11093010 私は泡盛が好きです。とくに与那国の「どなん」はいいですね。この「どなん」で思い出したことがあります。
 私の友人にこの与那国で何年か生活していた小木君というのがいまして、彼が持ってきてくれて飲んだのが最初だと思います。
 この小木君もまたどうしようもないくらいの酔いどれでした。彼との付き合いも大変に面白いことがあります。彼は与那国から酔ってどうしようもないくらい長い手紙をくれたことがあります。彼は本当は絵描きでした。与那国の自然の中で、農家の仕事を手伝ったりしながら、彼は絵を描いていました。
 彼は私の2年下のある活動家の高校時代の友人で、私たちのサークルの1972年の夏合宿で赤城山寮で初めて会いました。
 会って飲んだら、これはまた大変な酒飲みで(でもあのときは行った全員がそうだったな)、その酒癖の悪さに感動したものでした。ちょうど私の3年下の後輩の女の子であるT・Tさんという娘を、同じサークルでもないのに連れていきましたら、ある晩に、雨の中彼は彼女にずっと外で絡んでいました。彼女は酒はあまり好きではなく(といってもよく飲むんだけど)、当然酒飲みも嫌いということでしたから、この初対面の小木君には辟易したようです。外から戻って来たときに、彼女の髪は雨でびっしょり濡れていました。可哀想に。
 でもそれからいろいろとあって、一緒に飲むときにいつも一緒にいるようにしていたら、二人は何故か惹かれあったようです。でもどうにもならないうちに、彼が突然与那国へ行ってしまい、もう就職してしまっていた彼女はいつも飲むときに、

  与那国へ行って、小木と会ってこいよ

という私の言うことに、いつかその通りしてしまいました。彼女が与那国へ来ているときに、彼はまた長いわけの判らない手紙を私にくれたものです。
 この与那国で、彼と彼女は結ばれました。そして今は二人の子どもがいます。今は東京で、彼女は教員で彼は彼は(何しているんだっけな?)、とにかく生きています。でも当時は彼女が与那国へ行くのも、けっこう勇気がいったと思うんですね。
 この彼女も芯の強い元気な女の子でした。私が4年生のときに、ちょうど70年で、彼女がいつも自分のクラスを組織して学内デモをやっているときに、先頭で旗を振っていた姿を今もありありと思い浮かべます。また、彼女は総て自活していましたから、私たちが行くレストランでウェイトレスをしていたものです。よく働きながら、学生運動もやれたものです。
 でもあんな真面目で酒を飲むことに否定的だった彼女があんな酔いどれと一緒になれたものです。今でも、彼女と電話で話すと、「酔っぱらいはどうしようもない」と自分の亭主のことを言っています。従って、私も亭主と同じ種類の人間だそうで、彼女にとってはこれまたどうしようもないない人種のようです。
 与那国の青い海を見ながら、彼女のヌードを絵に画いている小木の真面目な顔を想像してしまいます。そんな時の二人はとても真面目ないい顔をしていたのではないかな。なんだか私はとっても嬉しい。そしてこの二人がとても好きになってしまいます。
 またそのうちに彼彼女と会って飲む機会を作りたいなと思っています。