将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:目森窟

 目森窟 Memorix でこのUPがあります。

http://blog.livedoor.jp/kozymemory/archives/51345152.html
                         吉本さんの「太宰の場所」

 昨日の夜に目森さんからメールがありまして、この毎日新聞の記事を早速読んだものでした。そして目森さんのブログも読みました。

4e936b3b.jpg 太宰は抜群に文章の巧い作家で、戦前なら、1、2を争う人でしたし、戦後も、彼を抜いた人はいません。
 太宰の「軽さ」を別の角度から言うと、無一物の文章だからだと感じます。何も背負っていない。偉いとか、偉くないとか、そういうものがない。それは、生活的な場所での上昇がないという事で、生活はするのだけれど、理念的には生活がない。そういう「軽さ」です。
 そこで変幻自在さを獲得していて、時代劇で例えると、ふらりと出てきた着流しの浪人が、スパスパと腕が立つのだけれど、結核病みか何かで、酒をあおりながら、ゲホゲホして、途中で死んでしまう。
 その剣技の軽さを感じます。
 吉本さんは、本当に良いことを言っています。

 これだと、天保水滸伝の平手みきの感じですね。でも知っていれば、すぐにこの新聞(私はときどき吉本さん関連の新聞記事があると新聞販売店に手に入れに行きます)を買いに行っていたのでしたね。あ、でも、目森さんも知らなかったようです。
 やっぱり太宰はいいですね。私がいわば一番好きな作家かなあ。

 でも目森さんが迷惑なくらい長く電話で話してしまいました。

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「レジ袋削減協働宣言」への異議目森窟 Memorix/ さんが、行政が出てくるべきではない というトラックバックをしてくれました。

レジ袋は、生ゴミを捨てる時、コード類を小分けにして入れ、さらに大きな袋に入れる時の小分け用に使ったり、大小、使いでのあるものです。
 代わりに新聞紙をという言い方があるようですが、私は新聞を取っていません。どうしても新聞紙が必要な時には、わざわざ買って来なければなりません。(年に2度ほどですが、あります)

 今はもう新聞紙をとっていないという方が増えました。私なんかどうしても年寄りだから、新聞がどうしても必要なんですね。だから、「取っていない」という人がいると不思儀なんですが、私の二人の娘の家もそうです。もう新聞なんて、若い世代には、いらなくなっているのかなあ。
 でもここは新聞を購読しているか否かの話ではなく、生ごみをどう捨てるかということでした。私が電話して、生ごみをレジ袋に入れないと、何に入れて捨てたらいいのだという質問には、北区役所のUさんは、「例えば新聞紙に包んで捨てる」と言っていました。
 でも、私の5月18日のこの電話での問い合わせと文書による簡易書留での問い合わせにも、25日のきょうも返事も返信もありません。

優先順位を間違えると、環境問題は「正義」として暴走を始めるのです。環境がいいに越した事はありませんが、何をさしおいても最優先という事ではないのです。
 ヨーロッパでは、ひどい環境問題がいくつも隠蔽されたままになっています。中国の環境破壊も恐ろしいものです。日本の環境が、もっと良くなって行くのはいい事ですが、慌てて何かをする状態にはないのです。

 その通りです。中国の環境破壊は実にひどいと感じていますが、ヨーロッパもひどいものですね。ヨーロッパの河川には、魚はいません。みな死に絶えています。
 そういえば、ヨーロッパに派遣されていた新聞記者の方が教えてくれました。ヨーロッパの環境保護主義者の集会がいかに、平気でゴミをまき散らしているか教えてくれたものです。
 私が小学校1年のときに札幌市に住んでいまして、その小学1年の秋に、石狩川に家族5人でサケを取る漁を見に行きました。観光でやっていたのです。でも、サケは一頭も取れませんでした。たぶん、その1年前は取れたのかもしれません。その頃から川は非常に荒れ果ててきていました。
 でもでも、今は多摩川にもサケが登って来ています。人間が努力して環境をよくしてきたのです。この人間とは日本人です。

 私は今回のレジ袋の問題で、最初はまったく思っていなかったのですが、ここまできてみますと、この「レジ袋削減協働宣言」というものは、あたらにゴミ袋を私たちに強制的に買わせようということだと気が付きました。もうこのことは確信です。
 このことを私は認めるわけにはいきません。
 私はきっとそのうちに、私が頭をかいて、「あ、そうか、なんだ私の誤解だったんだ。申し訳ありません。私もレジ袋を使わないようにします」なんていう、いわば私のみっともないことになるのかなあ、とも思っていました。でもそうはならないことでした。
 私もあらためて、この問題の根本的な問題を考えてみたものでした。

「レジ袋追放の材料学的意味」  へ

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 目森窟このUP がありました。ここを是非読んでみてください。ちょっと私がまとめて書くことはできないのです。最後にこうあります。

 山本事件の後、検察官Tは特捜入りし、西松建設捜査に加わった。
 T検事は、西松建設捜査でも、強引な手法をとっているの声もある。
 T検事が西松の捜査指揮をしているわけではないが、こうした人物が加わり、野放しになっているという事が、現在の検察特捜の危うい体質を物語っている。
 小沢一郎民主党党首の秘書逮捕の背後に、東京地検特捜の問題点が指摘されているが、その危うい体質も、大きな問題点であろう。

 今の体制は、実に私なんか怒りを感じていますが、でもでもそれ以上に、何かものすごく怖い感じがします。実に強圧的なのです。
 私はそのことを感じているだけで、こうしてブログに書くくらいのことしかできないのです。

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 目森窟 MemorixこのUPがありました。
 次を読んでいましたら、

 一葉は同心の娘であり、中島歌子は水戸天狗党の志士の妻で、夫の戦死(あるいは自死)の後、和歌の道に入り歌塾を開くまでに精進した人だった。

 えっ、中島歌子という先生は水戸天狗党の志士の妻だったのか、となんだかものすごくたくさんの思いが甦りました

 塾生には、上流の子弟ばかりで、下町の庶民の子は一葉だけだったという。

 やはり一葉という方は、私にはとっても綺麗な人に思えます(一葉に関しては美貌だったいうようなことは一言も書いてありません。私が思いこんでいるだけです)。
 いや、それは切手や五千円札の彼女の写真を見て思うのです。でもちょうど5千円札があったので、それをスキャンしようとしたら、「銀行券とその偽造防止対策について」という文章が出てきてできないのでした。
 この岡井隆さんの本も読もうと思ったのですが、王子図書館にはないのでした。

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 目森窟 MemorixこのUPがありました。

 彼の自宅をどこまでも狭くしてしまう本と雑誌のことを書いています。

 まあ、駆け足じゃないと、この本は読み切れないなと、深みのある読書をあきらめる事にした。
 それにもうひとつ、つまらない本は、我慢して、とくかく読了するというのをやめて、途中で投げ出す事に決めた。

 もう私も大変です。でも、ちょうど1年前の3月に我孫子の自宅は整理しました。吉本(吉本隆明)さん関連とその他いくつかの本の他は、下北沢の古書店にすべて売りました。さすが、相手の店長さんは、これほど多いと思わなかったようでした。でも、ろくにちゃんと整理していなかったので、このときに売った本をまた古書店で探して、購入していたりします。
 それともう一番いいのは、図書館の利用です。
 それに大事なのは、目森さんが「つまらない本は、我慢して、とくかく読了するというのをやめて、途中で投げ出す事」ということです。
 もう私は、図書館で借りても、つまらないと感じたら、すぐに読むのを止めます。時間の無駄です。
 それと、ここでやっていますように、その本の目次他を書き抜きます。あとで、そこを見直しますと、何かしら内容が甦えるものなのです。
 それと、この頃、昔読んだ文学作品を、音声で朗読で聞いています。目で読むよりも、かえって時間がかかるようですが、耳で聞きながらだと、他のこともやれるし、電車の中でもいいので、なかなかいいですよ。

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「沙羅の花♪〜」へのコメントへのコメントへのコメント へさらに目森窟さんから次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜    2008年06月29日 00:49
 はい、危ないと言われれば危ないのですが、2Bやダイナマイトといった花火を投げあって遊んでいた感覚でしたので、その時には危なさを感じませんでした。
 2Bもダイナマイトの爆竹です。投げ返そうとした時に、手の中で爆発したりしてました。
 足立区の新田という町でした。
 ゴルフボールを池から拾ってキャディーに売った金をポケットに万何円も持っている小学生がいたり、一度だけでしたが、銭湯で水上生活者の子と隣り合わせたり、色々ありました。
 薔薇の刺は、手にくっつけてみたりもしました。花を知ったのは大人になってからで、子供の頃は棘にしか興味がありませんでした。自分でも不思議です。

2. Posted by 目森一喜    2008年06月29日 04:29
 少しずつ思い出して来ます。
 おでこです。おでこに、薔薇の刺をくっつけたんです。
 何かのおまじないだったのかな・・・?

 目森さんが、この足立区の新田(しんでん)の出身だということは聞いていまして、そのいくつもの思い出は聞いていました。もんじゃ焼きを、新田では、「ぼった」ということなど、不思儀な思いで聞いていたものです。
 私の今住んでいるのは王子です。この王子と足立区との間、隅田川と荒川に挟まれてこの新田というところがあります。川の間に挟まれた、いや川の中に浮かんでいる島のようにも思えます。今どんどんと宅地開発で、いくつもの大きなマンションが作られています。そうすると、新しい住民と、もともとの原住民の新田人との間のいろいろなことが起きてこないのかなあ、なんて思っています。
 新しい住民と原住民と言ったって、同じ日本人ですから皮膚の色や髪の毛が違うわけではないから、あとは、言語が少し違うくらいかなあ。普通の東京言葉と新田語の違いくらいかなあ。
 目森さんからは、台風のときに、新田一体が水びたしになったことを聞いています。昭和20年代後半、30年代前半のころかなあ。
 荒川の河川敷きに、ゴルフ場があるんだ。
 この新田は私は一度も行ったことがありません。私のところから自転車でいける距離なんですね。でも今も行く勇気がありません。北区って、足立区が隣なんだということを、今地図を見て確認しました。

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 目森窟このUP がありました。

21日、プロレスのグレート草津が死んだ。
死因は食道ガン。66歳だったという。
忘れていた人が、死んだ。

 え、驚いてしまいました。「忘れていた人」が急に甦ってきます。あの姿、あの声……、不器用な方だと思いましたが、彼がリング上でマイクを握ってアピールしている姿を思い浮かべます。
 TBSプロレスという団体で、草創のときのメインレスラーでした。でも不器用でした。身体も大きいし、アメラグ出身で、もっと活躍するのだろうと思いましたが、タッグを組んでいたサンダー杉山のほうが器用でした。でもやがては、この団体は国際プロレスと言って、ラッシャー木村をメインにしだしました。最初は東富士もいたし、豊登もいたし、それに一番強いのは、実は社長の吉原だなんてことも言われていました。
 でもいつも、「グレート草津はどうするのかなあ?」という思いがありました。
 なにもかもが、どんどん追いやられていく気がします。さみしいです

 合掌します。

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08022302「マルクス主義について」目森窟 Memorix/ さんから 周さんも大変です というトラックバックをいただきました。ゴトさんが次のように言っています。

無知が傍若無人に振る舞うのはよくある事だけれども、この人がそのたぐいでない事を願う。

 まったく同じことを思います。マルクスの「無知が栄えた例(ためし)はない」という言葉がありますが、そして吉本さんが使われるのですが、それはよく理解できます。
 私たちも、いや少なくとも私はもっと学んでいかなくてはならないのだといつも自分に言いつけています。

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『「新版 雑兵たちの戦場」を読みました』目森窟 さんがこのトラックバック をくれました。ありがとうございます。

 当時の戦争は、掠奪の機会ですから、戦えば、どこであっても徹底した掠奪が行われます。ローマ教皇の傭兵部隊がイタリアの都市を掠奪し、修道女を陵辱するなどという事が行われていたのです。

 これは、ヨーロッパや中東に限らず、中国でもこの日本でも同じでした。ただし、それが宗教の名においてなされていたのが、この日本とは違うところです。キリスト教徒が他宗教や異端の女性を凌辱するときに、この行為は相手に対していい行為をやっているんだという意識を持つようにしています。これは異端に対しても同じです。正しいキリスト教徒がわざわざやってあげているのですから。これはイスラム教徒も同じです。他宗教や異端に対しても、同じ行為をしていきます。残念ながらイスラムではそれが過去の話ではありません。また旧ユーゴでは、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、ついこのあいだの出来事です。
 ボスニア・ヘルツェゴビナではいかに多くの女性たちがセルビア正教徒に凌辱されたことでしょうか。ボスニア・ヘルツェゴビナのイスラム教徒というと、私たちから見ればもう完全な白人ですよ。同じ白人の女性をイスラム教徒の女だからと、神のためだと嘯いてよく凌辱できるものです。

「ダ・ビンチ・コード」で名前が知られるようになったバチカンの信徒団体のオプス・デイも、右翼と呼ばれる事がありますが、どこかでつながっているかと思います。

 私も「ダ・ヴィンチ・コード」は読みました。

周の雑読備忘録「ダ・ヴィンチ・コード(上)」
周の雑読備忘録「ダ・ヴィンチ・コード(中)」
周の雑読備忘録「ダ・ヴィンチ・コード(下)」

でも、私の印象は、あんまり面白くなかったな。というか、私は小説の中のあの事件すらよく理解できませんでしたよ。かろうじて、キリスト教の昔の歴史を少し読むことができて、面白かったという印象があるくらいです。
 ただきのうテレビの画面で、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵が少し出てきたことがあり、私はまたあの絵を思い出していました。やっぱり不思儀な絵ですね。そしてこのごろ、イエスはマグダラのマリアと結婚していたなんて話があり(ユダがイエスとの密約により、イエスを売ったのだという説も)、それがあの絵の中にもあるのかなあ、なんて私には思えてしまうのです。

ヨーロッパ騎士の愚劣さは、日本武士のくだらなさと同じようなものですが、日本の農民の力には、凄いものがありました。

 私はね、こう思い込んでいるのです。私の祖先たちは、約1,000年の昔、平将門様のもとで闘いました。だがしかし、平貞盛と藤原秀郷のために破れました。でも私たちの先祖は、そののちも普段は百姓をしながら、ずっと闘い続けました。一番良かったのは、平貞盛の子孫である平家を檀ノ浦に討ち滅ぼしたときです。それで鎌倉幕府を作りました。
 そののち、私の母方の先祖は、関ケ原では西軍で石田三成の直属で活躍しましたが、そのあとはずっと百姓になりました。父方のほうは、佐竹藩が水戸から秋田に改易になったときから、百姓として生きてきました。
 私の母方の祖父は、長男だったのにもかかわらず、「俺は百姓なんか嫌だ」と家を継がず、明治の時代に早稲田大学を出て、国鉄に勤めました。そしてそこであちこちを転勤して歩きました。だから私の母は結婚後は、日本中を引越してばかり歩いたのですが、子どものときは、あちこちの駅長になった私の祖父と一緒に、千葉県・茨城県をあちこち引越して歩きました。
 父方のほうは、私にはよく判らないのですが、とにかく戸籍を見る限り、もう茨城県のあちこちを引越して回っています。

 私の母方の祖父は、茨城の故郷に帰るときに、弟に無理やり継がせた家に戻るわけにいかないので、誰も使っていない荒れ地を開墾し、そこに大きな池を掘りました。その池で、「池州(いけす)の主(ぬし)」と言われたようです。今は、この池はずいぶん狭くなりましたが(何度も埋めたようです)、行って見ると、「よくこんな池を一人で掘ったものだなあ」と思いますよ。
 父方の故郷の家は、何度か行ったことがありますが、これまた不思儀です。大きな家なんです。そして今はそこにいる私の従兄が、実に世界的に有名になってしまったオーディオの収集家で、もうたくさんの昔のオーディオ(昔のナチスのニュースに出てくるようなばかでかいスピーカーのオーディオ)です。
 私の一族は、母方も父方も、実にみな波乱万丈の人生・世界だったようです。だから私は、私の家族・親族・姻族くらいは、静かに穏やかに生きていきたいと思っています。

幕府方では、新撰組が農民兵でしたし、薩長も農民兵が多かったですね。あるいは、下級武士が指揮をとっていたりもします。

 その通りですね。私は近藤勇は好きなところもあるのですが、彼が頑強に「俺は武士だ、サムライだ」と思っているところだけは嫌です。
 薩摩では、武士の数割合が多いですから、百姓は大変だったと思います。そして武士と言っても、その中の階級はさらに細かく、郷士であった桐野利秋は、昔鹿児島に出てきたときは、いつも上士たちに囲まれ、甲突川に投げ込まれたといいます。私は鹿児島(中学高校の頃)で、甲突川を渡るとき、そのときの桐野利秋の悔しさを思ったものです。喧嘩なら誰にも負けないのですが、そのときには桐野は手が出せないのです。
 だからこそ、そんな彼は西郷隆盛が好きになったのです。西郷は、そんな桐野を、階級に拘わらず可愛がってくれていたのです。

 なんか、思えば私はいつも関係ない話にまでいってしまいますね。

  『「新版 雑兵たちの戦場」を読みました』 へ

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 目森窟 MemorixこのUP がありました。読んでいまして、内容に頭にきていました。もちろん目森さんに腹をたてているわけではなく、こうした事実に対して私は昔から怒っていたものでした。
 具体的には、十字軍のときに野蛮な愚行を繰り返していてキリスト教のいくつもの騎士団と、イエズス会にも、そして日本の「武士」とかいう阿呆な連中に対してです。

 十字軍のときに、西欧の各国の軍団は、パレスチナにおいて、イスラム教徒を虐殺するばかりではなく、ユダヤ人も殺しまくります。堂々と、ユダヤ人の子どもを喰らった(これは本当に事実だよ。威張っていますよ)と書いています。また同じキリスト教徒だった、ギリシアの地を侵しまくります。彼らは、その歴史を今省みて羞しくないのでしょうか。
 また地中海のいくつもの諸島にも、この騎士団の土地が今でもあります。遠くロシアとバルト3国のあたりにも、彼らが作った国々が堂々とありました。

 そして私が大嫌いなのは、江戸時代に威張っていただけの何も働かない武士とかいう存在です。私はもう昔から大嫌いでした。今になっても、自分の祖先が武士だと威張っている人がいるのが私には、実に信じられないです。みな農民で必死に働いているなかから、源氏だ平氏だと、武家が出てきた時代はまだ許せます。でも江戸時代なんか、武家がさも偉いかのような錯覚をすべてに植えつけます。
 江戸時代は、時代が開始された頃から、ものすごく一揆が起きています。その動きを、少しは違う方向にもっていったのは、お伊勢参りなどの動きです。この多くの農民がお伊勢参りするときの勢いはものすごく、どこの武士たちも何も防げません。大坂を始めとするところにいる武士たちは、こんな嫌な百姓たちを大嫌いだったでしょうが、でも表面上は、彼らのごきげんをうかがい、ただひたすら彼らにこびへつらいます。武士たちは江戸時代を通じて、ずっと百姓を嫌い、恐れていました。
 私は私の先祖が、私の祖父祖母が、その父親母親、そのまた父親母親たちが武士ではなく、百姓だったことがとても得意であり、嬉しいことでした。

武士道が日本人の心だなどというデタラメを言いたがる馬鹿者は、目先のいくさに勝つために、人を売る精神性が日本人の心だと言っていることになります。

 まったく、その通りです。私は一貫として、「武士道」なんて言葉が嫌いですし、そもそも、そんなものがまったく好きになれません。宮本武蔵の「五輪書」はいくら読んでも、「何がいいの?」としか読めないし、「葉隠」は私は好きな書物ですが、読んだところ、いじいじとした武士が、少しはそれでも生き延びようということを書いたものにしか思えません。

 私の父も、私の双方の祖父も、300年500年の昔は、どこかで戦っていた武士でもあったとはいいましたが、江戸時代は、ずっと百姓で働いていた先祖たちに誇りを持っていました。
 そんな私の一族が私は好きです。武士なんて、私は少しも好きではありません。格好悪くていやですよ。

 でもねえ、今でも私より若い人でも、「自分の先祖は武士だ」なんて誇りを持っているらしく言うのを見ると(実際にそういう人はいるんですよ)、もう実にばかばかしくなってきます。

    『「新版 雑兵たちの戦場」を読みました』 の2 へ

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 私はスカイプを使うのに、使っている機器が スカイプ対応電話帳 スカイプ対応電話帳 の2 に書きました「スカイプ対応アドレス帳 - BT-MG2」を使っていました。常時パソコンを我孫子自宅・事務所・いつも背負っている鞄の中のノートパソコンの3台なので、それぞれにスカイプを入れておくと、多くのコンタクトの整理整頓が大変なのです。
 でもこの機器を使えば、ただいつももっていれば、それをどのパソコンのUSBにさして使えます。「これは便利だ」と思っていたものです。

 でもこれはスカイプのバージョンが、2.0(だったと思う)から2.5にするのに、一体どうしたらいいのかということが分らなくなって発売先のバッファローに電話して聞いたところ、この機器では「バージョンアップはできない」と聞いて、最初は「ああ、そうなのか」とがっかりしましたが、でも「それはおかしいな」と思いまして、自分でどうやらやりきりまして、2.5にアップできました。ただ、その次の3.0にバージョンアップすることができません。どうしても、この機器に新しいバージョンが入らないのです。
 これは間違いなく、私の能力がもう馬鹿で阿呆になったのでしょうが、でもできないと困り果てます。時間ばかりかかって、少しもできませんでした。
 でも、「他のUSBメモりならできるんじゃないかな」と思いまして、USB接続フラッシュメモリ PFU-2TS2G に入れることにしました。そうすると簡単にできてしまいました。
 これで私はスカイプのバージョンが3.00.2.11(だったと思います)になりました。

 ところが、本日 目森窟 Memorix の目森さんとスカイプで話しながら、彼がいうスカイプのソフトが私には使えないのです。私は「ツール」の「さらに活用」が使えません。おかしいなと思いまして、彼とバージョンを確かめ合うと、彼のは「3.00.2.14」でした。もう私のは古いのです。
 でもそれでバージョンアップするのですが、途中で郵便局に手紙出しに行きましたり、かつ西安の少女ともチャットしていたり、そして夕食も食べましたので、その時間を見つけ出せません。それにやっぱり馬鹿になっている私の頭です。バージョンアップが、USBメモリのあるIドライブにできません。「あれ、俺って、本当に馬鹿になったなあ」。

 でも途中で、わが家のおかあさん2007.02.10 にも書きましたように、郵便局の前で、目森さんとロジテックの携帯端末でスカイプができて感動しながら、そして食事もして、西安の少女にも、李白の「子夜呉歌」の詩句を書いたりしながら、そのうちに私の馬鹿さが少しとれて、見事できました。
 そうすると、私のバージョンが「「3.00.2.16」になりました。
 これはもう感激しますよ。もう3.0とは大変に違うものになっています。

 ぜひともスカイプをお使いの方はバージョンアップしてください。
 目森さんとも話しましたが(こういう友人がいるといいですよ、一人でやっていたら、このスカイプの素晴らしさを確認することができません。よくそれが分らないのです)、これはもうパソコンというものが、一人でこつこつとやるものではなく、友人や家族等と一緒になってやるものだということが実によく分ると思います。
 もうこれでいろいろなことをやっていきます。

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06122101 私の 夢の中の日常「ケータイとウィルコム」目森窟 Memorix の目森さんからトラックバックをもらいました。

 一方、勝元も、ともに維新を戦った大村と袂を分かち、敵対する所まで隔たってしまっている。
 明治天皇は、勝元に共感しつつ、大村一派に周囲を固められている。幾重にも入り組んだ距離のドラマを体現しているのが明治天皇である。
 自らの立場を自嘲気味に口にする場面があるが、その含みは、孝明天皇の暗殺だと思う。

「うーん、そうか」と唸っていました。私は「孝明天皇の暗殺」のことは少しも考えていませんでした。
 おそらく昭和天皇の2・26事件への際断は、この自分のひいおじいさんの孝明天皇のことがあるかと思っています。昭和天皇には、自分がぐずぐずしていたら、孝明天皇のようになってしまうかもしれないという思いがあったのではないか、そしてすぐに自分は秩父宮に替えられてしまうのではないかという思いがあったのではないでしょうか。
 もちろん、2・26の将校たちには、そこまでの思いはありません。でも思えば、皇道派よりも統制派のほうがそこまでやりきる雅量をもっていたかもしれないな。
「ラストサムライ」の中で、明治天皇のそばにいたのが、大村(間違いなく大久保がモデルでしょう)だとすると、あの映画の中の明治天皇も実に複雑な思いだったでしょうね。

 それにしても、目森さんが書いてくれて嬉しかったです。あの映画に関して、「あんまり面白くない」とか「よく日本の歴史を誤解している」なんていう意見を聴いていたものでしたが、私は見ていて、実に「なるほどなあ」なんて感心していたのです。そしてトム・クルーズ(ええと俳優名ではなく、その登場人物名で考えるべきなのですが、私はそれはよく判らなかった)は、カスター将軍がやったスー族の大虐殺を知っているのですから、彼は「この日本ではそんなことをさせないぞ」という思いがあったのだと思います。

 明治維新から、まだ150年が過ぎていないわけですが、どういうふうにいいつくろっていくのかな。
 やっぱり私には日本の歴史は判らないことだらけです。

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 目森窟このUP がありました。

 今日、スカイプで会話をしました。
 2本の通話をしたのですが、一人は京都で、一人は王子です。
 京都と無料で、無内容にダラダラしゃべりました。
 これからはコレだ。電話はタダだと、つくずく感じました。
 設定も日本語で簡単だし、これはいいです。 
 あなたもスカイプをどうぞ・・・と、すっかり宣伝してしまいます。

 それで私もスカイプのことを書いて宣伝して、もっと多くの方にやってほしいのですね。
 ただし、私のほうは、「プライバシー」で、「コンタクトリストのユーザーのみ」の設定にしています。
 なにしろ、外出していないとき(あ、他の会社行きましてもパソコンを使うときが多いから、そのときは事務所にいるときと同じです)はパソコンで、常時インターネットに接続しますので、オープンにしていると、実にたくさんの方からの呼びかけがあるので、仕事にならなくなってしまうのです。
 でもできたら、私の友人やクライアントの方には、ぜひスカイプをやってほしいものです。
 この日にもたしか次の日も目森さんとも話したし、また 閑人閑想 のきくちさんとも話しました。
 でも私の何人もの友人に、メールで「スカイプやろうよ」とスカイプのURL教えても、まずやってくれないのですね。

 それで私とスカイプで、お喋りしたいという方は、私にメールいただけますか。私は現在58歳のおっさんなので、若い方と急にお喋りできる度胸がないのです。
 前もってメールいただければ、ちゃんと時間を見て、お話できるだろうと考えています。
 でもメールを出しても、私と同じ年代から15歳くらい下までは、インターネットをやるという人がなかなかいないですね。いえ、インターネットはできるのでしょうが、パソコンでインターネットを通じて、連絡を取り合おうという方が実に少ないです。いや下手したら、皆無に近いですね。
 できたら、何人かで、会議といいますか、お喋りをしてみましょうよ。そしてそれをそのうち公開しましょうよ。

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