将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:狂人日記

12090501 このところ将門Webや藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、いくつか書いていました。
 それで私は自分が読んだ文学作品で、ぜひとも書きたいのに、書けない作品があるのです。それは魯迅の『狂人日記』です。私は以下のように魯迅の作品については書いてきています。

  
  阿Q正伝
  ノラは家出してからどうなったか
  野草ー犬の反駁ー

 でも

  狂人日記

については、書こう書こうと思うばかりで、少しも書けていないのですね。
 私が最初に魯迅の作品を読んだのは、中学2年のときに、岩波文庫の『野草』でした。そのあとすぐに竹内好訳の「阿Q正伝・狂人日記」でした。
 そして中でも一番強くひき付けられたのが『薬』という短い小説でした。そしてこの文庫本を何度も読み返し、高校時代に一度、大学へ入って一度読み、大学4年の秋にもう一度読みました。そして、『薬』にも『阿Q正伝』にも、強くひきつけられました。
 だが私には『狂人日記』はどうしても分からない、というか、怖くてたまらない作品にしか思えませんでした。人が人を食うという、そしてそれは自分もやってきたんものではないかと思う、この狂人です。
12090502 なんとか、今度こそ読みまして、その読んだ読後感をここに書いてみます。もう竹内好の訳では何度も読んできました。今度は高橋和巳訳で読んでみます(もちろん、もう何度も読んでいますが)。そしてなんとか私が書けないのでは、私自身がどうしようもない存在だということだけです。

2016111401
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11060203 私は子どものときから、歴史が好きで、とくに中国の歴史には自分でも実に詳しくなっていることができたかと思っています。大学時代は私はもう日々学生運動ばかりの毎日でしたが、自分の学科の専門では東洋史を選考していました。でも中国の歴史は学ぶごとに嫌なもの、人間として許せないものをいつも感じていました。それは歴史上のことで、いくつもあるのですが、私がここで、書きましたことはどうにも嫌なこと、人間としては許せないことなのです。

   食人
   食人の2
   宦官
    「後宮佳麗三千人」のことで
   纏足

 あと、明日以下を書きます。

    子を替えて食う

 今日本には大勢の中国の人が来ています。ほぼ私よりもはるかに若い方ばかりです。でもそういう方と親しくなって、私はこの「食人、宦官、纏足」に関することを話します。そうすると、みな誰もが「そんなのは、昔のことで、今はもう関係ないことだ」といいます。私はたしかにこれが昔のこととして語れるのなら、それはいいと思えるのですが、どうしても私は親しい友人になったのなら、私の心にわだかまりとして残っているこれらのことを聞いていきたいのです。
 むしろ、同じ日本人のほうが「南京大虐殺」のことをいいたて、そのことで、私を攻撃したりしてきます。私には、どうにも理解できない人たちです。私は互いに相手を非難すること(それに私萩原周二をどうして非難できるのだろう。私はその当時も生きていたわけじゃないよ)よりも、事実をはっきりさせ、もう二度と悲惨なことを私たち自身が起こさないということが大事だと思っています。
 私は書きましたように、宦官は中国だけのことではありません。でもこの日本は明確にこの制度を国内に入れませんでした。食人ということは、嫌な悲しいことで、食料が欠乏する地域・歴史にはどこにもあります。だが、人肉に関する料理本を作っているのは中国だけです。纏足も、実にその女性たちは歩けなくなってしまうのですから、実にひどいことです。
 だが私が書いたこれらのことは実に私が生きていた、この20世紀に存在した事実なのです。
 日本は実にたくさんのことを中国から学んできました。だが、これらのことは日本にはけっして入れてこなかったことです。
 そのことに私はいつも、この日本の私たちの先祖に感謝していることです。そしていつも魯迅を思い、その苦しい思いを私も学びたいと思っているものです。それを苦しんでいる魯迅は、やはり狂人だと思われるのです。そして『狂人日記』という題名にする小説を書くしかなかったのです。でもでも狂人ではなく、本当のことなのです。歴史の上の事実なのです。

11052706 私は魯迅についてはいくつかのことを書いてきたものです。『薬』という作品に関しては、実に感じることがあり、何度か書いてきました。この薬とは人間のいきぎものこと、人間の心臓のことなのです。これは実在した秋瑾の心臓を風邪を引いた男の子に食べさせるのです。もう何度読んでも、何度思い出して、とても辛い小説です。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/51887544.html 薬

 でも実は、私は『狂人日記』のほうが私にはすさまじい迫力なのです。ただ、そのことは書けませんでした。「人間が同じ人間を食う」という話は私は書けませんでした。この小説の主人公も「人間が同じ人間を食う」ということで、それが妄想であるということで、狂人と言われているのです。でもこの狂人は、自分の兄も自分を食うのではないかと恐れ、でもさらに実はもう自分もすでに誰かを食っていたのではないかと恐れます。そして彼は、「でもまだ小さい子どもは人間を食っていないのではないか」と思うことで、最後に「子どもを救え」と言っています。読んでいる私たちも少しほっとします。
 でもこの魯迅の書いている恐れ「人間が人間を食う」ということは、実は本当のことでした。実は中国には人肉の料理本もあります。こんなことは他の国では考えられないことです。絶対に他の国、他の民族ではないことであるわけです。
 我が日本では、羽柴秀吉の中国地方の三木城を包囲して兵糧攻めをしたときに、このことがあったと言われています。そしてそれは記録にあります。秀吉は勝利したのち、たくさんの粥を用意したと言われています。また、「武田泰淳『ひかりごけ』」でも戦時中に実際にひかりごけ事件という船の中での食人事件を描いています。
 思い出せば、「パールバック『大地』」でも、息子の軍人が戦争で包囲した相手の砦の中での、この食人のことが書いてあります。このシーンも私はパールバックがよくそのまま描いたものだなあ、と思うばかりです。
 だが、日本ではまったく例外的な恐ろしいこととしてわずかに記されているだけですが、中国の歴史書では、包囲されたところで、あるいはひどい食料事情のときに、「互いに相食(は)む」ということは、実によく書かれているものです。
 このことは、実によく中国では書かれていることですが、この日本にはそのことは少しも伝播しなかったものだなあ、と思い私は少しは安堵するものです。
 私は魯迅に関しては、中学2年のときに、竹内好訳の『阿Q正伝・狂人日記』を読み、その後高校生のときも読み直し、そして大学でも読みましたが、よく判りませんでした。だが、大学5年の頃、やっとその内容が少しずつ判っていったものでした。もうどんなに凄まじい作品ばかりだと思ったものです。
 私は大学3年の夏の終わりに、東大闘争で保釈出所し、そしてまた12月に芝浦工大事件でまた逮捕されました。だが翌年の3月に出所したものでした。この大学4年のときに、早稲田大学の授業を黙って聴講していたのですが、それは新島淳良という先生の授業で、この魯迅の授業を聞いていたものでした。その魯迅の講義の中で、あるときに中国人の留学生の女性が、この『狂人日記』の授業のあと、「先生のきょうの授業はおかしい」という意見質問があったそうです。先生は、「またあとの授業で答えます」と言って、でもその女性はそれっきりになって答えられなかったと言っていました。
 この人が、そのあと、2年後のむつめ祭(埼玉大学の学園祭)に呼んだときに、私は是非ともこの「魯迅『薬』」に関する話を願ったものでした。
 その後、この先生はだんだん、私から見てもおかしな転回をしてしまいましたが、この人の魯迅に関する話はいいなあ、と思っていたものです。
 でもでも、その先生でも『狂人日記』の「人間が同じ人間を食う」話は解説できなかったものだなあ、と私は思っているのです。

 私は魯迅についてはいくつかのことを書いてきたものです。『薬』という作品に関しては、実に感じることがあり、何度か書いてきました。この薬とは人間のいきぎものこと、人間の心臓のことなのです。これは実在した秋瑾の心臓を風邪を引いた男の子に食べさせるのです。もう何度読んでも、何度思い出して、とても辛い小説です。

 http://shomon.net/hon/rozin1.htm#rozinkusu 薬

 でも実は、私は『狂人日記』のほうが私にはすさまじい迫力なのです。ただ、そのことは書けませんでした。「人間が同じ人間を食う」という話は私は書けませんでした。この小説の主人公も「人間が同じ人間を食う」ということで、それが妄想であるということで、狂人と言われているのです。でもこの狂人は、自分の兄も自分を食うのではないかと恐れ、でもさらに実はもう自分もすでに誰かを食っていたのではないかと恐れます。そして彼は、「でもまだ小さい子どもは人間を食っていないのではないか」と思うことで、最後に「子どもを救え」と言っています。読んでいる私たちも少しほっとします。
 でもこの魯迅の書いている恐れ「人間が人間を食う」ということは、実は本当のことでした。実は中国には人肉の料理本もあります。こんなことは他の国では考えられないことです。絶対に他の国、他の民族ではないことであるわけです。
 我が日本では、羽柴秀吉の中国地方の三木城を包囲して兵糧攻めをしたときに、このことがあったと言われています。そしてそれは記録にあります。秀吉は勝利したのち、たくさんの粥を用意したと言われています。また、「武田泰淳『ひかりごけ』」でも戦時中に実際にひかりごけ事件という船の中での食人事件を描いています。
 思い出せば、「パールバック『大地』」でも、息子の軍人が戦争で包囲した相手の砦の中での、この食人のことが書いてあります。このシーンも私はパールバックがよくそのまま描いたものだなあ、と思うばかりです。
 だが、日本ではまったく例外的な恐ろしいこととしてわずかに記されているだけですが、中国の歴史書では、包囲されたところで、あるいはひどい食料事情のときに、「互いに相食(は)む」ということは、実によく書かれているものです。
 このことは、実によく中国では書かれていることですが、この日本にはそのことは少しも伝播しなかったものだなあ、と思い私は少しは安堵するものです。
 私は魯迅に関しては、中学2年のときに、竹内好訳の『阿Q正伝・狂人日記』を読み、その後高校生のときも読み直し、そして大学でも読みましたが、よく判りませんでした。だが、大学5年の頃、やっとその内容が少しずつ判っていったものでした。もうどんなに凄まじい作品ばかりだと思ったものです。
 私は大学3年の夏の終わりに、東大闘争で保釈出所し、そしてまた12月に芝浦工大事件でまた逮捕されました。だが翌年の3月に出所したものでした。この大学4年のときに、早稲田大学の授業を黙って聴講していたのですが、それは新島淳良という先生の授業で、この魯迅の授業を聞いていたものでした。その魯迅の講義の中で、あるときに中国人の留学生の女性が、この『狂人日記』の授業のあと、「先生のきょうの授業はおかしい」という意見質問があったそうです。先生は、「またあとの授業で答えます」と言って、でもその女性はそれっきりになって答えられなかったと言っていました。
 この人が、そのあと、2年後のむつめ祭(埼玉大学の学園祭)に呼んだときに、私は是非ともこの「魯迅『薬』」に関する話を願ったものでした。
 その後、この先生はだんだん、私から見てもおかしな転回をしてしまいましたが、この人の魯迅に関する話はいいなあ、と思っていたものです。
 でもでも、その先生でも『狂人日記』の「人間が同じ人間を食う」話は解説できなかったものだなあ、と私は思っているのです。

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