将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:目黒孝二

11090802 今きゅうに、昨日の1月17日というのは、「金色夜叉」にて、貫一がお宮と熱海の海岸で別れた日だと思い出しました。あの別れというのは、実は「金色夜叉」のいわば最初の最初の方の出来事なんだよね。あれから物語はさらに展開する。私は割りと好きな小説です。それで小説は一応終わったのですが、あまりに人気が高く、なおかつ貫一とお宮がどうなるのかというので、尾崎紅葉は「続金色夜叉」を書きます。さらに「続続金色夜叉」を書き、さらに「新続金色夜叉」を書きます。そこで作者の死により、この小説は未完となります。貫一とお宮が復縁するのかな、というようなところで終わってしまうのですね。ちなみに、貫一はお宮のことを、「宮(みい)さん」と呼ぶんですね。なんだか好きになれる呼び方です。

 私は1年に300冊の本を読むことを、自分に課してします。ところが1昨年も昨年も貫徹できませんでした。とくに昨年は、自作パソコンやこのホームページ作りもあったせいか、とてつもなくノルマにとどきませんでした。今年は少し必死に読んでいこうかなと思っています。1カ月25冊読めばいいのですから、それほどのことはないのです。「本の雑誌」の編集長目黒孝二さんは、このノルマは1年に1千冊だといいます。これにはかなわないなあ。でも目黒さんは、読むこと自体を仕事みたいにしているからなあ。
 私にとっての本を読む一番の場所は、通勤の電車の中です。とくに帰りの電車の中で単行本なら1冊の8割くらいまで読み終えることができます。帰宅して、ビール飲むときにはまた別な本を読みますが(硬い表紙の本でないと、片手で持てないのです)、パソコンを打ちながら読んだり、最後にベッドに入ってからまた少し読んだりします。こんなことで続けられれば、1カ月25冊のノルマは超えられるのですが、そうはいきません。飲みに行ったり、それからたった今のように会社に泊まって仕事ということもあります。それと今回のように風邪をひくと、電車の中で座れると、なんだか眠ってしまいます。
 それでこうして読んでいった本を、感動した本に関してはその「書評」を残しておきたいと思います。そうすると、さらにその本の理解が深まります。ところが、これがまたたいへんです。ある程度まで書いて、そのままになっている本の書評がそれこそたくさんたまってしまいます。そこで、今後はもうただ「本の備忘録」ということで、読んだ本の内容と少しのメモをとにかく残しておこうと思います。そして、それに付け足していって、ある程度自分で満足できたら、各「書評」の部屋に格納しなおそうと思います。この書評ということでとっておくのは、実にいいのです。この自分の書いたことから、またその本を読み直すのにも、他の人に紹介するのにも、簡単に入っていけます。
 とにかく今年はそんなことでやっていこう。本を読むノルマを果たしていこうと思っています。昨年も今年も、とにかくなんらかのことを記しておきたい本はたくさんあります。たんなるメモだけ記してある本がたくさんあります。書き出したいところのページを折ってある本がたくさんあります。あれらの本を書き出して、そして元にもどして、そしてできたら整理して、古書店に売り払いたい。そうしてはやく我がパソコンの周囲を軽くしたいものです。(99/01/18 23:55:50)

11052606「本の雑誌」の発行人目黒孝二さんは、私がいつも本の紹介を参考にしている人です。椎名誠が昔勤めていたあるデパートの業界誌の後輩で、その縁で今「本の雑誌」をやっているわけです(椎名誠は「本の雑誌」の編集人)。たいへんな読書家というよりも、「活字中毒者」とまで言えるほどの、読書好きです。

書 名 活字三昧
著 者 目黒孝二
発行所 角川文庫
1996年1月25日第1刷発行(92年9月に単行本として刊行)

 実は、私はこの人と本を読むことについて競争をしている気が少しありました。だが、この本を読んで、「もうまったくこの人には足もとにも及ばない」と分かりました。この人は、年間1000冊の本の読破を目指しているというのです。目標が1000冊ということは、きっと950冊くらいは実現できているわけでしょう。私は年間300冊を目標にして読んでいるだけです。これはもう、問題になりません。
 しかも読む量の問題だけではなく、この本を読むと、著者の読む本の種類の幅の広さにも驚きます。そしてその幅に広さの一つ一つの中で、さらに深く深くその中に入り込んでいくのです。そしてその幅が広いということが、たくさんの著者の本やいろいろな業界の本を読むということだけではなく、各社の文庫本のことでも、過去数度あった文学全集のブームのことでも、実に詳しく迫っていくのです。
 たとえば、彼の蔵書のことではないのですが、次のようなことを書いています。

  数年前に、ある読書人の書棚を見て感心したことがある。その
 人は数多くの文学全集の中からディケンズの巻だけを買い、自分
 の書棚にディケンズ・コーナーを作っていたのだ。これが見事だっ
 た。
  中央公論社・世界の文学から『大いなる遺産』、筑摩書房・世
 界文学体系から『荒涼館』、集英社・世界文学全集ベラージュか
 ら『リトル・ドリッド』、河出書房・世界文学全集グリーン版か
 ら『二都物語』『クリスマス・キャロル』、講談社・世界文学全
 集(昭和42年スタート)から『オリバー・トゥイスト』、同・世
 界文学全集(昭和49年スタート)から『エドウィン・ドルードの
 謎』、新潮社・世界文学全集(昭和2年)から『世の中』、同・
 世界文学全集(昭和35年)から『デイヴィット・コパフィールド』
 と、各社から一巻ずつ買い求めると、ディケンズの代表作の大半
 がそろってしまうのである。
  これはディケンズだから出来ることで、他の作家ではこうはい
 かないだろう。        (「大ロマン全集を待望す」)

 このような関心を持つこと自体が私にはすごいことだなと思ってしまうのです。私は、「リトル・ドリッド」「エドウィン・ドルードの謎」「世の中」の3つの作品は読んでもいませんし、作品名すら知りませんでした。「ディケンズ全集」というものが刊行されていないのですから、私も「荒涼館」とか「デイヴィット・コパフィールド」は、上の全集で読んだ(「荒涼館」は筑摩でも「文学体系」ではなく、2段組みの文学全集だったと覚えている)のですね。あとは、文庫本やその他で読んだものだと思います。
 私はディケンズが特別に好きだというわけではありません。ただ、英語をやっている人が比較的接することの多い作家であることで「知らないとまずいかな」なんて思いで読んできました。私が英語ができるわけではないが、内容を知ってりゃいいだろうなんて思いだったのです。あるときにアルバイトで使った学生が、卒論で「デイヴィット・コパーフィールド」をやっていたというので、「読んでいて良かったな」と思ったものです。いろいろと話すことができたからです。なんとなく、私のもつ思いと、目黒さんのもつ本への思いも似たとこもあるのではないかと思ったところなのです。なんとなく、作品を楽しむとか、その作家が好きだということではない、こだわりなのですね。
 しかし、それにしても目黒さんの年間1000冊の量と私の300冊では、かなりな差があるものですね。悔しいのですが、「俺はその差700冊分を、大酒飲んだり、詩吟やっているんだぞ」ということで、自分を慰めています。(1997.08.15)

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