将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:濃姫

b2d2bc60.jpg

 Spider job  蜘蛛業 に書いております 歴史さとう が2010年3月28日〜4月15日までのUPしました5回目の10回分が以下の通りです。

2010/04/15(木)
ローマ皇帝ネロの母、アグリッピナ
2010/04/13(火)
ソクラテスの愛した女、クサンティッペ
2010/04/11(日)
杜甫の愛した女、羌蔚門彰
2010/04/09(金)
チェーホフの愛した女、リーカ
2010/04/07(水)
ナポレオンの愛した女、マリー・ヴェレフスカ
2010/04/05(月)
ゲーテの愛した女、フリーデリケ
2010/04/03(土)
項羽の愛した女、虞美人
2010/04/01(木)
謙信の愛した女、伊勢
2010/03/30(火)
秀吉の愛した女、お市の方
2010/03/28(日)
信長の愛した女、吉乃、お鍋の方

 このあともまだ書いて行きます。だが思えば、信長の愛した女というと、他にはいないのかなあ。濃姫のことも書くかな。あまり興味のわかない人ですしね。彼女は大坂夏の陣の後まで生きているのです。

07022001物語 信長をめぐる七人の女

書 名 信長をめぐる七人の女
編 者 新人物往来社
発行所 新人物往来社
定 価 1,900円+税
発行日 1991年10月15日第一刷発行
読了日 2007年2月14日

 最初は、この「七人の女」とは信長の妻のことかと思っていました。でも秀吉の妻おねねのことも、妹お市の方のことも書かれていますから、信長の一妻六妾のことのみを書いたわけではありません。
 信長の妻といいますと、私はまず「生駒吉乃」と「おなべの方」を思い浮かべます。私にはこの二人の顔姿が想像できます。吉乃(きつの)は、背の高い色の白い美人だった(と私は思っている)でしょう。おそらく信長は、この妻を亡くなるまで忘れることはなかったのじゃないかな。
 おなべの方は、白いふっくらとした頬を持つ(と私は思っている)女性でした。信長の死後、秀吉も実に愛した女性でした。
 この「おなべの方」の最後に、著者の小石房子さんが、次のように書いています。

 妻妾の中で、信長がもっとも愛したのは吉乃といわれるが、信長をもっとも愛したのは、おなべの方だった。

 これに私はもっとも頷いていました。
 おなべの方は、実は「お鍋の方」という漢字を当てます。そしてこんな字を当てて呼んでいたのは、信長だったでしょう。実の母親には冷たくされたとしか思えない信長です(信長のほうも、母親を憎んでいるとしか思えないが)。このお鍋の方に、本当の母親のような愛情を持っていたのではないかな。

 ただ信長の正妻である濃姫のことは、私にはその顔が浮かんできません。道三の娘であるというようなことしか判らないからかなあ。
 この「濃姫」の著者大内美予子さんは次のように言います。

 いつ、どこで、濃姫はその生涯を終え、なぜそれが一片の記録にも残らなかったか……。

「そうだよなあ」という思いが湧きますが、ただ近年この濃姫は、関ケ原の戦いが終わり、大阪の陣が終わっても生きて、この世の移り変りを見ていたということが判ったようです。

 あと、「北政所おね」、「お市の方」、「徳姫」の章があります。それぞれ興味深く読めました。

 ただ、一番関心を持って読んだのは、左方郁子さんの書かれた「遠山景任夫人」です。
 この女性のことは、ほんのわずかしか知りませんでした。この女性お直の方は、信長の叔母です。この時代の常として、政略として、東美濃の遠山景任に嫁ぎます。だがやがて、武田信玄軍が、この遠山景任を攻撃してきます。夫の景任は戦の疵が元で亡くなります。
 このとき遠山岩村城を攻撃してくる武田軍の率いていたのが、秋山信友でした。この信友は、武田・織田が友好関係のときに、尾張に使いしています。そのときにお直は、彼を見ていました。彼もお直を意識していたのかもしれません。
 孤立して信長の救援も来ない岩村城に攻めてきた秋山信友から、一通の手紙が城主のお直に届けられます。それは降伏の勧告ではなく、信友からお直へのラブレターといえるものでした。
 これをお直が認めたときに、岩村城は無血開城します。そして二人は実に仲のいい夫婦になります。
 しかし、やがて武田信玄亡きあと、この岩村城は信長軍の攻撃を受け、最後は二人の首は長良川畔に並べられます。
 このお直のことを少しは詳しく知れたことが、この本を読んで良かったなと痛切に感じたところです。

↑このページのトップヘ