将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:由比ヶ浜大通り

カラー版 鎌倉―感じる&わかるガイド
書 名 鎌倉感じる&わかるガイド
著 者 岡田寿彦 関戸勇
発行所 岩波ジュニア新書
定 価 980円+税
発行日 2004年3月19日第1刷発行
読了日 2007年7月11日

 鎌倉は昨年2度行きまして、今年も何度か行く気でいましたが、なかなか機会が作れません。たいへんに残念です。鎌倉由比ヶ浜大通りで買いました下駄も、もう今では他で買いました下駄になりました。

   周の着物・下駄

 でもなんとか行きたいな。とにかく歩いて、実朝のことを考えて、海でボードセーリングを見て、またさまざまなことを思いだし、最後に鎌倉駅周辺で飲んでいたいものです。

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 私はずっと下駄を探していました。
 しかし下駄がないのです。まず下駄屋がありません。それから和服の関係の店でも雪駄はありますが、下駄はおいていないのです。これは浅草まで行かないと駄目かな、なんて思っていました。
 私は中学生のときから下駄でした、もちろん、中学校へは運動靴でいかなければなりませんが、普段は常に下駄でした。
 高校に入学した鶴丸高校でも、運動靴でしたが、生徒会で、生徒が下駄を許可しろと大声でみんなで叫んでいたのを覚えています。当時新設された鹿児島中央高校では、皮靴をみな履いてもいいようになっていて、それが高校の一つの売り物だったようですが、鶴丸高校では、みな下駄を主張していたのです。

 その後、私は横浜の横浜東高校に転入し、でもここでも普段はずっと下駄を履いていました。そして大学もずっと下駄でした。
 でも思いだしても、私はどうだったのか思い出せないことがあります。いつも下駄を履いていたのに、いざデモへ行くとなると、運動靴だったわけですが、運動靴はどうしていたのかな。どっかに置いていたのかな。大学内にずっといたわけだから、どっかに置いていたのかな。
 東大闘争に行ったときには、一体下駄はどこに置いていたのかな。今もこれがさっぱり解明できません。
 それで府中刑務所から保釈で出所して、また逮捕され、また保釈で出所した70年の4月の頃は、赤羽の雪印でアルバイトをしていましたが、あのときは下駄だったと思いますが、靴はどこに置いていたのでしょうか。靴がないと、デモとかゲバルトのときに困るよね。どうしていたのかな。
 北浦和の路上で、何故だったか民青の阿呆を、下駄で殴った思い出があります。だって私よりがたいのいい男なんだもの。下駄で顔を殴ったら、次には警官を連れてきたものでした。

 それで就職しても、相変わらず下駄履いていました。会社の面接受けるときも下駄でしたね。
 沖縄へ行ったときに、さらに南島へ行くときに、南西航空のエアーホステスが私の下駄を見て困っていました。でも仕方ないからそのまま乗ったと思いましたね。

下駄2 この写真の下駄を鎌倉の店で買いましたときに、ご主人は嬉しそうな顔をしていましたね。ずっと解説をしてくれました。でも私は、ずっと昔から履いているのだから、そんなことみんな知っているんだって。でも私は嬉しいから、お話を聞いていました。
 あ、この店の名前ですが、今調べても判りません。領収書をもらっておけば良かったな。しまったなという思いです。あ、また下駄を買いにいけばいいのか。

 さて、これで王子の街を歩くぞという気持でしたが、ところがところが今の都会は大変ですね。面倒ですね。

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