将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:珠玉短編集

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もと夫婦

 ホントウに、この「僕」の友人が、「お前、阿呆(あほ)とちゃうか」というのがわかります。阿呆(あほう)じゃなくて、アホなんですね。でも今もまた読み返してしまいました。いややっぱり田辺聖子は面白いです。いや、でもでもやっぱり読み返してしまうものです。

貞女の日記

 しかし、この夫婦を考えても、いわばこれは戦中派の人たちだなあ、と思ってしまうのです。いわゆる「戦中派」というのは、いつをさすのかは正確には判らないのですが、でも、そう思ってしまいました。
 この夫のよく唄う「出征兵士を送る歌」は、実は私もよく唄う歌なのです。でもこの歌は、莫大に延々と歌詞があります。私は4番までしか歌えません。そのあとは歌詞を見ながらでないと無理なのです。それがいつも悔しいな。

よかった、あえて

 こんな結婚式があるのだろうか。もう頭が痛くなります。『「男らしい」女』と思われたい女っているよなあ。

あとがき

 でもやはり、大阪行って、湊川新開地を歩いてみたく思いました。でも私はその飲み屋に入れるのかなあ。「大阪弁というのは、目でよむよりも、断然、耳できくほうが面白いので……。」 その通りです。

解説 池内紀

 いつも思うのですが、この池内さんの書いていることもいいです。いつも感心して読んできました。

 ああ、やっぱり今後も田辺聖子を読んでいきます。

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たすかる関係

 しかし、こんな関係があるんだろうか。いや、実はいくつか聞いていることなのです。しかし、当然私にはその割り当てはありません。私はもうこれでいいと、とっくの昔に思い込んでいますがね。

加奈子の失敗

 この加奈子の感じ方というのは、男の私には実際に判らないなあ、という思いなのです。最後に「加奈子は失敗の原因を絶望的にさがしていた」で終わっています。なんだか、哀しいけれど、どうしても判らないのです。

種貸さん

 大阪の感じは、どうしても判らないなあという思いです。「キタ」、「ミナミ」の街の違いは理解しているつもりですが、尼崎とか難波とか天王寺も判らない思いです。
 そしてやはり、最後がどうにも判らないのです。お話としては面白いのですが、こんなことがあるのかよ、と思ってしまうのですね。

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 やっぱり、読んでいきますと、どんどんと引き込まれていくのがよく判ります。

書き屋一代

 もう読んでいて、どこでも頷いています。

 客は漫才師を笑うのであって、その作の出来栄えを笑っているのではないのだ。

 このところは、まったくその通りだとは思っても、それを書いている書き手のことには思いを致すことはできないものです。
 でも、そんな世界の絵を見せてくれた気がしています。そら、つらいけれど、こんな世界でもせいいっぱい生きているんでしょうね。

へらへら

 自分の夫が蒸発する。だが、それがよりによって、アパートの向かいの部屋の奥さんとなのです。その旦那が真相を知って、でも、「阿呆、男のくせに泣くな、と一喝したい心持」になります。
 ここに書いてあるような心境になっていくものなのでしょうか。こんなことがあるのでしょうかね。でも、こういう心境になる気持が判るように思いました。

下町

 別れた夫と、どうしても会っていると、いろいろと不満もあるのだが、それでも会うほうがいろいろといい思いになってくる。それにまだ小さい娘には、別れた夫でも、それは父親なのだ。

 もう読んでいくと、どんどんと中身に吸い込まれるようです。私は今けっこう手紙を書いているのですが、その手紙に、この小説の感想を書いてしまいそうな思いなのです。

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田辺聖子珠玉短篇集〈3〉

 ずうっとこの「短編集3」がなくて、この巻だけが読めていませんでした。こうしてきょう借りることができました。

書 名 田辺聖子珠玉短編集3
著 者 田辺聖子
発行所 角川書店
定 価 1,600円
発行日 1993年5月30日初版発行

 以下の短編およびあとがきが収納されています。

ぎっちょんちょん
書き屋一代
へらへら
下町
たすかる関係
加奈子の失敗
種貸さん
もと夫婦
貞女の日記
よかった、あえて
あとがき
解説 池内紀

 この3巻だけがなかったのが悔しかったものでした。こうして読めて嬉しいです。

 そしてやっぱり読んでいきまして、何故か涙ぐんでしまう私がいるのです。

ぎっちょんちょん

 夫の花蝶に亡くなられた花奴は、娘の菊江を相方に漫才をしていこうと考える。花奴はもともと、別な相方だった元の妻蝶子から今の位置を引き継いでしまっていた。花蝶の死は腹上死だったようだ(とは書いてはありません)。
 でもどうやら、娘の菊江ははじめてしまう。彼女の婚約者とは、別れてしまう。そしてでも、私たちも、その婚約者のことなんか好きにもなれない存在でしかない書き方である。そして菊江はいい相方と出会う。
 花江が最後にこうなる。

 花江は思わず笑った。
「お父さんとおんなしやな。あの子───菊江もとうとう、見つけよった」


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 11月30日に、この本を持ってでかけましたので、電車の中で読み終えました。

忍びの者をくどく法
 大坂の豊臣氏が滅んだときを舞台にしています。城内にいるお女中の一人が忍びの者といい仲になります。
 城が最後落ちるときに、このお女中のお阿茶は、この忍びと城から逃げます。お阿茶は、忍びの背負われてしがみついています。この忍びはどうやら猿飛佐助のようです。きっと二人にひっそりと生きていくのでしょう。


かげろうの女───右大将道綱の母───
 私は「蜻蛉日記」は、昔から好きでした。そして田辺聖子の書く蜻蛉日記もいいです。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50927378.html 周の雑読備忘録「田辺聖子と読む蜻蛉日記」

 でも蜻蛉(この女性をこう呼んでしまいます)の次の歌はいいですね。

   なげきつつひとり寝る夜の明くる間は
     いかに久しきものとかは知る

 でもこの蜻蛉の夫である兼家の描き方はいいです。こんな自分勝手な男だったのでしょうね。でも大変に魅力があります。


あとがき
 田辺聖子は、「蜻蛉日記」のことを次のように言っています。

 これは哀切でやるせない私小説であるけれども、見方をかえると、ものすごいユーモア小説である。それが私のパロディ欲をそそった。 <荘厳と滑稽は紙一重の差だ> とナポレオンもいっている。『蜻蛉日記』はどんなにでも深刻に現代語訳できる古典で、事実、そんなのを好む人も多い。

 また、兼家について、このように言っています。

 兼家という男にピントを会わせればユーモア小説になり、蜻蛉という女にピントを合わすと深刻な悲劇の、 <女の一生> ものになる。私はユーモアのほうが好きだから、男にピントを合わせた。

 うん、だから面白いのですね。

 最後の解説で、池内紀さんが次のように言っています。

私たちはいつも、つい「この時代」に生きなくてはならないと思いがちだが、それはそう思い込まされているだけであって、これらの主人公が手本を示しているとこり、勝手に、自分の好きなように時代を選びとって生きることもできるのである。

 これは私にいいことを教えてくれてくれました。

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07112802 なんだか今は大変に仕事で動きがとれない感じなのですが、それでも夜に床の中で眠るまで読みました。やっぱり、私はこの作家のもはや大ファンと言っていいでしょう。

喪服記

 なんとなく、この話は私は笑えませんでした。なんだか良兼のつく嘘があまりにひどいのです。一件面白い話に思えますが、妻の驚愕を思うと、こんなのは実にいけない嘘です。まったく楽しくありません。


コンニャク八兵衛
 この八兵衛も妻のおよいも、大阪に住むタヌキです。およいは金歯をしているし、八兵衛は赤ふんをしていて、それを二人(いや二匹か)とも見せびらかします。でもタヌキの金歯や赤ふん見ても面白くないよね。私なんか、人間ですが、赤ふんを常時やっていますが、人に見せても少しも喜ばれません。そうね、ときどき若い女性だと、珍しがってケータイデジカメで写す人がいますが、もう男性は少しも関心を示しません。
 だからタヌキだってねえ。
 ところで、この話はタヌキではなく、中年の夫婦のことも書いてあります。うーん、でも私には笑えないのです。


鞍馬天狗をくどく法
 鞍馬天狗というと、そばには、杉作が常についています。でもサぁ、そもそも鞍馬天狗って何なのかしら。いやもちろん大佛次郎の作品だとは知っていますし、この鞍馬天狗のモデルという尊攘派の武士のことも聞いています。
 でもなあ、よく理解できないのです。鞍馬天狗が活躍すると言っても、一体何をやったのかなあ。
 昔、「少年」という光文社の漫画雑誌に、「どんぐり天狗」という幕末に活躍する鞍馬天狗みたいな被り物をした尊攘派の武士がいました。たしか昭和29〜31年くらいのことじゃないかな。でも途中で物語が終わり、ことは少しも解決されないのでした。子どもたちが幕末の騒ぎの中で攫われて(たぶん異人たちに)、それを解決するはずのどんぐり天狗が何もできないうちに、雑誌「少年」は、また別なヒーローばかりをもてはやしました。新しいヒーローが、「鉄腕アトム」であり、「鉄人28号」であり、「ダルマ君」、「矢車剣之介」、「ナガジマ君」等々でした。いや、今ひさしぶりに飲んで(あ、丸1日飲んでいない)、昔の記憶が無くなっています。
 あ、いやいや、聖子さんの小説ですね。私はとにかく、彼女の大ファンになったのです。

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 電車の中では違う本を読んでいまして、この本は、ちょっとした時間に読んでいます。なんだか、パソコンをやりながら読むのとか、テレビを見ながら読むのが、一番早く読めます。とにかく自分が情けなくなるほど、いくつものことで追われていて、それでも本を読めるときは少し落ち着きます。

宮本武蔵をくどく法
 私が吉川英治の「宮本武蔵」を読んだのはいつだったかなあ。大学5年のころだったか。私が読んだあと、この講談社版の宮本武蔵3巻を貸した人がいて、その人がかなり熱心に読んでいたことがありました。そのことを急に今思い出しました。いや懐かしいことなのです。いえ、たぶんその人と久方ぶりにちかぢか会うだろうものですから。
 でもこの田辺聖子の描いているムサシは、実にいいです。これこそがムサシかもしれないですね。そしてお通も、実はこんな女なのかもしれないなあ。いやもちろん、ムサシもお通も吉川英治が作り出した人物ですが(もちろん、宮本武蔵という剣豪は実在しましたが)、たしかにこんな「才タリン」だったかもしれないなあ。
 思えば、なんでお通は武蔵を追いかけているんだっけ。それにオスギおばばは、なんでこれまた武蔵をつけねらっているんだっけ。
 私は宮本武蔵に関しては、名古屋の南区にいたときから、実に関心がありました。南区の笠寺に武蔵の座ったという岩があったものでした。そのときから武蔵の話はいくつかのものを読んでいたものです。後年吉川英治を読んで、「ああ、世間でいう武蔵って、こんな人物なのか」と思ったものでした。
 でも吉川英治は、野人武蔵を、人間である剣豪武蔵に作り上げた気がしますね。そもそも実際の武蔵も、そう彼の著書の「五輪書」なんて私は内容に少しも納得できないもの。
 でもそんな、人間武蔵を、この田辺聖子さんは、さらにもっと書いてくれました。できたら全巻、書いてほしいな。………でもでも、多分吉川英治の宮本武蔵ファンが怒るかなあ?

檀ノ浦
 この作品は前にも読んでいました。そのときも、こんなふうに源平の檀ノ浦の戦いを描く作家もいるんだなあ、と思って、少々驚いたものでした。そして驚く俺がおかしいんだと思いました。戦なんて、あんなふうに描いているようにだけ終わっているわけではないはずです。


首くくり上人
 この話はとっても愉しいのに、渡辺抜が最後首をくくっていまうのが、なんだか悲しいです。あの時代(保元の乱の時代)だと仕方のないことだともいえるのかなあ。渡辺といえば、渡辺党だから、勇ましく感じるわけですが、この抜(ぬける)は顔姿は物怖ろしいのですが、実はいたってたいしたことはないのです。
 でもその抜が、美しい少女に恋をします。でもこの小君という美しい少女は、実にわけが判らず、彼を悩まします。それに実に勝手で怒りっぽいのです。
 それで、なぜか最後は抜は首をくくることになります。その首をくくっている足に抱きついて、小君は

 彼女は号泣し、狂気のように泣き叫んだ。
「バカ! ほんとに死ぬなんてあんたってほんとにバカだわ、この分からずや!……」

 でも、やっぱり私は悲しいよ。

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書 名 田辺聖子珠玉短編集6
著 者 田辺聖子
発行所 角川書店
定 価 1,600円
発行日 1993年8月30日初版発行

読了日 2007年11月30日

 きょうも行きまして、また、「短編集3」借りられません。だから「短編集6」になりました。

 以下の短編およびあとがきが収納されています。

檀ノ浦
首くくり上人
喪服記
コンニャク八兵衛
鞍馬天狗をくどく法
忍びの者をくどく法
宮本武蔵をくどく法
かげろうの女───右大将道綱の母───
あとがき

 なんだか、やっぱり田辺聖子さんはいいです。なんだか、ますます好きになってきました。もうちゃんと読んでいこうかなあ、という気持になってきました。
 これは田辺聖子の歴史小説です。過去に、別な作品で、これらのいくつかの世界に私も触れています。
 いやはや、日本の女性作家を何人か思いだし、比較していました。

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07112501 この3篇は、今朝食事をしながら読みました。

おちょろ舟
 いやはや、読み出したところで思わず笑ってしまいました。

 昔、相撲取りに「男女ノ川」というのがいたが。あれにパーマをかけ、服を着せ、スカートをはかせたら、こうもあろうかというような、容貌魁偉、大兵肥満の大女が、床板も破れよと踏みとどろかして哄笑していた。

 私はここの箇所を何度も読んで、笑っています。ここをこうして書いていても笑ってしまうのです。
 実は私は、実際の男女(みな)ノ川のことは知りません。もうテレビ放送が始まった頃は、もう引退していました。この私は昔以下の本を読んで、実によく知ったのです。
 以下は過去私の書いたメモです。

川端要壽『下足番になった横綱 奇人横綱男女ノ川』
 以下は周の言う話です。
 私が覚えている相撲というと、千代の山、鏡里、吉葉山、栃錦の4横綱の時代です。その前の東富士、照国はもう知りません(東富士はそののちTBSプロレスのときにレスラーとして見ている)。そしてその前の羽黒山、双葉山というと活字でしかしりません。そしてこの男女ノ川は、その不思儀なしこ名で活字として記憶があるだけです。だが、これを読みまして、あの戦前戦中戦後を自由自在に生きた人がいたんだな、しかもそれが相撲界の人だったということに感動しました。そして、やはり作者の川端要壽さんがいいですね。よくこれだけ書いてくれました。今後はできたら、私としては、大内山と不動岩のことを書いてほしいな。大内山の相撲を私はよく思い出すのです。

 いや、これは男女ノ川の話ではありません。でももうこの小説は、もうあちこちで笑っていました。田辺聖子さんが実に脂ののりきっている時期なのかなあ。

 もうあとも、いくつかのところで笑いました。
 しかし、最後は、私の期待した男女ノ川は出てこないで、大塚テルヨという驚くほどの美人が登場します。これは聖子さんが、「また男女ノ川じゃ、読んでいる人に悪いかなあ」と思ったのかなあ。
 とにかく、愉しい小説です。


世間知らず
 佐和子は、もう適齢期27歳だ。よんどころなく見合いをすることになって、それで今つき合ってきている他ほかの男性を思いだす。そしてその一人と最後に結婚する決意をする。
 でもでも読んでいても、私はあまり頷いて読んでいけません。こうした女性の心理が理解できないですね。


波の上の自転車
 村山とその妻の会話は、もともと私たちの常識で知っていた世界でした。阪急電車と阪神電車の違いが大変に判るつもりです。やっぱり、宝塚かかえた阪急と、下町を走る阪神の違いは知っていたつもりですが、私は今朝食事のときに、「阪神と阪急は合併してどうなったのかなあ、宝塚も甲子園も変わるわけがないしなあ?」と妻に聞きました。私の妻は、大阪でOLだったことがあるのです。
 昨年5月に義父の納骨で神戸に行ったときも、私はその違いを大きく感じていたものです。

 村山が最後浮気する相手は、その二つではなく、阪堺電軌の上町線である。でもでも、この女も、やっぱり村山は、「───オアシスと思ったのは蜃気楼だったというのか」と思ってしまう。
 村山はその晩、夢を見る。その夢が私にはせつない。

 村山はよろめき、寝室のベッドに向かう。今夜も阪神は負けている。


あとがき
 やっぱり聖子さんは書いています。

 やっぱり「おちょろ舟」などは若書きの腕力まんまんというところだ。……このころ私は<中年男性>を主人公にしてかくのが面白くてまたならかった時期、自分ひとりでノリにノッている。

 その通りです。実に面白く読みました。

 最後の解説で、池内紀さんが「波の上の自転車」のことを書いています。

 そのあと彼がソファに横たわって見た夢。月光に照らされた海の上を走る自転車の夢。

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 この3篇は、昨夜蒲団の中に寝ころんで読みました。

当世てっちり事情
 関西では、「何でてっちりというのかなあ?」なんて思いながら、鍋を前に酒を飲んでいます。最初は、京都先斗町の一番南にあった「づぼらや」かなあ。この店は大阪での飲んだこともあります。値段の安いいいお店ですね。
 この話も、男女の会話の大阪弁がいいです。そして、その会話の合間にあるてっちりを口に入れるシーンもいいです。


姥ざかり
 この主人公の姥は、現在76歳である。でももう元気いっぱいで、むしろ3人の息子やその嫁のほうが「年とっているなあ」と思えてしまうほうである。
 思い出せば、私の母も70代は実に元気だったなあ、と思い出されます。よく小学校時代の友だちとあちこちを旅行していたものでした。その頃の母をいつも懐かしく思い出しています。


男の城
 この稲原の自宅は、彼以外は女ばかりである。妻、娘、義母、義妹。彼が作った自宅であるわけなのだが、彼には居場所がない。実は彼は書斎を作る予定でいた。だが、家が出来てしまうと、その書斎は削られていた。
「どうせパパのことやから、めったにいないんでしょ」「使うひまがないのに要るんですか?」と言われてしまいます。

 でも、どうやら階段に下に三畳の一室ができる。天井には階段があって斜めになっているわけだが。そこで稲原は、やっと落ち着く。そこで稲原は、「しみじみした喜びを味わった」。

 でもでも、私も思い出したのです。
 私の今の我孫子の自宅ですが、リビングが広いのです。そこの一角に、私のたくさんの書籍を入れる本箱を置きまして、私のパソコンも置きました。私はみなに、ここの一角をアコーデイオンカーテンで仕切ることを言いました。そうすれば狭いながら(たぶん4帖くらいかなあ)、私の城ができあげるのです。でももちろん、娘二人も妻も反対です。で、で、当然私の案は通りません。そのうち、そこの端には、娘のピアノが入ってきました。
 …………でも、あのときのことなんか、みんな忘れているんだろうなあ。

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 なんだか、こうしてパソコンに向かっているときにも、つい読んでいまいます。もう人生の実に面白いところを描いています。

泣き上戸の天女

 野中の前にトモエという天女とも思える女性が現れる。彼は彼女とちゃんと結婚しようと思う。彼は41歳だが、トモエも同じくらいにしか思えない。そして同棲をする。
 だけど、いざ結婚、籍を入れようというときに、彼女はふいに居なくなってします。彼にはそのわけがさっぱり判りません。
 でも最後にその真相が見えてきます。実はトモエは60歳だった。彼と一緒に住んでいた彼女に、「『独り生きた女の碑』慰霊祭ならびに例会ご通知」という手紙が届く。彼女に会いたい彼は、これに出かけていく。
 この碑の背面に言葉が彫られている。

 戦争は有為の若者をたくさん死なせましたが、またわれわれ女性も犠牲者にほかなりませんでした。愛する人を奪われ、青春の花を咲かせることもできずに、女性たちは独り生き、老いました。今後はこの悲しみを繰り返さないため、われわれは戦争に反対し、平和を希求します…。

 私はもう涙が止りません。


春情蛸の足

 私はおでんで飲んでいるのも好きなのです。でも関西に行ったときに、あちらで言う「関東煮き」は、どうみても私たちと同じおでんとは思われない。
 サエズリ(鯨肉)とかコロ(これも鯨)とか、関東にはないものを、「これはなんやろか?」と心の中で思いながら(心の中でもなぜか大阪弁になっていたりする)、酒を飲んでいます。記憶がなくなりかけると、そこが北野天満宮なんていうふうなのですね。
 この杉野が、えみ子となぜか結ばれないのかは判る気がしますね。


にえきらない男

 ここに出てくる松山悠一は、甘い美貌をした男である。その彼がモモ子の家に結婚の申込に来る。でも彼は、母親になかなかそのことを切り出さない。美貌の中には、優しさもあるが、気弱さと優柔不断もあるのだ。それを見取る母もすぐに賛成とはいかないようだ。それを悠一が「大丈夫、僕に任せなさい」とでも言いきってくれればいいのに。
 最後にモモ子が悠一にいう。

 あんたって……煮えきらない男ね!

 そうねえ、こんな男はいっぱいいますよ。

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07112401田辺聖子珠玉短篇集〈5〉
書 名 田辺聖子珠玉短編集5
著 者 田辺聖子
発行所 角川書店
定 価 1,600円
発行日 1993年7月30日初版発行

読了日 2007年11月25日

 今度もまた、「短編集3」借りられませんでした。だから「短編集5」になります。けっこう田辺聖子は借りられていますね。

 以下の短編およびあとがきが収納されています。

泣き上戸の天女
春情蛸の足
にえきらない男
当世てっちり事情
姥ざかり
男の城
おちょろ舟
世間知らず
波の上の自転車
あとがき

 もう、短編なので、一つ一つはすぐに読めます。いつもちょっとの時間に読みます。パソコンに向っているちょっとした合間、蒲団に入って、少しの間です。内容への思いはまたそれは次に書きましょう。

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あんたが大将───日本女性解放小史

 これは読んでいまして、実に気持いいです。私はこんな妻の栄子が大好きになれます。たしかに「これは日本女性解放小史と言えるなあ」と思いました。こんなことが、けっこう日本のあちこちの家庭にあるのかなあ、と思いました。
 でもでも、やっぱり私の思いが違います。けっしてこの日本は女性が解放されていなかったわけではないと思うのです。むしろ、男の思い込みのほうが、あちこちおおいに間違っていたのです。


二階のおっちゃん

 こんな不思儀なことが現実にあるのだろうか。でもこんな話を、日本の昔話でも読んだような気持になります。
 ただこの小説には、姫路の鷺部隊のことが書いてあります。大変に中国戦線で活躍した部隊であるようです。中国軍からも「実に勇敢で軍記厳正であったことに敬意を表する。また民衆に対する軍紀も良好であった」と言われたということです。このことはよく覚えておきたいことです。


あとがき

 ここで田辺聖子さんが書かれていることです。

 小説は私の場合、回想から生まれるのである。他の作家の短編小説を読むのも好きだ。日本の短編小説で、完成度がたかいと思われるのは『今昔物語』のあるものと、『堤中納言物語』、それに川端康成のてのひら小説である。井伏鱒二、太宰治の短編もいい。芥川龍之介は、できすぎて減点、というところがある。

 うん、大変に頷いていましたものです。

 最後の池内紀さんの解説「あんたが大将」も実に頷きながら読んでいましたものです。

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07112004おんな商売

 信三は女ばかりの家族・親族に囲まれてくらしている。女七人に、信三は一人である。信三が満員電車の中で、硝子に移るわが姿を見るところがあります。もうなんだか、かなしくて侘びしくてなりません。
 最後にちょっとだけ彼は会社を休んで(もちろん有給休暇を取るのです)、独りで温泉に行きます。そこでのんびりできるはずです。でもそこでもなんだか、大変な光景を目の前にしていまいます。その光景のあとは書いてありません。その光景を見る信三の心情を書くのは辛すぎると私も思うのです。


子を作る法

 子どもって、私は可愛いばかりである。私の二人の娘も可愛かったし、もちろん孫も可愛いし、私の兄弟の子どもたちも、私の義弟の子どもも可愛いのです。いや、友だちの子どもも可愛いし、私の娘たちの友人たちの子どもも可愛いのです。
 だから、この伊吹のような子どもを好きになれない気持は私には理解できないのです。でも田辺聖子さんが書かれていることでは、この田辺の気持も判らないことはないのです。
 ただ、私は赤ちゃんが乳くさい匂いをさせているのも好きですよ。赤ちゃんって、私にはやっぱり可愛いのです。


壷坂

 この主人公は、交通事故に遭ってしまい、鼻がまったく嗅覚が無くなってしまっています。思えば、ほとんどの人はそんな体験は皆無だろうから、それがどういうことかは皆目判りません。でもこの主人公には大変なことです。
 この題名の「壷坂」は、「壷坂霊験記」のことなのです。このお芝居にお里という貞女のことということなのですが、この主人公の妻は、さてさて貞女とはいえないようです。でもそのおかげで、主人公の鼻は治ったようです。

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田辺聖子珠玉短篇集〈4〉
書 名 田辺聖子珠玉短編集4
著 者 田辺聖子
発行所 角川書店
定 価 1,600円
発行日 1993年6月30日初版発行

 何故、「短編集3」ではなく「短編集4」かといいますと、3は借りられていたのです。ですから4から読むことになりました。

 以下の短編およびあとがきが収納されています。

夢とぼとぼ
もう長うない
犬女房
おんな商売
子を作る法
壷坂
あんたが大将───日本女性解放小史
二階のおっちゃん
あとがき

 やっぱり田辺聖子はいいですね。

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田辺聖子珠玉短篇集〈2〉
書 名 田辺聖子珠玉短編集2
著 者 田辺聖子
発行所 角川書店
定 価 1,500円
発行日 1993年4月20日初版発行

以下の短編およびあとがきが収納されています。

薔薇の雨
かんこま
容色
大阪無宿
二十五の女をくどく法
求婚
火気厳禁
忠女ハチ公
雪の降るまで
あとがき

 いや、まだ読み終わってはいないのですが、とにかく私は最初の「薔薇の雨」で何かをいいたいのでした。


薔薇の雨

 次のように書いてあるところで、私は妻に聞いてしまった。

 東京にいたころほど忙しくないが、関西は東京に比べれば物価が安いから暮らしやすい。

 私「こう書いてあるけれど、これって本当かな?
 妻「私は東京に住み始めたときに、大阪よりもすべて1割くらい高いと思ったわよ」
 私「それって、他のことでも何でもいうんだよな。例えば…………………」

と語りかけると、義母が話かけてきたので、それきりになった。私が喋りたかったのは次のようなことでしだ。

 赤坂の広告制作会社にいたときに、社長は関西の人間だから、印刷でも関西のほうが数段安い、関西の印刷屋を使ってみろという命令がありました。とくに、神戸の○○は印刷屋が集結している地区だから、断然安い、使ってみろ、というのです。社長の言明ですから、私はそこの印刷屋を3社見積を取りました。
 しかし、私には、その3社の見積値段では、もうどうにもなりません。それらの印刷屋には、「この値段じゃうちは駄目です」と言ったのですが、一社だけが、「それは萩原さんが、関西が嫌いだから言っているだけじゃないのか」といいます。だから、私は、「仕方ないから、、じゃこちらの印刷屋の見積を見せるよ」と言って、社名等は隠してコピーして見せました。そのとき、その関西弁の印刷屋の営業マンは驚いていました。「え、こんな値段でやらせているんですか」と、そして「自分たちでは無理だ」というのみでした。
 もう私には、「安い、驚くほど安い」はずの、関西の印刷屋も、もう話にならない見積金額でした。あれでよく商売をやっているものです。そして私は決して東京の印刷屋を安くたたいている気は少しもありませんでした。私だって印刷工だったことがあるのです。適正な利益が印刷屋にもあるように考えていたつもりです。でも、それにしても大社長の言う、「大阪はすべて断然安い」というのは、まったくの判断ミスでした。
 そんなことを思い出していたのです。
 いや、この小説の感想はまた書きます。

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