将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:神田明神

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 私は例年ならいつもこの神田神社(ここのサイドバーにバナーが置いてあります)へ行くのですが、もう足が悪いので、私の妻だけにお願いしました。もちろん1年お世話になりましたおふだは収めました。ただものすごい時間がかかったようです。神殿の前で手を合わせるまで御茶ノ水駅から実に2時間かかったようです。もう足が悪い私では大変なことでした。
 いつもの通りお札(ふだ)をお願いしまして、お守りも今後持ちます。
 例年ここは初詣で行っているわけで、こうして私がいけないのは、何十年ぶりのことです。毎年湯島聖堂にも行くのですが、今年は私がいないので、やめたわけです。
 ここにお札を掲げます(もう私の部屋とリビングにはかかげ、お守りはリュックサック内に掲げます)。
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 昨日の神田明神が記憶に残ります。

2014/01/05 06:13昨日は神田明神へ行きました。ただいつも入っています湯島聖堂に入れなかったのが少し残念でした。ここは開くのが10時からなのですね。ばあばと私は少し入ったのですが、そのことを知りまして、駅へ行きました。そのあとばあばは日本橋高島屋へ行きまして、私はヨドバシカメラ秋葉原へ行こうかとも思いましたが、自宅へ帰ってきました。
 今日は8時30分に出発して東十条黒松へいきまして、草月(黒松というのかな?)を買いまして、帰りに9時30分にコージーコーナー王子店でお正月のケーキを買い10時には自宅へ帰ってきます。ちょうどその頃ブルータスとじゅにが来てくれます。おはぎもポニョとポポと来てくれます。ナオキ君は文教大学へ行きまして、ミツ君とポコ汰はお熱のために、家で待機です。
 ただし、明日6日に誕生日ケーキ(ポコ汰は1月3日で7歳なのです)を私が届けます。


 今日みんなが来る(ただし、ミツ君・ポコ汰・ナオキ君が来られません)のです。私はじゅにに会えるのがとても嬉しいです。

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 昨日は神田明神へいけなかったので(有楽町の火事のため)、今日いきました。

2014/01/04 12:08今日は神田明神へ行きました。あんなに空いていた神田明神は初めてのことです。
2014/01/04 18:13明日は、私の家族10人のうち参加できるのは、

  おはぎ、ポニョ、ポポ
  ブルータス、じゅに
  じいじ、ばあば

の7人になります。ミツ君とポコ汰は上中里の家にいます。ナオキ君はこの家にブルータスとじゅにを届けて、そのまま文教大学へ向かいます。
 私は東十条の黒松へ朝9時に行きまして(9時開店です)、ブルータス用の黒松を買いまして、そのあと王子のコージーコーナーで9時30分に年賀ケーキ(10個いり)を買います(これは予約しています)。それで10時に自宅へ帰ります。ブルータスとじゅにが10時にきますが、ナオキ君には会えないかもしれません。
 ばあばはいちごも今日日本橋高島屋で用意してくれました。
 それでこの日は楽しくすごします。
 この日はブルータスとじゅにはナオキ君が迎えに来て、帰ります。おはぎとポニョ、ポポも自宅へ帰ります。14010402
 翌日は10時から11時にポコ汰用のケーキが来ますので、私がそれをおはぎの家へ持っていきます。これは冷凍されていますから、それを解凍しつつおはぎの家へ持っていきます。ただもともとは大勢を予定していたので、大きなケーキです。
 これらはみなデジカメで撮りますね。


明日は懸命に動きます。そして娘や孫たちと楽しく過ごします。

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 随分昔のことになりますが、この画像はブルータスが7歳のとき(正確にはまだ6歳ですが)に我孫子の北星神社でいただいたものです。
 北星神社は、天之御中主(アメノミナカノヌシノミコト、日本で一番最初の神で、天照大神より古い神様です。
 ここの神社へは何度も行っていたのですが、最初は古い神社でしたが、あるとき綺麗に改築されて、この七五三でも実によくやってくれたものです。私が天之御中主のことをよく知っているので、神主さんに喜ばれたものでした。
 これはどうしても持っていたくて、でももう随分経過したので、今年は納めて焼いてもらう気持ちになりました。それで今日神田明神で納めました(この前のものはどこの神社へ納めてもいいのです)。明日ブルータスが来てくれますので、教えてあげます。

 でも実はおはぎのポコ汰が具合がよくなく(昨日今日とお医者さんへ行きました)、じいじとしては気が気じゃなくていたのでしたが、とにかく明後日6日にはポコ汰7歳の祝いのものを持って行きます。14010504

 この画像はインターネット上で北星神社のサイトから私が勝手にここに載せました。

13122502 こうしてまたポメラを打ちます。

2014/01/03 04:45ここに新聞が入る音で私はすぐ取りまして、真っ先に「波止場浪漫」を読みます。
2014/01/03 05:51こうしてポメラを打っていけることは嬉しいです。私は「『書き言葉』と『話し言葉』」ということで、今からは「書く」ことだと思っていたのでしたが、書くマシンはパソコンでないとこのポメラとIS01しかないので(ガラパゴスもCASIOのEX-wordXD-N6500は書けないのです。いやそれほど書けない)、困っていました。読むマシンならKobominiでもキンドルでもいくらでもあります。
2014/01/03 06:35今日は神田明神へ行きます。初詣です。将門様に新年の挨拶をするのです。


 将門様に新年の挨拶をするために参ります。

13010307 ポメラへ書き込むのがこれだけになってしまいました。

2013/01/03 07:19昨日の神田明神への初詣行きで妻は疲れたようです。でも私も疲れたのかな。朝目覚めるのが遅かったです。

 いくつものことを思い出しています。でも思い出すだけじゃなく、書かないとダメなんですね。私は「話し言葉、書き言葉、読み言葉」ということを思います。私は書き言葉を一番に考えているのです。吉本(吉本隆明)さんを思います。

13010215 昨日は妻と二人で神田明神へ初詣に行きまして、そこで「さざれ石」を見たものです。

2013/01/02 19:16神田明神へ初詣に行きました。もう毎年30年になるでしょうか。
 でもずっと家族4人で来たものでした。昨年(この年はじゅにが千葉子ども病院に入っていたのです。それで私は元旦に朝10時頃面会に行きました)は、ばあばと二人で213010216日に行ったものでした。
 思えば、昨年のことはよく記憶にありません。たぶん私のこのポメラの記録を読み直せば分かっていくことでしょう。この「周のポメラ」か「周のISDNブログ」を読めば分かると思います。
 神田明神に「さざれ石」がありました。ものすごく嬉しいです。

 これがわが国の国歌である「君が代」で歌われています「さざれ石」です。

1301020813010209  神田明神へ行きます。初詣です。毎年私はここへ行っていま13010210す。
  ここでもどこでも私はいつも将門様を思います。 
  今日はとてもいい天気です。さて将門様には何をいいましょうか。

12021003 会社の年賀状をさきほど450通だしました。あと100通ばかりで終わりです。それからあと家族の年賀状を250通から300通だせば終わりです。宛名面だけは、印字が速いから簡単です。
 それといくつももらいましたメールへの返事を書いています。だんだん、こうして「メールで年賀」というのも増えるのでしょうね。
 2日の神田明神は、とてもいいお天気で、暖かくて爽快でした。私の親族家族の健康を祈りました。明日5日は、私のクライアントの社運隆昌を祈りに神田明神に参ります。(01月04日 09時19分)

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 1月3日の19:10に届いた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2012/1/3 【No.2145】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 元気になった わが友と 近くの神社に 参拝する時

 元旦に初詣に出かけたのですが、すごい人出で なかなか階段の下から上に上がれないため あきらめて帰ってきたその後に 体調を崩し寝込んでしまった友が また元気になって一緒に初詣に行けるといいな。

 私は初詣はいつも神田明神です。私は「将門Web」というとおり平将門様をずっといわば信仰しているのです。神田明神は将門様が祭られているのです。でも主神からはずされて(戦前ではいわば現天皇を否定する神とされました)、実にNHKで将門様のドラマをやってくれて復活したのです。
 私は壇ノ浦で滅んだとかいう平家は好きになれませんが(もちろん、頼朝の源氏も大嫌い)、将門様は、昔からずっと信仰しているのです。
 私はだから、将門(しょうもん)Webなのです。

たのしみは 荷物を極力 少なくし 記憶の範囲に 生活する時

「あれはどこにやった?」「?」ってことの多い日々。もっと持ち物を減らすべきだと思うこの頃です。これから少しずつ実行していきたい。

 私も今このことが多いですね。私も前には、リックで重いノートパソコンを背負って、どこででもインターネット接続していましたが、今はIS01でどこででも接続し、書いています。昔のノートよりはるかに手軽です。電車の中で、ノートを開いている40代のおじさんが可哀想になります。

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 ばあばと私でじゅにに会いに行きました。ブルータスとナオキ君にも会いましたよ。

2012/01/03 12:19ここに11時45分のバスに乗って来ました。今はばあばがじゅにを抱いています。
 じゅには少し泣いています。たぶんお腹が空いたのでしょう。もう少し待ってね。
 お昼の時間は13時なのです。
2012/01/03 12:32今ここにいたはずのプーサンの一人がいないことをばあばにいいました。私のデジカメ内の画像を見てばあばは納得です。ここには、お義母さんがたくさんのキャラクターの人形を持ってきて、またいくつも持って帰るようです。
 もう大きくなって、私のブログでいくつものキャラクターの写真を見てほしいです。それでその時にも私が解説説明してあげます。
 今日は神田明神へもいきます。私の神の将門様に、この私の孫のじゅにのことをお願いにいくのです。
2012/01/03 12:58じゅにが眠らないで、じいじが眠ってしまいます。じいじはしょうがないねえ。
 体温は6度7分、血圧は76です。
 今お薬を入れて、次がお昼です。
 でもなんだかお昼が前より少ないなあ。中身が前より濃いのかなあ。
 でもやっぱり元気です。活発になった感じですね。
2012/01/03 13:55私は食事をしてきました。ばあばの作ってくれたお弁当です。

 じゅにはとても元気になったように思えています。早く退院にならないかなあ。

 私が以下に書きましたことです。

 私が神社に行くとき

11063006 このことをまた今年も思います。誰も自らが置かれている困難な情況に、どうしても負けそうな気持になってしまうことが多々あるかと思います。ただそうした気持のときに、私がこのUPで書きましたように、

 私がいつも神田明神へ行きましても、神様に何かをお願いするのではなく、なんらかの決意表明で行くのです。正月には昨年の報告と、今年やり抜くことの決意を表明しに行くのです。

ということが大事じゃないかと思うのです。
 これはとくに商売をやっている人は大事な姿勢だと思っています。そして、とくにこの神田明神は、そういう会社や人が多いのではないかな、なんて思っています。会社の全員をつれて参拝したあと、参道のどこかの店で、お酒を飲んでいる会社をよく見ます。その中心にはたぶん社長がいます。私はいつもいい光景だなと思っていますよ。

11011302 今年のお正月は、天気はいいし、私も体調もいいし、私の各クライアントも苦労しながらもなんとか切り抜けられそうだし………、それに珍しく昨年31日までに全部の年賀状を投函できたしと、なんだかいい気分でいたのですが、4日の夜に体調を壊してしまいました。5日は1日中寝ていました。電話かける元気もなくて、ただ寝ていました。本日もお休みしてしまいました。でも明日からは、またやりぬくぞと、だんだん気合いを入れています。
 4日は事務所へ出て、いろいろ整理して、神田明神に参りまして、そのあと友人のぱらむさんの会社へ行きまして、愉しく飲みまして、かつ次の日に、大事なことをやりぬこうとぱらむさんの提案で、それこそのりまして,さらに気合いが入っていたのですが、自分の事務所へ帰って、そのことばかり考えていまして、思えば、このときが良くなかった。暖房も入れずにいろいろなことをしていたもので、気がついたら夜の12時をすぎていまして、それであわてて帰りましたが、次の5日の朝にベッドから起きれない状態になりました。身体を冷やしすぎたようですね。もう年ですね。肉体が消耗すると、気持も駄目になってしまいます。
 私はいろいろな方から、「いつも元気ですね」と言われるのですが、いやはや、もう身体がなかなかいうことをききません。今回もよくよく考えると、年末はずっと眠らないでいましたから、それが身体を冷やしたことで、いっきに出てきたのかななんて思います。ただ、身体が弱ると、精神も萎縮してしまうので、まともに分析できません。

 1日はいつも母の実家へ行きます。ここへ弟の一族もきます。兄の娘も結婚していますが、子ども2人を連れてきます。それで今年は私の娘二人は大阪へ行っていましたから、少し寂しいのですが、でもにぎやかな元旦の風景です。私はただただ飲んでいます。ノートパソコンで、母に娘のホームページを見せたり、姪の4歳の子どもゆうちゃんと遊んだりして、実に愉しいときを過ごせました。姪の旦那も酒好きなので、私は少しは勢力が増えました。いつもは評判のいい弟(この男は酒を飲まない、テニスをやる)が、ゆうちゃんのパズルをもとに戻せなくなり(ええと、むかしのルービックキューブみたいなもので、私が買ってあげたのだ)、ゆうちゃんが泣き出して、評判を落としました。 夜遅くなって、私の二人の娘が帰ってきまして、またお喋りして、朝4時すぎまで起きていました。それで2日は、また母の家に娘を連れていきまして、すぐに神田明神に初詣にいきます。私は神田明神には毎年2日に、家族親族の健康を祈りにいきまして、4日か5日には、私のクライアントや私自身の会社や友人の健康と繁栄を祈りにまいります。
 そういえば、2日は神田明神にお猿さんがいたな。
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2000ete42000ete5  デジカメがあるといいですね。家族の写真もいくつか撮りました。そしてその足で妻の実家へ向かいます。ただし、娘二人は買い物に行くということで別れました。「あいつらは元気だな」と夫婦で言い合います。
2000ou1 そうえいば、妻の両親は東京北区の王子に住んでいるのですが、王子の柳田公園を通りまして、その風景も撮りました。

 思えば、この柳田公園というのは、1968年2月3月の「王子野戦病院闘争」のときに、最初に各党派が集会を開いたところでした。もうまったくその面影はありません。ただ、ここを通るたびに、あの頃のことを思い出します。
 この王子の妻の実家では、私は不思儀なほど眠りました。義父にノートパソコンで娘二人のホームページを見せたりして、酒を飲んでいるうちに眠ってしまいました。

 でもまた、3日になって帰宅して、またあんまり眠らないまま、4日になって、会社へ出かけてしまいました。
 4日の神田明神は、なんだか、太鼓を叩いているグループ(伝統芸能みたいだったな)がいて、そして暖かくていい雰囲気でした。
 そこで携帯電話がなって、ぱらむさんの会社へ行って、元気に飲み出したのは愉しく良かったのですが、早く帰宅すればよかった。その後、ぐずぐずといろんなことをやっていましたから、こうして体調を壊してしまいました。

 それから、今年の年賀状を見ていて思いました。パソコンで作っていると思われるのが、自宅へ来たうちちょうど約半数あります。それから、「この人はインターネットをやっているな」と確認できる人、想像できる人も、約半数います。つまり年賀状をパソコンでは書いているが、インターネットはやっていないとか、逆に年賀状は印刷屋さんだけれど、アドレスが書いてあるとか、あと個人的によくメールくれるとかを勘案すると、約半数がインターネットをやっていると想像できました。元旦に自宅にもらいました、私および妻あての年賀状は140通だったのですが、そのうち67通がインターネットをやっていると確認できたり想像できたりする友人や親族でした。ただ、3日4日5日と来る年賀状では、だんだんインターネットもパソコンも関係ないだろうなという方が増えてきます。一般にパソコンをやる人のほうが、年賀状ははやめに出すようです。最終的にはどうなるでしょうかね。たぶん、45%くらいがインターネットをやっているというようなことになるのではないかと想像します。昨年よりは、それこそ圧倒的に増えましたね。これが娘たちの場合だと、この年賀状から判断できるインターネットしている人の確率はもっと高くなります。
 確実にインターネットが浸透しているのが判ります。変わったよな、と思いますね。そして思いもよらない友人や親族がインターネットのアドレスが書いてあると、実に実に嬉しくなります。できたら、50代、60代、70代がやってほしいよな。

  周の家族の2000年の年賀状(そのうちに過去の年賀状の部屋を作ります)

 今年の年賀状は昨年の12月19日の夜、ちょうど20日になっていまして、午前1時頃家族4人が集まりました。下のブルータスは四国への旅行からついでに友だちのところに泊まりまして、それで午後4時頃帰ってきまして、それからアルバイトへ行きました。午前0時40分くらいに帰ってきまして、それから我が家はみんなで「よし、年賀状の写真を撮ろう」と騒ぎ出しました。今年はいつもの一眼レフではなく、デジカメがあります。それで、このデジカメについては、何故かブルータスが詳しく操作できまして、彼女がすべてを仕切ます。
 いつもは干支のぬいぐるみをみんなで手に持ちます。でも辰のぬいぐるみはありません。「まあ、パンダにしようぜ」ということでしたから、そこでパンダのぬいぐるみを出してきます。でも汚れているな。ママが洗います。昔、大きなパンダのぬいぐるみの「どんちゃん」がありましたが、それが出てきます。ブルータスが2つくらいのときに、私が夜遅く帰宅すると、ブルータスのとなりに、ブルータスの顔より大きいぬいぐるみが寝ていました。私の母は孫が5人いるので、順番にいろいろなものをプレゼントしてくれていました。とくにブルータスと弟の次女は小さかったので、二人順番にいろいろなぬいぐるみをくれていたのですが、この回は、弟の次女の番だったのですが、そのぬいぐるみを見た途端、ブルータスは自分より大きいぬいぐるみを抱き締めてしまったのです。そして勝手にどんちゃんと名づけて、自分の家まで持ってきてしまいました。そのぱんだのどんちゃんが今出てきました。でもそれが小さいこと小さいこと。ブルータスも驚いていました。「こんなに小さかったんだ」 それで、いつくも写真を撮って、パソコンで見て、そして印刷しました。ブルータスがプリンタを見張っていまして、「おおッ!」っと声をあげます。「まあ、こんなもんだろう」。かくして、我が家の年賀状の撮影を終えました。そして各自が年賀状で言いたいことを再度明確に聞きまして、打直し、また印刷に入りました

11010502 昨日は妻と二人で、神田明神に初詣しました。考えてみれば、二人きりで来たのは初めてのことかなあ。

2011/01/04 07:47もう普通の生活になったのかなあ。
2011/01/04 07:56やはり寒いですね。いい天気です。
 ああ、「てっぱん」が見られて嬉しいです。
 私の娘二人は結婚して、上のおはぎが三人の子、下のブルータスが一人の子がいます。
2011/01/04 21:17きょうは妻と二人で神田明神へ行きました。二人で行ったのは初めてじゃないかなあ。いつも娘二人がいました。そして大きくなって、彼ができて、それでみんなで行ったものです。そして孫ができて、みんなで行きました。昨年は孫は二人でした。
 でも私は今は孫が4人です。でもきょうは妻と二人でした。
 私はいつも神田明神の境内でいくつものことを将門様に報告しています。
 そのあと、妻と二人で食事しました。でもそのお店でも、ある店員さんを見て、私は「あ、あの彼女が今も働いているんだ」と嬉しくなったものでしたが、考えてみてば10年ぶり、いや15年ぶりくらいかなあ。

 いやあの店員さんの顔を見たのは、20年ぶりかもそれないな。昨日長女の家に行きまして、ポポは私が抱いたら、泣きました。それから私は3Fのポコ汰とポニョの寝姿をそっと見に行きました。やっぱり起きてほしいものです。でも私は無理やり起こしたりはしませんよ。

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 周の掲示板大竹さんから以下の書き込みがありました。

神田神社 投稿者:大竹尚行  投稿日:2010年 1月 9日(土)01時17分23秒  
周さん、こんばんは。
神田神社に行かれたんですね。じつは僕は料理を作る仕事をしておりまして、法学部を中退して上京し、神田明神のすぐ近くにある料理屋で働いていたことがあります。友人もいない孤独な東京生活で、仕事の休憩中によく散歩しに訪れたことを懐かしく思い出しました。
あの近く、神田○○町と呼ばれる地域は、僕にとってはもっとも東京らしい東京でした。大手町の首塚や浅草の日輪寺を訪れたりもしました。
ささいな経緯から成田にいたこともありますが、やはり新勝寺に行くことはありませんでした。

それから娘の写真は、もしかしたらご心配下さっているのかもしれませんが、ぜひどうぞこのまま掲載していて下さい。リンクの件もありがとうございます。リンクも娘の画像の件も、僕はとても光栄に思っていますので。

吉本さんの娘さん達の著作や作品にもご理解があるとは思いませんでした。これはますます読み込んで行かねばと、意欲だけはますます沸いてきました。しかし、こうも時間が取れないと、好きな読書もままならず歯軋りする毎日です。
娘は今日8日に誕生日を迎えましたが、とうとう日付が変ってからの帰宅となり、明日の朝は、つれあいの小言も覚悟せねばならないでしょう…

あらためまして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 

 丁寧にわざわざありがとう。神田明神は私は毎年行っています。いつごろから行きだしたのかなあ。たぶん30歳くらいからですね。だからもう30年をすぎています。妻と娘二人とずっと一緒に初詣してきたものです。
 でも娘二人もそれぞれ家庭を持ちましたから、まずは初詣は別に行くようですが、こうしてまた私と行ってくれます。そして今は孫も一緒なのですね。
 私は将門様を尊敬崇拝しているから、ここにいくのですが、ここが私には一番好きな神社なのですね。将門神社というところはいくつもあるのですが、我孫子の日秀(ひびり)の将門神社は何度か行きましたが、私には何故かこの神社では、将門様が恐ろしく感じられるところなのです。
 数年前にこの日秀の将門神社に独りで行ったのですが、何故かものすごい風で唸り声のようなものでした。そこで私は、将門様の「我孫子を去れ」という叫びを聞いたのです。だから私は今東京都北区王子に住んでいるのです。
 成田は大昔68年の2月から何度か三里塚闘争に行きましたものです。でもやはりその後も私は新勝寺には行きません。数年前にも成田にパソコンの指導で行きましたが、やはり成田新勝寺は藤原秀郷を祀っているために、私は行きません。まず足がそこへ歩くことがないのです。
 私はもちろん吉本(吉本隆明)さんの本はすべて読んでいるし、すべて本は持っています。私が死ぬときには、「棺桶に入れろ」と言っていますが、どうしてくれるかなあ。だけど私は娘さんのハルノ宵子さんのファンでもあるし、吉本ばななさんのファンでもあります。ただ彼女たちの本は持っていないです。我孫子から引越しのときに、すべて古書店に売りました。
 私は本は年に300冊読破していますが、家ではまず読まないです。電車の中で読むだけですね。ただし、その読んだ感想をブログに書くときだけ、パソコンの前で本を広げていますね。
 私は大学を出たあと、いくつもの会社に就職しましたが、「神田」とつくところは、神田紺屋町、神田須田町、神田錦町、神田駿河台と働いたものですね。思えば、一体何社に勤めたのかな。

 Re.神田神社 の2 へ

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e64d504a.jpg 私はこの書いているものをまずは「わが家のおかあさん」ということで、私のブログに書いています。私のブログでは一番多く書いているものです。もう800を越えています。そこに昨日「BlogPetの真理」という子が実にひさしぶりにコメントをくれました。
 もちろん私はこのコメントへのレスのUPはしました。
 これは私が作りましたインターネット上での架空のペットです。今はパンダになっているのかなあ。これがときどきコメントをくれたり、ときには書き込みもしてくれます。そして何を言っているかというと、私のブログの内容を分析して、それで文章を作成しているのです。今後はよく書いてくれるようになるかな。この子は今4歳10カ月(私が作ってからこれだけ経っているのです)になります。
 写真は、1月4日に神田明神の初詣で、門の中に入りましたところです。

ec5916ce.jpg やっぱり寒い朝です。
 昨日も年賀状が来ていますが、もう年賀状はその9割がパソコンで作っていますね。私の次女のは全面をパソコンでプリントしているので、これは結構印刷が大変だなあなんて思いました。そのような方が何人かいます。でもパソコンで苦心して作成されているのはいいですね。そこにさらに書かれている文面に私は今後手紙を書いていくつもりです。でもそれははがきではなく、便箋で何枚か書いていくつもりです。
 写真は4日に行きました神田明神の門までいたる参道です。もういっぱいの人でした。

256ec506.jpg 昨日は、義母をそちらに送りましたあと、次女夫妻が来てくれて、それから神田明神へ初詣に行きました。ものすごい数の人で実際に神殿の前で手を合わせられたのには並びましてから約1時間の後でした。長女家族4人とは湯島聖堂で待ち合わせしました。ポコ汰もポニョも次女ブルータスとナオキ君が大好きで、もういっぱいたくさんのことをやっていました。
 最後に別れるときが大変だなあと思っていましたが、たしかに大変でした。ブルータスは美味しいケーキを作ってきてくれました。
 画像は今年の義母の年賀状に載せた寅です。(01/05)

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 12月26日から31日まで、義母は介護サービスの西が丘園というところに行っていました、。それで、私が書いていました「わが家のおかあさん2009.12.26」は実質的には、「わが家」の連絡帳としては使っていません(でもこうして載せました)。
 12月26日の午前10時40分に車でお迎えに来てくれて、お泊りでした。
 それでいつもなら、また車で家まで送ってきてくれるのですが、今回は年末でそれが無理で、妻と二人で西が丘園(北区桐ヶ丘)まで出迎えに行きました。
 前にも行ったことがあるので、バスで行きましても、すぐに園は判りました。そして午後3時30分に義母を向かえ、用意していたタクシーで家まで帰ってきました。(12/31)

 昨日は私の初孫ポコ汰の3歳の誕生日でした。私の家で夕食を食べてから、私の家の前のガールフレンドのリノちゃんの家に行きました。それでもう3歳ですから、少し大人になったポコ汰なのです。ただポニョはまだ小さな子です。
 さて今日は私の次女ブルータスがナオキ君と来てくれます。それで神田明神へ初詣の気持ちなのですが、どうかなあ。できたら長女の家族も来てくれるといいなあ。
 ことしもよろしくお願いします。写真は昨日サミットストアに行ったときです。(01/04)

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 昨日の21:49に届いていたHA茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2010/01/02 【No.1907】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

明けましておめでとうございます。皆様 どんなお正月をお過ごしでしょうか?私は 昨日初詣を済ませ、きょうは親戚の家にお年始の挨拶をしてきました。今年も、できる限りの努力の年にしたいものだと思っています。

たのしみは 向かい風から 追い風に 変わり足取り 軽くなる時

 わあ、ものすごく私も嬉しいです。「向かい風から追い風に変わり」というのは、嬉しいことです。

たのしみは 整理整頓 した後に 出たゴミまとめ 外に出す時

読者の皆様、今年もよろしくお付き合いください。

 私はまだ初詣に行っていません。昨年は2日に一人で行ったものです。そして3日に家族みんなで行きましたものでした。今年は4日に神田明神に家族8人でいくつもりでいます。将門様にご挨拶するのです。

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52cd828e.jpg 4日に義母の部屋の蛍光灯のスイッチが故障しているので、この近くの電気屋さんに電話したのですが、まだお休みで、7日から営業するという留守電でした。仕方ないので、電話を切るとそのあとしばらく経って電話が来まして、すぐに来てくれまして、直してくれました。思えば、こういう地域の業者さんはありがたいですね。実はきょうは洗濯機の故障をメーカーにみてもらうのですが、これは秋葉原で買いましたものですが、でも今後はこうした家電はすぐそばで購入しようと思ったものでした。
 写真は1月3日に行きました神田明神の境内にある鳳凰殿の上にあった鳳凰です。(01/07)

d24b50e9.jpg 新年おめでとうございます。今年も義母をよろしくお願い致します。
 本日は長女4人家族と私で、私の父母の墓参りに我孫子湖北の正泉寺に行ってきます。小さい孫二人も一緒に参ります。ポコ汰は1月3日に2歳になったばかりです。
 写真は1月3日に行きました神田明神です。ここで私はいつも将門様にさまざまな報告と決意表明をしています。(01/05)

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 きょう行きました六義園の写真もいくつもあるのですが、義父の土鈴の写真もあるもので、ここであとの土鈴の写真をいっぺんに載せます。

 でもまだいくつかあると思いますから、それはまた別な機会に載せていきます。
 最初の土鈴は神田明神のものです。思えば、私もこういうふうに、何かを蒐集してみたいものですね。

 このあとは本日行きました六義園の写真を載せていきます。

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 私の長女おはぎがきょうの午後神田明神へ家族3人(お腹にはポニョちゃんがいます)で行きます。大学のときからの親友のモリキが結婚するからです。
 彼女とは、同じ文教大学の美術科に入学してからの友人です。彼女は四国香川県から来ていまして、卒業して同じく東京都の教員になりました。ただし、彼女は新宿区の中学の美術の教員です。彼女は、よく長女の家にも来てくれていました。大学にいたときには、彼女のお父さんとお母さんにも会ったことがあります。
 こうして長女のいい友だちが結婚することを、私はものすごく嬉しいです。
 長女に手紙を書きました。その中に、次のようなことを書き記しました。

 きょう7月26日大安の日に、あなたの親友のモリキが結婚するというのは、とっても嬉しいです。しかも結婚するところが神田明神だといいます。祭神はもちろん平将門様ですが、明治維新の明治7年に、祭神からはずされて、大己貴命(だいこく様、大国主名)、少彦名命(えびす様)が祭られました。ただのちに昭和59年に将門様は復活されました。
 私はこの将門様をずっと尊敬崇拝しておりますので、この神田明神が大好きです。そこで結婚の誓いをするというのは、実に私には嬉しいことです。好きな男女が対幻想の相手である相手と結婚するというのは、実に嬉しいことです。そのことによって、やがて光汰朗やポニョちゃんのような可愛い子どもを授かるのですから。

 私もとっても嬉しいです。そしてこんないい娘と友だちになれたおはぎが羨ましいです。でもきょうは、ポコ汰も一緒に行きますから、さて結婚式場で驚くかな。できたら、モリキたちの前でも、あの笑顔でいてくれたら嬉しいなと思います。
 ミツ君、よろしくね。そして、モリキ! 本当におめでとう。お幸せに!

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df19491b.jpg 私もついついやっていることに夢中になり、義母のことを忘れてしまうことが多々あります。このことは深く反省しなければなりません。孫が昨日熱がでまして、それがとても気掛かりです。
 写真は、1月4日に家族で神田明神に行きまして、その帰りの聖橋の上から御茶ノ水駅をとりました。ちょうど地下鉄丸の内線の電車も見えています。(01/11)

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 王子から、私の家族、長女おはぎとミツ君とポコちゃん、次女ブルータスとナオ君、それに妻と私の7人で神田明神へ出かけました。ポコちゃんは、最初は電車の中でも、他の人に笑顔をふりまいていたりしましたが、神田明神の境内に入って、パパに抱かれているうちに眠くなり、眠ってしまいました。
 参拝を終えて、湯島の聖堂にも寄りました。私の家族はもうずっと毎年この神田明神に初詣でしてそのあと湯島の聖堂にも寄っています。あ、必ず境内で酒まんじゅうも買って、王子の父母に持って行っていました。もちろん、今年もです。
 そのあと、娘が小さいときから、参道で何かを買って食べたりしていました(もう小さいときは、これがむしょうに面白く、そして美味しかったようです)。
 そしてそのあと新御茶ノ水のビル下で、食事します。もうあちこちのお店に入ったものでしたが、ここ10数年は京都ラーメンのお店に入ります。でも、さすが大人6人だとなかなか席が空きません。
 でもとにかくポコちゃんは、ずっと眠りっぱなしです。

08010404 でも思えば、いつもは2日にこの行事をしていたものでしたが、今年は4日になりました。

 そのあと、王子へ帰って、おはぎの家に寄り、ブルータスのハワイ旅行のビデオを見たりしているうちに、私一人眠くなりました。でもずっと眠っていたポコちゃんは、とっても元気になりました。私の眠るすぐそばで、自動車を走らせたり元気いっぱいです。
 ポコちゃんは、ブルータスもナオ君も、とっても大好きなようです。

 あ、神田明神で空を見上げたら飛行船が浮かんでいました。

4d67b875.jpg もうすぐ神田明神に家族7人で初詣に出かけます。ポコちゃんも行きます。今年は7人家族ですが、来年はもっと増えているでしょう。
 ポコちゃんが、だんだん神田明神へいくと、その帰りにいろんなものを食べたり、いろいろと欲しくなるでしょうね。娘たちもそうでした。
 ああ、そういえば、神社内にいつもおししがいて、それを娘二人は大変に怖がっていました。でもあるときに、ブルータスがそのお獅子に頭をかまれて(そうすると健康になるそうです)、それを見たおはぎも、お姉ちゃんもやるわけですが、お獅子が怖くて涙を浮かべて頭をかまれていたことを思い出します。さて、ポコちゃんも怖がるだろうなあ。
 もうずっと行っている神田明神です。また将門様の声を聞いてきます。将門様に初めてお目見えするポコちゃんです。将門様にお願いすることがあります。それをいいに私は行きます。
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 ポコちゃんが満1歳の誕生日ですナミちゃんから、次のコメントをもらいました。

1. Posted by なみんと    2008年01月03日 09:29
ポコちゃん!一歳のお誕生日おめでとうございます。皆さんの大きな愛情に包まれて幸せなポコちゃんですね。今日はブルータスさんご夫婦と周さんの御家族全員で神田明神へお出かけとの事・・最高に幸せな時間ですね。ポコちゃん!やさしくて何でも知っているじいじをよろしくね
  じいじの友達より

 ありがとうございます。家族が全部で、私と妻、おはぎ長女夫妻とポコちゃん、ブルータス夫妻、そして義母と全部で8人が王子の家に集まります。そして神田明神へ7人でいくのは、明日4日なのです。明日からデイサービスが始まるので、義母を預かってもらえるからです。

 いつも、私の家族は、ずっと元旦には、我孫子の父母の家へ行きまして、親族みんな集まりました。おはぎ・ブルータスの従姉妹もだんだん結婚して、その相手も来てくれるようになり、その子どもたちも来てくれるようになりました。だから実に楽しいです。
 そしてそこでいつも私はただただ最初から飲んでばかりいます。でもみーねえの彼が秋田湯沢の人で、いつも美味しい酒を持ってきてくれて、私は実に嬉しいばかりです。
 そこで、私と兄とみーねえの彼はひたすら酒を飲んでいます。母と義姉と私の妻と義妹は、お喋りしています。他の5人の孫の女性とみーねえの二人の息子は、みんなでトランプやウノをやっています。私はいつも、トランプやウノを誘われても、「周ちゃんは、博奕はやらないんだ」と言い張っています。私の弟は、いつもどこかへ行って、仲間に入っていますが、私たちのところで酒を少し飲んで、いつも赤い顔をしています。
 もうそれが、今度は、弟の長女のシホちゃんの彼も、おはぎの彼も、ブルータスの彼も参加するわけです。そしてそして、今年のおぼんからは、そこにポコちゃんもいるわけです。これがいつも楽しいですよ。
 そしていつも2日に、私たち4人家族は、神田明神へ行ってきました。そのあと神田か御茶ノ水で食事して、それから王子の義父と義母の家に来ていました。そして夜は楽しく食事して、3日は、朝から、義母の指導のもとにおはぎとブルータスは書き初めをします。
 そして4日目は、王子シネマで、「男はつらいよ」を見ていました。これが私と妻が結婚してから、ずっとやってきたお正月の風景でした。

 それで、今年は、母の喪中なので、お正月にみんなで集まるのは止めにしました。その替わり、みな私の兄弟は、それぞれで集まるようです。
 私のところは、今晩です。そして明日は神田明神に初詣でします。

 今夜の食事のために、私はもう2度買い物に行きました。もう美味しいお酒は用意しました。シャンパンはもう冷やしてあります。きょうは、ポコちゃんの誕生日でもあるのです。今妻がまた買い物に行っています。美味しいすき焼きを材料を買いに行っているのです。
 いつも、この王子の家では、義父が美味しい牛肉を用意してくれていました。でもまだむかしは、私は牛スキというのが好きになれませんでした。牛スキでは、酒には合わない感じなのです。だから、義父は私のためにしゃぶしゃぶにしてくれたりしたものです。いつも、義父はいい牛肉を用意してくれていました。
 私はあまたあとで、ビールを買いに行きます。ビールもないとまずいじゃないですか。私はシャンパンはもう少ししか飲まないよ。でもいいシャンパンだからね。でもミツ君は、そんなに飲まないしなあ。あ、彼はビールもほぼ飲まないしなあ。

 ポコちゃんのケーキを早く見てみたいです。ロウソクが1本です。そしてもうすぐ喋りだします。もう実にいいです。愉しいです。
 さきほど、ミツ君のお母さん、だからポコちゃんのおばあちゃんとミツ君のお兄ちゃんが来てくれていました。ポコちゃんは、ごきげんで、いっぱい口にほうばっていましたよ。

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 このブログのサイドバーの「ポコちゃんはいくつになったの?」に、きょうは以下のようにあります。

ポコちゃんは1月3日生まれ
今日で1歳です♪
★Happy Birthday!!★

 嬉しいです。昨年(あ、一昨年末だ)は、実は予定日がその前の2006年12月25日なので、私たちは実にやきもきしていました。私は水天宮に行きまして、「あ、ここはいわば私の敵である平家を祭っているんだ」(ええと平清盛等の平家は、いわば私の崇拝します平将門を討った平貞盛の子孫であり、将門を討ったことにより、関東にはいられなくなりました。その平家を討ったのが、関東の将門の子孫たちです。鎌倉幕府将軍の源頼朝も実朝も実に将門様を尊敬しています)ということで、あわてて将門様の神田明神へ行ったものでした。
 もうポコちゃんは、丈夫に元気に、こうして満一歳になりました。
 きょうは、次女ブルータスもやってきます。ブルータスがポコちゃんを抱いているところが私にはたまらなく嬉しいです。
 そして明日4日に、ポコちゃんを連れて、私と妻、おはぎ夫婦、ブルータス夫婦は、神田明神の将門様のところへ、新年の挨拶にいきます。

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 周の掲示板に、流れ者さんから以下の書込みがありました。

(無題)  投稿者:流れ者  投稿日:2007年11月19日(月)01時21分26秒

   周さん、コメントありがとうございます。私は昭和44年の生まれの大学中退ですので、実際の活動経験は皆無ですが、個人的に学習や運動参加を心がけている者です。

胴体を求め首が飛んだという将門公の有名な怪談がきっかけで、一時将門伝説にのめり込みました。大手町の首塚、神田明神では銭形平次に縁のある石碑を発見したりと、楽しい思い出があります。

子供の頃から、伯父がよく樺美智子さんのお話や、阿佐ヶ谷で民青部隊と衝突したことなどを話してくれました。つい先日、その伯父も出席してくれた私の結婚式で、インターナショナルをピアノ奏者の方が演奏してくれて我々夫婦を迎えてくれました。ブルジョワ結婚式で恥ずかしい話ですが…

蛇足ですが、私はパリにあるマリア・カラスの墓を訪れたことがあります。
墓地とは思えない美しい公園のような場所に彼女のお墓はありました。

これからもブログ、楽しみにしています。寒くなりましたので、どうぞご自愛下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=0hSAuf20XIo

 またこのブログでこれにレスします。
 昭和44年というと、私が東大闘争の安田講堂で逮捕起訴された年ですね。あのときは、私は20歳でしたから、私とは20年の歳の差があるんですね。あの69年は、府中刑務所に勾留され8月21日に保釈になりましたが、また別な事件で、12月10日に逮捕されました。だからこの69年は勾留されていた期間のほうがずっと長いのです。
 神田明神はよく行きますが、神田明神以外にも将門様を祭っているところも訪れるようにしています。
 でも、「ブルジョワ結婚式」なんていう言い方を初めて聞きましたよ。結婚はなんであれいいことです。そしてその結婚式もいいことです。その結婚式に階級の要素なんかありません。もうそういうことは、ジョージ・オーウェルが書いた暗い未来小説「1984年」のその年ががもう実際に過ぎてしまった21世紀なのですから、もう終わりました。
 私は「インターナショナル」も唄うことはありますが、「ああ、インターナショナル」という「ああ」が羞しくてなりません。あれは日本人だけが唱うものです。実はこの歌詞を訳された佐々木孝丸さんも、この「ああ」は入れていないというのです。このことは以下に書きました。

  http://shomon.net/uta/utakaku1.htm#inter  インターナショナル

 この佐々木さんがいわれるのには、佐々木さんたちが作詞した「インターナショナル」には、「ああインターナショナル  我等がもの」というところの「ああ」という歌詞はなかったといいます。いつのまにか、なんだかあのように歌うようになってしまったといいます。たしかに、原語のインターナショナルにはそんなのはないのですね。ここは実に日本的だと思います。あれで日本人はとても気持よく酔ってしまうんですね。
 私はこの佐々木さんが、原語のフランス語で歌われた(要するに佐々木さんは日本語のは自分が訳したのと違っているので唄いたくないのです)インターナショナルのテープを持っています。

 マリア・カラスの歌声は、私も大好きです。でももう亡くなられて、どのくらいの日が過ぎているのでしょうか。ギリシア生まれでイタリアのカンツォーネを歌われて、欧米で活躍されていましたね。
 掲示板への書込みをありがとう。できたら、あなた自身のブログの開設を期待しますよ。

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 周の掲示板 に次の書込みがありました。

初めまして  投稿者:流れ者  投稿日:2007年11月11日(日)00時59分6秒
 大変おもしろい充実したサイトですね。
私も将門のファンで、よく神田明神に遊びに行ったものです。
そこでしか入手できない「神田明神史考」という本を今も大切にしています。
ところでワルシャワ労働歌も大好きなので、こちらには驚かされました。
私は30代後半なので、インターナショナルの方がなじみがあります。
どこかの集会かデモで思い切りワルシャビヤンカを唄ってみたいものです。
これからもサイトの発展を祈念しております。

 ありがとうございます。TOPで流している ワルシャワ労働歌 は実に私の好きな歌です。 青年日本の歌 も好きなので、MENU のページで流しています。
 ただこのところは、このブログで書いているばかりです。もう今までのインターネット上のホームページよりも、このブログのほうが検索にも実に素速く応じられるので、どうしてもこちらのほうが親しく感じてしまうのです。私が書き込むと、30分も経たないうちに、それをGoogleやYahooJapanの検索で見つけてきてくれる方がいます(私にはアクセス解析がつけてありますので、すぐに判るのです)。これは実に嬉しいことです。
 思えば、前には、どこのホームページでも、「リンクはトップページにお願いします」なんて言っていたじゃないですか。私はいつも「リンクはどのページでも結構です」とずっと言ってきていました。それがもう私の言うことが、この時代になると、いいもどうも「許可する」も何も、どこでも至極当然になってきました。
 私は神田明神へもよく行きます。いつもお正月は家族で必ず初詣でしてきたものです。将門様を討つためにある成田権現は大嫌いです。そうねえ、私は藤原秀郷は今も好きになれません。だから思えば、昔は私は成田三里塚闘争に行ったものでしたね。もっとも、私が将門様のことを言っても、三派全学連の人たちは、誰も何も知らないし、関心もありませんでした。いつも怪訝な顔をされたばかりでした。
 そんな昔を思い出しました。

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 周の推薦番外篇「和菓子処さゝま」で、私が次のように書いたことですが、

その日(たしか金曜日)の昼休みに私は、神保町をかけずり回って、クリスマスプレゼントをいくつも用意しました(たしか20人ぶんくらいだったなあ)。用意したものも8ケくらいは覚えています。いろいろと面白いものを用意しました。

 あのとき用意したクリスマスプレゼントは何だったかかなあ、と思い出しました。女性が多かったので、多くは女性が喜ぶようなものだったと思いますが、なんだっけなあ。
 思い出せるものは、以下のようなものです。なにしろ、短い時間に、神保町、神田を走り回って用意したものでした。
 思い出せるのは以下のようなものです。

1.さゝまの生和菓子
2.エスワイルのマロングラッセ
3.絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」
4.「PlayBoy(米国版)」
5.神田明神のお守りとお札
6.大きなキセル
7.吉本隆明の本(何だったか覚えていない)
8.コーヒー豆
9.写研の見本帳

 たぶん、あと8〜12ケくらい用意しましたが、もう覚えていません。あたり前だよなあ。もう33年前だものなあ。
 でも過去の毎年のクリスマスプレゼントを思い出すのも愉しいかなあ、と思いました。このときには、思い出せば、その日に私の部の部長から急に命じられて、あわてて走り回ったものでした。
 思い出すと、いくつものことを思い出してきます。絵本があたったO編集長は、「娘はもう大きいから、これを持って帰っても仕方ないから」と、さゝまのお菓子と交換していたものでしたね。懐かしい思い出だなあ。

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「将門さんは産みの親☆」おだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪ のナミちゃんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by なみんと    2007年07月05日 06:39
おはようございます。将門神社は私も数回訪ねた事があります。確かに暗いですね。
わかりました(^・^)これから「周さん」と呼びます。教えていただき有り難うございます。

 私はあの将門神社に、二人の娘がまだ小さいときに連れていったことがあります。私は朝まで新宿のゴールデン街から三番街で飲んでいた日曜日の朝、我孫子に帰ってきて、二人と出かけたものでした。
 成田街道から、将門神社に至る道で、大きな蝦蟇がいて、二人が見て喜んでいたのをよく覚えています。そのときに、始めて日秀の将門神社に行ったわけですが、そのそばの将門の井戸含めて大変に暗い印象ばかりでした。そのあと、手賀沼を見て(といっても、もう沼はありませんね)、「ああ、あの対岸のほうから、将門さまが馬でこちらに渡ってきたのだ」と思ったものです。
 たぶん、もう二人の娘は忘れているだろうな。

 私の「周」というハンドル名は、もちろん名前の「周二」からとったものですが、好きな魯迅の名前も周なので、大変に好きな名前なのです。

 私が毎年2日に必ず参拝する(ほかのときもよく行っていますが)神田明神も、本来の主祭の神は平将門様です。ここにも私は実によく行きます。行って、いつも将門様の声を聞いています。

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 まずは良かったなあ、という思いでいっぱいです。予測よりも早く退院できて、嬉しいです。きのうの夕方は、私はポコちゃんに言っていました。

 退院できるのはいいけれど、この病院たくさん面白いところがあるから、いろいろと探検に行きたいね。なかなかこれないところだからね。

 でもまだポコちゃんは歩けませんから、あちこち行くわけにはいきません。本当は、もっと前に分かっていたら、私が抱いてあちこち歩いたのですが残念です。今はかよばばが会っているのかなあ。
 実は19日に、おはぎから電話で知りまして、でも私は義母のお迎えがあるので、出られません。妻にも知らせようにも、かなり驚いてしまうでしょうから、とにかく帰ってきてからと思っていました。それでいつもは夜7時には帰宅するのですが、少し遅れているようです。私ももう気が気ではありませんでした。
 それで、妻が帰ってきて、すぐに家を出ます。そしてタクシーを見つけて急ぎました。私は妻の前で振舞ったのとは違って、実はかなり焦っていました。あんなにちっちゃいポコちゃんをどうするのだという思いばかりでした。
 しかし天を怨んでも仕方ありません。私はタクシーの中で、もし大変な病気なら、私の寿命を1年や2年縮めてもいいから、ポコちゃんを助けてくださいと祈っていました。いや、もうできるなら、私の命と引き換えにポコちゃんを救ってくださいとばかり祈っていました
 でももうそれほどのことはなかったようです。いえ、私の祈りが通じたのかなあ。

 私が祈りました将門様に、お礼をいいに参ります。神田明神にいくいけばいいかなあ。将門様へのお礼は、神田明神と、もう一つの神社にいかなくてはと考えています。
 さてもう帰ってくるかなあ。

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解体される場所―20時間完全討論
 私の 周の掲示板目森一喜 さんから次の書込みがありました。
 それででも、この掲示板へのレスは、目森さんへのレスではなく、現在このブログ将門が陥っている問題を書いてしまいました。もっと早く私が対処すべきでした。私は「未払」だというので、それで支払いをして、1月分まで支払ったつもりでいて、相手のクレジット会社もそれは認めたのですが、このlivedoorがどう処理してくれたという問題です。9日に直接電話して解決します。

 それで、そのことで余計なことを書いたから、ここで下の書込みへのレスをします。

おめでとうございます  投稿者:目森一喜  投稿日: 1月 5日(金)15時39分22秒
 光汰朗くん、誕生、おめでとうございます。
 誕生のアップから、ずっと嬉しい気持を暖めていました。
 いつ死んでもいいような生き方をなさっていた周さんが、ここまで生きた天の采配に、感謝しました。
 今年、神社でお祓いをしてもらうのを待っている間に、いい爺さんを何人も見ました。神社と爺ぃはよく似合うと思い、嬉しくなりました。
 何はともかく、おめでとうございます。

 本当にありがとう。
 いつ死んでもいいような生き方をなさっていた周さんが というところで、「そんなことはないよ」と声に出しましたが、思い出せば、こんなことがありました。
 私の川口のクライアントで、西川口の駅に帰るときに、自動車事故に合う寸前のことがありました。運転していたのは、監査役の前社長で、私とは実に気の合う方でした。大正15年生まれで、もう亡くなりました。
 たしかあれはもう10年から15年くらい前かな。彼が「今危ないところだったよ」というのに対して、私は、「ああ、別にいいですよ。私はいつ死んでも構いませんから」といいましたが、あれは私の本心でした。私は28歳くらいから、いつでも死ぬ覚悟ができていたつもりでした。
 でも思えば、私はくだらない人間でした。そんな覚悟なんて、何の意味があったのでしょうか。今の私は死ぬのが本当に怖くなりました。少なくとも、あの孫のポコちゃん(本名は光汰朗ですが)を抱いて、王子柳田公園を歩きたいです。少なくとも、ポコちゃんの目を開けたところを見てみたいです。私の次女の結婚式で、ポコちゃんが、泣いてみんなに迷惑かけるのを見てみたいです。だから私はまだ死ぬわけにはいきません。
 まだ生きていたいです。そして次女の子どもにも会いたい。孫を保育園に私が連れていきたいです。

 もうそうするのには、私が健康で生き続けなければなりません。元気で健康に生き続けなければなりません。

 私は懸命に必死に恋をしたつもりでいます。また革命を本気で考えていました。なんとしても私の思う革命をこの日本で成就するつもりでした。刑務所の独房の中で、自分の恋と革命への思いを真剣に考えていたものでした。
 そしてでも社会に出て、実に転職ばかり繰り返し、でもどうやら私の両親兄弟、私の妻と子ども、そして私の数多い友人たちのおかげで私は今まで生きてこられました。
 もうこれからは、孫と一緒に歩けることだけを考えていきます。それにはもっと私自身が努力しないとなりません。

 2日に私が神田明神に行きましたときに、私の一人前に小さな赤かちゃんを腕で抱いたお父さんとお母さんを見ました。間違いなく生まれて1カ月くらいの赤かちゃんです。なんだか、その赤かちゃんを見ていて、涙が溢れそうになりました。そして私は懸命に将門様に、私の孫の赤ちゃんが早く長女のお腹から出てきてくれるようにお願いしました。
 その私の必死の願いを将門様は聞き届けてくれまして、翌日朝ポコちゃんは生まれてきました。

 私もいいじじいになります。私はどうせなるのなら、「嫌味なじじい」になりたいと思っていたところがあったのですが、もうそういうよこしまで阿呆な願望はなくしました。私は極めて普通のいいじじいになります。

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吉本隆明入門 現代詩手帖臨時増刊「吉本隆明」III2003
 2007年1月3日午前8時11分生まれで、体重3,460g、身長52,5cmでした。 泣くと大変に元気なようでしたが、私がいたときは、そんなに泣きませんでした。
 名前は、光汰朗(こうたろう)といいます。田村光汰朗がフルネームです。
 もうこうして生まれてきまして、もう何人もの方が会いにきてくれて、また何人もの方に「おめでとう」のメールをいただいています。ありがとうございます。
 さて、最初のお宮参りは、王子神社ですね。そして私は神田明神にお礼の報告に行きます。きのう将門様にお願いして、本当に良かったです。

 写真は、私の初孫できょう朝生まれました光汰朗です。(でも15日に写真は削除しまして、吉本(吉本隆明)さんの著書を載せました)。

01db09ce.jpg 午前8時10分に誕生しました。3,400キロだということです。もうただただ嬉しいです。すぐにブルータスにも伝えました。もう声をあげて喜んでいました。
 今妻がすぐに病院に行きます。義母の世話がありますから、私は残りますが、また交代で私も行きます。
 やっぱり、昨日神田明神で将門様に熱心にお願いしたのがよかったなあ。
 もう名前も決めてあるのですが、まだポコちゃんの二人の親から正式にいわれるまでは公開しません。
 それにしても、元気で丈夫な男の子です。
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 私の 今日もいい空ですねまっくまっく のプラムさんが次のコメントをくれました。

1. Posted by プラム    2007年01月02日 08:13
周さん、あけましておめでとうございます。
今年も色々とご面倒のほど、宜しくですm(_ _)m
お孫さん、まだ生まれなくてハラハラの毎日ですね。

 そうなんです。それできょう私が自分の顔を鏡で見ているときに気がつきました。
 先日12月27日に日本橋蛎殻町の水天宮に行って、「なんとか私の孫を産まれさせてください」と祈ってきたのですが、考えてみれば、この水天宮は、安徳天皇、二位の尼、建礼門院の3人を神様として祭っているわけです。
 そうすると、私の尊敬崇拝します平将門様とは、いわば敵なんだなあ、と気がつきました。私の先祖が将門様のもとで戦ったときの相手は、平貞盛で、この子孫が平家物語で描かれる平清盛一族です。平貞盛と藤原秀郷が、私の将門様を討ったわけで、将門様の子孫たちは、いわばこの貞盛の子孫の平家一族を檀ノ浦に打ち破ったわけです。
 鎌倉幕府の将軍頼朝公も三代将軍実朝公も、この平将門様を尊敬することしきりでした。その平将門様を尊敬崇拝する私の孫の誕生を、貞盛の子孫の神様に頼んでも、それはかなうわけがありません。
 だから、私はそのことに気がついて、神田明神へ急ぎました。そして将門様に、私の初孫の誕生を祈りました。それと私の次女ブルータスの幸せな結婚も祈りました。
 そして二人の娘の幸せを祈るお守り等々も買ってきました。神功皇后が下帯に入れていたというお札も買ってきました。

 だからこれで、産まれてきます。元気な男の子です。もう長女と彼二人は名前も考えてあります。いい名前です。
 あ、それからその名前とは別に、私の長女も彼もこの産まれてくる孫のこといつも「ポコちゃん」と呼んでいます。だから私もポコちゃんと呼んでいます。

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99b229e7.JPGもうすぐ参拝できます。

 この時間はそんなにたくさんの人が来ていませんね。たぶん、午後には人がいっぱいになるんじゃないかなあ。

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 私の 周の掲示板 に川本さんから以下の書込みをいただきました。

本年もよろしくお願いします。  投稿者:川本  投稿日: 1月 1日(月)17時42分19秒  
 バークレイは今、年が明けました。
娘夫婦がカウントダウンパーティに出かけた留守、孫娘を寝かしつけた子供部屋で娘のノートパソコンを借りています。
会社のメールを転送したり、外部メールでソネットのメールを受け取ったり、ウェブメールの便利さを再確認しています。
ライブドアのブログは管理画面に入れず更新していません。休暇にはブログもお休みでもよいのかな、と思っています。
今年もよろしくお願い申し上げます。   

 ええとできたら、川本さんのスカイプ名が判れば、スカイプで話せるのですが。残念です、名前で検索しても出てこないのです。
 そういえば、12月30日電話をかけた金沢の友人もスカイプを使っているのに(設定は若い人がやったといいます)、スカイプ名を私に告げることができないので、高い市外電話料のままで喋っていました。
 そういえば、そのすぐあと大阪のOさんがスカイプをくれました。ちょうど札幌にいるといいます。彼はこの1月にヨーロッパ行って山に登るから、その山の上からスカイプしてくれると言っていました。彼は耳につけるイヤホンマイクだけなので、寝ころんでもトイレに行っていてもスカイプで話せると言っていました。私はスカイプの携帯電話バッファローのがもうすぐ発売になるということを教えました(この1月に発売だといいます)。これだと、もうパソコンなしでどこででも話せますよ(ただし無線ランのあるところ)。

06123114 でも川本さんが「ウェブメールの便利さを再確認」というのはよく判ります。私はウェブメールはGメールとヤフーメールとライブドアのメールを使っています。ただやはり、Gメールを一番使っていますね。私の新しい名刺には、このGメールを入れています。もちろん、スカイプ名も入れています。
 今年は、このスカイプとGメールとそして、ケータイメールがより一層使うことになるかと思っています。

 あ、これから急いで神田明神へ初詣でに行きます。やはり、初孫の誕生を将門さまにお願いするのが一番最初にやるべきことです。それと次女の結婚のことを報告します。

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 母の故郷もいくつもある を今読んでいましたら、母のことで思い出しました。昔母の話で、昔OLをやっていたときに(もちろん戦前の話です)、同じ職場に織田信長の子孫がいたといいます。それが信長に似た顔で(なんで私の母が信長の顔が判るんだ)、声もかん高くて、いい男なそうなのだ。でもそれはなにしろ昭和10年代の話です。
 かつ織田信長の子孫というのは、江戸時代に3家あって、大大名とはいえないけれど、大名と小名だったかと思いますが、たしか元禄の頃の記録に、この3家が江戸城で集まって話しているうちに大げんかをするシーンがあります。その口喧嘩の内容が信長の父を含めた時代の信長の兄弟の喧嘩に関係した話だったかと思います。その記録でも、もう聴いている人が呆れたと書いてあったかと思います。
 そんなことを思い出しながら、母の話を聴いていましたものでした。

 だが、この織田信長の子孫という当人と母が80年代のいつの日か会うことになりました。会うのは原宿です。なんで原宿なんだ、あ、明治神宮があるからか、と最初は思いましたが、考えてみれば私の家は明治神宮なんかいきません。明治天皇は、平将門を神田明神の主神からはずした人物です(将門様が神田明神の主神に復活できたのは、昭和も終りの頃です)。だから、明治神宮なんかいくわけがないのです。
 もうかなり年齢が行っている母は、私についてきてほしかったのでしょう。
 原宿駅前で待ち合わせて、駅そばの南国酒家に入りました。私は中華料理の注文の役目です。

 そのときお会いした織田さんは、母よりも年上なのですが、背が高くて実にまだしっかりしています。そしてたしかに織田信長の顔に似ています(教科書なんかで見た信長の絵の顔です)。そしてたしかに、声がカン高いのです。
 その織田さんは、母のいうのには、昔勤めていた頃(なにしろ昭和11、2年の話)は、大酒のみだったようですが、今はもうそんなに飲まないということでした。でも私の母を「たかちゃん(母はたか子という名です)と呼んでくれて、話がたくさんあるようです。
 私はただただひたすら紹興酒を飲み続けていました。

 母にもOL時代があり、そしてこういう面白い同僚の男性との出会いもあったのだなあ、と思っていました。
 でも別れてから、母を千代田線に乗せて帰るとき、母は「もう会えることもないのだろうね」と小さな声でいいました。

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96f35423.JPG   いや思い出せば、父の関係で、ここらへんの金融機関はいくつも回ったものでした。

    写真は25日夕方の神田明神です。

398062eb.JPG山口県行きますと、この銀行の店舗はあちこちで目立つようです。でも東京はここだけです。

   思い出せば、ここには20年以上前に私の父の用来たことがあります。父は日本橋蛎殻町の会社で経理をやっていまして、その用で来たものでした。

  写真は一昨日の神田明神です。

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