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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、2月1日、このUPがありました。これを読んで、私はいつもよりも深く頷いていたものでした。

 市内の自治会や育成会などに呼ばれて話す事が多いのですが、一通り話し終わって質疑応答の時間になると、「子どもなんて仕事してる訳じゃないんだから、携帯なんて要らないだろう」という人がよくいます。たいていは自治会の役員などの中高年男性です。
 講座終了後に書いてもらうアンケートを見返しても、「心の問題が重要だ」という説明は、子どもを持つお母さん方には結構理解してもらえるのですが、中高年男性の方にはなかなか伝わらないようです。

 この中高年男性の言い方がよく判ります。私が実に嫌悪してしまういつもの言い方ですね。そして大事なのが次のことです。

 これは携帯の問題以前に、男性と女性のコミュニケーションの違いがあるように思います。例えば、「携帯禁止」と言う中高年男性は、女性が長電話するのを全く理解できないのではないでしょうか。
 「男の会話はインフォメーション、女の会話はコミュニケーション」という言葉があります。男性の会話は「情報伝達」で、必要な情報さえ伝わればそれ以上の会話は必要ありませんが、女性は会話の内容が重要なのではなく、会話することそのものが楽しみだったり、お互いの関係の確認だったり、気持ちの共有だったりします。

 私はケータイ電話といいましても、ケータイメールこそが大事であり、ケータイ電話そのものはそれほど使いません。いやむしろ、いつでも何時でもどこでも電話を欲しがるひとが嫌です。電車の中ではケータイで会話はできないし、急いで歩いているときも重要な会話はできません(だから、私は今は無理だからと伝えます)。ケータイメールなら、落ち着いた場所・時間に正確な用件を伝えられます。
 思えば、このことはこのブログででも言えるのじゃないかなあ。私が思うのには、女性のほうが柔軟であり、まともです。中高年男性の多くは、もうやりにくくて仕方ない存在です。だから、こういう連中が平気で「携帯禁止」なんていうのでしょうね。上の「子どもなんて仕事してる訳じゃないんだから、携帯なんて要らないだろう」という言い方に、それはよく表れています。
 前に、私の高校時代の友人のことを書きました。『「携帯禁止」に物申す:(2)「出会いたがる」のは、今の自分を大切に思えないから』 にです。

 私の高校時代の友人が、携帯電話を子どもから言われて、やっと持ったのですが、その子どもが少しも携帯電話で電話してこないというのです。その子どもたちは、お父さんに、「だから、ケータイメールしてきて」(実際にその親子の会話も直接私は聞きました)というのですが、お父さんには判らないことなのです。私にも、何度かケータイ電話してきても、私はいつも出られない時間と場所でした。あるとき、朝私が急いで歩いているときに、ちょうど柳田公園を歩いていたのですが、そのときに、携帯電話があり、私が「今はとても電話では話していられないから、ケータイメールをくださいよ」と言ったのですが、彼は、これじゃ息子と同じだと思ったらしく、それからは何の連絡もくれません。よっぽどケータイメールが嫌らしくて、その後は年賀状もくれません。

 このことの重要なことが今判りました。あの彼には、結局子どもとの重要な接点が少しも判っていないのですね。今も、携帯電話があるのに、少しも子どもが連絡してこないと怒っていて、子どものほうは「早くケータイメールができるようになってよ」と言い続けているのでしょう。

 でもこう見てくると、なんとなく絶望的な気持になってしまいますね。つまり私は、こういう中高年男性に絶望してしまうのです。

 子ども達が携帯で一日何十通もメールをやりとりするのもそれと同じで、内容が重要なのではなく、メールそのものが友情の証明だったり、「誰かとつながっていること」の確認だったりします。
 かつて携帯が無い時代でも、特に女の子は授業中にこっそり手紙を回したりしてコミュニケーションをしてきました。その手段がメールに変わっただけです。

 私も一日にそれこそ何人もの相手と何十通とケータイメールを交換しています。思えば、私は、ある女性にこう言われたことがあります。「萩原先生は、女性なのよ」と。このことが今またよく判ってきた思いがします。
 でもやはり、私は男性であり、中高年です。だから、自分と同じ年の男性が同じような実に情けないことしか言えないのが実に嫌になります。
 だから思えば、お母さん方のほうが、子どもがケータイを持つことに許容できる点がおおいにあるのですね。

「携帯禁止」と言う中高年男性を見ていて私が感じるのは、携帯を使っている子ども達が全く理解できず、宇宙人のように見えているのではないか?ということです。一種の生理的嫌悪感・恐怖感から、理屈抜きにとにかく排除したくなるのではないでしょうか。
 また、自分も含めて男は変なプライドがあるので、「自分が『わからない』ことを認めたくない」→「『わからない』ものは否定して『無かった事』にしたい」という心の働きがあるように思います。
 昔は携帯やネットはありませんでした。でも今は時代が違います。「昔は無かったから」「自分は必要ないから」という理由で排除しないで欲しいと思います。なぜ子ども達があれだけ携帯やメールを使っているのか、まずはその気持ちを理解していかないと、問題は解決しません。

 まったくこの通りだと思います。

 以前の記事で、「文部科学省が『小中学校で携帯持ち込み禁止』の指針を出す予定」というニュースを取り上げましたが、1月30日に全国の都道府県、政令指定市の教育委員会などに通知したそうです。
 こうした施策は政府の教育再生懇談会の提案から来ているのですが、懇談会のメンバーを見てみると、10人の委員の内、女性は2人だけです。
 さらに懇談会の議事録を読むと、携帯電話の問題についてはこの内の4人で作るワーキンググループが中心になってまとめたようですが、グループの4人は全て男性です。
 (これらの性別は名前の漢字を見ての判断なので、間違っているかもしれませんが)
 懇談会やワーキンググループの細かい雰囲気はわかりませんが、このメンバーでは中高年男性の価値観が中心になって議論されてしまうのではないでしょうか。
 また、自治体などの行政組織にしても、中心になって決定権を持っているのは中高年男性が多いですから、その人達の価値観で施策が決まっていってしまう傾向があります。
 頻繁に携帯メールでコミュニケーションする今時の子ども達の心のありようをどれだけ理解して、施策が決定されるのか、私たち市民一人一人が注意してチェックしていかないといけません。

 どうしても絶望してしまう思いにもなりますが、こうしてSHIROさんが書かれているということで、少しの光も見えてくる思いです。
 もっともっと言っていかなとならない。どうでもいい、もう凝り固まった中高年男性の思いで、せっかくのことをぶち壊されたくありません。
 もっともっと、このインターネットの世界だけでなく、述べていかなくちゃならないのだなあ、と深く思ったものです。

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