将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:現在64歳

J13010906「純と愛」2013.01.10へかなこさんから以下のコメントがありました。

1. Posted by かなこ   2013年01月11日 00:08
周様、初めまして。
純と愛を欠かさず観ている学生です。
私は純ちゃんも愛くんも大好きです。
しかし、このドラマは賛否両論で、批判の声を多く聞きます。
私の父は50代ですが、女性が働き男性が主夫という夫婦像が理解出来ない世代のようで、妻を支える愛くんを「男じゃない」といって難癖つけています。
父の横で観るのは、正直つらいです。
父のように年配の方々とは価値観が違うかもしれない、と思っていたので周様のこのドラマに対する肯定的な意見に、とても驚きました。
そして、とても嬉しかったです。
純と愛は、二人とも足りないものを補いあい、支えあっているので、かつての夫婦像とは違っていても、とても素敵な夫婦だと思うのです。
NHKにも批判意見がたくさん届いてるようですが、私はこのドラマが大好きです。
周様のブログも大変嬉しく思います。

 ありがとう。

私の父は50代ですが、女性が働き男性が主夫という夫婦像が理解出来ない世代のようで、

 ええと私は昭和23年(1948)の団塊の世代ですよ(現在64歳)。典型的にこの世代で革命J13010907運動に邁進し、東大安田講堂で逮捕起訴され、保釈出所してまたすぐに(1ケ月も経過しない)、芝浦工大事件で(当初は内ゲバ殺人事件と言われました)1949年12月10日逮捕されました。ただ私は昔から今もマルクス主義は嫌いで(新左翼はみなスターリン主義は嫌いでしたが、共産主義は信奉していました)、いわば反共主義で天皇制社会主義者でした。でも逮捕中は完黙だから警察は分からないです。ただし、詩吟が好きで、軍歌も大好きで、飲み屋ではいつも歌ってきました。
 ええと、でもこのような夫婦像は私の父と母でも好きになるんじゃないかな。私の父は大正2年生まれで、中国戦線で戦い、仏印進駐からシンガポール攻略、泰緬鉄道建設、その他もやってきました。戦後は家族を連れて(実は秋田犬も、小鳥もたくさんいましたが)、東京秋田札幌名古屋鹿児島秋田横浜と転勤を続けました。でもその親父が生きていても、このこのドラマは好きになるんじゃないかなあ。
 私が以下に書いているのですが、

  2010年12月12日FOREVER(1993.11)
休憩の時間に彼ら生徒のところ行ったら、おはぎの友達たちが寄ってきて、たくさん挨拶されてしまった。私も知っている限りの子にはいろんなこといったけれど。
「お、ジュンコ、色白くなって綺麗になったじゃないか」というと、「え、ほんと、嬉しいな」なんて会話していました。男の子もたくさん寄ってきました。「オー、俺がおはぎの父だ、諸君はまだ酒飲めないな、そのうちいつか飲もうぜ」なんていってました。

このときの子たちも思い出します。この純子ちゃんも思い出します。
 私は昔よくお話した当時30代後半の女の子が、親とくにお父さんとは話せないなんて言っていたのでしたが、私と何度か飲んで話して、その後はお父さんと一緒に飲んで話せるようになったといいます。今も彼女が大阪の自宅でお父さんにお酒をついでいる姿が想像できます。
「男じゃない」ではなく、「男だからこそ」いや「人間だからこそ」できるんだと私は思いますね。だから私は愛君も、このドラマも好きなのです。
 私の父は手品が得意で(でも私たち子どもの前では見せてくれなかった)、それでマレー半島の戦場の中でも、泰緬鉄道建設をやりながらも、休憩時間に戦友たちにその手品を見せていた光景が私には目に浮かびます。
 そんな時は、人間だから今も続いているのだと思います。ただねえ、私の母がテレビで『戦場にかける橋』を見ていて、「こんなことが本当にあったんだ」とJ13010904いうので、私は「これは親父が作った橋なんだよ。何度か聞いているだろう」と思いましたが、私は黙っていたものです。難しいですよね。
このドラマは賛否両論で、批判の声を多く」というのは、よく分かりません。私は毎日ときどき涙を流して見ているばかりです。

12090611 また書くわけですが、私はけっこうしつこいでしょう。
 それでですね、私は「当時の芝浦生」さんに、多分69年に大学へ入られたということは、私が昭和23(1948年)生まれで、現在64歳ですが、「当時の芝浦生」さんは現在62歳か61歳だと推定します。
 そうだとしたら、私がこうしてブログを毎日書いているように、ぜひ「当時の芝浦生」さんもブログを立ち上げてください。私なんかは、いつも酔っ払いでどうしようもないのですから、それよりはずっとましだろう「当時の芝浦生」さんにもぜひともやってほしいものです。
 私なんかは、もともと漢詩が好きで、詩吟をやっていて、実際に70年安保闘争の6・23のときには、埼大のバリケードの中の集会で七言絶句の「黒澤忠三郎『絶命詩』」(実際に詠っているのはここです)をやったものでした。そのあと司会者の一人だった中核派のAがものすごく感激した旨のアジをしてくれたものでした。
 私のブログは内容はともかく、UPしている量だけは、誰にも負けません。中国にも米国にも欧州にも、私以上の量を書いているサイトはありません。私は知りません。
 まあ、しょせんインターネット上のブログなのですが、今は誰でもできるはずです。とにかく、私がやれてしまうのですから。

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