将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:神田まつや

11102308 本日二日酔いの身体で事務所に出ていると、いろいろ手紙等々をもらった中で、素敵なものがありました。
 不当な地上げに対して、当り前にかつ雄々しく闘っていて、私もさまざま関わっているお店なのですが、その裁判等々の報告の手紙の中に、次のようにありました。

  そば屋と酒の関係というのにちょっとひとうんちくという様な
 文章がありました。よろしかったら萩原様に御覧いただきたいと
 思いまして。

ということで、勝見洋一という方の「蕎麦屋で酒を飲む」という長文のエッセイが同封してありました。これがまたたいへんに感動する文章なのです。もう全文ここにUPしたい気がしてきます。

  冷静に考えてみると、蕎麦屋に行きたい時は酒が飲みたい時で
 ある。

  まず冷や酒をコップで一杯、すいっと飲み、玉子焼か何かを作っ
 てもらって、もうちょっと飲みたい気分になって、ぬきを注文す
 る。

  この丼を左手に持ってたまにぐびっと飲みながら、だらだらと
 いつまでも右手の酒を飲む。

  こんな酒の楽しみを関西人たちは知らないに違いない。

  日本橋室町や巴町の砂場へ行くと、もり蕎麦を食べる前に酒と
 ぬきを注文することにしている。

  それにしても、どうして近頃は客が蕎麦屋で酒を飲まなくなっ
 てしまったのだろう。

  そうなのだ、蕎麦屋とは手っ取り早く酒を旨く飲ませる店だっ
 た。蕎麦を食べさせたいために、蕎麦屋はいい酒を入手して出し
 た。酒が旨かった証拠に客は蕎麦を食べて帰ったのだ。

  飲む、という漢字をそろそろ、呑む、に替えなければいけなく
 なった頃、満を持してもり蕎麦を注文する。

  蕎麦のつゆは蕎麦とのからみあいもあって、香よりこくのある旨
  味を採る。鰹節の風味は、最後に蕎麦猪口に残ったつゆに蕎麦
  湯を入れて薄めたときに感じればよい。

 さまざま蕎麦のことが述べられています。私が飲む蕎麦屋といったら、「神田まつや」でしょうか。神田の「薮蕎麦」でも飲みますが、なんとなく当り前に店に入って、当り前に延々飲んでいるのはどちらかと言えば「神田まつや」があっている気がします。私はよくここへ親しい友人のデザイナーと入って、それこそ延々飲んでいます。もうお店の仲居さんも覚えてくれていて、それこそ当り前の世界になっています。
 私にこの文章を送ってくれた蕎麦屋さんも、たいへんに蕎麦が旨いのです。私はあの店がそばにあったら、いつでも酒が飲めるのになと思っています。
 でも、私がそばにいて、いつも来られたら、いやがるだろうな。

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 長女家族と飛鳥山のふるさと北区区民まつりへ行きました で書きましたが、私は昨日王子の「榎そば越後屋」へ行って、少しお酒を飲みました。でもあそこのお酒は何というお酒なんだろうか。
 私は蕎麦屋でお酒を飲むのが好きです。よく神田の藪蕎麦や神田まつやで、お酒を飲んで、蕎麦を食べてします。この藪蕎麦では、学生のときからよく飲んでいたものでした。
 でもけっこう有名な店でも、この「酒を飲む」というのが、なぜだか変なことのように思われているのかなあ、と思ってしまう店も、ときにはあります。また、何故か知られた店であるはずなのに、全然お客の入っていない店もあるものでした。

 あるところで、パソコン通信の仲間とある蕎麦屋に入って、天種を注文したら、「天だねって何ですか?」と言われたことがあります。呆れた話ですが、「あ、もういいから、ただ天麩羅をあげてきて」と言ったものでした。
 でもこれからも蕎麦屋でお酒を飲んでいきます。でも神田の2つのお店だけじゃつまらないんだよなあ。

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今神田の藪そばです」は、ちょうど神田の神保町を歩くことになりましたので、私は須田町の「神田まつや」に入ろうと思いました。もちろん、お酒と蕎麦が目的です。でもちょうど午後1時少し前なのですが、いっぱいの人で、まだ立って待っている人もいたので、私はすぐそばの「神田薮蕎麦」まで歩きました。私はこのごろは「蕎麦で飲む」ということだと、このまつやのほうがこのみなのですが、でも仕方ありません。
 でも独りで入った、「神田薮蕎麦」もやっぱりいいです。
 私はちょうど35年前、私が大学6年のときに、ある女性とこの店に入ったときのことを思い出しました。

ああ、あそこに和田善太郎先生が座っていたのは、もう35年前のことだ。

というのは、そのときに私たちが座敷に座って、当然飲み出したら、何故か和田先生が英文学の西田先生と私たちのとなりの席にいました。あまりの偶然ですが、当然ご挨拶しました。
 それで、たしかその年に、なんかのときに、埼大の教養学部の英文学の部屋(どこの教授の部屋だったかは覚えていない)に行ったときに、私はこの西田先生に会って、そこにあるスコッチを飲み出して、からみ出しました。
「アングロサクソンの文学なんかやる奴はそもそも間違っているんだ。それから薮蕎麦では、そもそもせいろと天種を頼むのは判るが、天麩羅そばはおかしいよ」と快気焔をあげました。でもそこにいる英文学の学生は、私に何もいえません。ところが、西田先生は、私の前にいて、私のどうでもいいアングロサクソンの悪口を黙ってききながら、そのうち私が手にもっていて盛んにあおっているグラスを指さしました。「君は、そんなにアングロサクソンを貶すが、なんでこのスコッチを飲んでいるんだ」ということなのですね。酒癖の非常に悪い私も、その場でいっぺんに謝りました。「アングロサクソンはよくないが、このスコッチを作るのは偉いです」というわけなのですね。
 思えば、私たちはこの英米文学(和田善太郎先生はアメリカ文学の専門でした)だけではなく、仏文の先生とも、またなにかくだらないことで絡んでいたなあ。
 あ、もっといえば、別にこうしたところだけではなく、理工学部で、無機化学の先生とかにも迷惑をかけていたものだなあ。

 もうあのときから35年がたっているんだ。
 きょう、私の藪蕎麦での席から、座敷を見て、そこでいくつものことを思い出していました。あのとき私が座っていた席には、60代の方が飲んでいて、またビールとお酒を追加して頼んでいました。
 私はその席で飲んでいたいくつものことを思い出していました。私の中学時代に同じく生徒会をやっていた女の子が、たしか20数年前に来たことがあり、私はこの席で、彼女の誕生日が3月15日で、ちょうどその日だったから、なにか素敵な何かを贈りました。彼女は鹿児島から出てきていて、この薮蕎麦のあとまた彼女に必要な本を探したものでした。そういえば、彼女に手紙を書いていたから、きょうのたった今は手にして読んでいますね。

 ただ、私はこの前に「神田まつや」に入ろうとしたときに、ある人にケータイをかけていました。彼もよくここで飲んでいるはずなのです。でも自宅にいたから、一緒に飲むのは無理でした。でもその彼に今夜手紙を書きます。それで、とにかくケータイメールをできるようにしてくれということを書きます。
 そうすれば、またいくつものことが話せます。

 私はいくつものことを思い出していて、せいろと天種とお銚子2本を口にしました。なんだかひさしぶりでした。今度はやっぱり、まつやでもっと飲みたいな。

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