将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

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12111113  前には実在はされていないとされていた夏です。その初代の帝がこの禹です。
 この禹の父は、鯀(こん)で、その父親が五帝の2代目のセンギョクになります。
 この鯀は字に魚辺がついているように、神話では魚の鯉になっています。私はその魚の絵の鯀を見たことはあります。そして禹は熊であったとも言われます。
 そうした神話が嫌いだったろう司馬遷は、父親の鯀は堯の時代のある行政官になっています。この時代に大きな洪水で人間は苦しんでいました。それを治めるように言われるのですが、9年経っても水は引きませんでした。
 そこで困った堯は、困りましたが、舜がこの鯀を流罪にして、その鯀の息子の禹を登用しました。
 禹は懸命に働きまして、この洪水を治めます。ただし、ものすごい時間がかかりました。そのときは禹は熊の姿になって必死に働いたということです。
 ただし、神話が嫌いだった司馬遷はそのようには書いていません。禹はあくまで父がなしえなかったことを必死になって実現しようとしている息子なのです。
 この時の禹の苦労を実に司馬遷は丁寧に書いてあります。実に「五帝本紀」よりもこの禹の記述が長く書いてあります。
 舜は、自分の息子商均(しょうきん)ではなく、この禹に帝を禅譲します。商均ではだめだったとしかいえないのです。
 ただこの禹の子であった啓は優秀だったので、位につきます。
 これで、前の五帝の時代とは違って、中国は「夏」という国が続くのです。
 この禹に関して、最後に司馬遷は言っています。禹を葬むったところを「会稽と名づけた。会稽は会計で、諸侯の功を計ったからだという。」

12111017  中国という国の歴史を思うと、いつも「この時は我が日本はどうだったのかなあ?」とか「この時のヨーロッパは何だったのかなあ?」とか「この時にインドにはアーリア人が入った頃なんだ」なんて思っています。中国は比較的に歴史がはっきり残っていて、その記録が明らかだからと思うのです。そしてそれは、『この「司馬遷『史記』」のおかげでなんだなあ』と思わざるをえません。
 昔は、この夏(か)という国は伝説でしかなくて、実在はしていないといわれました。でもこの夏のあとの国の殷も昔には存在しないといわれていました。だが殷の存在は明らかになり、そして現在では、その殷の前の夏の存在も事実だといわれています。
 まさしくこの夏の存在こそ、中国が偉大だといわれることなんだなあ、と私は思っています。そしてそれには「司馬遷『史記』」が欠かせないものです。
 そしてその夏の初代の帝である禹の存在こそが「神話から人間の世界」に変わった大きな存在であったと私は思っています。

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