花袋等々から、新感覚派、白樺派、プロレタリア文学、そして昭和前半、そして戦後期の本も大量に棄てました。でも、どうしても私は谷崎潤一郎と永井荷風の本を棄てることはできなかったのです。 私の思いでは、もしも漱石の本ならば、なんかあってもその内容をパソコンで調べるか、あるいは誰かにこの通信で「内容を調べてくれ」といえば、すぐ判るだろうとの思いがあります。だが谷崎の本は、もし何か聞かれた場合には、私はそれこそ、瞬時に応えたいし、そしてどこかで調べるというわけにもいかないのではという危惧があるからなのです。
 ところでこの「陰翳禮讚」なのですが、いったい何がいいのかなと考えてみました。日本の文化は光がまぶしいようなところではなく、ほのかとした陰翳の中でこそ存在しているのだというところでしょうか。それをいろいろなことをあげて言っています。私はいつもけっこううなずいて読んでいます。
 だが私の本心を言うと、私はこの本を中学生のときから「でも何か違うな、日本というのはこんなものなのだろうか?」という気持で読んできた思いがあります。それは谷崎さんのことが私は好きであり、内容も面白く賛同しながら読んではいるのですが、どうしてもこの「日本の文化」への谷崎さんのいうことには、どうしてか違和感があったのです。
 そうした思いをこそまた書いていきたいと思っております。

11082106 これから行こうとしていましたクライアントが、行かなくてすむことになりまして、少し時間ができました。午後7時からは神田会ですが、それまで少し時間があります。
 なんだか急かされるようにさまざまな仕事があるのですが、少々疲れてしまいました。夜はなんだか眠くなって、ベッドに入ると、朝まで眠ってしまいます。昨夜も、なんだか眠くて、夜1時ころベッドに入りました。普段だと、たいがい朝4時半から5時ころには目が醒めて、パソコンに向かうことができるのですが、なんと目が覚めたのは朝7時でした。なんだかこれはまずいな。

 昨日クライアントへ行くときと帰宅の電車の中で、

  「1999年長谷川慶太郎の世界はこう変わる『世紀末大転換』」

を読みました。慶太郎さんは、私が尊敬する方です。札幌大学の鷲田小彌太という哲学の先生が、

  長谷川慶太郎はもう一人の吉本隆明である

といわれるのですが、私はまったく同感です。これだけ世界の経済政治情況を適確に把握し、私たちにさまざまな指針を与えてくれる経済学者は、他にはいません。
 上の本の書評もまた書いてUPいたしますが、ここでは少し違うお話をします。

 今週の月曜日30日に激辛庵(彼は「周の掲示板」ではJOHNNYBと称している)さんが夕方来まして、また結局飲みました。その席でさまざまなことを話したのですが、前にここで(1998年11月11日)書きましたようなことを話しました。
 「時間と空間」は人間が自在にできないものだったが、今まずインターネットによって、距離とか広さというようなものは自在にできるようになった。問題が「時間」だが、これは吉本(吉本隆明)さんの言う「25時間目にやれ」ということで解決できうるのではないかということです。
 このことで激辛庵さんは、

  あなたは吉本さんの言うことをほとんど実践できそうなのに、
  出来ていないのがその「25時間目」じゃないのか。その25
  時間目にあなたは酒ばっかり飲んでいるじゃないの。

 これで、「いや俺だって………」なんて言い訳をするのですが、たしかにその通りなのですね。吉本さんは酒を飲むなとは言わないが、吉本さんはあんまりお酒は飲まれません。
 そして慶太郎さんなのです。慶太郎さんの言葉に、

  カラオケ、ゴルフはやめなさい

というのがあって、もう一つやめなさいというのが「酒」なのですね。たしかに慶太郎さんのような人はもう酒を飲む時間も惜しんで懸命に情報収集と、さまざまな情報発信をされているのでしょう。
 私は実にミイハーですから、慶太郎さんが言うこととか実践されていることはすぐ真似します。慶太郎さんが、食事のときにも本をものすごいスピードで読んでいるというのを知りまして、私も自宅での晩酌のときにも朝の食事でも、本を左手に持つようにしています。文庫本だと、少し柔らかくて持ちにくいので、ハードカバーのものを読むようにしています。(実をいうと、私は自宅でテレビやビデオを見るときも、パソコンに向かっているときにも、同時に本を手にしているのですが。)
 でも慶太郎さんがいおうと、おそらくは吉本さんも、その姿勢の中に酒なんか飲んでいられないということであろうと、やっぱり私はだらしなく飲んでしまうのですね。
 たしかに酒飲んでいる時間とその体力を考えると、それがなければ、本ももっと大量に読めるし、インターネットへの発信ももっと増えるでしょう。でもきっともうそれは魅力のない本読みであり、内容のない情報発信になることでしょう。私は酒飲めないなら、もう人間やめますよ。
 だけどこれでいいのかな。もっともっと努力すべきなのかしら。酒なんか断つべきなのかな。でもなあ、私から酒とったら、それはもうつまんない人生になっちゃいますよ。
 悩みつつも、もっとやり抜いていきましょう。

 もうすぐ神田会です。やはり腹いっぱい飲んでいきましょう。きょうの神田会ははじめて参加される方が5人います。みないろいろな縁での私の友人たちです。愉しい時間です。これは飲まないわけにいかないじゃないの。(98/12/03 18:01:15)

11011305 1992年に書いていた文です。私の亡くなった友人堀雅裕さんのことを思い出している中で、この文章を見つけました。

 7月8日(水)に飲んでいたとき、店としては2軒目だった。1軒目では、近江俊郎追悼とか称して「湯の町エレジー」とあと一つ唄い、さらに「山小屋の灯火」を唄おうとしたりして騒いでいた。飲んでいたのは谷中の「双葉」という店。次に西日暮里の「きゃらめる」。一緒に飲んでた激辛庵(堀雅裕さんのハンドル名)さんが昔プロの歌手だったから、またここでも圧倒的にふたりで唄っていた。 そうしたら、だれか若いひとがステージへでて唄った。私はその歌を聴いたときに「うんこれはいいな」と思った。なんだか魂に寂しく迫ってくる感じで、思わず彼のところいって、いい歌ですねと誉めてしまった。
 ママにきいたら、尾崎豊の歌だという。
 それで翌々日、またあの歌を今度は本当の尾崎豊で聴いてみたいと思った。それでCDをさがしたのだが、いっぱいあって、どれがこの間の歌だか分からない。それで本屋にいって彼の関係の本で歌詞で当ってみることにした。
 そうしたら、なんと神保町三省堂には彼の関連の本が13種類もおいてあった。何冊か見てみて、この本を買った。

書 名 尾崎豊 Say good-by to the sky way
著 者 尾崎豊+尾崎康+大楽光太郎+吉岡秀隆+アイソトープ+エッジ・オブ・ストリート
発行所 リム出版

 それで、その中の歌詞でさがしてみると、その歌は「卒業」という曲だった。それですぐにその曲の入っているCDを買った。それで本を読みながら、事務所のCDで聴いてみた。……おもわず涙がこぼれた。

   卒業
 校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
 幻とリアルな気持 感じていた
 チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
 何に従い 従うべきか考えていた
 ざわめく心 今 俺にあるものは
 意味なく思えて とまどっていた

 放課後 街ふらつき 俺達は風の中
 孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
 笑い声とため息の飽和した店で
 ピンボールのハイスコアー 競いあった
 退屈な心 刺激さえあれば
 何でも大げさにしゃべり続けた

 行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
 夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
 逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
 信じられぬ大人との争いの中で
 許しあい いったい何 解りあえただろう
 うんざりしながら それも過ごした
 ひとつだけ 解ってたこと
 この支配からの 卒業
    (以下略)

 それで彼のCD聴きながら仕事していた。夕方になって、友人が尋ねてきて、「なんだこの曲は、周さんらしくない」とかいいながら、実は彼もきのう飲み屋で尾崎豊のビデオ見て、「こんなにまじめでいいとは思わなかった」と感じたそうだ。
 まあそのあとは、もっと何人かで飲み会。
 でも尾崎豊いいですよ。なんか生前に知らなかったことがたいへん悔やまれる。知ったばかりだから、しばらくはいろいろ彼の曲聴けるだけ聴いてみよう。
 だけど彼が亡くなったときにマスコミでいわれた、「10代の教祖の死」だとか「反逆児が大人になって、云々」とか「教祖としてのプレッシャーに負けた」とかなんて全然しないじゃないか。もちろんかれのこと若い人が好きになるのは解る気が大いにするけれど。
 この本の中に「共同幻想論」という見出しがあった。でも私は驚かなかった。なんだかそんな気がしていたんだ。彼は吉本(吉本隆明)さんのことよく判ってたんだな。

  彼は吉本隆明の「共同幻想論」が好きだった。
  人と人がとが交じり合い、どこまで人間らしくコミュ
 ニケートできるか、という刺激的なテーマに魅かれた。
  だが、彼はある意味では冷めていた。
 「吉本さんが『共同幻想論』を書いた時、もうその思
 想は打ち砕かれている。表現するということはそうい
 うことなんだ。できないものだから叫びたくなる」といった。
  だが、そして、やはり、彼は優しかった。
 「でも、それを表現すること自体が吉本さんの優しさ
 なんだ。その優しさを見逃してはいけない」
  彼は安易な平和主義者でもなければ、激しいコミュ
 ニストでもなかった。希望を持とうとしていただけだ。
     (彼だけが知っている彼「共同幻想論」)

 今の若者たちのいる場を考えると、とくに中高生たちの場考えると、みんなこの尾崎豊の歌に魅せられるのわかる気がする。たくさんのたくさんの尾崎豊がいるんだと思う。もちろんひとりひとりは尾崎のようなアーティストになるわけではないけれど、みんなこんなふうに、苦しんで反抗して泣いて大人になっていくんだろう。ただそれをこんなにまで美しい詩と曲で表現できたのが、彼だったのだ。(1992.07.13)

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