将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:猫

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新聞名 図書新聞第2945号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年12月12日
読了日 2009年12月5日

 どの紙面を読んでも、引き込まれる文章がないのです。これではブログには書けないなということで、焦ってしまいます。
 でもインターネットで、この新聞のサイトを見て、以下の彼女のUPがあってほっとしています。

評者◆杉本真維子 笑う獣医

 猫を飼っているので、ときどき動物病院へ行く。最近、ペット用のバギーを購入したので、それを押して40分の距離を歩く。近所にもいくつか病院はあるが、その獣医さんでなければだめ、という理由があるので、カラガラ押して、遠くまで歩いていく。

 私は猫なんて少しも好きになれないが、この杉本さんの文章だから、読み進みます。そして最後まで読めてものすごく嬉しいです。私は少しも猫を好きになったことはありません。でもこんな獣医さんがいて、しかも杉本さんの猫を診てくれるんだと興味が持て、面白くなってきます。
 え、でももう少し引用しようと思いながら、下手をすると全文引用しそうになりました。それでは私の読んでいる意味がありません。
 でも彼女のこの文から、猫の獣医さんのことを想像して私も嬉しくなります。
 この獣医さんは、猫を診て笑います。そこを彼女は次のように言っています。

 でもこの笑いの意味は、ちょっとマニアックすぎて、誰にでも通じるものではないように思う。動物に興味がない人にとっては、悪意の笑いにしか映らない可能性だってある。もしそうだとすれば、そこでは意味がまったく逆になる、ということに怖さを感じる。笑いは、言葉ではないのに多義性を持っているから難しい。どんな種類の笑いなのか、その場では、瞬間的な感覚でとらえる以外に方法がないということも。
 笑いがもっとも難解で不気味なものであることは、今さらいうことでもないが、こんなふうに、誤解され、誤読されて生きる、ということは、私たちにとって極めて日常的なことであり、かつ宿命的なことなのかもしれない。だとしたら、その現実に抗うことは、強さなのだろうか、弱さなのだろうか。

 私も猫が好きになれそうです。いや、少なくとも、こんな獣医さんがいて、その飼い主の彼女がいて、その間にこの猫がいるなんて、私にはとってもいい絵です。

065cad6e.JPGどうもこのままだと蛎殻町へ行けそうもないな。

 写真は私の行きました会社の社長宅で、寝そべっている猫さんです。

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 私は絵本をよく図書館から借りてきます。そして孫に読んであげるようにしています。ただし、ポコちゃんは、まだ0歳なので、少しむずかしい本が多いのかなあと思っています。
 それで、いつも読んであげる絵本でも、ポコちゃんの対応に大きな違いがあるのです。このことが私には、「なんでだろうかなあ?」と不思儀なところなのです。
 このごろ読んであげた本で、それを述べてみます。
 この二つの本は、両方とも、本の裏表紙に「3才から」と書いてあります。だから、本当なら、どちらの本も0歳のポコちゃんには、少し難しい本なのでしょう。

『おなかのかわ』 この絵本は、私は「でもサぁ、この話は私は納得できないなあ」と書きましたように、あんまり内容に(というか猫の人格に疑問です。あ猫格ですが)のめり込めないのですが、何故かポコちゃんは、私が読むと熱心に見ています。

『ででこいミルク』 この絵本は、いくら絵を見せ読んであげても、そのうち目をそらしてしまいます。興味を持てないのだと思います。

 この違いは何なのでしょうか。
 二つとも絵本ですが、『おなかのかわ』のほうが、書いてある文字は多いのです。まだ0歳だから、文字が多いほうが苦手だと思うのですが、でも声を出して読んでいるのは私ですから、それは関係ないのだと思います。話の内容の展開は、『ででこいミルク』のほうが易しいと思われます。
 どう見ても、猫がみんなを食っちゃうといういわば惨酷な話(この猫は、ともだちのおうむのたくさんのぎちそうを食べるどころか、そのおうむまでたべちゃいます。いや、それ以上に食べちゃいます)なのに、この話のほうにこそ、子どもはみんな興味を持つのでしょうか。

『でてこいミルク」のほうはいいお話なのに、私は読んでいると、そのうちに目をそらしてしまうポコちゃんがいて、私は少々がっかりしてしまいます。「まだポコちゃんは0歳だものね」と言っているのですが、でも『おなかのかわ』なら、よく見て聞いてくれているのですね。

 なんでかなあ、と私のほうが考え込んでばかりです。

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