将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:的矢六兵衛

1304170113041702  とうとうこの日になってしまいました。最後にある「完」という文字がものすごく心を打ちます。

 的矢六兵衛はすがりつく隼人の手を取り、まるで笹舟を水面に浮かべるほどやさしい力で、そっと押しやった。
 目を細め唇を引いて、実に莞爾として笑うた。それから鷹揚と身を翻し、御書院門を潜り、雨後の干ぬ石段を下って行った。

 私の兄が名前が「莞爾」といいます。このことを言うと必ず誰もが石原莞爾のことをいいます。私は激しく、「違う」といいます。彼はむしろ2・26の否定者でした。私の父は2・26革命で死刑になりました中島莞爾からつけた名前なのです。私はいつもこの中島莞爾を忘れたことはありません。
 でもこの江戸城を去る六兵衛を迎える人々がいます。

 御濠端の夕風にそよぐ柳の根方に、奥方と御隠居夫妻と二人の男子が佇み、そのうしろに若党と中間奴が控えていた。栗毛馬の面懸と鞦(しりがい)には、御書院番八番組に徴たる紅白の緒が飾られていた。

 こうしてこの江戸城を去る六兵衛を迎えてくれる家族、人たちがいます。電話もインターネットもない時代なのに、どうやって連絡13041509を取ったのだろうと思いますが、「門番の官兵はみな蹲踞して送った」というのが、その中に私も加わりたい思いです。いや私も心の中で加わっています。

 供連は翳りの中をしずしずと去ってゆく、漆黒と純白のみを彩と信ずる江戸の夕景は、そのうしろかげにこそふさわしい。

 そしてこのあとに「完」という字があるのです。もはや大きな時代が終わったのです。これから本当の「明治」という時代なのです。

201804020113041602  昨日13041601は休刊日で、この小説を読むことができませんでした。だから今日はとても嬉しかった思いです。だがそうした私の思いは、ただただ的矢六兵衛が江戸城を去るのだろうなとは予想できました。いやそれは誰もが同じでしょう。

「どこへ行くのだ、六兵衛」
繰り言ではなかった。ただただ別れ難いのだ。

もうこの加倉井隼人の気持が分かります。こう隼人は思うのです。

訓(おし)えられたことが多すぎる。そしてその訓えのくさぐさは、きっとこれからたどる人生の路傍にいっぱいの花を咲かせて、、おのれの苦を慰め、かつ正しき道標となるにちがいなかった。

そのあと隼人のいうことは実に分かります。

「のう、六兵衛。水臭いではないか。どうしてこのわしにすら口をきいてくれぬ。このまま黙して去るつもりか」
捨て子のようにべそをかきながら、隼人は息遣いの伝わるほど間近に寄ってようよう言うた。言いながら地団駄を踏んだ。

すると六兵衛は隼人を抱くのです。もう私はその二人の気持が分かり実に嬉しい気持です。そしてまた私は涙になるのです。

六兵衛は骨を軋ませて肯いた。
「物言えばきりがない。しからば、体に物を言わせるのみ」

嬉しいです。隼人の気持を思います。だが六兵衛がこれだけ喋ったのは初めてではないでしょうか。
隼人は、「これこそがみなの忘れていた武士道であった」と思います。私は武士なんて、心の13041409底から嫌いですが(大嫌いです)、この時だけは、この六兵衛と隼人の抱擁には嬉しくなります(この時代にこういう「抱擁」なんてあるのかなあ、とは思いますが)。
武士というものが、本当にいるのなら、武士道とかいうものがあるのなら、このときの抱擁の姿には、ただただ涙なのです。

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1304130113041302  的矢六兵衛はこの江戸城を去るようです。もう潮時と思ったのでしょうか。読んでいる私も、「もういい」という思いになるのです。

 六兵衛は征(ゆ)く。

 たしかに六兵衛はただ黒書院に座っていただけなのです。でも彼が立ち上がり、ここを出ていくのはもう驚くべきことなのです。

 フランス式もイギリス式も、兵の徒行に際しては必ず左足と右腕、右足と左足が揃うて前に出る。しかるに士道古来の兵法には、さような歩み方はない。両の掌は腿(もも)の付け根に定まり、上半身はいささかも揺るがずに、繰り出す足のみにて歩むのである。よって両肩にぐいと張り出した肩衣(かたぎぬ)は、夕凪の帆のごとく動かぬ。

 これをそのままやって歩いているのが六兵衛なのです。13041208

「どこへ行くのだ、六兵衛」
 加倉井隼人は肩衣の背を追いながら、もはや声にもならぬ声で、そう呟き続けていた。 答えてくれ、六兵衛。

 おそらく六兵衛は江戸城を去るのです。もはやここには新しい政権の長の帝が来ているのです。それに私は、六兵衛の妻にも二人の子どもにも会いに帰ってほしいのです。待ち焦がれているはずなのです。

1304110613041107 今日は福地源一郎の見たままの思いで描かれていきます。

 福地源一郎は黒書院を取り巻く人々のうしろから、一部始終を見届けた。

 彼には的矢六兵衛と明治天皇が接したことを、実際に会話していたように思えるのです。

 ・・・・・・、実はその間に聖上(おかみ)と六兵衛が人の耳には聞こえぬ対話をかわしているように思えてならなかった。

 この作品でも明治天皇と六兵衛は会話はしていないのですが、でもそう思われても私も肯いてしまうのです。不可解な江戸幕府の政権投げ出しを、六兵衛は天皇と会見することで、分かるものとしたのでしょう。はっきり言いまして、私ではさっぱり分からないわけですが。
 でもそこには、加倉井隼人がいたのです。13041008

 勝安房が赤児を宥めるようにして隼人を抱きとめた。たしかに仰せの通り。律儀なこの尾張の侍はまことによくやった。

 この通りです。このときの光景をどうしても私は実際に見えるような思いになります。勝安房があまり好きにはなれない私ですが、この時には、「いい奴じゃないか」と私も思ってしまうのです。

1304100113041002  いつの日かは、この的矢六兵衛もこの黒書院を去るときが来るとは思っていました。だがそれが実際の時になると、言いようのない気持になってしまいます。私は涙を流していました。

「どこへ行くのだ、六兵衛」

 もう隼人がこう声を出してしまうのが分かります。そしてそれは隼人だけではないのです。

 ・・・・・・、黒書院をみっしりと囲繞(いにょう)する人々のすべてが、異口同音にそう呟いた。

 私も呟いてしまいます。そこで隼人は分かるのです。

13040909 ここに及んで、隼人はついに悟ったのだ。けっして物言わぬ六兵衛は、流れゆく時と変節せる人心の中にあって、母なる国の花のごとく風のごとく変わらぬ良心そのものであった。

 なにかそれが読んでいる私の心にも伝わるのです。

「もういい、加倉井さん。あんたはよくやった」
 勝安房が隼人を抱きとめた。

 私は勝安房はあまり好きにはなれないのですが、ここはよくやってくれた、よくぞ言ってくれたという思いです。

1304080113040802  今日は明治天皇の心の内が推測されています。こんなことは始めてのことですね。と私は思うのです。
 もう的矢六兵衛が座りこんでから、10ケ月が過ぎているのです。

 十月(とつき)といえば、やや子も産まれるのである。さなる長きにわたって夜も昼も横たわることなくじっと座り続けておるなど、阿闇梨の荒行も及ぶまい。

 このときに明治天皇は、この六兵衛を自分の目で見て見たいと思ったのです。そして宮城の中を走ることになるのです。近習のものはどんなに驚かれたことでしょうか。

  かくして稲光とともにあちこち走り回られたあげく、聖上(みかど)はついに表御殿黒書院へと至った。

 とにかく明治天皇にとってもこの黒書院の六兵衛はものすごく興味のわくことだったでしょう。だがその当人の六兵衛はどうなのでしょうか。もう徳川家は江戸城の主ではなく、天皇がそれに替わったということに六兵衛はどう反応するのでしょうか。13040616

1304060113040602  今までこの小説では幾多の歴史上の実在の人物が出てきました。今度は明治天皇が六兵衛に会うというのです。その前に福地源一郎のことも書いてあります。彼の新聞が今も続いていたら、朝日・読売・日経どころか、グーグルにも負けない情報提供者になっていたように私は思うのですが、それはどうでしょうか。

 伝馬町の牢屋敷に繋がれている間、源一郎は悔やしゅうてならなかった。「何が御一新か。新政府の正体は徳川幕府が薩長幕府に入れ替わったのみ」という論説の、どこが罪だというのであろう。

 この思いは正しいのです。だが正しいからこそ政権維持者には危険としか思えない言動なのです。

「ごめん」と、入側から声がかかり、田島小源太が青ざめた顔を覗かせた。
「一大事にございます。ただいま天朝様におかせられては、どうにもおむずかりあそ13040408ばされ、奥御殿より御黒書院にご出御なされます」

 いよいよ、この作品でも明治天皇まで巻き込むのか。すごい作品だなあ。もう江戸幕府の話ではなくなったなあという思いです。もはや日本国の話なのです。
 さて、そうなるのかなあ。的矢六兵衛はどうするのかなあ。

1304040113040402  昨日のこの「黒書院の六兵衛」で挿絵の木戸孝允のことをものすごく考えました。彼は先に亡くなった長州の同士たちの顔が忘れられなかったのでしょう。だから薩長同盟を結ぶときは、しつこいほどこれまでの長州の立場を言い張ります。西郷がいなかったら、あれはならなかったでしょう。だがその西郷が九州で維新政府と戦闘を繰り返している。それを見聞しているのは耐えられなかったと思います。そしてその際亡くなります。
 今はただ的矢六兵衛の前の彼を見て行きたいです。

  まずい。これはまずい。木戸の眉が吊り上がり殺気が放たれた。
「嗤うたな。鼻で嗤うたな」

 もうこのときの木戸孝允の怒りが分かります。薩摩とは違い長州はこの時までに多くの同士たちを失っているのです。それを六兵衛の態度は許しがたいものにしか感じられません。いやそれは私も感じてしまうのです。
 いや私は薩長も嫌いですが、江戸幕府も嫌いです。ああ、ついでに会津藩も大嫌いです。私13040309は今の「八重の桜」とかいうドラマも見ていません。私は今も水戸天狗党なのです。

「おのれ、嗤うたぞ、また嗤うたぞ」
「なりませぬ。斬ってはなりませね」
 ・・・・・・・・・。
 的矢六兵衛。なにゆえ泰然としている。

 やはり分からないですね。木戸孝允をどうして六兵衛が嗤うのか理解できないです。明日になれば分かるのかなあ。

2018073101  これは実にいい小説です。もう私はそれだけを思います。御隠居は言います。

家柄がどうの血筋がどうのとこだわり続けるうちに、天下の旗本にふさわしい武士はひとりもいなくなった。その最後のときを迎えて、われらは的矢六兵衛という一閃の光芒を見たのだ。13033002

だから現実にはこの新的矢六兵衛はいないのですから、「一閃の光芒」なんかないのです。私は今の今も自分(の祖先が)が江戸時代とかに、武士だったことを誇る大馬鹿に出会うことがあります。いや単なる無知の恥知らずだけなのですが、こうした作品を読んでいてほしいものです。この「黒書院の六兵衛」を知ってほしいです。所詮は、浅田次郎が描いた人物だということを。いや私は貶しているのではありません。武士が大嫌いなだけなのです。13033001

・・・・・・。天狗に拐かされた六兵衛が立ち戻ったのだ。あやつは隠居夫婦の心のうちを忖度(そんたく)してくれた。いかなる困難を伴おうとも、この翁と媼の悲しみを掬(きく)することこそおのが努めであると信じた。

13032915 また私はこの御隠居の話で涙になります。ああそうだ。やたらに私がどこでも涙になることで、「なんだ、そんなに涙になる人間がいるわけない」と思ってしまうかたが、ごく少数でもいるかもしれません。
私の娘おはぎと結婚したミツ君が結婚して驚いたのは、おはぎがテレビを見ても、時々本当に涙を流すことにです。これは私の血です。もう私は大昔から当たり前のように、感動で、悲しみで涙を流すのです。私の娘にも、私の血が流れているのです。
またこの小説で私は涙を流していくのです。
明日も、この小説を見ていきます。

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1303200113032002 もう江戸時代は終わったのだ。的矢六兵衛がこうしていることはもはや意味がありません。どうするのでしょうか。加倉井隼人は六兵衛に語ります。

「一世一元の制なるものも定められての。今上の御代の続く限り、いかなる天変地異が起きようと明治という時代は変わらぬらしい」

 そうですね。この時から今に大きくつながる時代になるのです。その六兵衛は文机で一文を記します。

 聖人南面而聴天下響明而治。
 しばらく考えこんでから隼人は思い当たった。「易経」の一節である。六兵衛は諳んじた漢籍から、元号の出典を引き出したのであった。

 もう隼人と同じく、「おぬし、いったい何者なのだ」と私にも同じ言葉が出ます。昭和から平成になったときに、「なんでいまさら元号なのだ?」と思ったものでしたが、今ではこれが正しい日本の年号の定め方なのかなあ、なんてことを思います。西暦13031707だけでは、私たちが嫌になってしまいます。

1303110113031102 的矢六兵衛は大変なことになってしまいました。大村益次郎と福地源一郎が辻井良軒という医師を連れてきます。なにしろ六兵衛はここでもう約半年ほど、座りぱなしなのです。

 やがて畳廊下を摺る大勢の足音が近付いてきた。どうやら大ごとになってしもうたらしい。

 辻井良軒の見立てですと、米の飯ばかり食うてきたのに、突如鰻の蒲焼を食べたことが原因であるようです。

「六兵衛さん、あなたがどこの誰で、何のためにこうしているのかは知りませんが、死んだら元も子もありますまい」
13030912 大村の懸命の説得にも、六兵衛は耳を貸さぬ。

 どうか六兵衛がこの医師の言うことを聞いてほしいです。それがとても大事なのです。二人の子ども、妻の顔を思い出してほしいです。

1303100613061007 的矢六兵衛の動向については、みなが注目しています。

「ついにお腹を召されたか」
 何かにつけてそう思わせるのは、的矢六兵衛の人徳というべきであろう。今さら切腹でもあるまいに、似合うのだから仕方ない。

 しかし、私も思います。もう切腹しても何もなりません。そんな路はとうに閉ざされているはずです。

 ようやく六兵衛が戻ってきた。いくらかは落ち着いたようだが、よほど苦しんだ13030908と見えて憔悴しきっている。
「じきに医者が参る。横になって休め」

 こうして隼人たちは実に、この六兵衛を大事にしています。感謝してほしいよなあ、と私は真剣に思いますね。

1303090613030907  この的矢六兵衛はついに将軍家の御黒書院にまで進出したのでした。

 みなが匙を投げた。勝安房ですら、「もうかまわずうっちゃっておけ」と言うた。だが隼人にはできぬ。

 この加倉井隼人の気持がよく分かります。もう「うっち13030805ゃっておけ」なんてことができるでしょうか。六兵衛の思いも分かるような気がします。でももう明治時代で、この江戸城ー宮城には明治天皇が来る時期なのです。
 六兵衛はもう換えないといけないはずなのです。
 しかし、このあとどう展開されるのでしょうか。いくつかのパターンは予想される、予想しているのですが、はたしてその通りになるのかは、はなはだ分からないことなのです。

1303080113030802 もう的矢六兵衛の座り続けるのは終りになるのかなあ、と思っていましたが、そうはならないようです。

 鰻を平げると、六兵衛は膝ひとつにじり下がって、深々と頭を垂れた。

 大村益次郎がやったことかなあ、そして加倉井隼人がよくやったよと思ったものでしたが、これでは終わらないようなのです。

  六兵衛は立ち上がった。その面ざしは晴れがましく、いかにも一事を成し遂げた快哉をたたえているように見受けられた。人々は喝采を惜しまなかった。

 だがだが、六兵衛はどうみても城を去るのではなく、違う方向へ行くのです。

「こら、六兵衛。そっちではない、奥に向こうてどうする」
 何ひとつ迷わぬそぶりで、六兵衛は御中庭の北から御入側へと足を進める。・・・・・・。13030703

 これでまだこの物語は続くのです。江戸は東京となり、時代は明治になるのですが、六兵衛はどうするのでしょうか。

1303040613030407  的矢六兵衛も鰻の蒲焼を食べるのだろうなと思って日経新聞を開きます。「ああ、伊豆栄の鰻だ」と思い鰻の蒲焼を思い出します。私がこの池之端の伊豆栄で鰻を食べたのは35年前のことだと思い出しました。

 鰻。夏の盛りには誰もが食いとうてたまらぬ鰻の蒲焼。それもそこいらの店からの出前などではない。上野池之端の「伊豆栄」を買い切って、職人もろとも御城内に運びこんだのである。

 このれには、加倉井隼人(実は妻しづゑの提案)の案なのですが、勝安房も大村益次郎も大賛成なのです。

「おおい、向こう岸の衆。煽ぎなされ、煽ぎなされ」
 大村が庭越しに命ずると、向こう廊下の官兵どもが扇子や手拭を打ち振って煽り立てた。煙は開け放たれた溜間に吸いこまれていく。

 今度は、六兵衛にも、これはきくのではない13030401かなあ。でも思い出せば、私の2年下の活動家でも鰻を食べないものがいたものな。嫌いなそうでした。
 そんなことはないよう。今度こそ、この隼人たちの作戦が見事成功することを祈ります。

1303020113030202 やはりこの的矢六兵衛は何なのでしょうか。不思儀なばかりです。

  的矢六兵衛とはいったい何者なのだ。なにゆえ官兵や旧幕臣も、声を揃えてその名を呼ぶ。

 以下のようにみな叫ぶのです。

・・・・・・
 隼人を押しのけて、老いた官兵が叫ぶ。
・・・・・・
 小十人組の若い御番士が、口を添えてそう言うた。群衆には上下の別もなかった。

 もう今はこうなってしまったのですね。この私もそれがよく分かります。六兵衛は半紙にこう書いています。

 自反而縮雖千萬人吾住矣(みずからかえりみてなおくんばせんまんにんといえどもわれゆかん)

 私は真っ先に、「これは孟子ではないか」と思ったものです。この日は天候が雷が音をたてて鳴っているのです。13022812

 人々が雷鳴におののいても、的矢六兵衛はただひとり動ぜづ、瞬きすらしなかった。

  さあ、明日の内容も期待します。

1302250113022502  今日も福地源一郎の話が続きます。だが少し私はこの的矢六兵衛に関する話にはがっかりしてしまいました。これでは、今までの六兵衛の徳川慶喜説や天朝様の物見役説とそう変わりないように思えてしまいます。でもとにかく見ていきましょう。
 茶坊主がいいます。それを聞いて源一郎がいうのです。

 僕はそのように言われて初めて、この話そのものの怪しさに気付いた。

 そして、そのあと六兵衛が次のようにいうのです。この回の最後の源一郎のいう内容です。

 的矢六兵衛は、イギリス全権公使ハリー・スミス・パークス卿が差し向けた密偵。すなわち、ビクトリア女王の勅命を奉じた「スパイ」なのだ。

 これも私には今までの説と変わりない13022313ように思えます。ただし、今度はいささか話が大きくなっているように思います。的矢六兵衛の不思儀さが、世界的になるというのでしょうか。
 さてまた明日からは、この話を聞いていきます。

1302230613022307 さて、私が前回思ったのですが、「他の展開が開けるのかも」ということのようです。しかし、前回「源一郎は溜間に躍りこんだ」はどうやら抑えられました。

  隼人と小源太は追いすがって抱き止めた。
「はなせ、はなせ!何が御旗本じゃ、何が天朝様の物見役じゃ、刀がないなら絞め殺してくれるわ」

 しかし、源一郎は加倉井隼人と田島小源太の二人に取り押さえられます。この挿絵は、その三人なのでしょうが、左から隼人、源一郎、小源太の順なのでしょう。なんで隼人はこういう装束なのかなあ。小源太と同じじゃないんだ。
 だが、源一郎がいうのです。六兵衛は今は贅沢な食事になったのですが、その料理にはまったく手をつけていないのです。
 源一郎が語ります。

「のう、加倉井君。こやつは天朝様のご家来などではないよ。伝馬町の牢屋敷で、とんでもな13022110い噂を耳にしたのだ。聞いてくれるか」
 福地源一郎は夕立を見上げてから、雷鳴にまさる声で語り始めた。

 これまた明日が待ち遠しいです。どんな話が聞けるのでしょうか。

1302210113022102  さすが福地源一郎は私にはさえていると思えます。でも加倉井隼人には源一郎の姿には驚きます。

「ややっ、福地殿。その身なりはいかがした。まるで味噌倉から這い出たようではないか」
「味噌倉のほうがまだましさ」

 その源一郎が最後には、次のようになります。

「ほう。大村さんね。官軍随一の軍略家と聞いているが、案外馬鹿だな」
 そう言うたとたん、ついに堪忍袋の緒が切れて、源一郎は溜間に躍りこんだ。

 これが私がさえていると思うところです。大村益次郎にも勝安房にも「ご勅遣13022004の物見役」ではないかと思われている六兵衛なのです。そんなわけはないのですが、源一郎が「案外馬鹿だな」ということが証明されることになるのでしょう。でもまた他の展開が開けるのかもしれません。
 また明日が楽しみです。

1302200113022002  ひさしぶりに福地源一郎が登場します。彼は伝馬町にパクられていたということです。この挿絵が源一郎なのです。

 羽織袴は汚れくたびれ、月代は浪人のごとく伸び、すっかり面窶れしているのですぐに誰とはわからぬが、よくよく見れば紛うことなき福地源一郎である。

 この源一郎がえらく怒っているのです。田島小源太がなんなく「源一郎の腰から造作もなく脇差を抜き取った」という。源一郎は刀なんか(ここでは脇差ですが)使えないのですよ。

「このなりを見たまえ。僕はその伝馬町の牢獄に、かれこれ一月近くも放りこまれていたのだ」

 そうなんだ。これから福地源一郎は新聞も大いに出していきますが私が浅田次郎「黒書院の六兵衛」(264)で書きましたように、

「そんなことだから、あとでパクられちゃうんだよな」と私は言います。いや逮捕されても、そのあとが問題です。今も、朝日、読売はありますが、福地の新聞はないではないですか。

と思うのです。
13021909 さて、この源一郎が前回浅田次郎「黒書院の六兵衛」(274)で勝安房が言ったことで、「天朝様がご勅遣の物見役」ということになっているのです。
 これであっさり源一郎がそれを簡単に覆してくれるかなあと期待します。

1302190113021902  今ただ座っているだけの的矢六兵衛に、大村益次郎も勝安房も加倉井隼人も頭を悩ませます。そしてとんでもないことを思いつくのです。

「ここだけの話だが、勝さん。お公家衆は軍勢を持たぬかわりに、武家方が思いもつかぬ策を弄する。これまでにも、どれだけ手をやいたか」

 そうですね。南北朝の争乱では、南朝方は軍勢を持って実際に戦ったからいけなかったのかもしれません。『神皇正統記』を書いた北畠親房を思い出しました。常陸の国で戦いの中、籠城戦の中で執筆されていたのですが、どうにも内容は肯けません。
 そして私は500円札の岩倉具視の顔もも思い出していました。この小説にも出てくるのかなあ。
 勝安房が言います。

13021812「・・・・・・、天朝様はわずかご宝算十七の御砌(おんみぎり)ながら、英明覆うものなしと聞き及ぶ。ならばご宸念(しんねん)もてあの侍を江戸に下向させたとしても、ふしぎはあるまい。あら、どうしよう。・・・・・・」

 何が「あら、どうしよう。」だ、なんて気にもなります。(あ、私は勝海舟が好きではないのです)そんなことあるわけがないだろうと思うわけですが、それは今の私です。
 こう思うのも仕方ない気にもなってしまいます。

1302180113021802  さあ、大村益次郎のいう話が的矢六兵衛に届くのでしょうか。だが私も「それなら何で彰義隊のことがあったのだ」と声に出してしまいます。
 勝安房も同じ思いだったのでしょう。

 勝安房は首をかしげている。大村の説得に感心しつつ、同時に懐疑したのであろう。つまり、ここまでいうのなら、どうして上野のお山の彰義隊を説得できなかったのだろうと、大村の人格を疑っているのである。

 そうだよな、と私も思い直しました。勝の疑義の通りです。しかし、勝はとんでもない疑義を言い出します。

「なあ、大村さん。もしや六兵衛は、お公家様の13021710回し者じゃないかね」

 しかしこうまで考えてしまうんだ。そうじゃないことはわかりきっていることですが、勝安房のいうことを聞いていきたい思いになります。

1302170513021706  今日は大村益次郎が的矢六兵衛に語りかけます。

「私は長州の大村益次郎と申す者です。もとは村医者でありましたが、蘭学を修むるかたわら西洋兵学を学び、こたびはふつつかながら朝命を拝し奉って、官軍の指揮を執っております」

 そばにいる勝安房も加倉井隼人も「どうせ六兵衛には無駄なこと」と笑いをこらえているところです。でも最後に益次郎は、「コホンと空咳をした」あと、驚くべきことを言うのです。

「・・・・・・。ついてはフランス国仕官学校留学生に推挙いたしたいと思うが、いかがか」13021702

 これは驚くべきことです。私はすぐに、パリを歩いている的矢六兵衛を思い浮かべてしまいました。えっ、あの当時のこのとき欧州に派遣された人の名簿を見れば、この六兵衛の名が記されているのではないかなあ、と思ってしまいました。
 この的矢六兵衛は小説の中の人物ですが、ひょっとしたら、実際に実在したのではないかなあ、と私も真剣に思ってしまいました。

2017012313

13021205 私の浅田次郎「黒書院の六兵衛」(263)にmatoyaさんから次のコメントがありました。

1. Posted by matoya   2013年02月07日 20:43
  周さんこんばんは、いつも楽しくブログ見てます。淀屋辰五郎(本編の辰平とは別人物)に私は思いがあります、淀屋の話の前に、お稲荷さんの話ですが、我が家からほど近いところに土佐稲荷神社があります、元土佐藩邸で維新後の版籍奉還、藩営事業廃止令によって、岩崎弥太郎が藩営事業を屋敷ごと買い入れ、その後に三菱の創業の地となり、屋敷内の鎮座していたお稲荷さんを神社として建立、現在は三菱グループの守護神社となってます(神社紋はスリーダイヤ)。そこから北へ15分ほど行くと土佐堀川沿いに薩摩藩邸跡があります。坂本龍馬が勝海舟の紹介で、西郷隆盛に初めて会ったといわれてます。その並びにある長州藩邸跡を見ながら15分ほど土佐堀を遡ると淀屋橋のたもとにつきます。淀屋辰五郎が、屋敷と川向の米市場との往来の為寄進したものです、淀屋の初代・常安は大坂の陣で徳川方につき、戦場に棄てられた武具類の回収をして大儲け。その財力で淀川を改修、中之島を開発。2代目の言当はに米市を開く。財を成した淀屋は大名貸付を始め、4代目の重當の時代には貸付額が20億両(現在のお金で120兆円とも200兆円とも)。5代目の淀屋辰五郎の時代、突然米商の免許取消、家財没収、大坂をところ払いに。表向きは、贅沢な生活の幕府よりのお咎め。実は大名の借金を踏み倒し。4代目重當13021206は闕所(けっしょ:財産没収刑)を予想していたのか、現在の鳥取県倉吉に牧田仁右衛門にのれん分け。そこで米屋を開かせた。牧田家はその後、大坂へ淀屋清兵衛という名で店を出し、淀屋橋を買い戻します。そして、幕末突然大坂と倉吉の両方の店を閉鎖売却、全財産を倒幕資金として朝廷に献金、忽然と姿を消す。160年前の淀屋本家の辰五郎の幕府への仇討かと思うのは私だけでしょうか。

  まずこうして、せっかくコメントをいただいたのに、それへのレスがこうして遅くなり、申し訳ありません。
  私は今回義母の一周忌で三ノ宮のお墓へ行っていました。その行くときにIS01でのUPの今はこうして乗っていますと。ものすごくいっぱいのことを思い出しますに

ああそうだ、私のブログで書かれたコメントにレスを書かなくちゃいけないんだ。

と書きましたのは、このコメントへのレスだったのです。
 岩崎弥太郎、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛と言いますと、幕末明治維新を大きく感じますね。長州藩は木戸孝允しか残らない感じで多くの志士たちが亡くなっていますね。そういうことでは土佐勤皇党も同じです。そして薩摩も、比較的残っていたはずなのですが、西南戦争で多くの志士たちが亡くなりました。
13021207 そして、江戸幕府も実に多くの方が亡くなりました。思えば、維新のときからずっと生きていたのは山縣有朋くらいかな。そんなことを思います(私はこの人物が大嫌いですが)。
 そういう思いの私には、この今の的矢六兵衛にはいささか不思儀な思いになります。そして小説の中の淀屋辰平にも、なんだかいつも「この人物は何を考えているのだろう」という思いを抱いていますが、でもこのmatoyaさんの書かれたコメントを読んで、「え、モデルがいたのか」(多分モデルと言えるのじゃないかな)と思ったものです。
 しかし、武士というのは、どうしても多くの血を流しながらも、ずっと自らの階級を守っていくのですね。フランス革命やドイツ革命等とは大きく違いを感じます。ロシア革命や中国革命とも違います。アメリカ独立革命ともイギリスのいくつもの革命とも違います。
 そこに日本の特殊なことを感じ、でもそれが今思うと、よかったのかなあ。北一輝も懸命にこの日本の違いを考えたことだと思います。銃殺されたときに、何を考えたのかなあといつも思います。おそらく昭和天皇を否定した思いだったでしょうね。彼は「天皇万歳」とは叫ばなかっ13021208たはずです。
 でもこのmatoyaさんのコメントで淀屋本家の辰五郎のことも大きく知りました。ありがとうございます。
 まだまだ知らないことばかりがあるのですね。

1302100713021008 これで思い出したことがあります。家に庭の灯篭に苔が生えるのは並大抵のことではできません。鹿児島である有名なお店の社長が、私の家で「家の庭にあった灯篭をたわしでこすって、苔を綺麗にみな取った」というのいで、私の父が「苔はものすごく生えてくるのが大変なのです」と聞いて、家をすぐ帰って、苔を手でつけようとしましたが、もう無理です。その後元通りになるのには50年くらいかかるでしょう。

 人がどれほど手をかけ銭をかけてもでけへんことを、雨やらお天道様やらはたわいものうやってしまう。しょせん人の力など、屁のつっぱりや。

 これは「わざわざ京から運ばせた杉苔なぞ」のことを言っているのです。でも「・・・、いったい的矢六兵衛様は御城内につっぱらはって、何をしょうというおつもりですやろか。」と言われているのです。
 最後には、こういうのです。

 あのころ甲斐守様は、幕府がそう長くもたへん思てはったんやろな。

 でもでも、こうして時代を見とう13021001せたはずの人も現状はどうなのでしょうか。私はいつも感じています。時代を見通すことと、そこで自在に生きていくことは大きく違うのだということを。
 これはいつも感じていることです。

1302060113020602  まだ淀屋辰平の話は続きます。いやこれは当然です。このようなことは、そんなにあることではないはずなのです。
 ここで的矢六兵衛の家を売りに出すのです。このときに、新六兵衛も初めてこの家を知るわけです。

 さて、なんぼの値ェが付けられるか。

という淀屋の思いはよく分かります。

 少し考える間があって、お侍は膝前に積まれた金を、ずいと押し出した。さて、ここが勝負どころやろ。
「あいにくでございますが、天下の御書院番士にならはるには、とうてい足らしません」

 ここがものすごい勝負どころです。淀屋辰平も引けないし、新的矢六兵衛も同じです。でも新六兵衛はどうして、こうしてお金を持っているのかなあ。そして、こうして手に入れたものが明治維新によって意味のないものになってしまうということは新的矢六兵衛には認めがたいことでしょう。
 時代は、そうした幾人、幾千人、幾万人、いやそれ以上のたくさんの人の大きな人生を無理に打ち砕いた、いや押しやったの13020514です。
 でもこの新的矢六兵衛のその直後の思いは、分かるのですが、明治時代になってのその後はどうだったのかな。
 大変なことを時代の時間の流れはしでかしてしまうのですね。

1302050813020509  この的矢六兵衛がどう入れ替わったのか、でも簡単に知ることはできないですね。しかし、この淀屋辰平もこのことは大変に大きなことだったのです。

 本心を申し上げておきますとな、淀屋の暖簾がかかったこの大一番を、どなたかに話しとうてうずうずしてりましてん。

 そうなのだろうなと肯きます。大変な出来事です。こうして小説でしか書かれないのですから。もし、こうしたことが頻繁にあって書かれていたら、歴史の中でもうすでに私たちは知っていたでしょう。

 的矢六兵衛は譜代の御書院番士、むろん御目見以上に御旗本だす。御徒衆なんぞとはまるで格がちがいまっせ。13020411

 その六兵衛もただ座り続けることになってしまった今回の江戸城開城、明治維新なのです。どんなに、この六兵衛にはショックだったことでしょうか。それがよくよく理解できる思いです。

1301240713012408  昨日私が「これで的矢六兵衛も一緒に湯漬けを食うのかなあ」と言っていたことは、すぐに分かりました。私は新聞を見るなり、真っ先に確認したものです。最後に次のようにあります。

 六兵衛の肩からいくらか力が抜け、無言のまま一礼して湯漬けを掻きこんだ。

 しかし、以下のように干鰯(ひいわし)には手をつけないのです。

 わかってくれたか、六兵衛。しかしどうして干鰯には手をつけぬ。

 嫌いなのかな。私はそれくらいのことしか考えられないのです。
 でもその前に徳川慶勝が語ります。これは実にあの時期を適確に見抜いている言葉です。

 ・・・・・・。よいか、六兵衛。諸外国は内戦に乗じて、出兵の機を窺うておる。今も同じじゃ。ことは徳川の存亡のみならず、日本国の存亡にかかわる。

 これは実に納得できる言葉です。おそらく、フランスが出兵すれば、イギリスも出てくるでしょう。プロイセンもロシアも出てきた13012307でしょう。オートスリアもそして米国も。事実清国は、「眠れる獅子」と怖られながらも大変な事態になっていました(これは日清戦争のあとだという指摘もあるでしょうが、でもアヘン戦争、清仏戦争はもう起きているのです)。
 ただ干鰯のことは明日は分かるかなあ。

1301230113012302  さて、こうして尾張の徳川慶勝が正面から六兵衛を見ることになります。

 何を申すのかと思いきや、この者を慶喜と疑うているのか。笑止きわまるところではあるが、それくらい苦労をしたのだろうと思い直して、御殿様は笑わずお答えになった。
「ちがう。似ても似つかわぬわ」

 このあと慶勝が15代将軍慶喜と血が濃いことが書かれています。これでもう間違いないでしょう。加倉井隼人もこれで納得します。でもでも的矢六兵衛のことは何も変わっていないのです。

「馬を急かせて参ったゆえ、腹がへった。湯漬けなり食おうではないか。加倉井、的矢、相伴せい」
 言うが早いか、御殿様は篭手を嵌めたお手を叩いて人を呼んだ。

 うーん、これで的矢六兵衛も一緒に湯漬けを食うのかなあ。大変に興味深い13012214です。今は湯漬けなんて食べません。インスタントのお茶漬けなら誰でも食べています。織田信長が桶狭間の戦いの前に湯漬けをかっこむ姿が甦ります。ここらへんの火急のときの食べるものはずっと変化していないのですね。
 さて六兵衛が湯漬けを食うのかが待たれます。私は食うと思いますが、そうすると少しは六兵衛、気持は和んだのかなあ?

1301090113010902  どうやらしづゑとお勢は、的矢六兵衛の家を探り当てていたのでした。

 表札に「的矢」とある。

 よく探り当てたという思いがします。果たして、ここに慶喜の代わりに六兵衛が潜んでいるのでしょうか。私はそんなことはないと思いますが、前にもみた中間奴が出てきます。2012年8月26日のポメラ2012年8月29日のポメラで出しました挿絵にこの奴が描かれています。この奴(やっこ)はたいそう弁もたつし、頭の回転も速いようです。

 たいした中間奴だと、しづゑはなかば腹立ちながら感心した。

 そうだよな。このしづゑも私と同じことを感じています。

「お女中ではございませぬ。奥様にお取次ぎを」13010803

 さて、これで明らかになるかな。私の予想は当然、ここには六兵衛はいないから(江戸城内にいる)、加倉井隼人の思いもしづゑの思いもはずれるわけですが、どうなのでしょうか。
 また明日が楽しみです。

1301081113010812  しづゑとお勢は下谷稲荷町の的矢六兵衛の家へ向かいます。

 和泉橋から北へまっすぐな道は、右も左も黒塀の続く御屋敷町であった。

 今とは大変に違いますね。私は高校生の時と大学一年のときに住んでいた横浜東横線白楽の家を見に行ったことが8年くらい前にありましたが、もうえらい変わりようで、なかなか昔の面影を探すのが大変でした。それがこの時代で、二人の妻は初めて歩く路なのですからね。13010710

 ・・・二人の足は、わけて立派な長屋門の前に根を生やしてしもうた。

 ここがそうなのかなあ。そうであればいいなあ。でも私はここには六兵衛はいないと思ってはいますが、さてどうなのでしょうか。
 またこうしてこの小説の先が気になって仕方ありません。

1301070113010702 今日は昨日(これは昨日の小説の内容がということです)同様に、二人の妻の的矢六兵衛の家(下谷稲荷町にある)に向かう様が書かれています。だが私は思い違いをしていました。神田川を上るのでなく、下るのですね。隼人たちの家を思いました。そして今神田川を思い浮かべました。神田川は私には実になじみ深い川なのですね。

 ・・・・・・
 そういうお勢の顔は、実に両国橋の芝居小屋に向かうかと思われるほどうきうきとしていた。
 舟は神田川を下へと滑ってゆく。

 そして船頭がいいます。

「上野のお山には、お近付きにならねえほうがよござんすよ」
 遠ざかる舟の上から船頭が言うた。

13010611 いよいよ彰義隊の戦いになるのですね。なんか悲しいな。戦わない幕府の侍たちより、彰義隊のほうが潔いし、好きになれるのですが、でも悲しいです。上野の山を歩くときは、かなり広いことを感じて、でもいつも彰義隊で悲しくなっています。

1301041113010412 今日も加倉井隼人の妻の話が続きます。

 ・・・将軍家ならば、いったいどなたがそのお顔をご存知なのでしょう。その上様が、得心ゆかぬ御旗本のひとりにすり変わって、御城内にお座りになっているとしたら、よもやその御酔狂に気付く者はございますまい。

 うーん、この隼人の妻の推理ですが、それは違うんじゃないかな。その後の歴史で慶喜を知っているからです。でもその後の慶喜を知らずとも、「それは違うんじゃないかな」と言えるのじゃないかと思いまして、でも自分に「そんなこと言えるのか」と問うて見ますと、そもそも私には分からないとしか言えないのです。ただ、歴史の事実もこの小説でも慶喜はこの時には水戸へ行っているのですが、さてどうなのでしょうか。
 あ、私は「慶喜」を「よしのぶ」ではなく、「けいき」と呼んでいます。読んでもいます。でもでも、今私の辞書の操作がうまくいかないで、もういらいらして、焦っています。だから今は「けいき」なのに、「よしのぶ」で、でしか出てこないのです。困るなあ。腹立つなあ。

 ハテ、その筋書でまずまちがいはないと思いますが、だとするとすり変わったのちにすり変わった的矢六兵衛、どこで何をしてらしていらっしゃる。13010308

 エッ、ひょっとしたら、その的矢六兵衛が水戸へ行って、のちの天狗党と諸生党との血戦でも沈黙を続けてしまうのかなあ。
 ありえない話ですが、そのようなことも思ってしまいました。

1301010613010107  私は昨日「妻のいうことが正解ではないのか」と言いました。だがもちろん、これは的矢六兵衛のことです。だが、加倉井隼人のいう「六兵衛は先の将軍慶喜ではないか」という思いには同意のようです。これは納得できないな。ただし、それは私がその後の慶喜の姿を知識として知っているからでしょう。
 妻の話が続きます。

 何と、的矢六兵衛の正体は前(さき)の将軍家その人にちがいないと申されますのか。上様は上野のお山の大慈院にこもられて、ひたすら恭順と見せかけ、実は御書院番士にすりかわっておいでだと。

 うーん、これは即座に否定してくれると思いましたが、妻も同じに思うようです。

 ああ、きっとそうですわ。すりかわった的矢六兵衛もすてきでございますが、その六兵衛様にすりかわった上様は、もっとすてきでございます。

 そうか、この奥さんもこういうのか。そもそも私は慶喜は少しも好きではありませんから、こんな慶喜であっても嫌いです。そもそもこ13010102んな冒険のできる人間ではありません。 しかし、この奥さんがいうと、私も少しはそうなのかと思ってしまいます。どう否定の言葉、事実が提示されるのでしょうか。それはもう誰か他の人の言を待つしかないでしょう。

1212230112122302  今日は加倉井隼人が驚くべきことを口にします。いやはやどうしたのでしょうか。でもまずその前にいくつかのことが書いてあります。

 内藤越前守と対峙しているうちに、彼がけっして飾り物の御留守居役ではないと知ったのである。とたんに、魔物のような想像が降って湧いた。

 この隼人の想像は最後の彼の口から出てくることなのです。でもこれは私がこうして書いているからこそ分かったことです。「魔物のような想像」というのは内藤越前守のことではなく、次の隼人のセリフにあります。

「いや、的矢六兵衛と称する御方にお訊ねいたす。もしやおまえ様は、前(さき)の征夷大将軍、徳川慶喜公にあらせられましょうや」

 私はこの「徳川慶喜」を「徳川家康」と読んでしまっていました。こうして書いてみてよく分かったのです。でもこれはもうものすごい思い込みです。
12122208 そんなことはありえない。そもそも徳川慶喜は実に気の小さい男です。いや私はそう思うのです。その後のカメラの趣味(とはいえないほど、実に熱心にやっていましたが)も私は評価できません。
 いやいや、私には家康もそれほど好きにはなれません。ただ武田信玄とかなり戦いましたから、その面では家康はものすごくやりきったのかもしれません。
 でもこれには、ちゃんと六兵衛は応えるのかなあ。

1212160112121602  尾張藩の加倉井隼人の上司が来て、この的矢六兵衛の有様を見て、力で六兵衛を引きずり出そうとします。場合によっては成敗するとまでいうです。
 でも隼人はその尾張藩のみんなを止めようとします。これは思いがけないことで、隼人自身も驚きます。でも六兵衛も驚いているようなのです。

 背うしろで六兵衛が溜息をついた。さすがに隼人の大見得は思いがけなかったらしい。

 これはたしかに驚いてしまうのです。

X12121503 いやむしろ、思いがけなかったのは隼人自身である。何を考えたわけでもないのに、体がさようにものを言うたのだ。

 隼人が見事です。またしても私は涙を流してしまいます。これで六兵衛が変化してくれないかなあ。それを私はものすごく切望します。

1212140112121402  津田玄蕃の話は終わりました。でも的矢六兵衛のことはそのままです。そして加倉井隼人には苦労して名簿を作成したのにだれもそれを視てくれないのです。

 加倉井隼人にとっていささか心外であったのは、苦心の末にようやく作り上げた勤番者の名簿が、まったく顧みられなかったことである。

 しかし、もっと隼人には心外であることはまだ何も解決されていないのです。それはやはり今も座り通づける的矢六兵衛のことなのです。田島小源太は次のように言います。「だいたい、だの、あらまし、だの」でやれば良かったというのです。

「しからば、小源太よ。あれもだいたいのうちと思うか」X12121307

 この隼人の言葉の先には、今も座り通づける六兵衛がいるのです。「帳付けとは少々わけがちがう」と小源太のいうとおりなのです。
 さてどうするのでしょうか。

 まだ今後もこの新的矢1212130112121302六兵衛の今の状態はそのままなようです。

「無念!」
 津田玄蕃はがっくり肩を落とした。

 そうなのか。まだ続くのですね。

 あまりに自信満々であったから、隼人はそれなりに期待はしていたのである。

 でも六兵衛はいささかも変わりないのです。最後にこうあります。

 六兵衛はわずかに顔を向け、段上がりの座敷から睥睨するように玄蕃を見くだしただけであった。X12121105

 なんだか、この私までがっかりします。この光景は見えるような気持になります。まだこの「黒書院の六兵衛」の物語は続くのですね。
 いやそれにしても、六兵衛も津田玄蕃と一緒になって彰義隊に加わるような事態にはなりそうもないことに、少しはホッとした私です。

1212120112121202  いつも毎朝この連載小説が気になります。

 さて、拙者が的矢六兵衛について知るところと申せば、あらましこれくらいでござる。

 いやこれだけ話してくれて嬉しいです。ただまだまだ分からないことがありますが、それは知らなくていいことなのだろうな。これで、新も旧も六兵衛のことは知れた気がします。

 厭離穢土欣求浄土、いざ松の大廊下へ!

 これでこの津田玄蕃は新的矢六兵衛を上野の彰義隊へ連れて行くのです。うーん、納得もしてしまうが、やっぱり分からない。私たちは彰義隊の結末を知っているわけですが、この玄蕃も「加倉井殿とやら。死地に赴く者に勲(いさおし)は不要ぞ」とまで言うのです。
 ここで靖国神社の大村益次郎の像を思い出しまし12121110た。この像の彼の目は薩摩を向いている(これは次に来る西南戦争を予想している)といわれますが、その前に、この上野のお山にも少しは目を向けたのじゃないかな。彼は簡単に彰義隊を打ち破るのですが。

1212050112120502 こうして思い出しても、まことに奇怪な話でござるのう。

 いや、読んでいますこちらの方が奇怪な思いばかりなのです。

 何となれば、絵に描いたごとき御書院番士の六兵衛に、一方ならぬ敬意を払うようになったからだ。

 だが驚くことに、この津田玄蕃は次の事実になります。

 ある日、まったく偶然に、元の六兵衛と出会ってしもうたのだ。X12120405

 ああ、この元の六兵衛家族のことも知りたいです。これは実にありがたいです。ただまた明日なのです。

1211240612112407  津田玄蕃にたいして、組頭の秋山伊左衛門が喋るのです。これで分かったのですが、玄蕃がいう六兵衛とは、新的矢六兵衛のことなのです。以下は玄蕃が秋山に言う言葉です。

「甚だ僭越ながら、一言申し上げます。的矢六兵衛殿には御家のご事情があって、みなさまのご不審も当然と存じますが、八番組中に有為の士と申せば、彼を差し置いてほかにはございませぬ。・・・・・・」

 だが秋山はそれを認めないのです。

 だが、御組頭様の申されることも一理ある。たしか12112401にお仲間は誰も彼も保身に汲々として、武士道も御書院番士の矜侍も忘れていたのだ。

 これで玄蕃のみが選ばれるのです。
 それで次の展開が待たれます。

1211220612112207  この新聞を手にとってすぐに読みました。津田玄蕃のいうことがものすごく気になったのです。

 上司お仲間のことごとく脱走した御城内にただひとり、あの的矢六兵衛が踏ん張っておるのでござるな。
 ・・・・・・。拙者はお仲間のどなたよりも六兵衛の人柄をよう知っているゆえ。

 そうなんだ。でも「六兵衛の人柄」というのは、新と前の六兵衛とどちらなのかな。この口ぶりでは今の新的矢六兵衛のことのようですが、そんなことも少しでも語ってくれないかなあ。

 拙者の行く先は、どのみち上野のお山しかござるまい。・・・・・・むろん六兵衛の行き先もほかにはござらぬ。・・・・・・。

 私なんかは、彰義隊の末路も知っているために、こ12112201うした誘いも嫌になります。いや慶喜について水戸に行っても大変なこと(水戸天狗党と諸生党との悲惨な戦があります)なのです。行ってほしくないですね。
 どうなるのでしょうか。

1211210112112102  この津田玄蕃の苦労をこの江戸城にいるすべては何も報いてはくれないのです。

「・・・・・・。お手前のご事情を察するに駿府脱走はけだし当然、責むる法がどこにござろう。とまれ、道中ご苦労にござった。とりあえずは御城内にて休息なされよ」

 せっかく駿府を脱走して、この江戸城に駆けつけたのに、その肝心の江戸城内は、もはやひどい有様なのです。ただ津田玄蕃とその郎党にはこの隼人の言葉は嬉しいです。所詮江戸時代の武士なんて、こういうものだったのでしょう。

「拙者もよくは知らぬが、たしか的矢六兵衛殿ーー」
12112010  隼人がその名を口にしたとたん、石段を昇りかけた津田の足がはたと止まった。

 ああ、この津田玄蕃によって六兵衛が変化してくれればいいなあ。そして彼の口から語ってほしいのです。

1211200612112007 この津田玄蕃はやはり気の毒に思います。なんかこの玄蕃のいうことには、私も涙を流す思いです。
 だが加倉井隼人には、この玄蕃にはやってもらいたいことがあるのです。
 隼人はこう想像します。

 なにはともあれ、あの的矢六兵衛の同僚である。・・・・・・。・・・このバカバカしいくらいの実直さは、六兵衛の気性に一脈通ずるとも思える。かつては気の合うお仲間であったやもしれぬ。12112008

 なんとか、そうであって欲しいです。でも、隼人が

 気の毒だが上野のお山に上がってもらうほかない。

と思うのを聞いて、「なんか冷たいな」と思いましたが、それは私たちがその後の彰義隊の惨めな壊滅を知っているからです。ここで私は靖国神社の大村益次郎像を思い出していました。だからこの時点では隼人にはその後のことは分からないのです。
 でも最後に12112001

 若党と中間どもは、いっそう声を絞って泣いた。

というところで、私もここで泣きました。

1211140112111402 この作品では15代将軍への幕臣たちの気持がそのまま書いてあります。何か緊急事態が起きたらしいのです。

 ・・・。寛永寺にてひたすら恭順するくらいなら、潔く腹を切っていただきたい、という声も耳にしていた。いや、実は多くの旧幕臣たちの本音はそれであろう。

 これは実に分かります。慶喜はいわば尊王攘夷派だったのですから、それで鳥羽伏見だったのですから、それで幕臣たちの気持はよく分かります。でもそうではありません。的矢六兵衛のことなのです。12111310

「帝鑑の間に、的矢六兵衛がおりませぬ」

 えっ、一体どうしたのでしょうか。それはまた明日になるのです。
 すごいいい小説だなあ。

1211130112111302 この新的矢六兵衛は何を考えているのでしょうか。

 六兵衛は答えなかった。広敷の隅に堂々と座っていて、遠く西郷の膝のあたりをじっと見つめ続けるばかりである。

 しかし、皮肉なことに次のように思えるのです。

 ・・・。たしかに勅使一行を迎えた旧幕臣たちは、みな尻尾を巻いて這いつくばっていた。武士としての正しい所作を弁えているのは、皮肉なことに六兵衛だけなのかもしれぬ。12111205

 この頃の西郷さんはこの小説で描かれているようだったのかなあ。西南戦争では何故か違ってきたような思いがします。
 でもこのときは、官軍の総大将なのです。

1211040112110402 読んでいてどうしてか涙が溢れる思いです。

 六兵衛がおもむろに顔を向けた。厳しく武張ってた面構えだが、心なしか悲しげに見える。

 最後にこうあります。

 言うだけのことを言うて、隼人は帝鑑の間を後にした。おのれのできることはこれまでである。

 これで勅使を迎えることができるのですね。
 私もこの隼人がいうように、勝安房をものすごく見直しました。私はいくつもの漢詩も全然よくないし、米国へ行った咸臨丸の中では船酔いで横になっていたばかりだし、狭い家に、妻と妾を同居させる(世界でこ12110308んな例はありません。私知りません)というとんでもない男だし、妻が「今度生まれることがあるのなら、けっしてこの勝とは会いませんように」と言ったという、それらみんな思い出しても、この隼人の言うことはもう充分に納得しました。

1210230112102302 やはり今日の伊左衛門の話でも、的矢六兵衛が旧と新が変わったことは分かるのですが、この新的矢六兵衛がそもそもどういう人物なのか、ということがつかめませんん。
 いや、この新的矢六兵衛が次のようなことは充分に分かります。分かってきました。

 洒落や冗談どころか、めったに口も利かぬ。居ずまいたたずまいは、御書院番士の手本じゃ。・・・・・・。
 太刀筋は直新影流(じきしんかげりゅう)と見た。誇らしいことは何ひとつ口にせぬが、免許者にちがいない。・・・・・・。
 もとの六兵衛に劣るところといえば、座持ちの悪さじゃの。無口のうえに愛想がない。いつも酒席の端で、独り酒を酌んでいる。・・・・・・。12102214

 やっぱり、ここらへんはいくら読んでも、この新的矢六兵衛のことは私にはすべて見えてきません。江戸時代の多くの武士たちがそのほとんど、いやすべて12102215が実にだらしのないものとしても(そしてそれは事実でしょうが)、この新的矢六兵衛が何故どこから現れ、どういう武士なのかは私にはさっぱりつかめてこないのです。
 今後読んでいけば、つかめてこれるのでしょうか。

1210190112101902 伊左衛門がいよいよ的矢六兵衛の家に直接出向きます。

 迎えに出たは若党であった。かねてより見知った者だが、もともと能面のごとき侍での、組頭の来訪はよほど意外のことであろうに顔色ひとつ変えぬ。さては、かくあらんと予測しておったのかとさえ思うた。

 ここの挿絵がこの若党です。これが実にこの小説のこのシーンの若党だと思えるものです。あとで単行本のときにも、この挿絵も入れてもらえないものかなあ。
 それで伊左衛門は、的矢六兵衛の御隠居夫婦と会います。この二人は、前と変わりない、旧的矢六兵衛の親夫婦なのです。でもこの夫婦は、いわば慇懃無礼です。
 伊左衛門はいいます。

「六兵衛はいずくにある」
 わしは言葉にきわまって、まっすぐに言うた。むろんその六兵衛とは、見知らぬ侍のことではない。的矢六兵衛を出せと、わしは迫ったのだ。12101705

 この伊左衛門によって真相が判明するのでしょうか。もう江戸城明け渡しは寸前に迫っています。どうなるのかばかりが気になります。

1210180112101802 この伊左衛門は的矢の家をよく知っているのです。今の新的矢六兵衛ではなく、その親の隠居を語ります。

 わしのよく知る御隠居などは、現役の当座いくらかの酒が入ると、大阪の陣におけるご先祖様の働きぶりを、わが槍のごとくに語ったものであった。
 気がかりはその御隠居であったな。

 この隠居ではなく、そもそもの的矢六兵衛が代わってしまったのです。

 ・・・。・・・、なにしろ、年が明けたらふいに配下のひとりが面相を変えていたのだ。交代したのではない。首がすげ代わった。
12101613 折しも稲荷町の大縄地にしんしんと雪の降り積む、暗鬱な晩であったよ。

 この日がここの挿絵に見事に描いてあります。絵を見ているだけで寒くなってきます。いやこれは実にすごい見事な小説ですね。

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