将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:神農

12110804 今まで「司馬遷『史記』の五帝本紀のことを書いてきました。この中国の歴史(いや司馬遷は、これが人間の歴史というのでしょう)が、書いてきたように、五人の帝によって始まったのです。『史記』でも司馬遷は、そのように書いています。
 でもこの「五帝本紀」の前はいったいどうなのでしょうか。
  それは三皇の時代といわれますが、五帝と同じように、この三皇が誰であるかというのはいくつものことが書いてあり、それを整理するのも大変なのですが、私はいわば想像するのです。
 まず『史記』の五帝本紀の黄帝のところで、最初に書いてあります。黄帝がまだ少年の頃神農氏が天下を治めており、その神農氏に黄帝(まだ軒轅と言った)は仕えます。
  その神農氏は、最後の炎帝という帝でした、この炎帝は神農とも同じ神になっていることもあります。だが司馬遷はそこらへんははっきり書いていません。私たちには、頼るべきは司馬遷しかいないのですが、彼自身が書いていないのです。
 この神農氏の世で諸侯は互いに攻めあい世は乱れたが、神農氏では抑えられないので、黄帝(まだ黄帝とは名乗っていない)はこれら諸侯を討伐した。とくに蚩尤(しゆう)という凶暴な侯を討伐し、さらには神農氏の最後の帝王であろう炎帝の子孫を滅ぼします。 この炎帝とは阪泉の野で三度戦い、ついに勝利しました。そのあと、蚩尤と戦い、ついに滅ぼします。それでみんなが軒轅を天子と仰いだので、黄帝となったのです。
 司馬遷は三皇のことは、ここまでしか書いていません。
12110805 よく任侠映画で組の何かの儀式のときには、掛け軸で「神農大神」と「天照大神」がかけられています。また任侠の道を「神農道」といったりします。
 ただし、私にはよく分からない神でもあります。そもそも私は顔も想像できないのです。

11041112 家族4人揃っての神田明神への初詣は、3日になりました。雪が降っていましたが雪の好きな私は、なんだかうきうきしていました。神田明神のあと、湯島聖堂にも必ず寄るのですが、ここで十二支の干支の土鈴を買いました。随分前にまだ娘が小さいときに買ったことがありましたが、今回は「これから毎年ずっと買って、十二支全部揃えよう」と妻と言い合いました。十二支全部揃ったときに、私は66歳です。そうすると、「きっと二人の子どもは小学生低学年だろうから、パパがここで手をひいているぞ」と言いました。
 そう言ったことだけでなく、私はたくさんの空想をしてしまいました。孫の小学生に、この湯島聖堂で祀られている孔子や顔回、孟子等々の説明をしている私の姿です。きっと神農のことも説明しているんだろうな。神田明神では、もっとたくさん話しているだろうな。私の大好きな将門公のことを話し続けるだろうな。

11030904 中国の一番最初に出来た国は、禹が始め桀王で終わった「夏(か)」です。その禹は、舜帝から禅譲されたといわれ、その舜で終わった時代を「五帝」の時代と言います。
 この五帝が、誰だったかというのは、いくつも説があるのですが、司馬遷は、

 黄帝
 センギョク(漢字が出ないよ)
 帝コク  (  〃    )
 堯
 舜

としています。
 この最初の黄帝の前が三皇の時代であったと言われます。司馬遷は神農氏の最後の皇帝の炎帝を黄帝が破ったというところから、長大なる「史記」を創めています。司馬遷は孔子に習って、あまり神だとか鬼だとかを扱いたくなかったのでしょうから、あまりに神話的な三皇の時代を記さなかったのです。そのかわり、どう見ても、神話上の神ではないのかと思われる、舜や禹のことまで、人間くさい歴史上の人物にしてしまいました。
 ところで、この三皇がまた誰であるというのが、いろいろと歴史書で違います。「十八史略」はさらに、この三皇の時代のその前に三皇の時代を設定し、

 神皇氏、人皇氏、地皇氏

の時代が長くあったと言っています(私のところには十八史略がないので、これは記憶のみで書いています)。
 それで、三皇にあたる皇帝に関しては、

  伏羲、女女咼(ジョカと読みカは一字です)、神農、炎帝、黄帝、燧人

等々が上げられています。
 私は以下の3人が適当ではないのかなと思います(あんまり意味ないのだけれど)。

 燧人 人間に初めて火をおこして食物を煮炊きすることを教えた
 伏羲 はじめて、狩猟牧畜を教え、文字を作った
 神農 人民に農業を教えた

ということが言われています。
 それで今回紹介する神農という神なのですが、最初にこの名が出てくるのは「孟子」です。そして、この神農はどこでも神としては描かれていません。農業を人民に教えた古代の聖人帝王というところです。そして市場を設けて交易の道も開いたといわれ、商業の開祖であるとも言われています。
 ところが時代がたつにつれて神としての性格も付与されてきまして、晋(三国時代の)の時代になると、以下のような神農像が作られてきました。

 1.神農は農業の神である。
 2.神農は草木を賞味し医療の道を教え本草四巻を著した。ため
  に、医者や薬屋の神となった。
 3.神農は五絃の琴を作った。琴は舜が作ったとも言われている
  が、これにより神農も楽人たちから崇められるようになった。
 4.神農は八卦を重ねて六十四卦とした。これにより、神農は易
  の神ともされ、占師からも祭られる。
 5.神農が炎帝と混同された結果、火の神とも見られるようにな
  り、鍛冶屋や焼酒屋の神としても祭られる。
 6.市場を設けて、交易の道を開いたという話から、商業の神と
  して祭られることになる。

 以上のようなことから、神農は「よろずや」と言ってもいいような神というわけです。これは黄帝にも同様に言えることかと思います。
 ヤクザ映画で襲名披露の映像があると、正面背後には、向かって右側に必ず「神農大神」とあり、左側には「天照大神」とあります。ヤクザとくにテキヤ系のヤクザにとっては、神農が彼らの神なのです。

  あいつは神農道を知らない
  それは神農道に悖るやり方だ

なんてセリフを聞くことがあります。
 私は毎年初詣では神田明神に家族揃って行くのですが、そのあと湯島聖堂にも行きます。ここでいつも神農に関する書物(いつもいろいろなものを売っている)を手に入れているのですが、その本が今見あたりません。たぶん、どこかにうずもれてしまっているのでしょう。それが少し残念です。もっと面白いことが報告できたのではないかななんて思うからです。
 だが、私には、この神農という神がどうしても、その顔姿というのが思い浮かんできません。女カでも、黄帝でも、舜でも、禹でも、私には、その顔や姿が想像できます。でもこの神農のみは、何故か駄目なのですね。つまり、後世作られた神としての性格のみで、何のエピソードもないからです。古代の聖王というだけで、あるいは「神農」という文字だけで、あとは何も出てこない神だからなのだと思っています。(1998.12.27)

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