将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:短歌行

1409291214092913
 私はこの曹操がものすごく好きです。最初は高校2年の時にたしか5月頃「吉川英治『三国志』」を読んだときから、好きになりました。それまでいわゆる「純文学」でものすごく感動していたものでしたが、これを読み始めたときに、この曹操の魅力に取り付かれました。
 それ直前には「山岡荘八『徳川家康』」を本屋で立読みしていたのですが、「なんだ、これは各古典をそのまま訳しているだけじゃないか」と思ったものです。そして次にこの三国志で曹操の魅力に取り付かれました。もちろん、これも授業中にひたすら読んでいたものでした。
 そして大学の漢文の授業で最初に教えられたのが「曹操『短歌行』」でした。私は秩父の埼玉大学の山寮に行きましたときに、山の中をこの『短歌行』を口ずさみながら歩いていたものです。

   短歌行   曹操
  對酒當歌 酒に対しては当(まさ)に歌うべし
  人生幾何 人生幾何(いくばく)ぞ
  譬如朝露 譬(たと)えば朝露(ちょうろ)の如し
  去日苦多 去日(きょじつ)苦(はなは)だ多し
   …………………………
14092911
 もちろん私は全文を読みあげたものでした。その後、曹操の詩は、ほかの詩もみな知りまして、すべて好きになっていったものです。
 そして、私は曹操の息子である曹否の詩も読み、また好きになっていきました。そしてもちろん曹植の詩も好きです。みな私のこの将門Webに書いています。
 曹否の詩を読んで行くと、いつも「こんなに見事な詩を作るなんて………」と思うのですね。そして曹植の詩もいつも驚いてしまうのです。おそらく唐の時代に杜甫という詩人が現れなかったら、いまでも曹植の詩は世界最高のものといわれていたでしょう。
14092914
 そしてでも、この曹否と曹植の父親である曹操の詩を思うと、これまたものすごく感動してしまうのです。
 この三曹の詩はいつも私の心に頭にあります。忘れることはけっしてないでしょう。
14092910


10120901  私が「三国志」の中で誰が好きかといわれたら、躊躇なく「それは曹操だよ」と答えてきました。吉川英治はこの三国志の主役といったら、前半が曹操、後半が諸葛亮孔明と言っています。これはまったくそのとおりだといえるでしょう。前半が曹操以下たくさんの英雄たちが中国の大地を好きかってに動きまわるのにくらべて、孔明が出てくると、何故か生真面目な世界になってきます。孔明という白面の学問青年に、あれほどの英雄豪傑を抱えた曹操がどうにも手がでません。いや魏の勢力だけでなく、周瑜以下の呉の豪傑たちも、孔明にはふりまわされます。それどころか、関羽や張飛まで孔明の前では、なんだか成績の悪いただの暴れものの生徒のような感じになります。「やっぱり四書五経以下きちんと勉強したものが最後は勝つのだ」と、後世の私たちまでいわれているような気になってしまいます。
 私は孔明も好きなのですが、それは実はこうした戦争の達人としてえがかれていることよりも、彼の真っ直ぐさ、劉備への愚鈍なまでの敬愛を感じるからです。孔明はむしろ軍略家としては、司馬懿仲達よりも2段くらい下だと思われます。正史「三国志」で、蜀の生まれである作者があまり孔明を評価しないのは、かの「孔明泣いて馬謖を斬る」の事件のときに、正史の作者陳寿の父親を責任者として罰したことにあるわけなのですが、この事件をみても、何故このような戦略戦術のイロハを守れない馬謖などが一軍の将だったのでしょうか。曹操以下の幕僚たちには、この程度の将はたくさんいたのです。それが実際には曹操と孔明の力量の差であり、孔明が仲達には勝てなかったところだと思います。
 それに比べて曹操の存在の気持ちのいいことったらありません。彼ほど派手に戦争に勝利する英雄もいないように思いますが、同時に彼ほど派手に戦争に敗北した英雄もいないのではないでしょうか。まあこのことは吉川英治もいっているわけですが。
 しかしここではこうした三国志のことを書くことが目的ではありません。私は詩人としての曹操を見てみたいのです。曹操の二人の息子、次男の曹丕、三男の曹植とともに『三曹』と呼ばれて、三人とも詩人として名高いのですが、なにかあると紹介されるのは曹植の詩が多いようです。私はいつも、「なんで曹植ばかりなの、もっと曹操の詩を紹介してほしい」という気持ちでいっぱいです。私はなんといっても曹操の詩、とくに「短歌行」という詩が好きなのです。

  短歌行   曹操
 對酒當歌 酒に対しては当に歌うべし
 人生幾何 人生幾何ぞ
 譬如朝露 譬えば朝露の如し
 去日苦多 去日苦だ多し
 慨當以康 慨しては当に以て康すべし
 幽思難忘 幽思忘れ難し
 何以解憂 何を以て憂いを解かん
 唯有杜康 唯だ杜康(註1)有るのみ
 青青子衿 青青たる子の衿(註2)
 悠悠我心 悠悠たる我が心
 但爲君故 但だ君が故が為に
 沈吟至今 沈吟して今に至る
 幼幼鹿鳴 幼幼として鹿鳴き
 食野之苹 野の苹を食う
 我有嘉賓 我に嘉賓有り
 鼓瑟吹笙 瑟を鼓し笙を吹く
 明明如月 明明たること月の如き
 何時可採 何れの時にか採るべき
 憂從中來 憂いは中より来たり
 不可斷絶  断絶す可からず 
 越陌度阡 陌を越え阡を度り
 枉用相存 枉げて用って相存す
 契闊談讌 契闊談讌して
 心念舊恩 心に旧恩を念う
 月明星稀 月明らかに星稀に
 烏鵲南飛 烏鵲南へ飛ぶ
 紆樹三匝 樹を紆ること三匝
 何枝可依 何れの枝か依る可き(註3)
 山不厭高 山は高きを厭わず
 海不厭深 海は深きを厭わず
 周公吐哺 周公哺を吐きて(註4)
 天下歸心 天下心を帰す

 (註1)杜康 初めて酒を作ったとされる人物。ひいては酒のことをいう。
 (註2)青衿 周代の学生の制服。ひろく知識人に呼びかけることば。
 (註3)月が明るいために星が稀に、我が威力に群雄が影をひそめたようだ。かささぎが南へ飛んでいくが、樹を三たびめぐっても、依るべき枝がない。それは、ちょうど劉備たちが身を寄せるところもなく南へ敗走した姿のようだ。
 (註4)周公吐哺 周の周公旦が天下の人材登用の熱心のあまり、一度食事する間に三度もいったん口に含んだ食物を吐きだして、人と面接したという。

 蘇軾が「赤壁賦」において、

  灑酒臨江横槊。 酒を灑(したしん)で江に臨み、槊を横へて詩を賦す。

と読んだ英雄曹操の詩がこれです。まさしく赤壁で槊を横たえ詩を賦す曹操の姿が目に浮んできます。しかし大事なのは、この詩を賦す姿が魏の武将たちの姿なのです。こうした詩人の姿はこの時代に現れたわけです。
 曹操は自分たちの幕僚との間に「友情」といった感覚をもっています。こうした感情は過去にはなかったものなのです。諸葛孔明の「出師表」

  先帝創業未半、而中道崩徂。今天下三分、益州罷敝。此誠危急存亡之秋也。(先帝業創めてより未だ半ばならずして、中道にして崩徂す。今天下三分して益州罷敝す。此れ誠に危急存亡のときなり。……)

を読んでいると、どうみても、孔明と劉備の間に「友情」というようなものを感じることはできません。だが曹操の詩には、そうした感情が顕れているのではないのかと私には思えてきます。
 こうした曹操の気風が建安の七子(偶然6人まで曹操の幕僚たち)といわれる詩人たちにも流れています。
 詩の意味を見てみましょう。すこしよく読みこまないと、曹操の悲壮慷慨の気が判からないかもしれません。

 酒を飲むときには、大いに歌うべきだ。
 人生なんかどれほどのものか。
 朝露のようにはかなく短く、
 過ぎ去る日のみ多いものだ。
   (ここまで読むと、どうもそれほどの英雄の詩とも思えません。なにつ
    まらなく愚痴ってるの、というところでしょう)
 思いのままに歌うがいい。
 だが憂いは忘れようがない。
 何でこの憂いを消し去ろうか、
 ただ酒が有るのみだ。
   (ここまでもただの酔っぱらいのたわごとです。私たちの飲み方とそう
    変わらない。いや私たちよりくどくどしているようにも思えます)
 青い衿の学友諸君!
 わたしのこうした心は、
 君たちのなかにすぐれた才能を見いだしたく、
 今までひたすら思い続けてきた。
   (ここで一転、恋の歌のようになる。そうなのだ、曹操は士を恋うる英
    雄なのです)
 鹿は幼幼(ゆうゆう)として鳴きながら
 野のよもぎを食べている。
 そんなようにわたしは大事な友人とともに
 琴を鳴らし、笛を吹いてみよう。
 明るく輝く月の光は、
 いつまでも手にとることはできない。
 心の中からくる憂いは、
 絶ち切ることはできない。
 だが君ははるばると遠いところを、
 わざわざこうしてきてくれた。
 久し振りに飲み語らって、
 かっての友情をあたためよう。
   (憂いがなんだろうと、友がはるばるたずねてくれば、こうして飲み語
    りあかすのだ)  
 月明らかに星稀な夜、
 かささぎが南に飛ぼうととして、
 木のまわりを三度めぐり、
 依るべき枝をさがしあぐねている。
   (こうして劉備たちは南へ逃げていく、考えてみれば旧勢力である蜀漢
    と、こうした新しい感性をもった曹操たちの違いなのだ。結局劉備た
    ちは曹操とは飲み語る友情というような感覚はもっていないのだ)
 山は高いほどいい。
 海は深いほどいい。
 昔周公は食事の間も食べたものを吐き出してまで、士に会って応対した。
 だから天下の人が心をよせたのだ。
   (どんなに途中に山や海があろうと、そうした友である士を私は求める
    のだという曹操の心なのです)

 こうした曹操の心は、吉川英治「三国志」では「恋の曹操」という章で、関羽に心をよせながら、関羽に去られてしまう曹操の悲しさを描いています。吉川英治「三国志」のなかでは、私が一番好きなところです。曹操は自らの幕僚たちに、「友情」という感性で接することができた最初の英雄なのです。だから、曹操は負けても負けてもたくさんの幕僚たちは彼のもとで戦い続けるのです。ちなみに曹操の幕僚たちはみんな好きですが、私は張遼が一番好きですね。
 この「短歌行」は詩吟で吟うことはありません。まあ詠って詠えないことはないでしょうが、少なくとも、詩吟の譜がついているような詩ではないですから、自分でやらなければなりませんね。できるでしょうけれども。詩吟でやるよりも、私と飲むとときどきぶつぶついっていることがあったら、「酒に対しては当に歌うべし、人生いくばくぞ、たとえば朝露(ちょうろ)の如し……」と、この詩をつぶやいていますから、できたらきいてみてください。(1992.10.10)

 この詩が今では私の一番好きな漢詩です。いやいくつも好きな漢詩はあるのですが、いつも私の心の中でつぶやいている詩は、この詩が一番多いのです。曹操の存在思いをこの詩が一番顕していると私には思えるのですね。(2010.12.09)

 曹操の「短歌行」がなんと言っても一番知られているわけですが、曹丕にも同じ題名の詩があります。

  短歌行   曹丕
  仰瞻帷幕  仰いで帷幕を瞻(み)
  俯察几筵  俯して几筵(きえん)を察(み)る
  其物如故  其の物故の如く
  其人不存  其の人存せず
  神靈倏忽  神霊倏忽(しゅくこつ)として
  弃我遐遷  我を弃(す)てて遐遷(かせん)す
  瞻靡恃靡  瞻(み)る靡(な)く恃(たのむ)靡く
  泣涕連連  泣涕(きゅうてい)連連たり
  幼幼遊鹿  幼幼として鹿遊び
  銜草鳴麑  草を銜(ふく)み麑(げい)鳴く
  翩翩飛鳥  翩翩たる飛鳥
  挾子巣棲  子を挟(さしはさん)で巣棲(そうせい)す
  我獨孤煢  我独り孤煢(註1)
  懷此百離  此の百離を懐う
  憂心孔疚  憂心はなはだ疚(や)ましく
  莫我能知  我を能く知るもの莫(な)し
  人亦有言  人も亦言える有り
  憂令人老  憂え人をして老いしむと
  嗟我白髮  嗟(ああ)我が白髮
  生一何蚤  生ずること一(まこと)に何ぞ蚤(はや)き
  長吟永歎  長吟永歎し
  懷我聖考  我が聖考を懐う
  曰仁者壽  仁者寿なりと曰うも
  胡不是保  胡(なん)ぞ是れ保せさる

10120606 (註1)孤煢  こけい。曹丕には何人も兄弟がいたが、いわば仲が悪かったから、このように言ったのではと思う

  頭をあげてたれ幕をみる
  頭をさげては机や敷物を見る
  父のものはそのままで変わりないが
  だけど父はもう存在していない
  父の霊魂はもうたちまち
  私をすてていってしまった
  今はもう父を見ること出来ず頼むことも出来ない
  ただ泣いて涙が絶えない
  ようようとないて遊ぶ鹿は
  草を口に含んで子の為にないている
  ひらひらと飛ぶ鳥は
  樹木の枝に巣を作り雛を抱いて育てている
  それなのに私は孤独だ
  こんなに寂しい訣ればかりを悲しんでいる
  こうしたことを思うといたくつらくなり
  だがこの私の心を誰もしらない
  昔の人がいっている
  「憂いの気持が人を老えさせる」と
  ああ、私の頭がどうして白髪になるのだ
  声を長く詠い
  聖徳をもった我が父を思えば
  「仁者は長く生きる」と「論語」ではいうが
  どうして我が父はこのとおりにならなかったのだろうか

 この詩は建安25年(220年)正月に洛陽で曹操が亡くなったときに、次を継いだ曹丕が作った詩です。曹操は66歳で亡くなりました。曹丕はこのとき34歳でした。「どうして、こんな早く俺を置いていくのだ」という曹丕の父への愛情を感じてしまいます。
 このあと、同じ年の10月に、曹丕は漢の献帝の禅譲により、正式に帝位につき魏の文帝となります。
 おそらく曹丕は、父曹操の死を悲しむあまりもあったでしょうが、父の「短歌行」も念頭にあったはずです。父の詩は万年に残るだろうが、私だって、その父を憶う詩をこそこうして父と同じ題名で作るのだという思いがあったのではないでしょうか。
 曹操が偉大な存在であったからこそ、曹丕も懸命に努力するわけです。だが、どうして俺がまだまだこれからというときに、あなたは私から去っていってしまうのだという曹丕の気持が私に切々と伝わってきます。
 私は曹操の「短歌行」がおそらく漢詩の中では一番好きですが、この曹丕の「短歌行」も父曹操を思う心を深く感じまして、好きになってしまうのです。(1996.11.02)

 あるとき、自分の父が亡くなり、その一周忌の法要のときに、この詩を書いた私の文章を捧げたいという希望が、その娘さんからありました。私は快く了解しました。きっとその葬儀会場では、彼女の父を思う気持が、曹丕の父曹操を思うこの詩を掲げてくれたことで、よく分かったのではないかと私は思ったものです。(2010.12.07)

fc960df6.jpg

 私は次女ブルータスにずっと手紙で漢詩を紹介してきました。昨年の10月15日からです。それで昨日の28通目は、「曹丕『短歌行』」を紹介しました。
 これで私の知る限りの曹丕の詩はすべて紹介しました。次からは、曹操の詩を紹介します。
 ただし、私は曹操の詩も大好きなのですが、いよいよそれも終わったら曹植の詩にしないとなりませんね。私は曹植の詩については自信がないのです。
 でも『短歌行』は、曹操の詩もいいですが、曹丕の詩もいいですね。このごろ、そのことをますます感じています。

 それに昨日の夜は、私が次女に手紙した「陸游『釵頭鳳』」を読み直していました。やっぱりいいですね。そしてどうしても涙を流していたものでした。

続きを読む

cbddac4d.jpg

 きょうも手紙を持って行きます。きょうは、曹丕の詩を紹介しました。以下の3つです。

   短歌行   燕歌行   釣竿

 さてさて、きょうは長女おはぎが来てくれます。おはぎは、私には一見厳しいのですが、でも実は大変に優しい娘です。でもでも、いつも私がだらしないから問題なのです。
 でも私の本心は、こんな娘を持つことができて、ただただ嬉しいばかりです。

続きを読む

0d467386.jpg 妻は4月28日に入院して、私はその翌日から和紙で手紙を書いて持って行きます。
 でも29日30日は遠慮してA42枚でした。ただ30日は1枚の行数を増やしました。でも思えば、私が手で持っていくのだから、切手代も関係ないのです。それで昨日はA4で4枚書きまして、きょうは5枚になりました。
 いえなに、書いているといいましても、私は漢詩の紹介をしているだけです。どうせ私の娘たちは、「そんな手紙もらってもママが可哀想でしょう」というばかりです。
 あのねえ、そんなことないのよ。
 昨日は、「陸游『釵頭鳳』」を紹介しました。きょうは、「曹操『短歌行』」を紹介しました。
続きを読む

19062b84.jpg

 陶淵明の「飲酒」の三番目の詩です。

   飮酒 其三  陶淵明
  道喪向千載 道喪(うし)はれて 千載に向ふ
  人人惜其情 人人(じんじん) 其の情を惜む
  有酒不肯飮 酒有るも 肯(あ)へて飲まず
  但顧世間名 但(た)だ顧(かへり)みる 世間の名
  所以貴我身 我が身を 貴ぶ所以(ゆゑん)は
  豈不在一生 豈(あ)に 一生(いっせい)に在(あ)らずや
  一生復能幾 一生 復(ま)た能(よ)く幾(いくば)ぞ
  倏如流電驚 倏(はや)きこと 流電の驚くが如し
  鼎鼎百年内 鼎鼎(註1) 百年の内
  持此欲何成 此(こ)れを持して 何をか成さんと欲する

  (註1)鼎鼎(ていてい) 年月が速やかに過ぎ去る形容

  古代の聖賢の教えが失われてしまってから千年になろうとして、
  だれもが、本当の気持ちを出し惜しみするようになった。
  うまい酒があっても飲もうとせず、
  ただ世間体ばかり気にしている。
  我が身を大事にするわけは、
  人間の一生の内にこそ在るのではないか。
  その一生は、またどれほどの時間があるというのだ、
  その素速さは電光の流れ去るに驚かされるようなものだ。
  速やかに過ぎ去る人生は百年以内のことだ
  世間体ばかり気にしていて一体何をしようというのだ。

 曹操の『短歌行』を思い浮かべます。

   http://shomon.net/kansi/sansou1.htm#tanka 曹操『短歌行』

 私にはこの詩は、実に大好きな詩です。曹操の詩として真っ先に知り、真っ先に覚えたものでした。

  對酒當歌 酒に対しては当に歌うべし
  人生幾何 人生幾何ぞ
  譬如朝露 譬えば朝露の如し
  去日苦多 去日苦だ多し
  慨當以康 慨しては当に以て康すべし
  幽思難忘 幽思忘れ難し
  何以解憂 何を以て憂いを解かん
  唯有杜康 唯だ杜康有るのみ

 曹操は、唯だ杜康(酒)が有るのみだと言っています(ただし、この詩は「酒があるのみだ」と言っているわけではないのです)。おそらくは、陶淵明も、この曹操の『短歌行』のことはよく知っていたことでしょう。「有酒不肯飮」とは、過去・現在・未来の私ともおいに違う存在です。
 思えば、少し前の時代の曹操のこの詩のことを、陶淵明も何度も詠んでいたことでしょうね。ただし、もう陶淵明は、このときには田舎田園で過ごしている人生になっているのです。
 いやどうしても、同じ時代、近い時代に生きた、陶淵明と曹操の思いをどうしても比べてしまいました。

続きを読む

cb5845c7.jpg
 私の 三曹の詩 の 曹丕「短歌行」を紹介してくれているブログを見つけました。la piedra preciosa というブログで 素敵すぎる!! というUPです。
 以下のように書いてくれています。
 
すごく素敵なサイトを発見しました。
どうしても曹操らの詩が読みたかった私には嬉しいサイト様。
詩や書き下し文を紹介してはるところは何サイトか見つけたけど、
訳まで載せてくれてるのは初めて!!
数は少ないけど楽しませてもらいました。
それからこの管理人さんの解説も見事!
私の好きな感じの文章を書かれる方だなぁと。
というわけでこのサイト様にちょっと通おうかと思ってます。
勉強になりそうなことがいっぱいありそう!
 
曹操の詩も素敵やったけど私はこの曹丕の「短歌行」という詩が好き。
父・曹操が亡くなったときに詠ったそうです。
 
 曹丕のこの詩が好きになってくれるのは、実に嬉しいです。もちろん、曹操の詩も「素敵」だと言ってくれています。
 たしかに、この三曹の詩はどれもいいですね。もっと私のところで、この三曹の詩を紹介していかないといけないなと思いました。ただ言い訳をしますと、けっこう漢詩を紹介するのは大変なんですね。漢字が出てこないものがあるのです。私のメルマガの 将門Webマガジン で毎号漢詩を紹介するようにしていますが、この漢字のことがとても大変です。
 でもこうして読んでいただける方がいるのは、実に嬉しいです。今後も将門Webマガジンでも毎号漢詩を解説してまいります。それをメルマガ配信後、 周の漢詩塾 のいくつかのページにUPしてまいります。
 どうもありがとう。
続きを読む

↑このページのトップヘ